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2025年5月28日 13:00

さだまさし曲作りの思いとは きっかけは新しいギターとの出会い…通算50作目アルバム

2025年5月28日 13:00

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 シンガー・ソングライターのさだまさしさん(73)が、通算50作目となるオリジナルアルバムを発表した。新アルバム制作のきっかけとなったギターとの出会い、そして曲作りにかける思いを大下容子アナウンサーが聞いた。

【動画】さだまさし曲作りの思いとは

■2年ぶりにアルバム完成 どんな思いが?

 さださんの通算50作目となるオリジナルアルバム「生命の樹〜Tree of Life〜」が14日に発売された。

 前作「なつかしい未来」から2年ぶりとなる今回のアルバムには、さださんのどんな思いが込められているのか?

大下アナ
「通算50作目のオリジナルアルバム。タイトルが『生命の木〜Tree of Life〜』。この『Tree of Life』というのはギターの名前なんですか?」
1993年製の「Tree of Life」
1993年製の「Tree of Life」
すごくきれいに出てるトラ目
すごくきれいに出てるトラ目
さださん
「そうです。実はこれ2台並んでますけども、これが1993年に作られた『Tree of Life』というギターなんですね。トラ目がすごくきれいに出てるでしょ。1994年にニューヨークで手に入れたんですよ。これが『Tree of Life』っていう世界で50本作った中の1本なんです」
大下アナ
「50本しかないんですか」
さださん
「そうなんです。その中の1本なんですけど、さまざまないろんな形の50本なんで、同じ物が50本あるわけじゃないんですよね」
大下アナ
「この周りは螺鈿(らでん)っていうんですか?」
きれいな貝細工
きれいな貝細工
さださん
「これは貝ですね。何の貝を使っているのか知りませんけど、きれいな貝細工ですよね。音もすごく優しい。ふくよかな音がしますよね。これが『Tree of Life』という有名なマーティンのギター。今回アルバム作りに入るころに、また『Tree of Life』を作ったっていう噂が聞こえてきて、30年ぶりにこれが『Tree of Life premium』」
2024年製の「Tree of Life premium」
2024年製の「Tree of Life premium」
大下アナ
「プレミアム?」
さださん
「これプレミアムらしいんですよ。この像眼はずいぶん違いますよね。豪華ですよね」
大下アナ
「1993年製より確かにきらめきが違います」
さださん
「そうですね。2024年製、去年作られたギターなんですけど、これも非常に若い」
大下アナ
「アルバムのジャケットもギター?」
ギターを使ったジャケット
ギターを使ったジャケット
さださん
「この(2024年製)ギターなんです。このギターを切り抜いてホールの向こう側に木が一本生えているジャケット。たまたまこれが来たものですから『Tree of Life』でいこうか、今回のアルバムはっていう。僕が5曲弾いているんですけど、どっちかが鳴っています」
「今回はギターサウンドで、アコースティックサウンド。今、コンピューターが盛んなんですけど、できるだけコンピューターの音源、いわゆるサンプリングした音を使わずに人間の出す音だけで作ろうということで作りましたんで、体温は感じられる作りになってます」
大下アナ
「すてきな曲がたくさんあった」
さださん
「ありがとうございます」

■失った大切な人へ捧げる「Tomorrow」

楽曲「Tomorrow」について
楽曲「Tomorrow」について
大下アナ
「まず『Tomorrow』について伺いたいんですけど、失った大切な方たちへ捧げた曲ということで」
さださん
「Tomorrowは『あしたがあるさ』っていうテーマの歌にしようと思ったんです。『きょうつらいけど、でもあした来るよ』きょうは確かにきのうの続きだけど、あしたがきょうの続きとも限らないから、『あした変わればいいや』みたいな歌にしようと思って作り始めた。嫌なニュースばっかりあるけど、一番いい時のあのころに逃げ込むのだけはやめようじゃないかって歌い出したんですよ。そしたら不意に、つば九郎に会いたいなっていう歌詞とメロディーがポンと口をついて出てきた。彼(つば九郎担当球団スタッフ)も2月に亡くなったんですけど、『あした頑張ればいいよ』って言ってくれそうな気がする。何も考えず歌詞に書いたんですよ。『つば九郎はやりすぎかね?』ってスタッフに聞いたんですけど、スタッフの6人中4人がスワローズ・ファンなもんですから。『いや、これはいい』と言うんで、そのまま採用になりました」
言葉に込められた思いとは
言葉に込められた思いとは

