9月19日、東京・北区の自宅マンションが火災にあったタレントの林家ペー(83)。自宅全焼から1カ月。『ABEMA エンタメ』の密着企画「NO MAKE」が林家ペーの心境と焼け残ったモノの整理に密着した。
10月22日、赤羽。トレードマークのピンクの衣装で現れた林家ペー。火災後、立ち直りきっていないため、今回の取材を受けるか迷っていた。
自宅での取材はこれで最後。そして、火事現場での撮影は15分という約束のもと、取材に応じてくれた。
「これはマツコ・デラックスさんにもらった電子レンジ」

全焼してしまった赤羽の自宅は“終の棲家”にする予定だったという。火災後の自宅に行くのはこの日で4回目。今回の目的は以前は1万枚もあったという写真の整理だという。
林家ペー・パー子夫妻の代名詞である「写真」。家で大量に保管していた往年のスターや共演者との思い出を探し出し、倉庫に移動させる。
部屋に入ると強い臭いが鼻をつく。
林家ペー「当初は水浸しだったの。今は1カ月経って多少は濡れていない。(黒焦げになったボードを指して)これ全部写真よ。全部燃えちゃったのね」
火災から1カ月。2人とも高齢ということもあり、後片付けがなかなか進んでいない。
林家ペー「これはマツコ・デラックスさんにもらった電子レンジ。マツコさんと知り合ったのは『月曜から夜ふかし』。マツコさんの愛するお母さんが亡くなってお花を御仏前に届けたのよ。(電子レンジは)そのお礼にくれた」
火災が発覚したのは9月19日の午後1時ごろ。目撃者から「黒い煙が出ている」と通報があり、ポンプ車など29台が出動する事態に。30平方メートルほどが焼けたが、およそ2時間で火はほぼ消し止められた。
その日、林家ペーは法事で外出。家にいたのはパー子だけだったという。
林家ペー「ここに古いコードがあって、漏電がきっかけここから。だんだん最初のショックは薄れてはくるけどね。夢であってほしいなって。たった1日でね、ショックでしたね」
パー子は指にやけどをしたものの大きなケガはなかったというが、家財のほとんどが焼けてしまった。
「100%タクシーに乗ってた。近所に買い物行くだけでも往復2500円」

焼け跡から写真を発見。安堵した表情を浮かべる林家ペー。思い出話が自然とこぼれる。
林家ペー「うわー、いろいろ写真残ってた。キダ・タローさん。有田さん。いやー嬉しいですね。マツコさん。これ持って帰るね」
火災を免れた記憶のかけらを、月々7万円で契約しているという自宅下の倉庫に運び入れた。 林家ペー「こんな経験まるで初めてです。誰だってそうですよね。周りへの対応、それは反省しきりですね。マンションだから被害を被った人たちがいる」
燃えた自宅は、パー子の兄が購入した分譲マンション。家賃を払う形で住み、義理の兄が亡くなったあとに相続した。名義が変わったタイミングで火災保険の再加入が必要だったが、未加入のまま暮らしていた。
━━一番迷惑をかけたのは下の階の方?
林家ペー「そう。水が溢れて引っ越された。リフォームも。(火災後は)気が動転して、寝る場所がないから人が紹介してくれた赤羽の駅の東横インへ。そこで泊まったけど対応の遅さを林家たい平師匠に怒られてね」
火災保険に入っていなかったため、マンション住民への賠償と焼けた家のリフォームで多額の費用がかかることになった。しかし、頼れる貯金はほとんどない。
林家ペー「最高の時は2人で(年収)3000万円。脳天気なのかなうちは。いろいろ使ったりして。(移動は)100%タクシーに乗ってた。近所に買い物行くだけでも往復2500円よ。そういう生活をしてたのよ。それがなかなか厳しくなってバスに乗ったりして」
生涯現役を掲げてきた2人は、貯蓄を意識せずに暮らしてきたそう。火災というまさかの事態に見舞われた熟年夫婦に手を差し伸べたのが…
林家ペー「たい平師匠や郷ひろみさん、マツコ・デラックスさん、松本明子ちゃんや松村邦洋くん。そういう人たちにお金をいただいた。今はいろんな方から仕事をいただいている」
共演者からの支援もあり、金銭面での不安は少しずつ解消されているという。
周囲からの助けも受け、今は2人で家賃10万円の一軒家で暮らしている。
火災から1カ月。新たに住む場所を決め、賠償にも向き合い、ようやく止まっていた時が動き出した2人。これからは…
林家ペー「老夫婦ですが現役で頑張る。頑張らざるを得ない。死ぬまでやらないとお金返さないとね。『ペー・パー』だけに『かみさま』がついている…あんまウケなかった。『かみ』違い」
(『ABEMA NEWS』より)
