■「現在私は病気です。何の病気だか知っている方はいらっしゃいますか?」
約400人の観客に笑顔で語りかけたのは、6月グループを解散した『TOKIO』の元メンバー山口達也氏。
7月19日、群馬県邑楽町などが主催した『「社会を明るくする運動」の集い』で『人生をあきらめない』をテーマに講演会を行った。
2018年の自身の不祥事で芸能界を去った山口氏は、2020年に酒気帯び運転でバイク事故を起こしたことをきっかけにアルコール依存症を自認。
現在は、『株式会社山口達也』を設立し、自身の経験を活かした講演活動を行っている。
■「私は5年前からお酒が止まっています」
違和感を覚える表現で自身の現状を語った山口氏は、2020年のバイク事故をきっかけに酒を断つことを決めたというが、まだ『断ち切った』とは断言できない状況だ。
山口氏は
「“やめました”という言葉を我々依存症者はなかなか使えないわけです。なぜかというと“その依存物質をまたやってしまうかもしれない”そのたびに手助けしてくれている方たちは“がっかりします”“信頼がなくなります”“嘘つきじゃん”ってなるわけです」
と語った。
そして、
「お酒は大好きだったんです。飲めた方がかっこいいと思いました」
と、酒を飲み始めた20代を振り返った。
酒を飲み始めたころはウーロンハイやレモンサワーなど2〜3杯で満足していたというが、次第に酒の飲み方が変化し、30 歳になるとボトル1本は普通に飲めるようになったという。そして、40 代になる頃には、ラストオーダーに“焼酎のダブルのロック”を5杯頼むまで酒の量は膨れ上がっていた。
■「記憶をなくすことがあった」
番組ロケで日本全国を飛び回ったり、朝の情報番組に出演したり、仕事の量が増えるたびに酒の量が増えていった。
酒の飲み方も変わり、
「一人飲みっていいんです。心の底からリラックスする。そして、何が良かったって“パンツ一丁”で飲んでいいんです。それで眠くなったら寝ていいわけです。酒飲んで寝ればいい。マネジャーが迎えに来たら服を着て出ればいい。自分のルーチンができていた」
と語った。
しかし、ある日朝起きたら、身に覚えがない新品の酒が机に置かれていて、「記憶をなくすことがあった」と振り返る。
「いや、待てよ。俺、どんな格好で飲んでいましたっけ?“パンツ一丁”で飲んでいるんですよ。TOKIO なのに!でもフライデー出ていました?つまり直後の記憶はなくなっているけど、その時はちゃんと意識をもって動いている。たぶん服を着てちゃんと買いに行っているわけですよ」
「毎日記憶をなくしながら飲んで、うわーってエネルギーを持って仕事する。今思えば相当やばい飲み方なんだけど、自分は全くそれが普通。危なさも微塵も感じていなかった。なぜかっていうと変な飲み方をしているときにめちゃめちゃ島を開拓してるんですよ」
■「自分自身が完全に破綻していました」
2018年に起こした不祥事と、2020年に起こした事故について改めて語った。
「2018年に不祥事を起こして、芸能界を去ることになります。今から7年前です。お酒とはまったく関係なかったです」と当時を振り返る。
その理由については
「自分のことなんかどうでもいいと思っていた 。さらに、人のことを傷つけてもそこまで意識がなかったのかもしれない 。本当に人に迷惑をかけて、いろんなものを巻き添えにして、崩れていったわけです 。お酒は全く関係ないです。これ自分自身が完全に破綻していました。これ今ようやくお酒が止まって、ようやく気づけたことなんですね。その当時はわからなかったです。私は全てのものをなくしました。それこそ仕事もそうです。仲間もそうです」
積みあげてきた信頼を失い、反省の日々。
その当時も変わらず酒を飲み続けていたことから「もう絶対一生飲まないんだ。これぐらいなら約束できるかもしれない」そう誓ったが、その2年後、事故は起きた。
すでに芸能界を去っていた 2020年9月22日。山口氏は、酒気帯び運転でバイク事故を起こした。防犯カメラに映った自身の様子を見て驚愕したという。
「東京の環状8号線を約30分間バイクで蛇行したらしいです。普段自分が走らない道路を走っていました。めちゃくちゃ怖いですよね」
■「助けてください」
当時、山口氏はアルコール依存症で、一人では酒をやめることができなかった。手を挙げて「助けてください」と声を出すことが、その時できる唯一の行動だったと語る。
そして、その時初めて『アルコール依存症の専門病院』に通い、そこで自助グループの人と知り合って、自分を知った。
酒を飲み続けていた時について
「俺元気だ。生きている。イケる。このまま行こうぜ。あれは表面だけでした。でも幸せだったことは間違いない。でもよじれた心を自分でつかめなかった。毎日のように答え合わせをしています」
専門病院を退院した2022年に飲酒運転防止インストラクター、依存症予防教育アドバイザーなどの資格を取った山口氏。
2023年には、自分がアルコール依存症であることや会社設立を公表した。
■「俺は諦めてねぇからな」
講演会の予定時間を過ぎてしまったため、急遽質疑応答の時間はカット。
6月、TOKIOが解散したからか山口氏は「今日質疑やると、変なこと聞かれそうだったから」と冗談交
じりに語った。
そして、
「皆さんの前に立ってにこやかにしゃべれるようになるまで7年かかっています。アルコール依存症になっていろんなものを失って、人に迷惑をかけたせいで、すべてをなくしたんだけど自分を探す旅に出られたんですよ。自分が病気になって、それを受け入れて認めて、自分には何があって今何が起こって、これからどうなっていくんだって自分のことをそこまで考える機会はなかった」
と語った。
最後に「元気に生きているってことで、誰かの希望になりたいですよ。ほんと俺は諦めてねぇからな」と笑顔で言い残し、講演会を終えた。