 そして、この曲で歌われる、もう1人の“会いたい存在”である母親。この言葉に込められたさださんの思いとは…。

大下アナ
「『お母さんに会いたいな まさかこの歳でどうにかなるよって言ってくれそうだからね』っていう詞が印象的でした」
さださん
「『今度は誰に会いたいのか?』って言ったらやっぱりお母さんだなっていう、男の子ですからね。お母さんっていうのは菩薩(ぼさつ)ですから。『お母さんに会いたいな』って書いた時に自分で笑っちゃって、『まさかこの年で』って付け加えた。お母さんというのは特別な存在ですよね。いろんな事情があるからお母さんと反りが合わなかったり、けんかしたりした人もあるかも分からないけど、命がけで産んでくれた人ですからね」

■母親の心情を歌った「母標」 ウクライナの和平を願い

母親は「菩薩」であり「特別な存在」
母親は「菩薩」であり「特別な存在」

 母親は「菩薩」であり「特別な存在」だというさださん。その母親の心情を歌った曲も今回のアルバムには収められている。

楽曲「母標」について
楽曲「母標」について
大下アナ
「息子を兵隊に取られて亡くした『母標』は『3年が過ぎても戦は町から去りもせず 今日もドローンが群れをなして東へ飛ぶ』というロシアのウクライナ侵攻をモチーフにした歌と受け取ったんですが、どのような思いで?」
さださん
「このまま和平になるのが理想。2022年2月に戦争が始まりましたよね。その時にすごくショックを受けまして『キーウから遠く離れて』という歌を書いた。そこには『私は君を撃たないけれども 戦車の前には立ちふさがるだろう』という歌詞を書いた。僕ら何の能力もない人間って『どうやったら大切な人を守れるのか』みんな考えてると思う。僕は音楽家なんで、音楽家は銃を撃ってはいけない。これは自分の勝手な思い込みですけど、音楽家の武器は音楽であるべきだと思いますので、銃を向けてはいけない、撃ってはいけないと思う。『じゃあそんな奴が大切な人を守る方法はないのか』というのは2022年の大きなテーマでした」
「あの歌を歌いながらずっとコンサートでも考えてきた結果、『戦争しないこと以外に大切な人を守る方法はない』ってことにも気がついたから、『じゃあどうすれば戦争しないですむか?』っていうことですよね。それを今度はちゃんと書いていかなきゃいけない。思ったのはロシア人であれ、北朝鮮兵であれ、ウクライナ兵であれ、親はいるんです、必ずね。だから、いなくなってしまった兵士、名もない兵士なんか一人もいないのに、名もない兵士としていなくなるわけじゃないですか。昔の戦争と違うからお母さんの手元に何も返ってこない戦争なんですよね。それでもお母さんは一生懸命、何かに『よりしろ』じゃないですけど、この歌の場合には石ころを積んで、息子のために祈るっていうシーンを描いた切ない歌。こういう思いをしてる人がいるよっていうことは伝えないといけないかなと思った」
20代で山口百恵さんに
20代で山口百恵さんに
大下アナ
「さださんは昔からお母さんの心情をお描きになるのがもう卓越してらっしゃる。20代で山口百恵さんに『秋桜(コスモス)』という…」
さださん
「24でしたね」
大下アナ
「どうしてそういう嫁ぐ日の前の心情とか、お母さんの気持ちがあんなに若いのに…」
さださん
「そんなに分かってるはずがないですよね。ですから想像の産物なんですよ。ひとつ自分の中で、やっぱりどなたも同じ思いをなさると思うんですけど、お母さんが老いていくショックってあるんですよ。母は本当に菩薩だと思っていたので、その母が人としてどんどん老いていく。それを見てると、ちょっと切ない。でも当たり前のことなんだからと自分で納得しながら、よく母のしぐさなど印象に残ったものを見てると、若いころには決してなかったんだけど、からせきをするようになる。それは若いころには聞いたことがないなって。せきの音っていうのが印象に残っていて、それが『秋桜』で現れたんでしょうね。お母さんが庭先でせきをするから、あの歌がリアルになってくるんですよね」
「電話で百恵ちゃんに『イメージ湧かないでしょう?』って言ったら、『結婚なんて程遠いから全くイメージが湧かないから上手に歌えなくて困ってる』っておっしゃったんで、『好きなように変えていいから。メロディーも歌詞も適当に変えて歌いやすいように歌ってください』って言ったんだけど、見事に普通に歌ってくれて。彼女の引退の日に僕は自分で大阪でコンサートやってたんですけど、彼女からメッセージが届きましてね。『この歌を作ってくださった気持ちがやっと分かる日が来ました。本当に本当にありがとうございました』ってメッセージが届いたんですよ、すごい人だなと思ってね。引退の日にそんなことできないですよね」

