20代の後半からイメージチェンジを図り、ロングヘアでフェロモン放つ大人の俳優として赤坂コルドンブルーでのレビュー、写真集、ドラマ、映画、舞台などで活躍してきた大沢逸美さん。時代劇や舞台への出演も多くなっていくが、その裏で人知れず多くの持病を抱え入退院を繰り返していたお母さまの壮絶な介護生活を送っていた。(この記事は全3回の後編。前編と中編は記事下のリンクからご覧になれます)
■オリジナルビデオ映画で殺し屋役に…フィリピンでの実弾射撃練習で自分の足を撃ちそうに
大人の色香を漂わせる俳優に転身した大沢さんは、セクシーな役柄も多くなっていく。1997年、映画「復讐 運命の訪問者」(黒沢清監督)に出演。この作品は、幼い頃に肉親を殺され、ひとり生き残った刑事(哀川翔)が、ある事件を通して犯人グループと出会い、復讐を遂げる様を描いたもの。大沢さんは、哀川さん演じる主人公の妻・冴子役を演じた。
「哀川さんとは『修羅がゆく5 広島代理戦争』(佐々木正人監督)でもご一緒させていただきました。役柄としては、復讐のために強硬な追及を続ける夫のせいでさらわれて殺されてしまうんですけど、楽しかったです」
同年、オリジナルビデオ映画「KILL〜キル〜」(佐々木浩久監督)に出演。この作品はかつてフィリピンで父親を殺された霧子(嶋村かおり)が殺し屋になり復讐を果たしていくさまを描いたもの。大沢さんは、霧子に殺しのテクニックを伝授する殺し屋・冴子役。
――ロングコートを颯爽(さっそう)と着こなして銃を撃つ姿がカッコ良かったです
「ありがとうございます。とても気持ち良かったです(笑)。フィリピンロケで実弾を撃つ練習にも行ったんですけど、衝撃と反動がすごかったです。気をつけないと反動で銃口が下を向いて足を撃っちゃうんです。銃を撃つポーズも練習して覚えるんですけど、あれは本当に気持ち良かったですね」
――フィリピンでのロケはどのくらいの期間だったのですか
「1カ月ぐらいです。私は行ったり来たりで2往復したのかな?マンゴーが美味しくて、毎日食べていたら1回唇が腫れて大変なことになっちゃったということもありましたけど、楽しかったことしか覚えてないです」
1998年にはオリジナルビデオ映画「AnotherXX<ダブルエックス>狂愛(ファナティック・ラブ)」(片岡修二監督)に主演。この作品は、囮(おとり)捜査を得意とする女性刑事と売れっ子男性作家へ迫るストーカーの恐怖を描いたもの。
人気作家・吉井賢一(四方堂亘)の馴染みのコールガールが次々殺害される事件が起こり、彼の恋人でもある秘書が犯人として逮捕されるが、捜査を進めるうちに衝撃の真相が明らかに…という展開。大沢さんは、事件の捜査にあたる主人公・加賀美英子刑事役を演じ、激しいラブシーンにも挑んだ。
この作品も昼帯『約束の夏』(フジテレビ系)の四方堂(亘)さんと共演で、刑事なのに実は犯人だったというのは楽しかったです。いろいろな役をやらせていただいてうれしいですね」
■演じることの面白さがわかってきたときに母に余命3カ月の宣告
1990年にお父さまが亡くなったことを機に、お母さまを北海道から東京に呼び寄せで一緒に暮らし始めるが、聴神経腫瘍(しゅよう)、白内障、糖尿病、リウマチなどさまざまな病気に苦しむお母さまは入退院を繰り返すことに。
「最初はテラスハウスを借りたのですが、母が転倒して病院に通うことになったために、もっと病院に近いところがいいということで、27歳のときに世田谷に一軒家を購入しました。入院してないときにも結構頻繁に病院に行っていたので。
お互いあまり干渉しなくていいように、1階が母のスペースで2階が私のスペースという風にして。母の枕元にはブザーを置いて、鳴ったらすぐに降りて行くようにしていました。でも、女二人ですからね。結構言い合ったりすることもありましたね。後で後悔するんですけど」
――仕事と介護の両立は大変だったでしょうね
「10年以上入退院を繰り返していましたからね。ひとり娘だから自分がちゃんとやらなくちゃいけないと思っていましたけど、仕事も忙しかったので、孤独を感じていたと思います。元気なときには、一緒に料理を作ったりもしていたんですけど、1988年以降は手術の連続でした」
糖尿病性腎症、白内障、リウマチ性関節炎、心因性反応、視力聴力極度低下、右大腿骨骨折、左顎下腺腫瘍摘出…さまざまな病を抱えていたお母さまの体調は、50歳を機にさらに悪化していく。そして、1998年、顎(あご)に悪性腫瘍が見つかり、余命3カ月の宣告を受けたという。
「余命宣告を受けたときはちょうど名古屋がメインの舞台の仕事が立て続けに入っていて。
