1977年、ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)のロッキー刑事こと岩城創役でデビューして注目を集めた木之元亮さん。映画「ションベン・ライダー」(相米慎二監督)、「真田太平記」(NHK)、「ウルトラマンダイナ」(TBS系)、映画「三大怪獣グルメ」(河崎実監督)などに出演。グルメ番組やバラエティ番組のリポーターとしても活躍。8月8日(金)に公開される映画「ハオト」(丈監督)に出演している木之元亮さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)
■漁師、サラリーマンを経験後、20歳で大学に進学
北海道釧路市で生まれ育った木之元亮さんは、子どもの頃から大柄で健康優良児で、外を走り回って遊んでいたという。
「小学校に入るときに健康優良児で釧路新聞に載ったんですよね。デカいだけで。うちは漁師だったんですけど、貧乏でお金がなかったから肉は給食以外食べたことがなかったんですよ。
ただ、漁師だから魚は毎日、生きたタコとか毛ガニ、ホッケ、めんめ(きんき)などいろいろ食べていて。だから肉を食べなくてもこんなに大きくなっちゃうんですね(笑)。183cmですから。それぐらい大きな子でした」
――高校卒業後、地元の釧路で漁師さんに?
「そう。おやじが漁師だったから漁師になったんだけど、腰を壊しちゃってね。1年弱でした。当時は、国後島、色丹島…そこまで漁に行きました。
だから、(北方領問題で)ソ連の監視船が目の前にあって、見張っているんですよ。ちょっと怖かったですね。見張っているだけで何もしてはこなかったですけど、3海里(5.556km)をちょっとでも越えるとバーッと来て拿捕された船がたくさんありました。昭和45年の話ですから」
――漁にはお父さまとご一緒に?
「はい。ちっちゃな船だったんですけど、跡を継ごうかなと思って。でも、腰を痛めて数カ月で断念しました。根性がなかったんですね。
それで、高校の担任の先生にお話をして、紹介してもらって就職試験を受けて不動産関係の会社に勤めたんですよ。すごいでしょう?19歳からネクタイをしめて、車に乗って営業をやっていたんですからね(笑)。何を考えていたかわからない。1年と1カ月いました、その会社には。で、『辞表』って自分で書いて(笑)。笑っちゃいますよね。
勉強なんか全くできなかったのに大学受験して、(東京の)大東文化大学に受かって、20歳でこの花の東京へ出て来ました。僕は就学旅行も行ってないので、そのときに初めて津軽海峡を渡ったんですよ。
それで、大学生として東京での生活が始まったんですけど、初めて上野駅に着いたとき、人も多いしビックリしました。『今日は何かお祭りをやっているのかな?』って真剣に思いましたからね(笑)」
――大学卒業後は?
「大学卒業後は地元・釧路で就職するつもりだったんですけど、オイルショックで不景気だったこともあり大変だったんですよね。それで、どうしようかってなったときに、ある方に『亮ちゃんはこんな時代だから俳優にでもなったら?』って言われたわけですよ。
『北海道の漁師のせがれが、何が俳優だ。芸能人?何馬鹿なこと言っているんだ?』って感じで相手にしなかったんですよ。ところが、気が付いたら俳優になっていたんですよね(笑)。
その方に、卒業してから俳優の養成所を紹介してもらって『俳協演劇研究所』に入って通い始めました。すごく真面目な養成所で週5日なんですよ。日舞、狂言、殺陣、リズム体操…いろいろやりました。
狂言は、和泉元彌くんのお父さん、和泉元秀さんが先生だったんです。半年間習いました。お金がないから、茶道などはお菓子が楽しみでね。日払いのアルバイトをしながらご飯を食べていましたからね」
――どんなアルバイトをされていたのですか?
