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2025年9月5日 14:15

一色采子 華やかでセクシーなイメージが浸透、現代劇から時代劇まで幅広く活躍!偉大な日本画家である父のために8年間休業も…

一色采子 華やかでセクシーなイメージが浸透、現代劇から時代劇まで幅広く活躍!偉大な日本画家である父のために8年間休業も…
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俳優養成所に通い始めて1年目に菅原文太さん主演ドラマ「警視庁殺人課」(テレビ朝日系)で芸能界デビューし“シンデレラガール”と称された一色采子さん。ロングヘアをなびかせセクシーな雰囲気が話題となり、映画「ビー・バップ・ハイスクール」(那須博之監督)、映画「行き止まりの挽歌 ブレイクアウト」(村川透監督)、時代劇など多くの作品に出演。2004年にお母さまが逝去されると芸能活動を一時休業し、日本画家である父・大山忠作氏の創作活動を支えることに。現在、東京・三越劇場で舞台「リア王2025」(演出:横内正)に出演中。(この記事は全3回の中編。前編は、記事下のリンクからご覧になれます)

■セクシーな役どころが多くなって

「警視庁殺人課」に出演したことがきっかけで、ドラマ、時代劇、映画に出演することに。

「デビュー作の『警視庁殺人課』が大変だったでしょう?恵まれたデビューだったんだけど、いざ蓋(ふた)を開けたら大変で。ドラマのエージェントでもなかったから、その次の仕事になかなか繋(つな)がっていかなかったんです。

それでも『警視庁殺人課』のときの監督が2時間ドラマを撮るときに呼んでいただいたりして、それで細々と繋げていったという感じで。35歳になってもどうにもならなかったら辞めようと思っていたんですけど、ちょうど35歳ぐらいのときから少しずついいペースになってきたかなって。

それで今日になっているわけですから、台本を何冊か持ってやらせていただくというのは、何か夢が叶(かな)ったというか。やっとこうやって仕事ができるなっていう思いはありましたね」

1985年、映画「ビー・バップ・ハイスクール」(那須博之監督)に出演。この作品は、

二人のツッパリ男子高校生、ヒロシ(清水宏次朗)とトオル(仲村トオル)の学園生活と恋を描いたもの。一色さんは、ヒロシとトオルの弟分・兼子信雄の姉・晶子役を演じた。

――Hなことで頭がいっぱいの男子高校生たちの中に、綺麗で色っぽいお姉さんがいたら大変だろうなって

「何か唐突でしたよね(笑)。あれは本当に1ポイントで、2シーンぐらいしか出てないでしょう?だから、ストーリーもよくわかってなかったんですよね。

説明してくれたのは、そこのところだけだったから。『弟のところにこれを持って行って、このセリフを言ってください』としか言われてなくて。不良の子たちとずっと一緒にいたわけじゃないんですよね。

だから、清水宏次朗さんとか仲村トオルさんとか数人はわかるけど、それこそオーディションで選ばれた人たちが多かったので、わからなかったですね」

1988年、映画「行き止まりの挽歌ブレイクアウト」に出演。この作品は、アウトローな刑事・梶竜介(藤竜也)が殺人事件の黒幕に迫っていく様を描いたもの。一色さんは、梶の元妻でインテリアデザイナーの松尾冴子役を演じた。

「藤竜也さんがカッコ良かったですね。インテリアのデザインを頼まれて家具を輸入したらその中に覚せい剤が入れられていて。知らないうちに密輸の片棒を担がされていて、それをネタにまたやらされそうになってしまう。中条きよしさんがそれを仕組んだボスの役でね」

――藤竜也さんと濃厚なラブシーンもありましたね

「そうそう。村川(透)さんだから(撮り方が)しつこいんですけど、センスがありますからね。言われる通りにやっていました」

――ロングヘアと色っぽさが印象的で綺麗でした

「ありがとうございます。私はあまりこだわらないから、サバサバというか(笑)。監督が言ったら、『はい』と言ってやる。『それは違うと思います』とか言わないから(笑)」

――昔は、長時間中断して…ということがありましたよね

「そうそう。今はどうなのかわからないですけど、昔はよくいました。『ちょっと違うと思います』って始まって、長時間かかるから一旦全部照明を落としちゃうとかね。2時間くらい中断とか、その日はもう撮影が中止になることもありました」

1996年には「古畑任三郎」(フジテレビ系)に出演。一色さんは、推理作家・花見禄助(藤村俊二)の若い妻・常子役。花見の主治医・乾(草刈正雄)と不倫中。乾が妻の不倫相手だと知らない花見は乾に相談を持ち掛け、乾は花見に自殺したように装って妻の愛を確かめるのがいいと伝え、無理心中に見せかけて二人とも殺害する。

――乾先生に夫を殺害して一緒になろうと言われて信じていたのに、夫とともに殺されてしまう

「そう。悪い男ですよね。おヒョイ(藤村俊二)さんが『こんな若い嫁さんをもらうからいけないんだ』なんて自分で言っていました(笑)。殺されちゃうけど撮影は楽しかったです」

1997年には連続テレビ小説「あぐり」(NHK)に出演。この作品は、美容家として知られる吉行あぐりさん(吉行淳之介さんと吉行和子さんの母)の実話エッセイをモチーフにしたドラマ。一色さんは、あぐり(田中美里)の夫・エイスケ(野村萬斎)の父(里見浩太朗)に仕える使用人・アキ役を演じた。

