エンタメ

2025年8月19日 14:10

柏原収史 東日本大震災から10年後の福島が舞台の映画に出演!支援活動がきっかけで苺スイーツ専門店も開店

2025年8月19日 14:10

柏原収史 東日本大震災から10年後の福島が舞台の映画に出演!支援活動がきっかけで苺スイーツ専門店も開店
広告
4

14歳のときにスカウトされて芸能界デビューを果たし、俳優、ミュージシャン、アイドルグループのプロデュース、舞台演出、楽曲提供、苺(イチゴ)スイーツの専門店「浅草苺座」の経営など幅広いジャンルで活躍中の柏原収史さん。9月13日(土)に映画「こんな事があった」(松井良彦監督)が公開される。(この記事は全3回の後編。前編と中編は記事下のリンクからご覧になれます)

■満を持して苺スイーツの専門店開店から約1年でコロナ禍に…

2019年、東日本大震災の復興支援で出会った宮城県山元町の苺農家と共に、浅草に苺スイーツの専門店「浅草苺座」を開店。現在、浅草に3店舗、鎌倉に1店舗経営している実業家としての顔も持っている。

「復興支援で仙台とかによく行っていたので、2014年頃に農家さんと知り合って。そのときに苺座を一緒にやることになった化粧品会社の方もいたんです。僕がプロデュースした『Pottya(ぽっちゃ)』のデビューライブに唯一お花を送ってくれた方で、デビュー当初から関わっていたなという感じで。

そこの農家さんの社長は、年齢は僕のひとつ下なんですけど、お父さんから引き継いでいて。ほとんど8割ぐらいが津波で流されてしまって、震災でお母さまを亡くされたんですけど、すごく前向きで明るい方で。僕が行ったときにはだいぶ復興されていましたけど、それでもまだまだしきれていなくて。

そこで苺を食べさせてもらったときに、それまで食べた全ての苺の中で一番美味しかったんです。本当にお世辞抜きでめちゃめちゃ美味しくて、この美味しさを日本中、いや世界中の人に知ってもらいたいと思ったんですよね。

それと、宮城の苺を使うことで少しでも復興に役立てるんじゃないかなと思って、苺を使ったスイーツ店を開店させたいという思いになりました。

若い社長ということもあって、IT管理を取り入れて苺の育て方もどんどん進化しているんですよ。だから、常にモニターを見ているみたいな感じで。温度、気温、湿度もそうですけど、CO2(二酸化炭素)の管理とかもして、糖度も上がったりとか、実も大きくなって、赤くなったり…というのがすごいなあと思って。

もう一つの会社の社長は、苺ポリフェノールを抽出して洗顔石鹸とか化粧水にしていて今でも結構リピーターになっているんですけど。

それで、3人で一緒に苺本体をいずれ全国に、そして世界に届けるようなお店をやりましょうって話したのが2014年ぐらいで、実現したのが2019年5月1日。令和になった日だったんです。

そのときはもうインバウンドで、まだコロナもなかったし、本当にずっと列ができて…という状態で、販売スタッフとかもオーバーワークになるみたいなこともあったぐらいで、売り上げ的にはいいスタートを切れたんですけど、その翌年の2020年2月ぐらいから徐々にコロナが出始めてきて。

それで、4月に緊急事態宣言が発令されて。オープンして1年弱で、これからというときに浅草に人がいなくなるという事態になって。浅草の地元の人も40何年間浅草を見てきているけど、こんなに人がいない浅草を見るのは初めてだと言っていました。5年の歳月をかけて満を持してお店を出したのに運が悪かったのかな…とか」

――お住まいも浅草に移されたのですよね?

「そうです。それまで20年近く三軒茶屋近辺に住んでいたんですけど、出店を機に浅草に引っ越しました。浅草の人たちと仲良くなってもどこかやっぱり壁があって。『ご飯を食べたら2次会に行くけどお前はいいよ』みたいな感じだったんですよね。よそ者という感じで。

だから、これはやっぱり住んじゃった方が早いし、信用してもらえると思ったので、思い切って40歳のときに引っ越したんですけど、そうするとやっぱり全然違いますね。でも、その半年後ぐらいに緊急事態宣言が出されたので、これはなかなかだなって…。

