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2025年8月15日 14:05

柏原収史 俳優、ミュージシャン、アイドルプロデュース、舞台演出、「浅草苺座」の経営など幅広い分野で活躍!

2025年8月15日 14:05

柏原収史 俳優、ミュージシャン、アイドルプロデュース、舞台演出、「浅草苺座」の経営など幅広い分野で活躍!
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1994年、ドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」(TBS系)でデビューし、映画「スリ」(黒木和雄監督)で第10回日本映画批評家大賞新人賞を受賞した柏原収史さん。2004年に映画「オーバードライヴ」(筒井武文監督)、2006年には映画「カミュなんて知らない」(柳町光男監督)、映画「ドリフト」(神野太監督)、映画「ドリフト2」(神野太監督)など主演映画も多数。ロックバンド、舞台演出、アイドルグループのプロデュース、楽曲提供、苺スイーツの専門店「浅草苺座」の経営など幅広い分野で活躍中。9月13日(土)に映画「こんな事があった」(松井良彦監督)の公開が控えている。(この記事は全3回の中編。前編は記事下のリンクからご覧になれます)

■津軽三味線はめちゃくちゃ練習しました

2004年、映画「オーバードライヴ」に主演。天才的なギターテクニックを持っているが、うぬぼれが激しい主人公・弦役を演じた。

人気絶頂のユニット、「ゼロデシベル」のギタリスト・弦は、記者会見の席上、ヴォーカルの美潮(鈴木蘭々)に、突然クビを宣告され、ひょんなことから津軽三味線の世界に没入することに…という展開。

「津軽三味線をあのときに覚えられたのはすごく良かったです。いわゆる音楽系の会社でもあるから、三味線も本当は弾けないけど“当て振り”(演奏部分を録音済の音源を使い、演奏するフリをする)ということはやりたくないと言って。

3カ月ぐらい三味線の稽古期間があって、『本当に弾けるようになるまでは撮影に入りませんから』って言われていたんです。後々聞いたらキャスティングのときに、ギターが弾ける役者にするか、三味線弾きに芝居を覚えさせるか…という2択で議論があったらしいんです。

さすがに三味線弾きに今から芝居を…というのはなかなか難しいから、ギターが弾ける役者を連れてこいということになって。それで僕に…という流れだったみたいですけど、そうなったら楽器はもちろん好きなので、この機会に三味線を覚えられるのはすごくいいことだなと思いながら一生懸命めちゃくちゃ練習しました。すぐにハマッて(笑)。

全曲ちゃんと弾けるようになるまで稽古をつけてもらいました。劇中で実際に使われているのは先生の音ですけど、弾いている指の動きは実際に僕がやっています。実際の僕の音でもいいと言えば良かったらしいんですけど、要は叩き上げでの音というのは(先生のほうが)リアルなので。

『ここからここまで』とかやっていると難しい。ありものの音を流しながらじゃないとしんどいってなって、先生の音を使わせてもらったんです。

のちにいろんな音楽の制作の仕事をすることになって、ドラマや映画、舞台音楽だったりとか、一番多かったのはパチンコのBGM。パチンコはいろんなジャンルが来るので、1個の台でも、例えば『遠山の金さん』とか、『坂本龍馬』とかも僕がやったんですけど、『三味線の音源でお願いします』という感じの依頼があったりするんです。

生で弾いたり、こういう奏法があるというのは『オーバードライヴ』の経験があったのでやりやすくて助かりました。思う存分ギターも弾けたし、撮影も楽しかったですね」

――演奏シーンカッコいいですよね。柏原さんがミュージシャンなんだと改めて感じました

「ありがとうございます。公開は2004年だから撮影は2003年だったかな?もう20年も経っているわけですね。早いですよね」

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■監督の教え子の学生たちがスタッフとして参加

2006年、映画「カミュなんて知らない」(柳町光男監督)に主演。この作品は、男子高校生による老婆刺殺事件をモチーフに映画化を試みる大学生たちの姿を描いたもの。柏原さんは、優柔不断さゆえに、映画制作でも私生活の恋愛でも大変な状況に追い込まれていく主人公の学生映画監督・松川直樹役を演じた。

