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2024年9月24日 13:10

三浦浩一【1】オーディションで落ちた「東京キッドブラザース」律儀な行動で逆転入団

2024年9月24日 13:10

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1977年、伝説のミュージカル劇団「東京キッドブラザース」でデビューし、柴田恭兵さん、純アリスさんらとともに多くの舞台に出演してきた三浦浩一さん。1980年に「風神の門」(NHK)に主演して以降、「鬼平犯科帳」(フジテレビ系)、「剣客商売」(フジテレビ系)など時代劇シリーズにも多数出演。舞台「リア王2024」(演出:横内正)の公演を終えたばかり。11月1日(金)に映画「ぴっぱらん!!」(崔哲浩監督)が公開される三浦浩一さんにインタビュー。

■律儀な性格で入団することに

鹿児島県で生まれた三浦さんは、父の仕事の関係で小さい頃に東京に引っ越し、中学2年生の時に岐阜へ転校。映画館に通い、数々の名作を見てスクリーンの世界に憧れていたという。

「中学生の頃から俳優になりたいと思っていて、中学を卒業したら劇団に入ろうと思っていたんですよ。それが父親に高校に行けと言われたから仕方なく高校に行ったんですけど、そこで剣道と出会って。

演劇部に入ろうと思っていたら、剣道部の顧問が全日本選手権で2位になった先生だったんです。僕は中学2年までいた東京で『剣道同好会』に入っていて、その時にたまたま全日本選手権をテレビで見ていたんですね。

だから、こんなにすごい先生がいるんだったらと思って剣道部に入りました。でも、それで良かったです。本当にあの先生は恩師です。精神、心とからだを鍛えてもらいました」

――仕事にも活かされていますね。映画「ねらわれた学園」(大林宣彦監督)では熱血教師で剣道部の顧問の先生でした

「そうですね。やっぱり構えとかはサマにはなると思います。本当に運が良かったとしか言いようがないですね、僕は。

でも、高校に入ったら、大学にも行けって言われて。父は僕の将来を考えて大学に行ってほしいと考えたんでしょうね。受かるわけないと思ったのに奇跡的に日大芸術学部映画学科に受かったんですけど、2年の時におふくろが死んじゃって。

おふくろの死の間際に『俺は絶対に俳優になるから』って言って退学して、それからアルバイトを色々やりながら養成所をいくつか転々としていた時に、キッド(東京キッドブラザース)のオーディションの記事を見たんですよ。その記事を見たのも本当に偶然という感じで。

新宿の西口に『三銃士』というバーボンハウスがあって、そこでバーテンのアルバイトをしていた時に店にあった新聞を何となく開いたら、『東京キッドブラザース オーディション』

という記事が出ていたんです。

キッドのお芝居を見たことはなかったですけど、その当時ニューヨークで『GOLDEN BAT』というミュージカルをヒットさせたという記事がニューヨークタイムズにまでデカデカと出ていて、そういうニュースだけは知っていたんです。

でも、その頃は映画に憧れていたから、舞台、それもミュージカルをやる気なんてさらさらなかったんですけど、他に心惹かれるものがなかったのでオーディションだけでも受けてみようかなって思って。

キッドに行けば何か世界に出られるんじゃないかみたいな、そういう甘い考えもありましたね。でも、僕はキッドのオーディションに本当は落ちていたんですよ。

オーディションが10月にあったんですけど、12月24日に沢田研二さんの武道館公演があって、その演出をキッドの主宰者の東(由多加)さんがやっていて。それで、2幕の頭で沢田研二さんがリオのカーニバルのようなギンギラギンの台車の上に乗っかって登場するから、そのギンギラギンの台車の周りで踊るやつらが欲しいと言われて。

僕は身長がある(180cm)から来てくれって言われて行ったんです。柴田恭兵さんとかもギンギラギンに飾られて一緒に踊っていましたよ(笑)。だから、僕のデビューは、その12月24日の沢田研二さんの武道館のステージなんですよ。

そういうことがあったから、僕は勝手にキッドのオーディションに受かったと思っちゃったんですけど、年が明けても全然連絡が来ない。おかしいなと思って電話したら、『ちょっとすみません。今回三浦さんにふさわしい役がなくて』って言われて。

その前に、もし売れたら…みたいな感じで『黄色リボンPARTII』のチケットを20枚預かっていたんだけど、僕はアルバイトを色々やっていたから知り合いがいっぱいいたので20枚なんてあっという間に売れたんですよ。

そのチケット代をどうしようか迷いましたよ。オーディションに落ちているのにこのチケット代どうしようかなって思ったけど、几帳面だから『これチケットが売れたので』って持って行ったんですよ。

そうしたら制作の人が、僕がいないところで東さんに『三浦っていうのが律儀に金を持ってきたよ』って話してくれたみたいで、東さんが『じゃあそいつ呼んで』って言って、それで首が繋がったの(笑)。

