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2025年6月24日 14:09

北村有起哉 舞台、映画、テレビドラマが次々と決まり始めたときにアキレス腱が断裂して…

2025年6月24日 14:09

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今村昌平監督の映画「カンゾー先生」で俳優デビューを飾り、大道具、小道具、衣装、撮影、音声、照明など映画作りのすべてを学ばせてもらったという北村有起哉さん。映画「赤い橋の下のぬるい水」(今村昌平監督)、映画「新聞記者」(藤井道人監督)などに出演。映画「太陽の蓋」(佐藤太監督)、映画「終末の探偵」(井川広太郎監督)、「たそがれ優作」(BSテレビ東京)など主演作品も多く、善人から一癖も二癖もある悪役まで幅広い役柄を演じ分ける実力派俳優として注目を集める存在に。7月11日(金)に主演映画「逆火」(内田英治監督)の公開が控えている。(この記事は全3回の中編、前編は記事下のリンクからご覧になれます)

■舞台の稽古中にアキレス腱が切れて

「30歳までにアルバイト生活から卒業すること」を目標にしていた北村さんは、20代後半から舞台や映画、テレビドラマなどの仕事が次々に舞い込むようになったという。

「27、8歳だったかな。ちょうど仕事が結構入るようになって、全然休みがなくてすごく忙しかったんですよね。そうしたら舞台の稽古中に突然アキレス腱が切れたんですけど、バツンって音がしたわけでもなく、すごい激痛が走ったわけでもなく…。

みんなでダンスのシーンがあったんですけど、その最初にいきなりブツッて切れて『あれっ?』と思って…。何か地面を踏ん張る感覚がなくなるというか、地面が45度ぐらいに感じたんですよね。それで立っていられなくて病院に行ったらもうあっけなく『アキレス腱が切れています』って言われて」

――痛くなかったのですか

「僕の場合は、そのときは全然痛くなかったんですよね。それで、親戚にちょっと霊感の強いおじさんがいて、その前日くらいに僕が倒れる夢を見て嫌な予感がしたということで、久しぶりに電話をかけてきたんです。

それでアキレス腱が切れたという話をしたら病院にお見舞いに来てくれて、背中の脊髄の一カ所を触ってきたら、そこだけちょっと痛かったんですよ。

何なのか聞いたら、『実は、有起哉が歩いているんだけど、その背中の方から手首だけニョンと出ていて、その手の人差し指でトンと背中を押されて倒れていく夢を見た』って言われて。それは、妬(ねた)みとか、ひがみというような念が感じられる嫌な手だったらしいんです。

それで『有起哉は、前に行く力はあるけど、後ろからガーッとやられるとガクッといっちゃう性分があるから、そういうバランス、精神的なバランスに注意しないといけない』って言われて。

ちょうどバーッと仕事がうまくいき始めていて、それまでバイト仲間みんな役者で回している居酒屋、串揚げ屋だったんですけど、何か一人だけドーッと仕事が決まり始めたときで、ちょっとバイト仲間への接し方がわからなくなってきたりしていたときで。

そういうのは普通通りにやっていれば良かったんですけど、何か引きずっちゃうというか、それは一つの自分勝手なところだとは思うんですけどね。どう接していいかわからないような時期があったんです。1年以上ほぼ休みがないぐらいの感じで、走りっぱなしで。

それでアキレス腱が切れた瞬間、何となく『お前、ちょっと休め。1回休めよ』って誰かに言われているような感じ、からだで感じるような、そんな瞬間があったんですよね。

三つの仕事が同時並行的に始まるタイミングでアキレス腱が切れて、全部の仕事を諦めざるを得なくなってしまって。舞台もできなかったし、映画もテレビも、決まっていた仕事が全部できなくなって、そのときもまた、『僕の代わりって、やっぱりいるんだな』っていう風に感じて…。

充電期間ですかね、その9カ月間ぐらいは。全部治って、からだを動かせるようになるまでの期間は、本当に何もできませんでしたからね。松葉杖でパチンコをやりに行って、ずっとパチンコしていましたけど、何かボーッとする時間ができて良かったんじゃないかな」

――その間にCMを撮影していたそうですね

「そうです。市川準監督のご指名で1本だけ。からだを動かせないので、そのことを言ったら『椅子に座っているだけだから』と言われてやったんですけど、『こんなにギャラをいただけるんですか?』って(笑)。ありがたかったです」

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■劇団に所属せず、第一線で活躍する演劇人たちと

アキレス腱断裂から約1年後、北村さんは、チェーホフの舞台「かもめ」で復帰する。

「復帰1発目が、ありがたいことに新国立劇場の有名なシリーズの『かもめ』でしたから、うれしかったですね。そこからまたブワーッと始まったんですけど」

――すごい作品数ですよね

「そうですね。いろんな劇団を見ましたけど、羨ましいなって思いつつ、結局僕は劇団に所属する道は辞めたので。そうやって劇作家に惚れ込んで劇団員になる人たち、今でもそういう人とか羨ましく思ったりしますけど、特に所属したい劇団はないなあって思って。