学生たちが撮影準備を進める中、クランクイン5日前に主演俳優が突然降板し、助監督の久田喜代子(前田愛)は代役を探すために奔走することに。監督の松川は妄信的に自分に執着してくる恋人ユカリ(吉川ひなの)に辟易(へきえき)しているが、借金もあり別れるわけにもいかない。

やがて代役の主演俳優も決まり、リハーサルが始まるが、犯行時の主人公は「異常」だったのか、「正常」だったのか。松川と久田は心理の解釈をめぐり議論することに。そしてクランクイン直前、衝撃の出来事が…。

「最初に台本を読んだときにはあまりよくわからなくて、一度はお断りしたんですけど、(柳町監督が)お手紙までくださって。そこまで言ってくださるならやらせていただきましょうということになって。そうしたら、やっぱり台本を読んだだけではわからない撮影方法だったりしてめちゃくちゃ面白いなと思いました。

僕は、あまり映画監督とかに詳しくないので、柳町さんがどれだけ偉大な方なのかを撮影前はわかってなかったんです。公開されてからいろいろな人に『柳町さんとやったの?どんな方だった?』って聞かれて偉大さがわかったという感じでした」

――柳町監督の作品に出たい俳優さんは山ほどいますからね

「そうなんですよね。でも、知らなかったんです。だから知らない方がリラックスしてできるときもあるんだなって思いました(笑)」

――柏原さんが演じた主人公は、学生映画の監督で、お金と女性にちょっとルーズ。妄信的な恋人がいながらも来るもの拒まずという性格で関係を持ってしまう

「そうでした。それでユカリは余計情緒不安定になっていくわけですけど。大学のシーンは立教大学のキャンパスで撮影したんですけど、冒頭の7分半ぐらいを1カットで撮影することになったときに、あのシーンだけのリハーサルも別日に屋内で結構していて、『何かすごいことが始まるんじゃないかな?』みたいな雰囲気はすごくありました」

――撮影はいかがでした?

「キャラとしては、そんなに役作りしてという感じではなく、自然体でやっていこうと思っていた気がします。立教大学の柳町さんの教え子みたいな学生がいっぱいスタッフとしてお手伝いされていたので、ちょっと遊んだり、話をさせてもらって、大学生の雰囲気の役作りをやっていた気がします」

――将来映画監督やスタッフ志望の学生さんたちとの撮影現場はいかがでした?

「若者同士でワイワイと…みたいな感じで。そのときに知り合って、今でも飲んだりする人もいますし、やっぱり年も近かったのもありますから楽しかったですね、単純に。リハーサルは入念だった記憶がありますけど、撮影に入ったらわりと順調にいっていた気がします」

――出来上がった作品をご覧になっていかがでした?

「最後のシーンは台本を読んだだけだとあまりよくわからなかったんですけど、完成した映画を見て『こういうことがしたかったんだ。なるほど!』って衝撃を受けました」

――メンタルがちょっと…という彼女(吉川ひなの)が屋上から飛び降りるんじゃないかと思って止めようとしたら、自分が落とされてしまう。何十万円も借りていて都合のいい女のはずだったのに

「怖いですよね。出来上がった作品を見て、カンヌ国際映画祭やニューヨーク映画祭に出品したという話を聞くと、やっぱりすごい監督なんだなあって思いました」

――撮影が終わってから監督とはどんなお話をされました?

「シャイな方なので、そんなに多くを語らずの方ですけど、『お疲れさん、良かったよ』ぐらいなことは言ってくださった気がします」

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■主演映画が立て続けに公開

「カミュなんて知らない」と同じ2006年、「ドリフト」(神野太監督)、「ドリフト2」(神野太監督)と主演映画の公開が続く。

――映画の撮影が終わったらすぐに次の映画の撮影が始まるという感じだったのでは?