だから、あの時に僕がオーディションに落ちたからってチケット代をネコババしていたら、完全に落ちていましたね。チケット代を持って行ったからキッドに入ることになったんですよ。だから、わからないものですよ、人生って(笑)」

■柴田恭兵さん演じるヒーローと敵対する大役に

三浦さんが「東京キッドブラザース」に入った時は、柴田恭兵さんはすでに在籍していて、純アリスさんは客演としての参加だった。

「稽古場に行ったら僕の役なんかないんですよ。その当時はコミューン運動、理想の家族というか、そういう運動がアメリカでもあって、キッドもコミューン運動をやっていて。

鳥取県の砂漠に、『サクランボ・ユートピア』(故郷を持たない者たちのユートピアを作るために立ち上げたプロジェクト)というコミューンを作ると言って、そんな運動をやっていたんだけど、それがポシャッてすったもんだになって。

『黄色リボンPARTII』というのは、それを題材にしたお芝居で、全然血の繋がってない人たちが集まって家族を作って…という話なんですよ。それで、僕は、最初役がなかったんだけど、『じゃあお前、馬やれ』って言われて馬をやらされたり、ニワトリや家畜をやらされたり、色々していて。僕は家畜でもいいからやろうと思っていたんですよ。

ヒーローは柴田恭兵さんでそのコミューン運動を潰すダーティハリーという役をやることになっていたのが、『ザ・テンプターズ』のドラマーだった大口広司さん。最後は、ヒーローとダーティハリーが戦うことになるんですけど、稽古が始まっても大口さんが来ないんです。

僕は家畜役をやっていたんだけど東さんに『お前ちょっと大口さんの代わりにやって』って言われて稽古場でやっていたわけですよ。それで、大口さんは結局本番にも来なくて。嘘みたいな話でしょう?大口さんが来なかったおかげで、僕は家畜役じゃなくてダーティハリー役をやったんですよ。

黒ずくめの衣装で、最後の最後に客席に降りて行って、ブーツでマッチを吸ってタバコに火つけて、『俺はダーティハリーって言うんだ』と言って、撃ち殺されちゃうというエンディングなんですけど。

大口さんが来なかったおかげで、柴田恭兵さんと敵対するような大きい役をいただいてみたいな(笑)。だから僕は本当にスレスレなんですよ。これまでの全部がスレスレで何とかなってきたという感じですね(笑)」

1980年、三浦さんは「風神の門」(NHK)に主演。このドラマは戦国末期を舞台に、霧隠才蔵、猿飛佐助ら若き忍者たちが、時代の荒波と闘いながら活躍する様を描いたもの。三浦さんは主人公・霧隠才蔵役を演じた。

――いきなり時代劇に主演と聞いた時はいかがでした?

「それは、びっくりもいいところだったですね。キッドに入ってしばらくして、新宿・歌舞伎町の裏、職安通りから少し脇に入ったビルの地下に『シアター365』という、1年間365日毎日芝居をやる劇場をキッドが作ったんですよ。

『たのきんトリオ』が出るちょっと前のエアポケットのような時で、その時期に『シアター365』で毎日芝居をやっていたので、『セブンティーン』とか『プチセブン』とか、中学生、高校生の女性が見るような雑誌の記者の方たちが目ざとく、毎週のように記事を書いてくれたんです。そうしたら、女の子たちが山のように押し寄せて来て…という感じで(笑)。

そんな時に、東さんが、『今日はNHKの人が見に来るからみんな頑張ってね』みたいなことを言ったので、なんだろうと思っていたんですよね。

そうしたら、女の子ばかりいるところにスーツ姿のおじちゃんたちがゾロゾロと来て、それがNHKの方たちだったんですよ。それで、芝居が終わってしばらくしてから、『三浦、水曜時代劇の「風神の門」が決まったよ』って言われて、『ええーっ?』って(笑)。

その時に僕のお芝居を見てくれてということだと思うんですけど。多分NHKの方たちは、いろんな劇団で新人の俳優がいないか探していて、たまたま目に留めていただいたということなんでしょうね」

――決まってから大変だったのでは?

「すごく目まぐるしかったですね。すぐにカツラ合わせとか衣裳合わせとか、色々始まって。だから不思議でしょうがないです。だって、キッドのファンは僕のことを知っているにしても、世間の人は三浦浩一なんて、どこの馬の骨みたいな感じで(笑)。本当にそうなんですよ。

だから、金子成人さんという脚本家の方もそうですけど、プロデューサー、演出家の方もよく三浦でいこうってなったなあって(笑)。

それでカツラを作るために頭の大きさとか、クリ(かつらの縁の線のこと)を合わせて。そういう偉い人たちがいるところでメイクの栗山さんという方が出来上がったカツラを僕の頭に被せたら、みんながホッとしたっていうね(笑)。