■さだまさしが目指す未来

デビュー52周年
デビュー52周年

 さださんは今年でデビュー52周年を迎える。日本のアーティストとして、これまで前人未到の4600回を超えるソロコンサートを行うなど、精力的に活動を続けているが、音楽家としての葛藤を今なお抱えているという。

音楽家としての葛藤
音楽家としての葛藤
さださん
「なかなかたどり着けるところには行けないものですね」
大下アナ
「まだたどり着きたいところがおありですか?」
さださん
「まだ全然届かないですね」
大下アナ
「どういうところを目指しているんですか?」
どこを目指している?
どこを目指している?
さださん
「どうなんだろう。僕、歌作りが仕事なんですよ。歌作りは僕のいなくなった後が勝負なんですよね。だから結果は分からないんです、自分では。だから今何してるって、カタログ作ってる感じ。こんな曲あるよ、こんな曲あるよ。例えば俺はこんなふうに歌った。俺はこんなふうにアレンジしてもらって歌ったっていうカタログ作りを今してる感じですね」
大下アナ
「例えば、いる間に1枚も売れない画家とかいますけど、さださんはビッグヒットがたくさんあって、十分結果も見てらっしゃるわけですよね?」
さださん
「それは本当に光栄ですし、ありがたいことだなと感謝してます。ただヒット曲というのが目的ではなかったので。いや、目的ではなかったというと傲慢に聞こえるといけません。ヒットしてくれたことは本当に自分を支えてくれたし、ありがたいことだし、こんなに幸せなことはないんですけど。売れて1位になった時に『やったぜ』っていう気が一度もしないんですよね。達成感がないっていうんですかね」
大下アナ
「どういう気持ちなんですか?」
「まだあるよ、きっといいのが」
「まだあるよ、きっといいのが」
さださん
「『これ?これ売れちゃう?』っていう感じですかね。600曲あるんですよ。600曲っていうのは、ライブでもう一生歌わない歌も何曲もあるでしょうね、。そう思うと申し訳ないなと思ったり、コンサートのセットリストは思いつきで、きょう変えるタイプなんですけど、それでも届かないんですね。喜んでくださる歌も混ぜていきたいし、そうすると同じ歌ばっかり歌うのも終わっちゃったみたいでしゃくだし。『まだあるよ、きっといいのが』って言いたいんでしょう、もうないくせに」

■長崎で平和祈るライブ再開

19年ぶりに復活
19年ぶりに復活

 長崎市出身で叔父と叔母が被爆者だったさださんは「夏長崎から」と題した野外コンサートを8月6日、広島・原爆の日に開催していた。1987年から20年にわたって続けてきた公演を戦後80年を迎える今年、19年ぶりに復活させることにしたという。

さださん
「戦後80年、長崎の子にとっては被爆80年。このコンサートは僕は前にも話したように、いわゆる右寄りでもなく、左寄りでもなく政治的にどこに寄るんでもなく、宗教的にどっかに傾くんでもない、フラットな部分での音楽、本当の音楽を楽しもうっていう。音楽というのは平和の象徴なので、世の中が不幸になったら音楽がまず止まるんですよね。コロナもそうでしたよね。だから音楽ができるってことは平和なんだから、この現場を守っていくのが音楽家の仕事だとの思い。今年は本当に久しぶりに山の上で歌うか。ただ、あのころに比べると気温が…」
大下アナ
「楽しみにしています」

(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年5月16日放送分より)

  • さだまさしのオリジナルアルバム
  • 1993年製の「Tree of Life」
  • すごくきれいに出てるトラ目
  • きれいな貝細工
  • 2024年製の「Tree of Life premium」
  • ギターを使ったジャケット
  • 楽曲「Tomorrow」について
  • 言葉に込められた思いとは
  • 母親は「菩薩」であり「特別な存在」
  • 楽曲「母標」について
  • 20代で山口百恵さんに
  • デビュー52周年
  • 音楽家としての葛藤
  • どこを目指している?
  • 「まだあるよ、きっといいのが」
  • 19年ぶりに復活