でも、もうひとりの共同経営者の方といろんな話をして、『下ばかり向いてられないし、いずれあけるときは必ず来るから、今できることをやろう』ってなって。

飲食の仕事経験がない3人だったので、原価がいくらで何%でとか、人件費、光熱費、家賃など固定費の詰めが甘かったというか。シフトに関してもですけど、やっぱりどんぶり勘定だったなというのがあって。

いろいろ見直して、今度はお客さんが来ないなら売りに行こうという形に転換したんですよ。その化粧品会社の社長が最初に路上から始めて、ららぽーととか木更津のアウトレットなどの催事でかなり売り上げを伸ばしている会社だったので、催事のノウハウがあったんですよね。信用もあって。

それで、ららぽーとやアウトレットの催事で出店しだして、それが穴埋めになったのは大きかったですね。それで、この次どうするかというので2号店を出そうってなるんですよ。

緊急事態宣言のときに何でそういう話になるかといったら、場所が良くて空くわけがないと思っていたところが空き出したんです。しかも、値段も今だったら交渉ができるというので2号店を出して。もうコロナもあけるだろうと思っていたんですけど、なかなかあけない。

その翌年にさすがにもうあけるだろうと思って3号店を出すんですけど、あけないんですよ。人が戻ってこない。でも、催事は続けていたし、絞るところを絞ってやっていたので倒産の危機というのはなかったんですけど。3店舗までいって、ようやく人が帰ってきたかなという感じです」

――先日、1号店で苺スムージーをいただいて家で苺甘酒をいただきましたがとても美味しかったです

「ありがとうございます。メニュー開発もみんなでいろいろ相談して決めているのでうれしいです」

広告

■素性がバレないように撮影現場にも変装で?

実業家としても多忙な中、2023年には「大病院占拠」(日本テレビ系)に出演。このドラマは、鬼の面を被った謎の武装集団によって占拠された大病院で、休職中の刑事・武蔵三郎(櫻井翔)が人質を救うため犯人に立ち向かっていく様を描いたもの。柏原さんは、幼い息子を亡くした元自衛官の黄鬼・摂津公明役を演じて話題に。

「黄鬼役を演じることは口外してはいけないと言われていて、内緒にしてなくちゃいけなかったんです。だから『現場に入るときも変装して入ってくれ』って言われていたし、楽屋の名札も名前ではなく、『黄鬼』って書かれていました(笑)。

公共の施設みたいなところをロケで使わせていただいて、もちろん一般のお客さんもいるので、控え室を出るときには必ず黄鬼のマスクをしてそのままその状態で現場に入って、控室の中に戻るまではマスクを取らないという対策を結構完璧にやっていましたね」

――放送が始まるといろんな考察が出ていましたけど、バレてなかったですね。でも、あのマスクはかなり暑かったのでは?

「暑かったです。暑いし、視界が狭いんですよ。しかも、僕がやった黄鬼は元自衛官でわりと武闘派というか、アクションもあったので、それは大変でした。視界が狭くて距離感がわからないので。

ロケ場所が図書館とかも入っているような施設で、それを病院のロビーとしてやっていたので、普通の図書館利用者がいるわけですよ。それで、一度僕が現場に行こうと思って、鬼のマスクと衣装でエレベーターを待っていたらドアが開いて、お母さんと小さい子どもがいたので、乗れないなと思ってやめたんです。

それで、ドアが閉まって動き出したら『ギャーッ』っていう子どもの声が中から聞こえて来て遠ざかっていきました(笑)。そうなりますよね。悪いことしちゃったなあって。後半にはわりと全員素性がバレてはいましたけど」

――柏原さんは幼い子どもを亡くしたという切ない役でしたね

「そうです。灰鬼の水橋研二くんは昔からの仲で、最近も一緒に飲んだり、今も一緒に別の仕事をしたりしているんですけど、彼は彼でショートドラマを撮ったりしていて、その音楽を僕が作ったりしているので今も交流があります。作品の内容とは違い、みんな和気あいあいとしたいい雰囲気で楽しくやっていましたね」

広告

■監督から直接電話でオファー「めちゃくちゃうれしかったです」

9月13日(土)に公開される映画「こんな事があった」に出演。この作品は、東日本大震災から10年後の福島を舞台に、原発事故で離散した家族と、青春を奪われた青年たちの姿を描いたもの。

2021年の夏、福島。17歳のアキラ(前田旺志郎)は、母親を原発事故の被曝で亡くし、原発職員だった父親(波岡一喜)は罪の意識に苛まれ除染作業員として働きに出たため、家族はバラバラに。アキラを心配する友人の真一(窪塚愛流)も深い孤独を抱えていた。ある日、サーフショップを営む小池夫婦(柏原収史&金定和沙)と店員のユウジ(八杉泰雅)に出会い、閉ざしていた心を徐々に開いていくが…。

――松井監督とは主演映画「どこに行くの?」以来、17、8年ぶり。お話が来たときはどう思いました?