「凸版印刷とか、深夜のお仕事って現金払いで、コッペパンもくれる。そういう時代だったんですよ。そのコッペパン食べたさに凸版印刷に行っていましたね。
日払いの2000いくらかを現金でもらって、ご飯を食べて飲んで…そういう時代だった。
何もないときは養成所のみんなを集めて一杯飲んだりしてね。僕はもう25歳でしたからね。
ほかのみんなは10代とか、20歳前後なんですよ。僕は人生クネクネクネクネしていましたからね(笑)。『芝居の話なんかいい、人生長いんだから楽しもうぜ!』という感じで(笑)」
■石原裕次郎さんも「ヒゲだし、いいんじゃないの?」って…
俳優養成所に通い始めて1年あまり経った頃、「太陽にほえろ!」の5代目新人刑事に抜擢されることに。
「新人刑事役って正式なオーディションはなかったんです。いろんなところから情報を集めて選ぶ。僕の場合は、俳協の養成所の研究生だったんですけど、みんな写真を撮られるんです。その写真をマネジャーさんたちは、自分の知っている各局のプロデューサーさんの机の上に置いてくるんですって。
それで僕の写真もマネジャーが、『太陽にほえろ!』のプロデュ―サーの岡田晋吉さんの机の上に置いてきたら、たまたま岡田さんに会いに来た松田優作さんが机の上にあった僕の写真を見て、『ヒゲの刑事も面白いんじゃないの?』って言ったんですって。たまたま剃るのが面倒で無精ヒゲを伸ばしていたんですよ。
それで事務所の本部の方に電話があったらしいんですけど、事務所の連中はチンピラ役かなんかのゲスト出演だと思っていたんですって。当時僕はまだ養成所の研究生ですから、まさか新人刑事役で…という話だとは全然思ってない。
日テレに行って話を聞いて新人刑事の役みたいだということがわかったらだんだん心臓がドキドキしちゃってね。僕が養成所でどういうことをしているのか、東宝のプロデューサーも含めてみんながちょっと見に来たいということになったから養成所も大騒ぎになっちゃって(笑)。
新人刑事役の候補は、1回全く違う役で出演するという決まりなんですよ。それで僕は、
警察犬の調教師の役で1回出ました。このときが撮影現場に行ったのも初めてでした。
ボン刑事役の宮内淳さんと絡んで、それを石原裕次郎さんとかスタッフが見て、『いいんじゃないの?』ってなると決まりらしいんです。『ヒゲだし、いいんじゃないの?』って裕次郎さんも言ってくれたらしくて決まったんです。
僕は、優作さんがたまたま僕の写真を見て一言言ってくれたから候補になったわけで。そうじゃなかったらあり得なかった。本当に優作さんのおかげです。たまたまデカくてヒゲがあったからじゃないですか。だから、現場に行って勉強でしたね。走ることから始まりました」
――松田優作さんにはそのときのお話はされたのですか?
「それが優作さんとは何回かお会いしているんですけれども、優作さんのおかげで僕が新人刑事役に決まったという話を聞いたのは、優作さんが亡くなって10年ぐらいしてからなんですよ。だからお話できませんでした。それが残念だなって思っています」
――裕次郎さんを筆頭にベテラン俳優陣の皆さんと一緒の撮影はいかがでした?
「初めての撮影のときのことは、記憶があまりないんですよ、緊張しちゃって(笑)。石原裕次郎さんが目の前にいるんですよ。竜雷太さん、露口茂さん、小野寺昭さん、下川辰平さん…七曲署の皆さんが。もう足が震えていました。
ご挨拶もしましたけど、何を話したのか記憶がないですし、セリフだって何を言ったかわからないんですから、今だに(笑)」
――ロッキー山脈登頂を夢見る山男で、自然と動物を愛する心優しいロッキー刑事役、合っていましたね
「ありがとうございます。テレビで見ていたので、『これが「太陽にほえろ!」の現場だ。すごい。これからここで仕事するんだな』って思いました。でも、全く余裕がなかったですね。1年以上なかったです」
――ご家族も喜ばれたでしょうね
「大変でした。おやじなんて直接は関係ないのに緊張しちゃって(笑)。ビックリしているわけですよ。『うちの息子がなぜ石原裕次郎さんと一緒に仕事をしているんだ?すげえ人生だな』って。田舎の人から見たら別世界ですから。テレビに出るんですよ、アップで(笑)」
――木之元さんからご覧になった石原裕次郎さんはどんな方でした?
「ボスは本当に優しくて気を遣ってくださる方でね。相手に気を遣わせないように気を遣う方なんですよね。例えば、新人のスタッフさんが来ますよね。照明さんの新人さんが来て、『今日から来ました、佐藤です。よろしくお願いします』ってボスのところに挨拶に来ると次の日からボスは『佐藤ちゃん』って名前で呼ぶんです。すごいでしょう?
