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2025年9月6日 07:00

【これまでの経歴】 「潮来笠」、「霧氷」… 昭和の心を歌った歌手・橋幸夫さん(82)死去、5月に事務所社長が認知症を公表

【これまでの経歴】 「潮来笠」、「霧氷」… 昭和の心を歌った歌手・橋幸夫さん(82)死去、5月に事務所社長が認知症を公表
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「潮来笠」「霧氷」「いつでも夢を」など多くのヒット曲で知られる歌手の橋幸夫さん(本名・橋幸男)が4日午後11時48分、亡くなりました。82歳でした。所属の夢グループが5日、発表しました。17歳でデビューし、闘病を続けながらもステージに復帰していた橋幸夫さんの歩みを振り返ります。

■ 10代でつかんだスターの切符

1943年5月3日 東京都荒川区で呉服屋の9人兄弟の末っ子として誕生

中学2年より歌を作曲家・遠藤実師に師事

高校1年でビクターエンタテインメントのオーディションに合格

■ 「潮来笠」の大ヒットでスター誕生

1960年7月 17歳、「潮来笠」でデビュー

1960年12月 日本レコード大賞・初の新人賞を受賞

1960年12月31日 第11回NHK紅白歌合戦に初出場

1962年12月 「いつでも夢を(橋幸夫/吉永小百合)」第4回日本レコード大賞を受賞

1965年 TV番組「そっくりショー」 われこそは橋幸夫、本人映像
1965年2月、TV番組「そっくりショー」 に本人として登場した橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)

1966年12月 「霧氷」第8回日本レコード大賞を受賞

1972年3月、公演「旅姿 木枯し紋次郎」に出演し、俳優への意欲的な挑戦をみせる橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)
1972年3月、公演「旅姿 木枯し紋次郎」に出演し、俳優への意欲的な挑戦をみせる橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)

舟木一夫氏、西郷輝彦氏らと共に「御三家」として人気を集めました

「御三家」。左から西郷輝彦、橋幸夫、舟木一夫の各氏 2000年8月撮影(提供 朝日新聞社)
「御三家」。左から西郷輝彦、橋幸夫、舟木一夫の各氏 2000年8月撮影(提供 朝日新聞社)
2004年6月、アテネ五輪聖火リレーで力走する橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)
2004年6月、アテネ五輪聖火リレーで力走する橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)

2005年7月、茨城・潮来市にある記念碑の前でファンの声援に応える橋幸夫さん

2005年7月、茨城・潮来市にある記念碑の前でファンの声援に応える橋幸夫さん

2012年 日本介助犬協会・介助犬サポート大使に就任

介助犬の利用者と話をする橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)
介助犬の利用者と話をする橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)

■ 認知症を公表、それでも舞台に立ち続けた

2022年 軽度のアルツハイマー型認知症と診断

2023年5月 歌手活動を一時引退

2024年4月 謝罪会見を開き、引退を撤回

歌手活動再開を発表する橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)
歌手活動再開を発表する橋幸夫さん(提供 朝日新聞社)

2024年12月 中等度のアルツハイマー型認知症と診断

2025年5月20日 所属事務所社長が病気を公表

2025年9月4日 肺炎のため都内の病院で死去。82歳でした

■ 紅白出場記録

1960年12月 NHK紅白歌合戦に初出場 1976年まで17回連続、実に計19回の出場を記録。

橋幸夫さんが紅白歌合戦で歌った曲を紹介します

1960年 11回 「潮来笠」
1961年 12回 「南海の美少年」
1962年 13回 「いつでも夢を」
1963年 14回 「お嬢吉三」
1964年 15回 「恋をするなら」
1965年 16回 「あの娘と僕」
1966年 17回 「霧氷」
1967年 18回 「若者の子守唄」
1968年 19回 「赤い夕陽の三度笠」
1969年 20回 「京都・神戸・銀座」
1970年 21回 「俺たちの花」
1971年 22回 「次郎長笠」
1972年 23回 「子連れ狼」
1973年 24回 「潮来笠」
1974年 25回 「沓掛時次郎」
1975年 26回 「木曾ぶし三度笠」
1976年 27回 「俺ら次郎長」
1990年 41回 「いつでも夢を」
1998年 51回 「いつでも夢を」
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