デビュー2年目に武道館公演も行った伝説のロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとして人気を集めたダイアモンド☆ユカイさん。人気絶頂の中、1989年に解散、翌年には「I’M THE BEST -世界の女は俺のもの-」でソロデビュー。1996年には、SABU監督デビュー映画「弾丸ランナー」に出演。ミュージシャンとしてだけでなく、俳優、声優、ナレーター、タレントとして活動の場を広げていく。11月14日(金)には、構想・ストーリー・音楽すべてに関わった主演ロックミュージカル「劇場版 ロッキンミュージカル シン・シャドウブラウン&ブラックパイレーツの冒険」の公開が控えている。(この記事は全3回の中編。前編は記事下のリンクからご覧になれます)
■ソロになってズレまくった異端な存在に
ユカイさんは、1990年、「I’M THE BEST -世界の女は俺のもの-」でソロデビューし、ソロで活動を始める。最初は、これで自分が好きなことを勝手にできるのかと思っていたものの、実際に始めてみると、ソロの方が大変だったという。
「求められるものも多いし、自分で何でもやろうとしちゃったんだよね。曲も作るし、アレンジもするし、プロデュースも考える。全部自分でやろう、それがソロだと思っていたんだけど、やってみると大きな勘違いだよね。俺は実は、不器用だった人なんだよね。曲作ってるだけで時間がなくなるし、プロデュースなんか金勘定が全くわからないし、ソロって大変だなって(笑)」
――ソロデビュー曲「I’M THE BEST -世界の女は俺のもの-」はイメージがピッタリだなって思いました
「おめでたい感じの一点突破。ともかく、このダイアモンド☆ユカイという存在で突き抜けたね。『RED WARRIORS』だと、もうちょっと研ぎ澄まされたロックの鎧みたいなのを着ているわけじゃない。もっときらびやかなさ。
でも、ソロになってハリウッドスターじゃないけど、きらびやかな憧れた世界をもっとダイアモンド☆ユカイとして表現できる。『どうだ!』みたいな感じでやっていたんだけど、日本のエンターテインメントとはズレまくっていたっていう感じだったよね、当時は」
――華やかでインパクトがありました
「でも、当時はまだそれこそ芸能界は歌謡の全盛の時代だったから、異端な感じだったんじゃない。いろんなことをやったね」
1996年には、映画「弾丸ランナー」(SABU監督)に出演。この作品は、ひょんなことから追いつ追われつのランニング・デッドヒートを繰り広げることになった、3人の男たちの奇妙な関係を描いたもの。
ユカイさんが演じたのは、ミュージシャンを目指すコンビニ店員で覚せい剤中毒の相沢。
そのコンビニに、冴えない人生から飛び出そうと銀行強盗を計画した安田(田口トモロヲ)が偶然立ち寄り、成り行きで発砲されたことで逆上し、どこまでも追いかける。そして2人に遭遇したヤクザの武田(堤真一)も自ら走り出すことに…という展開。
――スピード感があってパワフルな作品でしたね
「あれは走っているだけだからね(笑)。でも、今思うと大変だった。堤真一さんと田口トモロヲさん。あの2人は名優になっちゃったね。そういう名優と一緒に出られたというのは良かった。ある意味ですごいカルトムービーだよ、あれは」
――ミュージシャンの方はあまり肉体派というイメージがなかったので、ユカイさんがすごく新鮮でした
「あれはSABU監督の1作目でさ。今思うと発想が見事だったよね。 デビュー作だし、監督の思いがすごく詰まっているんだろうなって感じだけど、かなり炸裂(さくれつ)した映画だった」
――ユカイさんが出演されることになったのは?
「『ユカイさんの役を考えました』っていきなり言われて。その時はSABU監督がまだそんなに有名じゃなかった。役者としてはやっていたけどね。監督デビュー作だからさ、SABUがいい監督になるかどうかというのは、誰も知らないわけで、そんな中で始めた映画だったけど面白かったよね」
■バラエティー番組に出るのはイヤだった?