佐藤ちゃんはもう舞い上がっちゃって、その日帰ったらきっとすぐに田舎に電話しますよ。
『石原裕次郎さんに名前で呼ばれた』って。どんな新人さんでも名前で呼んでくれるんです。
これはすごいなと思うんですよね。
偉そうにしないんです。5年間一緒に仕事をさせていただきましたけど、5年間全く変わらない。感動的ですよね。あの方は本当に優しいんです。紳士です」
――裕次郎さんのことを悪く言う人はいないですものね
「本当に1人もいない。あれだけ長い間やっている人なのに。『太陽にほえろ!』が終わってからも東映のヤクザ映画などに撮影で行くと、裕次郎さんのおかげで鶴田浩二さんとか若山富三郎さんとか、大御所俳優さんたちが声をかけてくれるんですよ。
裕次郎さんは、そういう方々からも可愛がられていたんでしょうね。そういう雰囲気でしたね。ペーペーの僕なんかが『裕次郎、元気か?』って聞かれるんですよ。だから、そういう意味では、逆に助かったなと思います。違う現場に行っても、いい意味でボスの影を感じていただいたみたいで、本当にありがたいなと思っています」
■ロッキー刑事2年目に結婚!「何を考えているんだ?って言われました(笑)」
1977年に「太陽にほえろ!」にロッキー刑事として登場した翌年、当時20歳だったジャズシンガー志望の女性と結婚。事務所にもスタッフ、キャストにも事後報告だったという。
「すごいでしょう?事務所にもプロデュ―サーの岡田さんにも一切相談しないで、勝手に一緒に住んで籍を入れちゃった。事後報告で。週刊誌に勘づかれて記事が出ちゃったから大騒ぎになって怒られました(笑)。
相談したのは1人だけ。宮内淳さんには、『実は俺、結婚しようと思うんだけど、どう思いますか?』って聞いたら『ロッキー、やっちゃえ。誰にも言わなくていい。それお前らしくていい』って」
――裕次郎さんにも言わなかったのですか?
「言ってなかったです。だから大騒ぎだったんですよ。週刊誌にタレコミがあったらしくて。そりゃそうですよね。一緒に暮らしているわけだし。記者の方が張り込みをやって、これは間違いないから書くということでうちに連絡もあったし、来たんです。裏取りに来たって。
記者さんに『よくわかりましたね』ってお茶を出してちゃんと話をして。いつ記事が出るのか聞いたら来週だと言われたので、記者さんが帰ってからすぐに事務所に電話したら大騒ぎになって。週刊誌が出る前に、ワイドショーで発表してしまおうということになって、生放送で言っちゃったんです」
――裕次郎さんや皆さんには何て言われました?
「『何をやっているんだ?お前は』って言われました。『でも、僕は、田舎者だから、それぐらいしないと僕の気持ちを彼女に信じてもらえないと思って籍も入れたんです』って言ったら『お前は本当に田舎者だな』って言われたんだけど、これ本当の話なんです」
――ロッキー刑事は5年2カ月間在籍。新人刑事の中では最長でしたね
「そうです。どれぐらいの期間というのは全然考えないで出演していました。僕はヒゲの刑事で、どっちかといったらアイドル的な雰囲気ではなかったのでヒゲのおじさんみたいな感じ。
それで、『じゃあ、結婚させよう』ってなって、交通課の婦警だった早瀬令子(長谷直美)と結婚して双子ちゃんもできて。そうなるとなかなか殺すわけにはいかないけど、殺してくれたんですよ。それはうれしかったですね」
――木之元さんにとって「太陽にほえろ!」の5年2カ月間というのは?
「本当にいろんなことを現場で勉強させていただいたなと思っています。
芝居だけじゃなくて俳優としての心構えなり、いつでもからだが動くようにトレーニングしておくということも含めていろんなことを勉強させていただきました。
僕ら新人刑事というのは、立ち回り(アクションシーン)が普通にあるじゃないですか。通常は、立ち回りで殴ったりすると、相手の方が飛んでくれたりするんですよね。チンピラ役の方も含めて取っ組み合って殴る格好をすると綺麗に飛んでくれる。
ところが、僕らがデビューした頃というのは、お金がなくてご飯も食べられないものだから、やっぱりヒョロヒョロなわけですよ。僕が新人刑事で出始めた頃は『コイツはトレーニングも何もやってないな』って感じると、なかなか綺麗には飛んでくれなかったです。
その気持ちはわかるんです。それはそうだよね。『お前は新人刑事役に抜てきされてスターになるかもしれないんだから、何か努力しなくちゃダメだろう?』って、そういう風に思ってくれているんだろうなって感じたので、それからジムに通って、トレーニングを始めました。
そうしたら半年くらいすると明らかに絡みの人たちも変わってきて、綺麗に飛んでくれるようになって。真剣味が伝わるんですよね。彼らも、それを待っているわけですよ。立ち回りなんかそんな簡単なものじゃないんだって。
