
2011年、「高校生レストラン」(日本テレビ系)で俳優デビューした藤井武美さん。映画「桐島、部活やめるってよ」(吉田大八監督)、映画「悪の教典」(三池崇史監督)、日韓合作映画「風の色」(クァク・ジェヨン監督)「向かいのバズる家族」(日本テレビ系)などに出演。2024年にフリーとして活動を始めて最初に出演した映画「もしも脳梗塞になったなら」(太田隆文監督)が、12月20日(土)から新宿K’s cinemaほか全国順次公開になる。(この記事は全2回の後編。前編は記事下のリンクからご覧になれます)
■オーディションに受かったと聞いた瞬間「ヨッシャーッ!」

2018年、藤井さんは、日韓合作映画「風の色」に古川雄輝さんとW主演。映画「猟奇的な彼女」(主演:チョン・ジヒョン)、映画「僕の彼女はサイボーグ」(主演:綾瀬はるか、小出恵介)などで知られるクァク・ジェヨン監督が、北海道・知床と東京を舞台に、2組の男女の時空を超えた愛を幻想的に描いたこの作品で藤井さんは、約1万人の中からオーディションでヒロイン役に抜てきされて話題に。
東京で暮らす青年・涼(古川雄輝)は、突然、目の前から消えて亡くなった恋人ゆり(藤井武美)が生前言っていた彼女の言葉に導かれるように北海道へ向かう。その旅の途中で涼は、ゆりと瓜二つの女性・亜矢(藤井武美)と出会う。亜矢もまた、涼にそっくりな天才マジシャンで2年前の事故で行方不明になった恋人・隆(古川雄輝)との再会を願っていた…。
――オーディションに約1万人も応募されていたことはご存知でした?
「はい。知っていました。でも、毎回オーディションを受ける時は、受かると思ってやるしかないので、『今回も絶対受かる!』という気持ちで挑んだら、マネジャーさんから連絡が来て。台本に『藤井武美』と書いてあったので、『来たー!ヨッシャーッ!』みたいな感じでした(笑)。嬉しくて、その時に泣いた記憶があります」
――二役で難しい役どころでしたね
「本当に難しかったです。リハーサルはそんなに重ねなかったんですけど、監督の撮影前の準備がとても綿密で。そこに参加させてもらっていたので、いざ現場に入るとなった時の緊張というか、そういうのがあまりなく、すんなり役にそのまま入ることができました。
北海道と東京で撮影したのですが、スタッフチームも過半数は韓国のスタッフチームだったので、そこもいつもとは違う空気感で楽しかったです」
――現場では、監督は韓国語で通訳が入っていたのですか?
「そうです。通訳の方がいらっしゃって。監督と通訳さんの相性って、すごく大事なんだなと思いました。訳し方によっては監督の言いたいことが伝わらないので、何回か通訳の方を変えていました。
でも、監督には、言葉が通じないからこそ、何か心が動くもので通じ合いたいという考えもあったみたいです。『このシーンの撮影に入る前に、この曲を聴いてくれ』と言われて、そのシーンに合うような曲をいただいて、それを聞きながら撮影まで待つとか、そういうことはすごく多かったですね。細かい指示はあまりなかったですね」
――オーディションを受ける時に「猟奇的な彼女」や「僕の彼女はサイボーグ」の監督だということは知っていました?
「はい。どちらも見ていたのでもちろん知っていました。クァク監督が日本でもう1回撮るんだと知って、その作品に自分が出られたら最高だなって思ってオーディションを受けることにしました」
――監督が藤井さんのことを「いつまでも私をドキドキさせた、探していた女優」とおっしゃっていたと聞きました
「とてもありがたかったです(笑)。クァク監督にそう言っていただけたことは自信にもなりました。ヒロイン役というのは初めだったので、ヒロインの居方とか、周囲の方々への配慮とか、そういう部分をたくさん監督に教えていただいて、自分の中で『藤井武美、もっと頑張らなきゃ!』って思った作品です」
■自分の撮影がクランクアップしても現場に

日韓のスタッフが混合の撮影現場で、最初は言語が違うことでコミュニケーションに不安もあったものの、そんな心配はすぐに消え去ったという。
「現場の雰囲気とか空気感は、邦画と違ったところもあれば一緒だったところもあるんですけど、チーム力みたいな所はすごく感じました。お昼ご飯も必ずみんなで一緒に食べて、キムチを絶対テーブルに置いてみんなで囲みながら食べるとか、やっぱりそういうところで団結するものもあったのかなって思います。
みんなでご飯に行くという回数もめちゃくちゃ多かったです。でも、プロフェッショナルなところは日本映画と全然変わるところはなくて、俳優部は俳優部でやることがあって、それぞれがこの作品を良くするために…という気持ちで向き合っていました」
――二役を演じたわけですが、ご自身の中で切り替えはどのように?