ミュージシャンとしてはもちろん、俳優として映画に出演。さらにタレントとしてバラエティー番組に出演することに。
「勘違いしていたよね。いつも新しい刺激あるとやりたくなってファンが求めるものとも離れ、スタッフや周りから人がいなくなっていって。気が付いたらひとりぼっちになっていた。
でも、またいろんな人たちが協力してくれるからさ、ライブとかもやっていたんだけど、本当に好き勝手やってきちゃったからそれでも良かったんだよね。やっぱり音楽をやって自分を表現していくことが一番楽しいっていうか、そこが自分の核だからね。
気がついたらライブハウスでこじんまりとライブやっていたわけ。そうしたら『役者でもやりませんか?』みたいなことを言われてさ。ちょうど離婚した後で、40過ぎていたね。
それで、もう40過ぎているし、前に『弾丸ランナー』で一緒だった田口トモロヲさんとか寺島進さんとかさ、40過ぎでもいい役者がいっぱい出てきてさ。いろいろ経験してきたし俺もいい役者になれるかもしれねえな…みたいなね(笑)。
それで、やってみようって思っていたら、マネジャーが『仕事が入りました』と言って、行ったら『踊るさんま御殿!!』(日本テレビ系)だったんだよ。
それまでちゃんと見たことなかった。付き合っていた女の子たちが出たりしていたから事前アンケートを手伝ってあげたことはあるよ。『こういうことを書いたら面白いんじゃねえの?』って。
まさか自分が出るとは思わなかったね。でも、決まっちゃったっていうからさ、とりあえず1回だけ出て、あとはいいやって思っていたんだよ。そうしたら、さんまさんがうまくいじってくれたから、どんどん仕事が入っちゃってさ。一時期は、バラエティーの人になっちゃったよ(笑)。
バラエティーはイヤだというよりは、自分の中にはないものだったんだよね。欧米のエンターテインメントみたいなのに憧れちゃっていたから、『サタデー・ナイト・ライブ』(アメリカNBC)を見て、このセンスがカッコいいって思っていて。
デビューしてから日本の番組をあまり見てなかったんだよ。今はまた別だけど、当時は日本のエンターテインメント自体が、『何かだせえな』って思っていてイヤだった。
それで、アメリカだ…みたいなスタイルでやっていたんだけど、アメリカンスタイルでも何でもなくて、ただズレまくっている感じ。自分だけの世界の中で生きている感じで、しばらく自分本位でやっていたってことだよね」
■無精子症だと判明し不妊治療を受けることに
私生活では2009年に一般女性と再婚。温かいファミリーを築こうと考えていたところ「閉塞性無精子症」であることが判明し、不妊治療を受けて2男1女に恵まれたことを公表。不妊治療の詳細と出産秘話を記した著書「タネナシ。」(講談社)を出版するなど男性不妊治療の啓発活動も熱心に行っている。
「ファミリーを作る」ということを共通の目標に掲げていたお二人は、不妊外来クリニックで検査を受け、ユカイさんが再検査を受けることに。その結果、「閉塞性無精子症」という精路通過障がいで、精子は作られているが精管に何らかの問題があるため、うまく精子が運ばれない状態だと言われたという。
――ユカイさんの状態でも無精子症と言うのですね
「そう。精子がないわけじゃないじゃないんだけど、精管を通ってこられないから表に出てくることができない」
――不妊というと女性に原因があると言われがちでしたが、ユカイさんが公表されたことで男性に原因がある場合もということも知られることに
「昔からね、多々あったよね。男のほうに原因があるとはあまり思われてなかったからね。俺だってまさか自分に原因があるとは思ってもいなかったからね。徐々に広まっていったよ。時代も変わっていって。
育児もそうだけど、男性不妊、『タネナシ。』という本を2011年に出して、せっかく出したんだから、いろんな番組で扱ってもらおうと思ったんだけど、当時は敬遠されていた。そういった類のものはなかなかデリケートだから…という感じで。
検査も大変だったんだよ。精巣の生体検査というのをやるんだけど、睾丸の組織の一部を切り取って精子の有無を調べるの。メスで開いて注射針を刺して組織を採取するんだよ。聞いただけで嫌になるよね。怖いじゃん。
この検査で精子が見つかると凍結保存しておいて、妻のからだから取り出した卵子と顕微授精するということになるんだけどね。必ずしもうまくいくとは限らないし、うちらは何度も失敗して、もう本当に諦めようって思っていた。
2年くらいかかったかな。何とか授かることができたから本を書くこともできたんだけど、ただ、子どもが出来て良かった、良かったという本にはしたくないなと思って。いろいろ葛藤もあったし、勉強したこともいっぱいあるからね。
『タネナシ。』というタイトルだけど、苦労した話を延々と赤裸々に書くよりも人生って楽しいと思えるようにと思ってさ。つらいことも後から振り返ると漫画みたいだったりするじゃない。そんな感覚で気軽に読めるようなのを作りたいなと思った」
――想像するだけで恐いですが、勇気ありますね
「歯医者でも、麻酔はそんなに痛くないじゃない。最初はチクッとするけどね。でも、男の場合は、女性よりも弱いというか、恐怖感の方が強いんだよ。急所にメスとか、注射を刺すというだけで、その恐怖感でやられちゃうというか(笑)」
――でも、ちゃんとやられたわけですからすごいですね
「ちゃんとやったというのか、逃げ場がなかったということなのか。もうしょうがねえやと思って(笑)。検査も大変だけど、体外受精も大変。不妊治療は、金銭的にも精神的にも肉体的にも大変だよ。女性のほうが比べものにならないほど負担が大きくて大変だけどね。
ただ、いろいろ大変なこともあったけど、運と縁もあって子どもを授かることができた。単に『授かる・授からない』ということじゃなくて、こんな男性不妊の葛藤の日々が少しでも参考になったらなぁと思ってね」
2010年に長女・新菜(にいな)さんが誕生。2011年には双子の頼音(ライオン)さんと匠音(ショーン)さんが誕生。新菜さんは、アーティスティックスイミング(旧・シンクロナイズドスイミング)のジュニアオリンピックで、団体とソロで金・銀メダルを獲得。
15歳になった現在はオリンピックを目指して大阪で母親と暮らし練習に励む毎日。ユカイさんは息子さんたちと暮らしている。次回はお子さんたちの誕生、11月14日(金)に公開される主演ロックミュージカル「劇場版 ロッキンミュージカル シン・シャドウブラウン&ブラックパイレーツの冒険」も紹介。(津島令子)