お手伝いさんや近所の方にお願いするといっても、母は糖尿病で目がほとんど見えなくなっていましたから、どうしても人手がなくて舞台がはねてから車を運転して東京に帰ってきて母をお風呂に入れてまた名古屋までとんぼ帰りしたこともありました。
当時は若気の至りで何でもできちゃうと思っていて、別に名古屋と東京の往復ぐらいはへっちゃらさみたいな感じだったんですよね。でも、消え入りそうな声で電話がかかってきたこともあったので、気が気ではありませんでした。介護か仕事か…ジレンマに陥りました」
――1998年くらいだと、まだ介護の認定などが今ほど充実していなかった時代ですし、芸能人の方がプライベートな部分をあまり明かさないのが普通でしたね
「そうなんです。今は皆さんXとかインスタなどでプライベートなこともオープンにしていますけど、当時はまだSNSとかも広まってなかったですしね。介護認定に関してももどかしいことがいっぱいありました。
母は、2001年の秋から寝たきり状態になったので、トイレもお風呂も私の介助なしには用が足せなくなって。排泄(はいせつ)が間に合わず、ひとりで泣きながら片付けたこともありました。後半は仕事をセーブして介護をしていましたが、もっともっと何かできたのではないかと思うことはありますね」
2002年5月3日、お母さまが逝去。2003年、大沢さんは、「お母さん、ごめんね。」(アスキーコミュニケーションズ)を出版。約11年間に及ぶお母さまの介護生活が綴(つづ)られている。
「たまたまなんですけど、母がまだ存命の頃に、ひとりの女優の介護日誌みたいな本を出さないかというお話をいただいて、母もすごく喜んでいたんですけど、初めてなので、そうこうしている間に母の具合が悪化して亡くなってしまって」
――お母さまはいろんな思いをたくさん書いていらして、家中にあったそうですね
「はい。家中のいろんなところから見つかりました。ほとんど目が見えなくなってからもいろんな思いをチラシの裏とかカレンダーの裏などに書いていました。結局それが本のメインになったんですけど、母が亡くなって孤独感に苛まれて…母が書き残したものを見るのがつらい時期もありました。でも、生前口には出せなかった思いがいっぱい書かれていて、『あのとき母はこう思っていたんだ』と驚かされたこともたくさんあります。
不思議なもので、今、私も同じことをやっています。やっぱりチラシの裏にいろいろなことを書いています。チラシを4等分に切って、それをメモ帳にして、料理のレシピとかもそれに全部書いています」
――お料理もちゃんとされていたのですね
「はい。お料理は母のおかげでやるようになりました。母が糖尿病だったので、糖尿病食を作らなくちゃいけなかったんですよね」
――お母さまはいろいろなご病気を抱えていて大変でしたね
「本当にそうですね。リウマチの痛みもかなりひどくてつらそうでした。昔からの持病も多かったですけど、それ以外にも転倒して大腿骨を骨折したこともありました。骨粗鬆症(こつそしょうしょう)だったので。本当に満身創痍という感じでした。
母は2003年に亡くなったのですが、後半の介護をしている間は、仕事はちょっと休んでいるような感じでしたね」
――介護経験の講演もされているそうですね
「はい。特に参考になることではないかもしれないけど、いち経験者としてお話させていただいています。私も初めてのことだったので、わからないことばかりでしたから、みんな一緒だよというか、自分ひとりじゃないんだという思いを抱いていただければと思っています」
大沢さんは、ドラマ、映画、舞台で本格的に仕事を再開。2016年には「往復書簡〜十五年後の補習」(TBS系)に出演。このドラマは、中学生の頃にある事件に巻き込まれ、事件前後の記憶を失ってしまったOLが仕事で海外に赴任している恋人とエアメールを交わすうちに、かつての事件の真相に迫っていくさまを描いたもの。大沢さんは、15年前の事件の容疑者の疑いをかけられ、自ら死を選んだ少年の母親役を演じた。
――大沢さんが冒頭で殺害されるというショッキングなシーンで始まりました
「湊かなえさんが原作ですから凄まじい話でしたよね。殺されて焼かれちゃうという設定だったので、ドロドロになって帰りました。撮影現場まで車で行っていましたから油まみれになってしまって結構大変でした。遠かったんですよ。
でも、多岐川裕美さんとか、自分が特にテレビを見ていた時代の先輩とご一緒できるのはすごくうれしかったです。当たり前だと思ってやってきていたんですけど、何か今頃になって、すごく華やかなところで仕事をさせてもらっているんだなって思いました」
■芝居で鞭(むち)の指導に来たSMの女王に「スジがいい、店に来ない?客がつくよ」とスカウトされた
