衆議院選挙の選挙戦がヤマ場を迎えている。投票日までに政策論争を深める時間すら与えられない短期決戦だ。
そのさなか、2月5日募集開始の個人向け国債の利回りが財務省から発表された。金融商品で注目される変動金利タイプは1.48%にアップした。
同じタイプの5年前(2021年)は下限の0.05%だったから、約30倍。乱暴な単純計算をすると5年後(2031年)には43.8%になる可能性すらあるということだ。まさかそこまでは…と思いたいが、高くなるほど売る側の政府にとっては借金返済の負担が増すことになる。
個人向け国債の利回りは財務省が勝手に決めているわけではない。10年物国債の利回り、つまり長期金利に基づいて算出される。
持続可能性があるか…市場が問う日本政府の信用
その長期金利上昇の行方が気がかりな状況が続いている。高市総理が就任時(去年10月21日)には1.67%だったが、暮れに2%を突破し、今は2.25%(2月4日)まで達した。
長期金利の上昇はイコール、国債の価値低下を意味する。この状況下での今回の選挙はマーケットに対する日本政府の信用も問われている。
主要先進国で最悪の財政状況で、特に高市総理が唱える「責任ある積極財政」の日本が“持続可能性”があるものなのかだ。
持続可能性という意味ではもう一つ、ことし2026年は日本の将来に影響する「出生率」の数字も注目されなければならない。干支の組み合わせで60年に1度やって来る丙午(ひのえうま)の年だからだ。この年をめぐっては丙午生まれの女性を“気が強い”“火を放つ”など江戸時代からの悪い迷信がつきまとってきた。
前回つまり60年前の丙午は1966年。迷信は終わったと思われていたが、出生数は前の年より25%以上も減った。ただ当時は出生が増加傾向にあり、数字上は前年と翌年が膨らんで補う形になった。
今回2026年の丙午では出生数で迷信の出番はないだろう。一安心ではない。迷信が問題にならないほど出生率が下がっているからだ。
赤字国債は丙午に「積極財政」で生まれた
その悪い迷信がゾンビのように凝縮されたと思いたくなるのが、60年前の丙午の年に産声を上げた「赤字国債」だ。1966年1月28日に初回700億円が発行された。税収見積もりの不足分を埋め合わせるためだった。
政府の支出を収入の範囲内に抑える健全財政(均衡財政)を戦後一貫して守ってきた日本で初めての赤字国債。その大きな転機に軌を一にして前面に出てきたキーワードが「積極財政」だった。
「国債を軸に積極財政」。1966年度予算編成の方針をめぐって「積極財政」が大きく報じられた。「住宅・物価に重点置く」の見出しとともに横の記事では「減税額3200億円台」とも出ている。
「公債財源による財政支出の増大、公債依存移行に即しての減税の要請が(昭和)41年度予算編成を目指して押し寄せた」(『大蔵省史』)という。打ち出の小づちに群がった。
「赤字国債」というマイナスイメージを「積極財政」というプラスイメージで中和する。この2つは“ワンセット”なのだ。
最初は高度成長期の谷間に起きた証券恐慌(証券不況、昭和40年不況)に対処するための財政面での景気刺激策だった。それによって株式市場をはじめ景気回復につながった。この時に限って言えば乗り切ったのである。
赤字国債発行から還暦 “当たり前”という禍根
しかしこの経験が“前例”となってしまい、その後の不況のたびに、あるいは不況でなくとも何かと理由を付けては、赤字国債発行による景気刺激策や経済対策を求めるのがむしろ“当たり前”のようになってしまった。大きな禍根であり、迷信とまでは言わないが昭和の丙午に生まれた悪しき条件反射とでも言えるのではないか。
赤字国債をはじめとする国の借金は増え続け、干支が一巡した還暦にあたる2026年(2025年度末)には1129兆円に達する見込みだ。積もり積もった国の借金を最終的に返済するための税金を実際に負担するのは将来の世代。それも出生率低下で減少した人口で何とかしないといけない。
何度でも繰り返して言うが、日本社会の未来に暗さを感じる最大の根っこはここにある。
60年前は通常国会で活発な論戦
60年前はそれでも赤字国債発行と積極財政について、特に1965年末召集の通常国会から活発な論戦が行われ、将来は赤字国債が将来無制限に発行され、国債の元利払いが増税という形で国民にのしかかってくるのではないかと野党から追及された。
朝日新聞の社説は「強力な歳出増加要求や減税要求に押されて、国債発行額を適正規模に保つどころか、ずるずると発行額がふくらむのではないかという懸念が、いい換えれば政治力そのものに対する不信感が国民の間に強いことを忘れないでもらいたい。したがって、政府答弁も、ただ「絶対にインフレにはしない」などと、決意を表明するだけでなく、せめて今後の経済情勢予測と関連した国債発行の見通し、あるいは償還計画など“決意”を裏付ける具体性をもって国民の疑惑に答えなければならない」(社説「国会の予算審議に望む〜国民の不安に答えよ」『朝日新聞1966年2月8日』)と指摘した。そのエッセンスは今も通じる。
“難産”だった赤字国債。当時の追及や懸念で指摘された国債の膨大化が60年後に現実に起きていることは否定できない。
「責任ある」を示す重要な機会が先送り
しかし今、さらに重大なのは、高市政権が掲げる「責任ある積極財政」を体現したはずの2026年度予算案について、国会論戦をしないまま衆議院解散・総選挙となったことだ。
政府債務を対GDPで考え、財政再建のためには経済成長が必要だというが、国債発行に頼った2025年度補正予算では見えなかった財政再建や経済成長の具体性を「責任」をもってまず示す最も重要な機会が通常国会だった気がする。それは先送りになった。
長期金利の上昇傾向に歯止めがかかっていない状況を見るかぎり、少なくともマーケットの不信を払しょくできたとは言えないだろう。
今回の選挙を60年後の次の丙午(2086年)にどのように振り返ることになるのだろうか。
日本の将来のために「令和時代の迷信」を生む政治にならないよう、有権者が責任をもって各党政策の判断にあたりたい。
(テレビ朝日デジタル解説委員 北本則雄)