そういう空気を感じたんですよ、僕自身も。そのカツラがすごく合っていたんです。僕の顔と最初のイメージに。皆さんもこれはいけるってちょっと思ったんじゃないですか。そんな感じでしたね。

僕は普通のリハーサルもやったことがなかったんです。キッドは台本がないんですよ。だから、ちゃんと台本があってみんなで読み合わせをして…という、そういう当たり前のことをやったことがなかったんです。

キッドは、稽古の朝、その辺の喫茶店で東さんが紙に鉛筆でセリフを書いて、それを稽古場に持ってきて、『じゃあ、今日は三浦と誰々ちょっと』って呼ばれて、その紙を見ながらとりあえずやるという作り方だったので、1冊の台本をみんなで顔を付き合わせてやるっていうのが初めてで下手っぴなわけですよ。

セリフを読んで、そこにちゃんと感情をのせてやるということができてない。だから僕のすぐそばにいる孫八役の北見(治一)さんに撮影が始まってしばらくしてから、『三浦君、顔合わせで(座ったまま)読み合わせをした時に、あまりにもひどくて僕は椅子からずり落ちそうになったんだよ』って言われましたよ(笑)。

でも、ちゃんとからだを動かしてやるようになってから、何とかなるかなって思ったけど。

あの時の共演者の方もすごい人ばかりだったんですよ。竹脇無我さんとか多岐川裕美さんをはじめ、そうそうたる人たち。そんな中に僕がド新人で入ってきたものだから、みんな『大丈夫かな?』って不安だったと思います。

『風神の門』は、25歳の頃から撮影が始まって、放送は26になる年でしたね。あの作品のおかげで僕の顔と名前が一応全国区になって、それはやっぱりNHKの強みですよね、本当に。あれがなかったらどうなっていたかわからないです」

■劇団のトップスターと結婚

1980年、三浦さんは「東京キッドブラザース」のトップスター、純アリスさんと結婚することに。

「『風神の門』を放送している時に、キッドの主演女優だった純アリスと結婚するってなって。それで東さんは、表面上はおめでとうみたいな感じだったんですけど、実際のところは違ったんですよね。

僕がキッドに入った時、彼女はもうトップで、コマーシャルや連続ドラマにも出ていましたからね。キッドで僕が最初に出た『黄色リボンPARTII』のポスターを見ると、純アリス、柴田恭兵がトップで、ズラズラズラズラと名前があって、僕は下から2番目か3番目に小さい文字で名前があるという感じで。

彼女はヒロインだったし、(今から45年も前の話で)僕は彼女に結婚したら家庭に入ってほしいと思っていたので、やめてほしいって言っていたからキッドにとってはマイナスなわけですよ。だから何とか結婚をやめさせようみたいなのがあって、僕も彼女も疲れちゃって。

もう辞めようってキッドを辞めちゃったんです。それで、その時に今もあるのかどうかわからないですけど、『三浦浩一は契約違反でキッドをやめていくから使うな』という“おふれ”、紙が回るわけですよ。

契約書なんてサインしたことはないんですけど、そういうおふれが回って、実際にあるプロデューサーの方に『三浦さんに頼もうと思っていたんだけど、トラブルは困るからごめんなさいね』って言われました。

せっかく『風神の門』をやってこれからという時に、結婚することでそういうことになって、キッドとも別れることになって…。『ここまで何とかやって来たけど、これでもう俺、役者はダメだ』って思いましたね。

でも、彼女のことはもっと大事だったから、トラックの運転とか何かできる仕事をして食べさせていくしかないなみたいな、そんな状況になったんです。

そうしたら、フジテレビの中本(逸郎)さんというプロデューサーが、そういう事情を全部分かった上で、『僕と三浦浩一個人の契約だ』と言って『本郷菊坂赤門通り』に使ってくれて。それが救いでしたね。

その時、その中本さんがそういう風に声をかけてくれなければ、僕は役者を続けてこられなかったかもしれない。だから、そういう人がいっぱいいて、その人たちのおかげで何とか今もこうやって役者の世界にいられるんですよね」

三浦さんは、映画「ねらわれた学園」(大林宣彦監督)、「スクール☆ウォーズ」(TBS系)、「野々村病院物語」(TBS系)などに出演。1989年には、はまり役として知られる「鬼平犯科帳」(フジテレビ系)の密偵・伊三次役を第7シリーズまで演じることに。次回はその撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

※三浦浩一プロフィル

1953年12月4日生まれ。鹿児島県出身。1977年、「東京キッドブラザース」にて俳優デビュー。1980年、「風神の門」で主演デビュー。「鬼平犯科帳」、「剣客商売」(フジテレビ系)、映画「いちばん逢いたいひと」(丈監督)、舞台「王女メディア」などに出演。10月4日(金)〜10月14日(月)、ミュージカル「本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません〜」(品川プリンスホテル ステラボール)、11月1日(金)に映画「ぴっぱらん!!」の公開が控えている。