9月4日(木)〜9月8日(月)まで舞台「リア王2025」(三越劇場)に出演。原作はW・シェイクスピア。高齢のリア王が王位を退くにあたって、3人の娘たちに領地を分割して与えることに。長女と次女は言葉巧みに美辞麗句を並べるが、姉たちのようにお世辞を言わなかった三女にリア王は激怒して追放。しかし、長女と次女に裏切られ、流浪の身に…というお話。大沢さんは次女・リーガン役を演じる。
――昨年に続き、姉ゴネリルと結託して、父リア王を裏切り、厄介払いしようとする次女・リーガン役を演じることに
「はい。きつめの役ですね。舞台ではほとんどそういう役ばかりだったんです。これまでやってきた役は、眉毛がないとか白塗りとか、そういうコワモテの役だったので、今回は、見た目はオッケーって(笑)。あとはお芝居ですよね。
昨年はとにかくセリフを覚える、しっかり届けるということに必死でした。(演出の)横内(正)さんから、芝居云々じゃなく、まずは滑舌も含めてセリフを届けるということを言われていて。
それで一字一句間違えないでくださいって。やっぱりどうしても自分の言いやすいように言い換えてしまうときがあるじゃないですか。語尾とかね。『そうしましょう』というのを『そうしましょうね』という感じで。
細かい話ですけど、それぐらい許してもらえたりするんですけど、そういうことが全く許されない舞台があったんです。一字一句違えてはいけないという舞台を一度経験しているので、今回も原作に忠実な台本ですし、言い換えないように気をつけています」
――昨年も拝見させていただいたのですが、横内さんがすごく精力的ですよね。ご自身で演出されて主演も
「そうです。一番お元気なんですよね。大体みんな後半になってくるとだんだんゲッソリしてくるんですけど、横内さんは何も変わらない。すごいパワフルなんです」
――演出家の横内さんはどんな感じですか
「とても贅沢(ぜいたく)だなと思います。やっぱり役者さんとしての技術的なことを教えてくださるわけですよ。その声のトーンとかブレスとか、普通は教えてもらえないような内面的なこととか。
演出家の方から教えてもらうのとはちょっと違って、同じ俳優さんとしてだからわかることがあるじゃないですか。声の落とし方で。それを自分に直接じゃなくても、他の人にお芝居をつけているのを見ていても学ばせていただけるのでありがたいですよね。気づいてないことを教われることが。
それと同時にすごいなあと思って。主演俳優と演出家をやっているというだけじゃなく、年齢を重ねると声がちょっとかすれてきたりするじゃないですか。横内さんは84歳ですけど、声量豊かで全くかすれてないでしょう?それだけじゃなくパワーもすごいんです。
通し稽古は後半になると毎日2回ずつやるんですよ。若い人たちの方がみんなグッタリになるんですけど、横内さんは変わらない。それで、休み時間もおしゃべりしているので、休み時間にならないんですよ(笑)。声帯を休めるとかは関係ない。すごいですよね」
――同じ役を演じられる上で昨年と違うところは?
「昨年できなかったこと、もうちょっと深いところでのお芝居、自分の中での読解力というか理解した部分をお客さまにどう伝えるのか。リーガンは、お父さんに対しての態度とか、お姉さんに対しての態度はお芝居なので。せっかく2回目というチャンスをいただいたので、今回お芝居ということを勉強させていただいてしっかりセリフを届けようと」
――今お稽古の真っ最中ですが、手応えは?
「俳優さんが何人か変わっていますし、私はミュージカルシーンみたいなのもあって全く違うものになっていると思うので楽しみながらやっています。
今回の舞台『リア王2025』でお姉ちゃん役の一色(采子)さんが鞭を持つんですよ。その鞭をおととい私も持たせていただいたんですけど、私も昔鞭を持つ役をやったことがあるんですよ。
SMチックに鞭を使うというシーンがあって、SMの女王様が指導に来てくださったんですけど、『スジがいい』って褒められて。『秘密クラブに入りませんか?お客さんがつきますよ』ってスカウトされたことがあったなあって(笑)。
憧れの“緋牡丹お竜”みたいな役もやらせていただきましたし、どっちかというと強めのS的な役が多いですね。やりたいことをいっぱいやらせていただいています。変身願望が満たされますよね。やっぱり女優っていいなあって(笑)」
――今後はどのように?
「こういう劇が好きなので、いろいろ経験できればいいなとは思っています。やっぱりエンターテインメントが好きなので見てもらいたいですね。歌でもお芝居でも見せる喜びをずっと味わっていたいなって。歌手でデビューしているので、歌の方も縁があればまたお届けできればいいなって思っています」
「リア王2025」の舞台稽古もいよいよ大詰め。初日に向けて暑い日々が続く。(津島令子)




