お土産として定番の「うなぎパイ」が発売から今年で65年。技術が進歩した今となっても、機械だけでなく職人の手作業を大事にしているという。そうした伝統を守り、次世代へつなぐ女性職人を取材した。
誕生からこだわる手作りの味
サクサク食感が特徴の静岡県浜松市の銘菓、春華堂のうなぎパイ。JR浜松駅のお土産ランキングでは、常にトップをキープしてきた。
「机の上に置いておいたら、すぐになくなる。みんな好きだから」
「やっぱりソウルフード。家族に買って帰ろうかなと思って買いました」
1961年に誕生して以来、うなぎパイには変わらない製造過程があるという。それが、修行を積んだうなぎパイ職人の生地作りだ。
手で生地をこね、めん棒で伸ばす作業だが、その数なんと1日20万本分!年間およそ8000万本分を手作業で伸ばしているのだ。
うなぎパイ職人の清瀧貴之さん(54)によると、一人前の職人になるには、長年の修行が必要だという。
身体に負担がかかっても、手作りにこだわる理由がある。
パイの生地は、およそ9000層。機械で生地を折るとばらつきが出るため、一つ一つ重ねていく。この手法がサクサク食感を生み出す秘訣だ。
うなぎパイ作りは手首や腰に大きな負担が伴う重労働のため、暗黙のうちに「男性の仕事」とされてきたが、近年、初の女性職人が誕生した。
「必要な筋肉をつけるために、プロテインを飲んだりストレッチをする」
伝統を守る 初の女性職人
清瀧さんの元に3年前、弟子として入ってきたのが、初の女性職人・清野麻由美さん。職人への憧れと地元の名物を作る一員になりたいという想いから、うなぎパイ職人の道に飛び込んだが…。
厳しい修行にも「職人になる!」という強い気持ちで頑張ってきた。
さらに、重労働に負けない体づくりに取り組んできたという。
そうした清野さんの頑張る姿は、周囲も変えていったという。
「女性が入ったことが結構大きくて。清野さんが入ったことにより、教え方がやさしくなったことを自分も感じている」
地元の銘菓を守るため、試行錯誤しながら、師匠から弟子へと受け継がれている職人魂。今年の春には、2人目の女性職人が誕生した。
初代女性職人として、二代目・三代目の女性職人育成にも期待がかかる清野さんの今後の目標は…。
新幹線開通に合わせた戦略
1日におよそ20万本作られるといううなぎパイ。今では百貨店など、東京などでも購入できるようになったが、ここまで認知度が上がった背景には、お土産として売ることへのこだわりがあったようだ。
春華堂がうなぎパイを発売したのは1961年。その後、1964年に東海道新幹線、1969年には東名高速道路が全線開通した。
これにより浜松を通る東京〜大阪間の人の流れが爆発的に増加した。新幹線や高速道路を使えば、うなぎパイを東京や大阪でも、常に大量販売することも物理的には可能となる。
しかし、春華堂は、あえて販売エリアを「東海地方を中心に限定」するという戦略をとった。
販売地域を限定したことで、出張で訪れた人や観光客が新幹線のホームや高速のサービスエリアで「浜松を通るから、うなぎパイを買わなきゃ」と思い出すリマインダーの役割を果たすようになったという。
その結果として、インフラによって市場が全国に広がったにもかかわらず、主導権を大都市に渡さず、地元に利益が落ちる仕組みを作り上げたということだ。
(2026年5月25日放送分より)







