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2025年9月16日 14:17

東ちづる “極妻”で汚れ役に挑戦!真っ白なスーツが真っ赤な血に染まって…「一発勝負でした」

東ちづる “極妻”で汚れ役に挑戦!真っ白なスーツが真っ赤な血に染まって…「一発勝負でした」
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100本以上のドラマに主演し、俳優、司会、コメンテーター、講演、執筆、CM、プロデュ―サーなど多方面で活躍し著書も多数ある東ちづるさん。「お嫁さんにしたい女優No.1」、「猛獣使い」と称され大ブレイク。骨髄バンクやドイツ国際平和村など様々なボランティア活動を続けていることでも知られ、2012年、一般社団法人「Get in touch」を設立。エンタメを通じて誰も排除しない“まぜこぜの社会”を目指して活動している。(この記事は全3回の中編。前編は記事下のリンクからご覧になれます)

■汚れ役、悪役がやりたいとずっと思っていた

「金子信雄の楽しい夕食」(テレビ朝日系)、「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)など多くのバラエティー番組や情報番組に引っ張りだこになった東さんは、ドラマや映画にも出演。常に複数の台本を抱えている状態に。

1996年、「温泉若おかみの殺人推理」(テレビ朝日系)に主演。旅館経営者の息子である若旦那と結婚し、若女将となった主人公が事件を解決していく様を描いて人気を集め、シリーズ化されて30作放送された。

――「温泉若おかみの殺人推理」シリーズなど主演ドラマも多いですが、主演というプレッシャーは?

「それは責任感というか、やっぱり数字(視聴率)をとらないといけないというのはあります。でも、私は自分をよく見せようとか、自分以上になろうとか思っていないので、あまりそういうプレッシャーはないかも。

視聴率が出る前日はザワザワしますけれども、それもしょうがないと思っていますね。数字が良ければシリーズになって、また次に続いたりするので。なので、『これが最後かもしれない。今の時点で続編が確実にあるかは誰にもわからない』という覚悟で全力投球でした」

――幅広いジャンルに渡っているので、スケジュールを組むのが大変だったでしょうね

「結構重なっていました。2時間ドラマだと約2週間現場に滞在しますが、私はその間、何度も東京との往復でした」

同年、映画「必殺!主水死す!」(貞永方久監督)に出演。藤田まことさん演じる主人公・中村主水と不義を重ねる仕事人仲間のおけい役を演じた。

「ありがたいことにとてもいい役でした。でも、あのとき私は本当にスケジュールがなくて大変でした。本当はもっと腰を据えて取り組みたかったのですが、東京と京都を行ったり来たりしていました」

――「必殺」シリーズは照明が印象的で映像がきれいですね。仕事人仲間だった三田村邦彦さんとは、翌年映画「極道の妻たち 死んで貰います」(関本郁夫監督)でも共演されていますが、敵対する設定でしたね

「三田村さんは悪役でしたよね。といっても、全員悪い要素満載なんですけどね(笑)。あの映画の関本監督とは2時間ドラマで長年タッグを組ませてもらっていて、『東くんは汚れ役はやらへんよな?』と言われて、『やりたいです!』と応えたら『この役でキャスティングしてええか?』って相談されたんです」

――汚れ役とか悪役のイメージがなかったので驚きました

「そうなんでしょうね。私は今も悪役とか汚れ役にトライしたいですけどね。極妻は本当に面白かったです。(高島)礼子ちゃんと河原で壮絶に取っ組み合うシーンもあったし、得意の関西弁のセリフも新鮮でした」

――白いスーツが血まみれになって命を落とすシーンが記憶に残っています

「あのシーンは一発勝負でした。白いスーツはもう一着用意していたし、弾着(出血シーン用の服に仕込む装置)や血のりもありましたけど、テイク2はスタッフの皆さんも大変ですし、一発OKでホッとしましたが、監督からは『髪の毛をバッサーっと上にあげてくれ。絶対に下を向いて死ぬな。顔を上げたまま前に倒れてくれ』と念を押されていました」

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■テレビのドキュメンタリー番組がきっかけでボランティア活動

骨髄バンクやドイツ国際平和村など30年以上、さまざまなボランティア活動を続けてきた東さん。骨髄バンクが出来た1991年に17歳の白血病の少年のドキュメンタリー番組を見たことがきっかけで、骨髄バンクの啓発活動を始めたという。

1999年には、「世界ウルルン滞在記」(TBS系)で、ドイツの市民によって紛争や危機的状況にある地域の子どもたちを援助するため設立された「ドイツ国際平和村」を取材で訪れて以降、支援活動も続けている。

「ウルルンは若いタレントさんが長期ロケのリポートをします。私はすでに中堅でしたし、

解答者側でしたし、異例の稼働でした。ドイツのコーディネーターさんが、平和村をウルルンで取材してほしいと、長年かけてプレゼンしたらしいです。

制作としても取材したいという思いはあったそうです。でも、『若い人だと戦争で傷ついた子どもたちを目の当たりにして、ショックが大きくて泣いてしまって、支援実施は難しいのではないだろうか、すでに日本で社会活動をしている東さんなら何とかできるのでは』とオファーをいただきました。

10日間のロケなので、レギュラー仕事をどうするかなど、事務所と話し合って決断しました。

実は、私は以前からドイツには行きたかったんです。ドイツはボランティア先進国ですから、日本では活動しづらいことがドイツではスムーズにできている。それはなぜだろうという関心があったんです。

