芸能生活61年目を迎えた歌手の小林幸子(71)が、NHK紅白歌合戦への復帰に意欲を見せている。
その一方で、出身地の新潟では過疎化対策と農業支援を目的とした「幸せプロジェクト」を立ち上げ、賛同した大相撲・立浪部屋とともに十日町市で魚沼産コシヒカリを使ったブランド米「越後情話」を生産。子ども食堂にも力を入れている。
このほど取材に応じた小林は「私の歌と、おいしいお米でみんなが笑顔になってほしい」と笑顔をみせた。
小林は2004年の中越地震を機に復興支援を始めた。06年からは被災した長岡市で米作りをスタート。「毎年、田植えや収穫の時は地元の小学生ら子どもたちが参加してくれました。20年続けてきて、ここ数年は農業支援という役割も出てきましたが、中越地震を忘れないでほしいという気持ちもある。これからも続けていきたい」と話した。
今後については「私にとっては歌は人生ですが、歌以外に何か出来ないかと思ってきました。そんな中で毎年、おいしいお米を作っているのだから、そのお米を子どもたちに食べて欲しいと思った」と、おととしからは子ども食堂の支援にも動き出した。
自ら提唱して発足した「幸せプロジェクト」には横綱・豊昇龍が所属する立浪部屋やお笑いタレントのコロッケらが賛同。その輪が広がっている。
先日には、埼玉・鶴ヶ島の子ども食堂「認定NPO法人カローレ」で、立浪部屋の力士3人も参加しての「ちゃんこ鍋交流会」が開催され、交流会には地域の子どもたちや保護者ら約100人が参加。小林は十日町市の「立浪部屋ファーム」で収穫したブランド米「越後情話」のおにぎりやちゃんこ鍋を振る舞った。
「越後情話」は1996年に発売した自身の作品から命名。「暑さなども多少の影響はあったかもしれない」と言うが「『越後情話』には問題がなかった」とし、交流会では支援米30キロの新米を提供した。
「豊昇龍と作った新米です。おいしい米を子どもたちに食べてもらおうと、力士が心を込めて作ったもの。私は歌うことが生業(なりわい)なので、みなさんには歌で笑顔になってもらいたいと思っていますが、おいしいお米を食べて、おなかがいっぱいになったら、子どもたちも、みんな笑顔になりますよね。一人でも多くの人の笑顔を届けられたらと思っています」。
その思いは年末の紅白歌合戦にもつながっている。
1964年に「ウソツキ鴎」でデビューして61年。「私にとっては歌は人生」と語る小林は、紅白には79年に初出場。91年から09年までは美川憲一との衣装対決が大きな話題となった。しかし、12年に落選してから13年が過ぎた。
小林自身は明言を避けているものの、周囲は「日本中に小林幸子の歌を聴きたいと言う声が多い」と、「紅白」カムバックの声援も高まっている。