「メイクと衣装がそれぞれ全く違っていたので、本当に役作りの助けになったなって思います。その違い、どういう芝居をしていくのかということについて監督と結構話した記憶はあります。なので、現場に入ってからそんなに苦労するということはなかったです」
――真冬の北海道での撮影でしたね
「はい。めちゃくちゃ寒かったです。流氷の時は特に。古川さんもその気温の中、海に飛び込んだりしていましたし、スタッフチームも本当に大変だったと思います」
――撮り終わった時、燃え尽き症候群みたいにならなかったですか?
「なりました。自分の撮影が終わった時に、『やりきったんだ。自分頑張った!』というのが一番にあって。『お疲れさま』って監督に言われた時は、涙が止まらなくなってしまいました。
家に帰った後も、監督やスタッフチームみんなの顔が浮か
んできて、みんなに会いたくなって。私は古川さんより早めにクランクアップしたんですけど、みんなに会いたすぎて古川さんの撮影現場に遊びに行っちゃったりしていました。そういうこともありましたね」
――本当にいいチームだったのですね。藤井さんにとって大きな意味を持つ作品に
「はい。私自身、もともと性格的にも前に出るような性格ではなかったですし、自信ってどうやってつくんだろうってずっと考えていて。10代でお芝居をやらせてもらった時から、『武美ちゃんのお芝居すてき』って言われても、『本当に?』って思うことがずっとあったんです。
でも、いろんな作品に携わっていくうちに少しは自信がつくんですけど、『私でいいのかな?』とか、そういうマイナスな考えが出てきてしまっていたんですよね、ずっと。でも、『風の色』をやった時に、やっぱりヒロインとしてブレてはいけないし、そういう居方みたいなのは経験として自信に繋(つな)がったというか。
周りを引っ張っていかなきゃいけない現場を経験したことが今の自分にとっても自信と経験になる作品だったかなと思います。今でも『風の色』のことはよく思い出しますし、『あの時にやれたんだから大丈夫!』って自分に言い聞かせたりすることがあります」
■脳梗塞を発症した監督の実話がベースの映画に出演

12月20日(土)に公開される映画「もしも脳梗塞になったなら」に出演。この作品は、映画「朝日のあたる家」や映画「向日葵の丘 1983年・夏」で知られる太田隆文監督が自身の脳梗塞の闘病体験を映画化したもの。
何年も休まず7人分の仕事をこなしてきた映画監督の大瀧隆太郎(窪塚俊介)が脳梗塞を発症。心臓機能は危険値、両目とも半分失明、記憶力は低下、文字が読めず言葉が出ない。しかし、友人たちには理解されず、ネット友だちからは障がいを背負った者の気持ちが分からず、無神経なアドバイスが。そんな中で隆太郎は仕事に追われて忘れていた大切なことに気づくことに…。藤井さんは、隆太郎の妹役で出演。ナレーションも担当している。
「太田さんの作品にもう1回参加できる、もう1回呼んでくださったという嬉しさが一番にあって。太田さんの前の作品にお声をかけていただいたのにスケジュールが合わなくて…ということもあったみたいですけど、それでも今回またお声をかけてくださったということが嬉しかったです。
私がフリーになって1発目の現場でした。フリーになって自分の気持ちもリフレッシュできた状態で参加させてもらったので芝居が楽しいって本当に思いました」
――今回は、ナレーションも担当されていますね
「これは急だったんですけど、ナレーションのお仕事もしてみたいとずっと思っていたので嬉しかったです。ナレーションは初めてでしたけど、ガッツリ分量がありました。それから急遽(きゅうきょ)ブログに書かれている文章の声もやってほしいと言われて。『君ならイケる』みたいな(笑)。もうやるしかないですよね。それで、声を変えてやりました」
――藤井さんは、監督が脳梗塞になったことはご存知だったのですか?