日本と同じ敗戦国で、ナチスという負の歴史がある。それで、ボランティアがあんなに先進していることを知りたいと思っていました。

それに、私は出身地の広島で平和教育という名の戦争教育をしっかり受けてきましたから。その当時起こっている戦争にももちろん関心はありましたが、詳しくは知り得ていませんでした。実際の平和村ではすごい衝撃を受けました。

そこで現実を知ってしまったので、平和村と繋(つな)がりながら支援し続けています。最初に平和村を訪れてから半年後ぐらいに番組で再訪したのですが、子どもたちの怪我(けが)の状態がさらに悲惨になっていました。

ほとんどの子どもが地雷や爆撃などの武器による怪我でしたが、化学兵器だろうと思われる症状が増えていきました。戦争のあり方が変化していっているんですよね。攻撃対象が無差別的に兵士以外の女性や子どもが被害者になっています。

ご存知のように、今も厳しい状況です。ガザ、ウクライナ、そしてアフガニスタンも大変なことになっています。ニュースでは伝わりづらい現実があります」

――平和村のスタッフの方が、「全員を連れてくるわけにいかないので、どの子どもを連れてくるかというのがものすごくつらい」とおっしゃっていましたね

「生きていけそうな子を選ばなければなりません。平和村スタッフの一番つらい活動です。

平和村に連れてこられない子どもたちがたくさんいるのです」

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■「組織」とか徒党を組むのは苦手だったが…

私生活では、1995年に出会った堀川恭資(やすし)さんと2003年に結婚。2010年、堀川さんが突然、原因不明の難病を発症し、一時は寝たきり状態になったという。

――おからだの方は大丈夫なのですか

「大丈夫ではありませんが、仕事はできているし、運転もできている。ゴルフもできているけれども、歩行困難者で車いすが必要なときが多くて。でも、もっと回復するとは思っていますけど、今は停滞かな。どうなるんだろう。脳神経の病気なので治療も対処も難しいそうです」

――東さんの献身的な介護、サポートが話題に

「婚姻の際に『病めるときも健やかなときも』と心に誓いましたから。お互いにその思いで

添い遂げる覚悟でしょうから。愛も様々な形に変化しますよね。友情とか同志、人生の同伴者だと思います。お互いに愛は大事にしていると思います」

2012年、東さんは、エンタメを通じて誰も排除しない“まぜこぜの社会”を目指す、一般社団法人「Get in touch」を立ち上げた。

「私はもともと組織とか徒党を組むというのが苦手でしたから、それまでは個人ボランティアとして、その都度支援団体や学校、企業、行政と繋がりながら活動していました。

でも、2011年の東日本大震災をきっかけに、福祉施設や支援団体、省庁、政治家、企業などを繋げて活動するエンターテインメント団体として、『Get in touch』を立ち上げました。

ただ、彼の症状が大変なときでしたし、反対されました。でも、『あなたのためでもある』と。難病患者や障害のある人、困っている人は、家族と医療と福祉に依存するしかないという現状はとても危ないんだと。

そこで力関係が生じてしまいがちなので。どんな状況でも自分らしく生きるためには社会がもっと成熟しなければならない。医療や福祉以外に依存できる、頼れる社会を目指す活動なんだと説明しますが、彼からしたら、私がもっと忙しくなって活動の責任が負担になるのでは…と心配だったんですよね。

なので、『私ひとりの負担にならないように団体を立ち上げるの。ひとりでの活動に限界を感じているからなの』と説得しました。

東日本大震災の被災地の避難所で支え合うことの難しさが露呈したので、普段から私たちは多様な人たちと暮らしているということを可視化、体現化できる活動にシフトしたくて、エンタメに決めました。

東日本大震災では、活動仲間や仲間の家族もお亡くなりになりました。とても辛い日々でした。その上、私たちのサービス業的なエンターテインメント活動も自粛ムードに。いろいろ考えさせられた時期でした。そして、私はエンターテインメントの力を信じたいと痛烈に思ったんです。

(エンタメを)自粛しても何も生まれないし、被災者の方は喜ばない。『被災した方々はかわいそうだから、楽しいことは後ろめたい』ではなくて、支援応援する方法を考えたい。エンタメを通じた生産活動をして、被災地に支援金や笑いを届けることも大切だと思うのです。

貧困な子どもを支援したいからと、支援者がひもじい思いをしなきゃいけないということはなく、例えば美味しい食事をしながら支援対策を話し合ってもいい。当事者にできないことがあるので、支援できる人ができることを模索するということが大事だと思っています。

そう考えて、誰も排除しない『まぜこぜの社会』を目指して、あらゆる組織や個人を繋げながらエンタメで活動する『Get in touch』を立ち上げました」

2021年には、東京2020オリンピック・パラリンピック公式プログラム映像作品「MAZEKOZE アイランドツアー」を総指揮。2024年、映画「まぜこぜ一座殺人事件〜まつりのあとのあとのまつり〜」(齊藤雄基監督)を企画・構成・プロデュース・出演(Amazonプライム他で配信中)するなどアートや音楽、ファッションなどの各種イベントを通じた幅広い活動を行っている。次回は撮影エピソード、2026年1月23日(金)に公開される映画「愛のごとく」も紹介。(津島令子)

ヘアメイク:島田万貴子

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