だったらプロデュース公演で1回1回渡り歩いていくしかないなって、当時のマネジャーと二人三脚で始めた事務所なんですけど、その方が本当に僕のことをよく考えてくれて。

それでオーディションに行ったり、TPT(ベニサン・ピットを本拠地にスタートした演劇カンパニー)がすごい盛り上がっているときにも出入りさせてもらっていたし、そこからまた仕事が広がっていったりして。

30代に入ってからもそれまでやったことのない蜷川(幸雄)さんとか、『劇団☆新感線』とか…僕の中で全劇団制覇じゃないですけど、第一線でやられている方と一通りご一緒したいなっていうのを勝手に思い描いていましたね。

小劇場系はやっぱり動ける範囲が限られていて、新劇も結構限られていたので、どっちにも所属していないから、それを行ったり来たりできるというような、そういう作戦は立てていたんですよね。そう言えば、そういう人はいないよなって」

――そこに映画、テレビなど映像の仕事も

「ただ、舞台を重ねていけば絶対に(映画やテレビからも)声がかかるはずだと、それは信じていましたからね。ちょこちょこ映像の仕事が増えていきました」

2016年、映画「太陽の蓋」に主演。この作品は、原発事故の真相を追う新聞記者を中心に、東日本大震災が起きた2011年3月11日からの5日間を当時の政権や官邸内部、人々の姿を対比させて描いたもの。

――「太陽の蓋」に主演というお話がきたときはどう思われました?

「まず『これいいんですか?こんなのをやっちゃって』って思いました。社会派の作品で、しかも東日本大震災からわりとすぐでしたからね。でも、うれしかったです。こういう作品は多分やりたがらない人もたくさんいるんだろうなと思っていたので。

たまに社会派の作品もやるし、コメディーもやるし…みたいな。節操ないってわけじゃないですけど、それはやっぱり振り幅として、いろいろやっていた方が一生食いっぱぐれないというか。本当にそれだけですけどね」

――「太陽の蓋」は明らかに実在のモデルの政治家の方たちもいるわけですが、撮影していていかがでした?

「すごく意義のある映画だなと。あの頃、僕らよりも早く東日本大震災を取り上げた映画というのは少なかったんですよね。だから、とにかく心意気はあるじゃないですか。ゲリラで撮りに行ったんですけど、『明るい未来の原子力』というようなアーチもまだありましたからね。結構スリリングでした」

「太陽の蓋」は、東日本大震災から10年後となる2021年には、90分に再編集されたバージョンで再公開された。

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■社会派作品からヤクザが題材の作品に

2019年、映画「新聞記者」に出演。この作品は、ある新聞社に大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届いたことで政治権力の闇に迫ろうとする女性記者(シム・ウンギョン)と、理想と現実の狭間で葛藤する若手エリート官僚(松坂桃李)の対峙を描き、日本アカデミー賞の最優秀作品賞をはじめ、多くの映画賞を受賞。北村さんは、社会部デスクの陣野和正役を演じた。

「映画の大賞を獲ると思っていませんでした。こっち側としてはみんな、『撮って上映できるのかな?』というところがありましたから。そもそも、(制作の)『スターサンズ』のプロデューサーの河村(光庸)さんがイケイケで、あれで藤井くんとも出会えましたしね」

2021年、映画「ヤクザと家族 The Family」(藤井道人監督)に出演。この作品は、自暴自棄になっていた時期に暴力団柴咲組長(舘ひろし)を助けたことでヤクザの道に入った男・山本賢治(綾野剛)の生き様を「家族」の視点で三つの時代から描いたもの。

北村さんは、のちに柴咲組の若頭に就任する中村努役を演じた。

「『新聞記者』の撮影中、現場に河村さんが来て『北村くん、次はヤクザだからやって』って(笑)。たくさん企み事を抱えていて楽しそうでしたよね。勝手にというか、イメージはもう藤井くんとも一緒に共有はしていたっぽくて、すごいうれしかったです」

――北村さんが演じた中村は、結構つらい立場でしたね

「そうですね。抗争事件を引き起こすんだけど、結局殺人の罪を綾野くんが背負って刑務所に行ってくれる。それで、14年後に戻ってきたときには、組を維持するために覚せい剤に手を出していて…。

あれは悲しいですよね。『絶対に覚せい剤はやってないよ、俺は』っていうふうに印象づけないといけない。でも、演技って怖いもので、『やってないよ』というような感じで表現しがちなんですけど、本当にやっている人が隠すときって、完全にとぼけるから」