「知りませんでした。台本を読むと監督のことだとわかる内容だったので、もしかして…と思いましたけど、そこまで聞いていいのかなって。でも、直接お会いした時にお話をさせていただいたら、『そうなんだよ。で、身近にいる妹役を武美さんにやってほしかった』と言ってくださったので、すごく嬉しかったです。
事前にいろいろ教えていただきました。メンタルがきつかったとおっしゃっていて。いきなりだったし、そのもどかしさと向き合い方が最初は難しかったって。病気になる前は普通にできていたことができない。友人たちにすらそのことをわかってもらえず、友人たちは良かれと思って傷つくことを言う。きつかったと思います」
――そんな中、藤井さん演じる妹さんはしっかり支えてあげて
「はい。監督的には(主人公である)お兄ちゃんとの差というか、色を出してほしいと言われていたので、そこはちょっと意識してやりました」
――お兄ちゃんが反面教師という感じで
「そうですね。本当に。お兄ちゃんのことを心配して、あえてきつい言葉を使っているとか、そういう内面のところはすごく大切にしていました。
監督も『「こういうお兄ちゃんがいてどうなの?」って思うかもしれないけど、それでも家族で、やっぱりお兄ちゃんのからだが心配で、ちゃんと愛がある言葉でセリフを伝えてほしい』ということはお話をしていただいていたので、そこを一番大切にしました」
――いつ返してもらえるかわからないのにお金も貸してあげたりして支えてあげて
「『私の旦那は映画監督じゃないから大丈夫』って(笑)。その言葉にすごく愛があるなと思いました。それをお兄ちゃんに言えることが。その加減が難しかったですけど、窪塚さんと現場でフランクにお話もさせていただいていたので自然にその空気感が生まれたというか。すごく助けていただきました」
――病気を発症した人への公的な支援について初めて知ることがいろいろありました
「そうですよね。この作品を見てわかることもたくさんあると思います。やっぱり知らない人が多いと思うので。監督は、自分の体験を映画にすることで、脳梗塞を発症した本人もですが、家族や友人はどうしたらいいのか役に立つはずだと。『病気を経験したことで知った人生に大切なことをこの映画で伝えたい』とおっしゃっていました」
――病気で苦しんでいる人にもひどいメッセージを送って来る人がいるんですね
「あれは多分監督の実体験だと思います。SNSの良いところと悪いところが出ていますよね。知らなかった公的な支援などの情報を教えてくれる人もいるけど、デマや罵詈(ばり)雑言も送られて来る。監督もメンタルがしんどかったんだろうなって思いました」
――シリアスな内容ですけど、軽妙なタッチで作っていますね
「そうですね。監督ご自身が100パーセント元には戻らないということを知っていて、病気を抱えながら生きていかなきゃいけない部分があるんですけど、だからと言ってその部分を全面に出しているわけではないので見やすい作品になっていると思います」
――今後はどのように?
「フリーになって1発目の現場で、改めて映画って楽しいという気持ちにさせていただいた作品が公開されるのは嬉しいなって思っています。
事務所に所属している時も楽しくやらせてもらっていたんですけど、うまくいかない時もあったし、お芝居なんか嫌だって思った時もありました。でも、1回フリーになってみると、ちゃんと自分で息ができている、お芝居を楽しもうと思えているという感覚が今すごくあって。フリーになってもお仕事の話をいただけることがありがたいなって。
これからも変わらずですけど、いただいたお仕事に全力で“藤井武美”という人物をちゃんと芝居を通して伝えられるようになりたいと思っています。今は夢の方が大きいかな。今、すごく楽しいです」
心機一転、新たなスタートを切った藤井武美さん。今回は俳優としてだけでなく、ナレーションとブログの声で念願だった声の仕事にもチャレンジ。今後の活躍も楽しみ。(津島令子)
ヘアメイク:ビューティ★佐口(OFFICE BEAUTY)