「そんなにバタバタしていた記憶はないです。もちろん現場によってはハードなときはありましたけど、普通に飲みに行ったりもしていたし、そんなに何本か重なって…ということはなかった気がします」

2008年には、9月13日に公開される映画「こんな事があった」の松井監督の前作「どこに行くの?」に主演。この作品は、性的なトラウマを抱えた青年が美しいトランスジェンダー女性と出会い、残酷な運命に抗いながら惹かれ合う純愛を描いたもの。柏原さんは、幼い頃から父親代わりでもあった工場の社長に受けた性的虐待がトラウマとなり、人を愛することができない主人公・アキラ役。

大人になってもいやらしい視線で見つめてくる社長の工場で働きながら、外では1回数万円で刑事の福田にからだを売る日々を送っている。社長の妻はアキラに執着する夫の思いを知りアキラを解雇。連れ戻そうとアキラのアパートに押しかけ争ううちに床に倒れた社長の上に包丁が落ちて…。

「光栄なことにお話をいただいて。監督と初めて会っていろんなお話をさせてもらったんですけど、映画監督という独特の雰囲気もあってすごかったです。

『どこに行くの?』の前作『追悼のざわめき』で監督の名前を世界に知らしめたということなので、『今度見てきます』って、次に会ったときに『見ました。監督、狂っていますね』って言ったんですよ。そうしたら高笑いされて『いい誉め言葉だね』って(笑)。

いまだに松井さんと飲むと『あのときに狂っていますねって言ったんだからね』って言いますね(笑)。『追悼のざわめき』は本当に衝撃的でした」

――主人公が愛するマネキンに惨殺した女性の生殖器を埋め込み、愛の結晶が生まれることを夢見ている青年。傷痍軍人への暴行、殺人と遺体損壊、臓器の持ち去り、差別…さまざまなタブーが描かれ物議を醸しました

「そうですね。今まで見た中で一番衝撃的だったかもしれないです。『どこに行くの?』もまあまあ過激な表現とかあるじゃないですか。親代わりでもあった工場の社長から受け続けた性的虐待がトラウマとなって、うまく人を愛することができず中年刑事にからだを売っている。

なかなかの表現だなって。アパートに押しかけて来た社長ともみ合っているうちに社長の目に包丁が刺さってしまって、グリグリ押し込んでトドメをさすなんてなかなかだなと思ったんですけど、『追悼のざわめき』を見たら監督は毎度のことだったんだなみたいな(笑)」

――これもすごいシチュエーションですよね

「『追悼のざわめき』があまりに衝撃的だからマイルドに感じるんですけどね(笑)。松井さんの映画の作り方というのもすごく勉強になりました。相手役のあんずちゃんと何回かデートしてきてくれと言われてクランクイン前にデートしたんですよ。2、3回ご飯に行ったり、植物園に行ったりしました。

あと、僕が工場の作業員の仕事をしているという役なので、作業服じゃないですか。衣装の作業服が新品だったので、からだに馴染んでないといけないから、なるべく撮影の日までこれで過ごしてくれと言われて、その作業着を着て寝ていましたね。作業着がクタクタになるように普段からそれを着てとか、そういうのも松井さんの映画作りのこだわりで勉強になりました。

やっぱりすごいなと思いました。やろうと思ったわけじゃなくて、たまたま社長が床に倒れたら包丁が落ちて来て目に刺さっちゃって、トドメをさす。それで、遺体を燃やしに行くんですからすごい発想だなって思いました」

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■ぽっちゃりアイドルグループをプロデュース、舞台演出も

俳優業、自身のバンド活動以外にアーティストへの楽曲提供もしていた柏原さんは、2015年、ぽっちゃりアイドルグループ「Pottya(ぽっちゃ)」をプロデュース。

「やってみたいとは思っていたんですよね。役者業をしながらずっと並行して音楽業もやっていたので。最初の『No‘where』を休止後、(EXILEの)NESMITHと一緒に『STEEL』を結成したりとか。

その後、『チュートリアル』の徳井(義実)くんと結成した『鶯谷フィルハーモニー』というバンドでもともと一緒にやっていた制作の相方がいたんですけど、2人で音楽を作ったりしていて。

そういうこともしながら楽曲のプロデュースや楽曲をシンガーに提供したり、2人で企画書を作っていたんですね。例えば『マツコ・デラックスさんに歌わせたら面白いんじゃないか』とか、『ボブ・サップにラップを歌わせたらボブ・ラップだ』みたいな企画を考えていたんですね(笑)。

それで、いくつか企画を持ち込んで唯一通ったのが川越シェフに歌を歌わせたいというもので。たまたまテレビで『歌好きなんです。そういうお仕事もしたいです』みたいなことをおっしゃっていたので、これはいいなと。韓流的なバラードみたいな曲を歌ってもらったらいいんじゃないかなと思って、そういうのをずっとやっていたんです。