――組を維持するためにご法度だった覚せい剤を扱っているけど、さすがに自分ではやってないんだろうなと思っていました

「そうですよね。それが自分でもやっているんじゃねえかって(笑)。そうそう、だからそこが人間って悲しいですよね。虚勢を張って。わりとああいう人っているんだと思いますよ。

実はやっているんだけど、誰にも言えないという人が」

――舘ひろしさんがすばらしい親分さんで、親分のために組を何とか維持したいと思っているんだけど時代の変化が…

「そう。昔のままではやっていけない。結局覚せい剤を扱うようになって、トラックかなんかの中でこっそり自分も覚せい剤を打ってね。『コイツもやっているんだ』って」

同年。北村さんは、「ムショぼけ」(朝日放送テレビ・テレビ神奈川)で連続ドラマ初主演を果たす。北村さん演じる主人公・陣内は、義理と人情に厚く、曲がったことが許せない性格。敵方の親分を襲撃して刑務所に服役するが、その間に組から破門され、妻には離婚され子どもたちも失った。14年後、出所したときには世の中がすっかり様変わりしてしまっていた…という展開。

――14年間、刑務所にいて出てくると、タイムスリップしたみたいな状態に

「そうですね。本当に浦島太郎状態で、しかも元ヤクザですからね。何かいろんな事情が重なっているし、しかも尼崎弁だし…結構苦労しました。

方言指導の方をつけてもらって、ずっとブツブツブツブツやっていましたね。テープに録音して聞いて。周りの人たちが全部ネイティブだったので、『何で俺だけ東京人なんだよ』って思って。

でも、それはそれでノリというか、空気感って言うんですかね、関西特有の。そこもやっぱり取り込んでいきたいと思って。松尾諭くんが尼崎出身なんですよ、まさにムショぼけの。それで『関西弁はグルーヴ』って言うんだけど『グルーヴって何だよ、カッコよく言いやがって』って(笑)。

何となくわかるんですけどね、ノリってことなんでしょうけど。でも、いろんな役をやらせてもらっていて、すごい光栄ですね。そういう意味ではね」

――(ヤクザの組の幹部に)約束を反故(ほご)にされて、刑務所から出てきたら全く話が違っていた。結構切ない元ヤクザでしたね

「そう。あのときに出会った監督がアベラヒデノブくんという大阪の若くて才能ある子で、その人と出会うことによって、『たそがれ優作』(BSテレビ東京)と、『いつか、ヒーローに』(テレビ朝日系)もそうなんですけど、そういう風に繋がっている…というのはすごいうれしいですね」

私生活では2013年、連続テレビ小説「さくら」(NHK)のヒロインとして知られる俳優・高野志穂さんと結婚。長男と次男を持つ父親でもある。2021年、妻・高野志穂さんと初共演した「Amazonプライム」のCMが話題に。お互い仕事に忙しく、昔のように2人で過ごす時間が取れなくなってしまった夫婦が恋人時代の気持ちを取り戻していく様を描いたもの。妻の会社の前で待ち、二人で手を繋いで顔を見合わせ微笑みながら歩く姿は映画の1シーンのようだった。

――奥さま・高野志穂さんと共演されたあのCMはとてもステキでしたね

「ありがとうございます。まさか自分がCMに出るなんて、それも夫婦共演だなんて…本当にお恥ずかしい限りで(笑)」

――ご夫婦で…と言われたときはいかがでした?

「最初にお話が来たときは、びっくりしましたけどね。そのときにはまだ恥ずかしくて見られないけど、何十年後かにまた見ればいいかなって。爺さん婆さんになったときに『こういうときもあったね』なんて言って、また思い出として見ればいいし(笑)」

――撮影のときに照れがあったりしました?

「それはありました。ずっとありましたよ。『何でだよ』っていう感じで(笑)」

――北村さんのイメージがだいぶ変わったという方も多いみたいですが

「結構普通の人でしたからね。でも、手を繋ぐのは置いておいて、まあまあ、あんな感じですかね。もちろん、普通にケンカもしますし、一緒に晩酌もしていますよ」

――あのCMについてお子さんたちは何か言っていました?

「あのCMは、ちゃんとは見せてないかな。なるべく興味を持たせないようにしているので」

同年、宮藤官九郎さんと伊勢志摩さんによって良質の映画には必ずと言っていいほど北村さんが出演されているといことで「北村有起哉映画祭」が開催され、第一回グランプリに選ばれた。

「宮藤官九郎くんですよ。何かすごいタイトルでこそばゆい話ですけどありがたいですよね。トロフィーもいただきました」

2022年、映画「終末の探偵」(井川広太郎監督)に主演。2023年には、連続ドラマ「たそがれ優作」に主演。連続テレビ小説「おむすび」のヒロインの父親役、「いつか、ヒーロー」(テレビ朝日系)の怪演も話題に。次回はその撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:上地可紗

スタイリスト:吉田幸弘

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