来日45年 「中国のパンダ」から「上野のパンダ」へ[2017/12/19 12:40]

 上野の街にパンダがやってきて45年という月日が経つ。これまでどのような歴史を歩んできたのか、映像にまとめた。

 シャンシャンの展示公開で、上野は「パンダ」「パンダ」「パンダ」「パンダ」と狂喜乱舞なのだ。45年前、パンダを中国から初めて迎え入れた上野もこんな大騒ぎだったのか。上野で生まれ育ち、今、観光連盟の事務総長を務める茅野雅弘さんは、パンダのために1972年9月に開いたという上野動物園の旧正門前でこう振り返る。
 上野観光連盟・茅野雅弘事務総長:「動物園の中からもちろんのこと、ここの正門からずーっとあちらへ流れて、Uターンして列ができていた」
 徹夜組を含め、初日に3000人の大行列を記録したのだ。この年の2月、アメリカのニクソン大統領が電撃的に中国を訪問。寝耳に水の日本政府に衝撃が走るなか、親善大使としてパンダはすぐさま中国からアメリカへ送り込まれた。7月、総理大臣に就任した田中角栄は中国との国交正常化を急ピッチで進め、ニクソン大統領の半年後に北京の地を踏んだ。そして、日中国交正常化と同時にアメリカと同じようにパンダの贈呈が決まった。「国宝の政治史」を出版した家永真幸准教授は、パンダを「イメージ大使」と名付けてこう分析した。
 東京医科歯科大学・家永真幸准教授:「日中国交正常化のためには台湾とも断交しなければならなかった。日本が色々失わなければならないこともあったので、そういったタイミングでパンダが来たということを大々的に報道してもらえれば、日中間の成果が上がったという表面的な印象を取り繕える」
 その「イメージ作り」はすこぶる成功に見え、のちに田中角栄の造語だと言われるこの言葉、「人寄せパンダ」は流行語にもなった。
 田中角栄:「おまえさんは話すよりも『人寄せパンダ』のようなものだから、一つ顔を見せるだけでも出てこいと。頼まれれば米つきにも来るのが私の生き方でございます」
 パンダに象徴された日中友好ムードのなか、田中角栄は外交成果をうたって衆議院解散に踏み切った。「日中解散」と名付けられたこの解散は、巷では「パンダ解散」とも揶揄(やゆ)された。霞が関でイメージ作りに利用された「中国のパンダ」だが、動物園おひざ元の上野の街を大きく、長く沸せることになる。
 上野観光連盟・茅野雅弘事務総長:「(1972年当時)人はすごくいっぱい出てきたというのは非常に覚えている」
 空に浮かぶパンダバルーン、中国語の「熱烈歓迎」が書かれた巨大なパンダオブジェ、子どもが着けるパンダの紙帽子、上野はまさにパンダ一色だった。
 上野観光連盟・茅野雅弘事務総長:「パンダがやってくるのは突然だったからとても作ることができなくて、急きょ白熊のバルーンを白黒に塗り替えて慌ててパンダ柄にして展示したり、だっこちゃん人形みたいなものも白黒に塗り替えてパンダの人形に変えてみたり」
 急ごしらえだったにもかかわらず、効果は抜群のようだ。そのパンダが話題をなくすことなく、1986年、上野動物園で赤ちゃんパンダが初めて展示された時も…。
 当時の松坂屋担当者:「これ10万円になります。もうここへきて10匹ぐらい売れています」
 しかし、2008年のリンリンの死で、上野はパンダ不在の街となってしまった。時の東京都知事は大の中国嫌いの石原慎太郎氏。
 当時・東京都知事、石原慎太郎氏:「別にそれほどみんな大泣きして悲しむことはないじゃない。何もパンダ様々でご神体ではないんだから、いてもいなくてもいいじゃない、そんなものはどうでも」
 という当時の石原知事だったが、上野にとってパンダは本当に神様だったのかもしれない。
 上野観光連盟・茅野雅弘事務総長:「リンリンが死んじゃう1年前とその後では15%ぐらいお客さんの数が減った」
 2011年、パンダの帰ってきた上野には再び大行列と大にぎわいが戻ってきた。やはり、上野にはパンダが必要だったのだ。
 上野観光連盟・茅野雅弘事務総長:「パンダ関係の商品は今でも非常に人気があるので、皆さん知恵を絞ってオリジナルのグッズを開発したり。パンダがあると売れます」
 シャンシャンの誕生で、初来日と匹敵するブームを予感したと茅野さんが言う。
 上野観光連盟・茅野雅弘事務総長:「こういう感じですよ。いっぱいでしょ?街の皆もそれだけ大喜びしているということでもあるし、それから、お客さんもそれだけ増えているし、街に与える影響はものすごく大きい」
 パンダはすっかり「中国」の色から脱皮し、「上野のパンダ」となったのだ。上野に今、パンダのめでたいニュースで株価が急騰する「パンダ銘柄」と言われる老舗料理店がある。そして、リニューアルオープンがシャンシャンの公開と時期が近く、パンダを全面に押し出すデパートもある。上野商店街の象徴「アメ横」で店舗を構えるお店も。
 伊勢音・山崎好茂代表取締役:「ご当地ですから、ちゃんとわきまえてアピールしないと」
 店頭に並ぶ「シャンシャン」名前入りのオリジナル商品は、なんと名前発表当日にお昼ごろ、ニュースの速報を聞くなりデザインを仕上げ、午後2時の公式発表よりも早かったという。
 伊勢音・山崎好茂代表取締役:「小池都知事の発表よりも先に店頭に並んだので、やっぱり商売というのは人より先んじないと駄目なんですよ」
 180年余りの歴史を持つ老舗の商品は、今や何でもシャンシャンとパンダに。
 伊勢音・山崎好茂代表取締役:「(パンダは)人々の気持ちを和らげて明るくする動物。商売もそれにあやかるような形で元気よく楽しくやっていきたい」
 まだシャンシャンが見られなくても、赤ちゃんの誕生後、お客さんが1割ほど増えたという。アメ横全体も、ゴルフボールに洋服、海鮮までパンダで埋め尽くされている。
 上野観光連盟・茅野雅弘事務総長:「パンダといえば上野、上野といえばパンダ」

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