――里見浩太朗さん演じるご主人が惑わされて舞い上がっていましたね

「そうですね。本人はそんなつもりもないんですけど、しょうがないですよね。設定がそうなんですから。そういう役柄が多くなりましたよね」

――役どころもそうですけど、芸名も華やかで印象的でしたね

「“一色彩子”って派手な名前でしたからね。自分ではイヤだったのよ(笑)。だから50歳になって私がちょっと休業しているときにちょうどいいやと思ってイメチェンがしたくて本名の“一色采子”に変えたんです。うちの父がホッとしていましたね。『居心地がいい名前になった』って(笑)」

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■トレードマークのロングヘアを切ってショートヘアに

2001年に『北アルプス山岳救助隊・柴門一鬼』シリーズ(テレビ東京系)が始まる。このドラマは、北アルプスとその周辺を舞台に、山岳救助隊を率いる救助隊長・柴門一鬼(高嶋政宏)がさまざまな事件を解決していく様を描いたもの。一色さんは、救助隊員・一色宏美役を演じた。

「このドラマは大好きだったので、休業期間中もこれだけはやらせていただいていました。1年に1本だったので」

――山でのシーンも多かったので、体力もかなり必要だったでしょうね

「はい。本当に山に登りますからね。空気が薄くなるほどの高いところまでは行かないんですけど、結構体力は必要でした。だから演技力はつかないけど、筋力はつきましたね(笑)」

――恋人を山で亡くした過去を持つという悲しい設定でした

「そうでしたね。あのドラマは、私が長かった髪を切った直後に決まったんです。ずっと長い髪だったのを切って、事務所に『着物の仕事とか、今までやっていた役ができなくなるじゃないですか』って言われて、『じゃあ、今までやってなかった役をやればいいじゃないですか』って言ったら、あのお話が来たんです。

だから、髪を切ってボーイッシュな感じになったので、ちょうど良かったんですよね。

そうしたらあのドラマがシリーズになって」

――それまで登山をされたことはあったのですか?

「なかったです。だからあのお話が来たときに、どうせ山で遭難するんだろうなと思って読んでいたら、助ける方だったの(笑)。それで視聴率が良かったので続編を作ろうということになってシリーズになったのでうれしかったですね。

俳優はからだ一つで登ればいいから、それだって大変なんですけど、スタッフは機材を持って登らなくちゃならないから本当に大変だったみたい。だから、業界では『あの作品にだけはつくな』と言われていたらしいですよ(笑)。

だけど、実際に山に上がって撮影すると、やっぱり平場で撮っているドラマとは違う絵が撮れるので、それがいいと言ってくださる方もたくさんいて視聴率も良かったんじゃないんですか。11本作られましたからね」

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■俳優を休業し、独りになった父の仕事を全力で支えることに

現代劇から時代劇まで幅広いジャンルの作品に出演していたが、お母さまが余命宣告されたことを機に仕事をセーブすることに。

「母ががんだということはわかっていたんですけど、自分は抗がん剤とかはしないと言っていて、私もそれでいいと思っていたんです。老人のがんなんてそんなに早く進行しないと思っていたんですけど、からだが動かなくなって。

そのときに余命が1、2カ月と言われたので、それだったら1、2カ月間、私は母といたいと思って仕事をちょっとセーブしたんですけど、それが半年。亡くなる3日前まで家でご飯

を食べていましたので、とてもいい時間だったんです。

2004年に母は亡くなったので仕事に戻ろうと思ったら、父がいたんですよ。元気な父が現役で。それで、私が女優をやるより、父の仕事のサポートをした方が文化的に価値があると思ってそうすることにしました」

――お父さまに言われたわけではないのですか?

「はい。仕事は母の看病のときからセーブしていたんですけど、うちの父が『こいつが売れない女優だから助かっていますよ』ってお客さまに言うのよ(笑)。私がずっと家にいて父のことをやっているから。

父は、私が仕事を断っているというか、入れないようにしているとは思っていないから、仕事がなくて家にいると思っていたのよね(笑)。

うちの父は筆だけ持っていられるようにしていたのが母なので、絵を描く以外のことをするという発想がなかったからしょうがないですよね。お茶を入れて、ご飯を作って…身の回りのことは全部やっていました」

――お仕事がしたいという思いはなかったですか?

「ちょうどもういいかなと思っていた時期でもあるかな。2時間ドラマとか1時間ドラマのゲストを年間20本くらいやっていたんですよね。

それで、『またこういう役だ』とか、2時間で7人死ぬとか…だんだん本が乱暴になってくるじゃないですか。そういうドラマを何本もやらせていただいて、もういいかなとちょっと思っていた時期でもあるので。結局8年ぐらい仕事はしていませんでした」

2009年、お父さまが逝去され、約200点の作品を(お父さまの)故郷・福島県二本松市に寄贈。「大山忠作美術館」を設立し、名誉館長をつとめることに。次回は俳優業再開、著書「一色采子のきものスタイルBOOK 母のタンス、娘のセンス」(世界文化社)、舞台「リア王2025」も紹介。(津島令子)

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