「松井さんから僕に直接連絡が来たんですよ。マネジャーの前に直接『柏原くん、映画にまたちょっと出てくれないかな?』って。めちゃくちゃうれしかったですね。また松井さんと一緒にできるんだって。松井さんの世界に浸れるんだというのは、無条件にうれしかったです」

――松井監督が構想13年ということですが

「そうですね。『どんな作品なんですか?』って聞いたら、原発とか福島の話をしていたので、『おー、そこに切り込むのか』って。松井さんがこのことに注目して13年も構想を練っていたんだというのは結構意外だった気がしましたけど、確かに松井さんの世界観を出すテーマではあるかなと思いました」

――東日本大震災は柏原さんも支援活動をされていたり、浅草苺座のこともあって

「そうですね。そういう意味では繋(つな)がりがあるというか、縁があるというか。震災に関する作品の音楽を作ったこともありますし、何かしら縁を感じているんですけどね。でも、松井さんが震災に関する作品を撮るというのはちょっと意外ではありました。

これまでセクシャルな作品が多かったじゃないですか。『追悼のざわめき』も、『どこに行くの?』もそうですし。で、今回はある意味まっすぐなテーマというか。

2人でまずご飯に行こうとなって、そのときには『事務所に電話しておくね』という感じだったんですけど、松井さんがマネジャーに連絡する前に僕がすぐに連絡したんだと思います。『松井さんから連絡もらったから、連絡がいったら対応お願いね』って言った記憶があります。それぐらいうれしかったんでしょうね、多分。

いろいろお話を聞いていて、確かにみんな風化しちゃいけないと言いながらも、今現在どんな状況なのかということはあまり知られてないだろうなと。でも、非常にデリケートなテーマでもあるので一瞬考えますけども、そんなことを考えたらできないし。

松井さんもいろんなスポンサーの出資があったら難しかっただろうと思いますけど、自分で全部それをやってしまうというところがすごいなあって思います。それで、松井さんが次の作品を撮るとなったら、スタッフも役者も松井さんとやりたいという人がたくさんいるんですよね。井浦新さんのコメントを見てさすがだなと思いました」

広告

■「こんな子だったら…」と思った俳優と意外な再会

(C)松井良彦/ Yoshihiko Matsui

撮影は、福島で2023年の8月と2024年の5月に行われたという。

「僕のシーンは、2023年に撮り終わっていたのですが、真夏の撮影だったので松井さんが熱中症なのか体調を崩したことやいろいろあって1年くらい空いたのかな?1年後ぐらいにみんなのスケジュール調整をしてまた撮ることになって」

――柏原さんは、アキラをそっと見守り支えてあげる優しさと器の大きさを感じさせる役どころでしたね。

「ありがとうございます。多分、放射能の影響も考えて夫婦で子どもを作ることは諦めたんだと思いますけど、含みで思っている感情とか葛藤している部分はなるべく見せないようにというか。普通の生活を心がけたいんだなという風にしようとは思っていました。それこそデモに行って捕まったこともあるというのは映像では出ないけど、話に出てくるんですけどね。

この作品は、前田旺志郎がすばらしい役者だなって。僕は朝ドラ『てっぱん』で旺志郎のお兄ちゃんの(前田)航基と一緒にレギュラーをやっていて。その撮影が15年くらい前だったんですけど、当時まだ8歳くらいだった旺志郎が現場に来ていて。小さい頃から兄弟二人で『まえだまえだ』で漫才をやっていましたからね。すごく愛想も良くて可愛いかったんです。人懐っこいし。