『ロッキーがトレーニングして、ここまで頑張った。いいじゃないか。いいシーンを作ろう』って。そういうこともちゃんと教えてもらったので、トレーニングはずっと続けてやっています。それは竜(雷太)さんの教えでも、『太陽にほえろ!』の教えでもあるんですよ。
ハリウッドの場合は、お話が決まった時点で、ギャラをいただいてからだ作りをする時間があるわけですよ。日本の場合は、それはないので自発的にやるしかない。だから常に、どういう話があってもすぐに現場に行って対応できるようにしておかないといけませんからね。
そのことは特に竜さんに教わりましたね。『それは基本だよ。芝居じゃない、やっぱりからだ作り。きちんとからださえ作っておけば、気持ちだって出来上がってくるんだし、それを常にやっておかないと』って言われました。竜さんは、新人刑事役の教育係でしたからね。
『カメラがあるアクティングエリアには台本を持って来るな。セリフなんか飛んだっていいじゃないか。まず気持ち、心が大事なんだ。そういう気持ちは大事にしなきゃいけないよ。だから、カメラがあって、撮影するその場所に台本を持って来たら邪魔だろ』って。周りのスタッフから見てもカッコ悪いだろっていうことですよね。それはずっと僕、真面目に守っていますね。
もちろんセリフはきちんと入れるようにはしていますけど、芝居はやっぱり頭じゃなくて心。気持ちで。セリフを覚えようと思っても、なかなか覚えられなかったりするけど、現場に行って相手役の方と目を見て絡むとスーッと入ってくるんです。セリフってそういうものなんですよ。暗記じゃないんです。相手と絡んで感じるものがあるんですよね」
■「ロッキー山脈で死にたいな」って冗談で言ったら…
1982年、念願のロッキー山脈登山を実現するためにカナダに旅立ったロッキー刑事は、事件の容疑者を追ってカナダ入りをした一係の捜査に参加。容疑者を追い詰めたロッキー山脈で殉職することに。
――ロッキー刑事は唯一海外で亡くなりましたね
「はい。歴代の新人刑事は死に方を自分で選べたんですよ。ナイフで刺されて死ぬとか、拳銃で…とか。僕も岡田晋吉さんに『どうやって死にたい?』って聞かれたので、『ロッキー山脈で死にたいな』って冗談で言ったら『ロッキー山脈に行こう』ってなったんです。
これ本当なんですよ。言って良かったですよ。冗談でも言ってみるものだなと思って(笑)。本当に、行っちゃったんですよね。感動しました」
――銃で撃たれて神田正輝さんと渡辺徹さんの腕の中で亡くなることに
「そう。オンエアを見たらリスがアップで映るんですよ。だからリスをかばって死んだって思うじゃない?でも、違うんです。あれは、リスや小動物も含めて、ロッキー山脈の自然環境をダイナマイトで破壊されるのを止めさせたいという気持ちなんですよ。
それを説明してないからわからないんですよね。リスをかばって死んだみたいに見えちゃう。リスもかばっていますけど、ロッキー山脈の自然を守ろうという崇高な思いでロッキーちゃんは死んで行ったんです。
でもね、『死ぬシーンの撮影ってこういうものなのか』って。本当に自分でも涙が出ましたし、感動もしましたね。5年3カ月間、スタッフはあまり変わらなかったんですよ。だから、合宿をやっているような感じだったので、本当に感動しました。
死ぬシーンの撮影を一番最後にしてくれたんです。それでガクッて死んだら、スタッフが『ロッキー、お疲れ』って言ってくれて。それで、竜さんが静かに背広の内ポケットからウイスキーの小瓶のボトルを出してキャップを外して、そのキャップにウイスキーを注いでくれて。みんながいる前で『ロッキー、お疲れさま』って渡してくれたんです」
――竜雷太さん、カッコいいですね
「カッコいいでしょう?それでなくてもいろんな思いがこみ上げてきて僕は涙を流しているのに、もう号泣ですよ。竜さん、そんな粋なことをやってくれたんです。今だに感謝も感謝ですよ」
ロッキー刑事として広く知られることになった木之元さんは、「太陽にほえろ!」卒業後、映画、大河ドラマなどに出演。リポーターとしても活動することに。次回は、映画「ションベン・ライダー」、「真田太平記」の撮影エピソード、劇中でのヒゲ剃り、リポーター業なども紹介。(津島令子)
※木之元亮プロフィル
1951年9月8日生まれ。北海道出身。1977年、テレビドラマ「太陽にほえろ!」のロッキー刑事(岩城創)役で俳優デビュー。5年2カ月出演し、トレードマークのヒゲで人気を博す。以後も映画「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」(那須博之監督)、大河ドラマ「真田丸」(NHK)、情報番組リポーター、通販番組司会などで幅広く活躍。「ウルトラマンダイナ」ではヒビキ・ゴウスケ隊長役を演じ、8月8日(金)に公開される映画「ハオト」の丈監督と共演。




