国内に現存する最も古い公営住宅の一つ、長崎県長崎市にある「旧魚の町団地」。取り壊し寸前でしたが、再生の道を歩み始めているということです。
昭和レトロ宿へ 外国人観光客からも評判
江戸時代、オランダとの貿易で栄え、今も風情ある街並みが残る長崎市。日本三名橋に数えられる「眼鏡橋」は、多くの観光客が訪れる名所です。
そこから徒歩3分ほどの場所にあるのが、長崎市内の中心部にひっそりとたたずむ「旧魚の町団地」。築76年、国内に現存する最古の鉄筋コンクリート造の公営住宅の一つです。
窓枠はさびつき、外壁は枯れた蔦(つた)が覆い、住民がいなくなってから長い年月が経過したことが分かります。
一時は取り壊しを待つだけの運命だった団地ですが、今、驚きの変貌を遂げています。
寂れた外観とは打って変わり、昭和の調度品や家電、建具など、当時の暮らしを追体験できる宿泊施設に。
「こちらは現存日本最古の団地にできた昭和レトロ宿」
山梨県で農業体験民宿を営む小野境子さん。故郷・長崎にも宿泊施設を作りたいと、去年12月、団地2階の2部屋を借り始めました。
夫の隆さんが、山梨県から赴き自ら部屋を改装。もともとは6畳と8畳の和室でしたが、昭和の暮らしを彷彿(ほうふつ)とさせる部屋へと蘇らせました。
料理を運びやすいように、台所と和室をつなげた「配膳窓」は建築当時のままです。
「長崎は原爆が落ちたのもあって、必死に生きた時代。その時のものを古いからっていうだけで壊してしまうのは良くない」
6月のオープン以来、本物の昭和レトロを感じられると、外国人観光客からも評判になっています。
「とてもクールです。部屋の装飾がとてもすてきです」
「部屋はすごく良いです。気に入りました」
「めっちゃ好き」
母と子の憩いの場「地域で育てる」
他の部屋を訪ねてみると…。お母さんと赤ちゃんの産後ケアに特化した「うおのまち助産院」。今年4月にオープンしました。
長崎市在住の浦川慶子さん(42)は、およそ20年間看護師や助産師として勤務。去年12月に団地の部屋を借り、大工さんと一緒に浦川さん自ら4カ月かけて改装しました。
「こういった団地に昔、私も住んでいたので、すごく懐かしさも感じましたし、色々な人の目がある、子どもを地域で育てるというようなイメージにすごく合ってる」
セルフカフェがついた書店も併設しているので、お母さんが本を手に取りながらゆっくりと時間を過ごすことができます。
「子ども連れだと本屋さんとかカフェとか、ゆっくり入りたいけど入れなかったりするので。ここだと助産院もついているから理解もある方が多いので、ふらっと入って少しお茶でもさせてもらって」
戦後復興の象徴 再生の道
戦後間もない1949年に建設された「魚の町団地」。当時の長崎市は、原爆により多くの住宅が失われ、疎開先から戻ってくる人や引き揚げ者らで急激な人口増加が起こり、深刻な住宅不足に陥っていました。
当時の新聞記事には「五十戸に申込千件を突破」という記述がありました。入居倍率は20倍にも上り、抽選会には大勢の人が詰めかけました。
戦後の復興、そして多くの人々の暮らしを支えてきましたが、2008年ごろから新規の入居者募集を取りやめ、2018年には最後の住民が退去。一時は取り壊しの計画も持ち上がっていました。
「地元の声とか有識者の声を踏まえて検討しなおして、耐震性があるかと検討して、耐震性があるという結論を得た。保存して存続するということになりました」
「魚の町団地」の歴史的価値から存続を望む声が上がり、県は耐震診断を実施しました。
震度6強から7の大規模地震に対しても崩壊する危険性が低いと判断されたため、建物活用のアイデアを公募する再生プロジェクトが始まりました。
長崎出身の1級建築士・田中伸明さん(35)は、仲間5人と公募に参加。団地を保存し運営するための会社「ココトト」を立ち上げました。
「第一印象はやばいなと思いました。ぼろい、怖い、廃虚。(新しい)建物に置き換わっていくなかで、なぜか残っている。面白い取り組みにつながるキッカケになるんじゃないかなと」
田中さんらは長崎県から団地の1階と2階を有償で借り、電気・水道・ガス、消防設備といった最低限のインフラを整備しました。
去年11月、10部屋で募集を始め、現在は5部屋が入居しています。
今年10月からこの部屋を借りはじめた長崎市役所の職員・平山広孝さん。部屋の改装は入居者自身が行う仕組みのため、ペンキ塗りの真っ最中です。
「仕事が終わった後にみんなで集まっていろんなやりとりとか会話、お酒飲んだりとか。本当に居間みたいな感じで使いたい。昔ながらの団地の雰囲気ってあんまりない。逆に落ち着く。ほっとします」
廃虚寸前から一転、少しずつ人が集まり始めた「魚の町団地」。この日行われていたのは、地元・長崎の魚としょうゆをいただくイベントです。
1階の1室をシェアキッチンに改装し、新たな交流の場として生まれ変わらせました。
イベントには、長崎市・鈴木史朗市長の姿もありました。
「昔の公営住宅をそのまま利活用して、昭和の雰囲気を再現しながら、同時に新しいことも取り入れながら活性化していく、これは一つの地域活性化のモデルになっている」
廃虚から交流の場に
この日、イベントに参加していた森田正則さん(71)。「魚の町団地」で生まれ、20代前半までこの団地で暮らしていました。
「(Q.どこらへんに住んでいた?)ここの3階」
50年前に住んでいた部屋を見に行くと、幼いころ兄弟と一緒に書いた落書きが当時のままになっていました。
「これが兄貴と私。夏だから精霊流しの時期だと思う」
お盆には親戚一同が集まり、決まって団地のすぐ近くにあった食堂から皿うどんを出前していたといいます。
「小さいころはスライド式の窓みたいなのがはまってた。ここを通り抜けて遊ぶというのはよくやっていました」
「(Q.こんな小さい所を?)ここから体入れて」
正則さんが実家を出た後も、両親が亡くなるまで住み続けていた思い出が詰まった団地です。
「ここのアパートは、私は思い入れがあるので、何とか残して欲しいなっていうふうには思ってた」
「こういう形でいろいろな部屋を活用してもらうというのは、非常に私はうれしいなと思っています。このまましっかりリノベーションしたところで、新しいにぎわいができればいいかな」
「今これ築76年。まずは築100年までをきちんとやって、そこからはいけるところまで残していきたい。将来的にここが壊されたとしても、思いみたいなものとか事業スキームみたいなものとか広がっていけば、すごく良いまちづくりの成功事例になってくる」
(「羽鳥慎一 モーニングショー」2025年12月2日放送分より)


