僕は子どもが欲しいと思ったことはないんですけど、唯一そのときに旺志郎を見て『こんな子だったらいいな。可愛いな』みたいなことを思ったんですよ。

それが17年経って、まさかこういう形で再会するとは思ってなかったですけど、旺志郎はそのときのことは全く覚えてないって言っていましたね(笑)。それで、今回初めてこういう形で共演して、芝居も本当にいいと思うし、雰囲気もあるし、当時からは全然想像がつかないようなすばらしい役者になって。いろんな話をしていてもしっかりしているし、いい役者が生まれてきたなあって思いました。

僕はまだ井浦(新)さんとは会ったことがないんです。一緒のシーンがないので現場でもお会いしてないですし、衣装合わせも一緒じゃなくて。機会があったらぜひお話してみたいなと思っています。

井浦さんは、本当に気持ちでいろんな作品に出てらっしゃいますよね。作品や役の大きい小さいじゃなくて、『この人と仕事をしたい』と思ったら出るという感じで。すごい方ですよね。尊敬しています」

――出来上がった作品をご覧になってどう感じました?

「この前2回目見たんですけど、やっぱり2回目だとまた一味違うというか。もっと細かいところまでわかりますよね。『ここって1カットだったんだ』とかも含めて。見た人には何か伝わるだろうなっていうのは感じました。

改めて、井浦さんの役の雰囲気の作り方だったり、いろんな人の芝居を見させてもらって、バランスをいろんなところで取られているのかなという気がしました。

今回は窪塚愛流が一緒でしたけど、僕はお父さんの(窪塚)洋介が(デビュー)同期ぐらいで、マネジャー同士が仲良くて結構共演もしたし、弟(窪塚俊介)とも共演したことがあって、今回は息子と共演ですからね」

――愛流さんは角度によっては洋介さんとソックリですね。喋り方も似ていて

「そうそう、良く似ている。スタイルも似ていますよね。でも、普通に話していると子どものときのまんまだなって思うようなところもあって面白いですよね。これから先どういう風になっていくのかが楽しみだなって思います」

――柏原さんが最後に絞り出すように言うセリフが突き刺さりました

「僕も『おー、このセリフをここで言わせるんだ』って思いました。最初は台本に続きがあったと思うんですけど、今の状態になって非常にインパクトがあるなあって。

初号の試写の後、松井さんやみんなで飲んでいろいろな話をしました。まずは、1回撮影がストップしたこともあったので、『無事にできたのは本当にありがとう』みたいなこととか、『今後も舞台挨拶などでお世話になるとは思うけどよろしくね』という感じでした。

『柏原くん、良かったよ』って言ってくれたので、それだけでご褒美です。

褒められたなって。うれしかったです」

――いろいろなことをやっていらっしゃいますけど、今後はどのように?

「よく『本業は何なのですか?』って聞かれることもあるんですけど、特に何を本業にということは今となっては別に考えてなくて。限られた時間の中でできることは新たなことでも挑戦はしていきたいと思っていますけど、一番は役者のスケジュール。役者業のスケジュールは優先するという話はしています。

それで、役者の仕事が入ってないところでできることはやっていこうと。音楽の仕事もずっといろいろやらせてもらっていますけど、そこでまた演出という話になったらやるかもしれないし、全く関係ない新しいことを始めるかもしれないし…別にこうしようとは思っていないですね」

――スケジュール調整が大変そうですね

「でも、ライブがこの日にあるとなったら、それは動かせないじゃないですか。リハーサルの時間は動かせるけど、本番は動かせない。でも、僕もこれがあったからこの作品に出られなかったというのはいやなので、どういうスケジュールなのか、マネジャーと結構確認し合いながら調整していますね。

あと、今は『天野なつ』というシンガーのプロデュースもしているんですけど、そのライブで僕がギターを弾いたりもするので、そういうことがあると動かせないスケジュールになってくるから相談してという感じです。

他のことに関してはわりと自分で調整できるので。打ち合わせとかだったら『ちょっとリスケお願いします』とかもできるし、苺座のこととか、流動的にできるものは自分でやっている…という感じです。これからもいろいろなことをやっていきたいと思っていますけど、まずはこの映画を多くの人に見ていただきたいですね」

幅広いジャンルで活躍を続けている柏原さん。「浅草苺座」を開店するにあたっては、メニュー開発はもちろん、浅草に骨を埋めるつもりで引っ越したという。何事にも真摯に取り組む姿勢がカッコいい。(津島令子)

広告