それで、『AKB48』や『ももクロ』とか、いろんなアイドルグループが出てきてアイドル戦国時代になって来たので『アイドルを作ってみるか』ってなって。

『鶯谷フィルハーモニー』のベースのISAKICKがもともとアイドルが好きでアイドルのプロデュースとかディレクターをやっているという話は聞いていたのでアイドル作ってみようということになって。

その当時も僕がいろんな企画書を持ち込んだりしながら、自分の会社を立ち上げるんですよ。それでパチンコの音楽をやったり、効果音を作ったりしていたので、パチンコメーカーの方とプライベートでも一緒に飲むようになって。『今度一緒に何かやろうぜ』みたいなことは話していたので、アイドルを作るということで合致したんです。

でも、すでにいろんなコンセプトが溢(あふ)れ返っていたので、ちょっと尖ったものをやらないと埋もれて終わりだからってなって。その方が『ぽっちゃりアイドルってどう?』って言ったんです。

その当時もぽっちゃりアイドルはいたんですけど、世間からは『全然ぽっちゃりじゃない。細いじゃん』って言われていたので、こっちは逆に『ぽっちゃりじゃないじゃん、デブじゃん』って言わせるようなアイドルを作ろうってなって。

今はもう解散しましたけど、0から立ち上げだったのでオーディションをやったら300人を超えるくらい応募があって。1人1人全員面接してグループにして、YouTubeでチャンネルも作ったり、曲も作って…という感じでした。

周りからは『何でアイドルプロデュースなんだ?』とか、『何でぽっちゃりなんだ?』とかって散々言われたんですけど、いろいろプランがあって、確実にバラエティー番組とかは面白がっていくつかは呼んでもらえるだろうと。

それで、いろいろ出させてもらって、俳優なのにプロデュースしているみたいなことで2年ぐらいやって、そこそこ認知されたあと、うまくいかなくなったらダイエット企画をやろうとか、いろいろプランもあったんですけどね、本当は。結局2年で解散でした」

――その2年後ぐらいには舞台の演出もされるように

「舞台の演出は正直全然やる気なかったです。『楽曲を作ってください』とオファーを受けるようになって、いろいろなグループの楽曲を作っているんですけど、その中の一つが『トキヲイキル』という福岡のグループ。舞台もこのチームで作るというのがコンセプトだったので、僕はライブでやる音楽を作っていたんです。

その音楽のプロデューサーに『演出をやってくれませんか?』って言われたんですけど、やったことがないし大変だろうから絶対に嫌だと思って『演出家を紹介しますよ』って言ったんです。

でも、1週間後ぐらいに『どうしても無理ですかね?』って言われたので、『そこまで言うならもうどうなっても知らないですよ。やったことがないし』って言ってやることになったんです。

たまたまそういう流れがあったので、そのトキヲイキルだけは6,7本ぐらいやったのかな。

それで、やり始めたら小劇場を運営しているところだから、『柏原さん、演出もやられるんですか?』って聞かれるようになって。

『トキヲイキルしかやらない』って断っていたんですけど、舞台の音楽を作っている会社があって、その会社は舞台をいっぱいやっているので演出家もいっぱい欲しいんですよ。それで前から、『柏原さん、音楽だけじゃなくて舞台の演出もやられるんですよね』って言われて。

ずっと断っていたんですけど、一昨年に、僕が音楽を全部作った舞台の再演があって、演出家のスケジュールがないからやってくれませんかと言われて。音楽もいっぱい作らせてもらっているし、知らない作品でもないし、むしろ思い入れはあるので、去年初めてトキヲイキル以外の舞台の演出をやったんです。

そうしたら、当然この会社は『また来年3月にあるんですけど…』という話になって今年もやることになってやりました。こんな感じでどんどん広がっていって。いろいろお声をかけていただいて断りきれないというのもありますね(笑)」

2019年には、東日本大震災の復興支援で出会った宮城県山元町のイチゴ農家の協力のもと、浅草に苺スイーツの専門店「浅草苺座」を開店。現在、浅草に3店舗、鎌倉に1店舗経営している実業家としての顔も持っている。次回は「浅草苺座」、ドラマ「大病院占拠」(日本テレビ系)、9月13日(土)に公開される映画「こんな事があった」も紹介。(津島令子)

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