伝説のロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとして人気を博し、ミュージシャン、俳優、タレント、作家、書家とマルチに活躍しているダイアモンド☆ユカイさん。不妊治療を経て3児のパパに。著書「タネナシ。」(講談社)、「育爺。」(講談社)を出版するなど男性不妊治療の啓発活動も熱心に行っている。11月14日(金)には、構想・ストーリー・音楽すべてに関わった主演ロックミュージカル「劇場版 ロッキンミュージカル シン・シャドウブラウン&ブラックパイレーツの冒険」が公開される。(この記事は全3回の後編。前編と中編は記事下のリンクからご覧になれます)
■諦めかけていた体外受精最後の挑戦で…
2009年に再婚したユカイさんは、「閉塞性無精子症」と診断され不妊治療に取り組むことに。睾丸の組織の一部を切り取って注射針で採取した精子と奥さまから採取した卵子を顕微授精し、着床した受精卵を奥さまの体内に戻すという体外受精を2回試みたものの失敗に終わりショックが大きかったという。3度目の挑戦は北九州の病院で受けることに。
「必ずしもうまくいくとは限らないし、金銭的、精神的、肉体的な負担も大きい。もう本当に諦めようって思っていたんだけど、妻がインターネットでいろいろ調べてさ。どうせなら男性不妊の日本で一番といわれている病院で挑戦したいって。うちの妻はリサーチ魔なんだよね。
北九州の病院だと聞いて驚いたけど、最後の挑戦になるなら、やれる限り最高のことをしようと思って行くことに。またメスを入れて精子を取り出し、採卵、体外受精は北九州でやらなきゃいけないけど、その後の検診は東京の病院を紹介してくれるというからさ」
仕事のスケジュールを調整して北九州に行ったユカイさんと奥さまは体外受精が成功し、2010年、長女・新菜(にいな)さんが誕生。将来は世界を股にかけるインターナショナルな女性になってほしいという願いをこめて名付けたという。2011年には双子の頼音(ライオン)さんと匠音(ショーン)さんが誕生した。
「娘が生まれた時、俺は47歳で妻が37歳だったんだけど、妻が娘にきょうだいを作ってあげたいと言って。俺はひとりっ子で、兄弟がいたらいいなって思っていたしね。それに今度は、前回体外受精を行った際にできた冷凍保存してある受精卵を使うから、メスを入れて精子を取り出す必要はないって言われてホッとしたよ。
体外受精で受精卵を子宮に戻す際は、着床率を高めるために複数個戻すことがあるんだって。娘の時には2個の受精卵を戻したうちのひとつが着床して授かることができたから、2度目のチャレンジでも二つの受精卵を戻すことにしたら二つとも着床して双子のパパに。人生何がおきるかわからないよね」
――新菜さんは本当にパパっ子で
「そうなんだよね。次の年に双子が生まれたということがあって、妻がやっぱり双子にかかりっきりになるわけじゃない。だから、俺は幼少時代の娘と過ごす時間が長かったというか。本当に娘がべったりで、小学校5年生まで一緒にお風呂にも入って一緒に寝ていたしね。
子育てなんて全然知らないから本とかもいっぱい読んで、どうしよう、こうしようっていろいろ考えてやっていたんだけれど、娘がずっとパパから離れなくなっちゃうっていうか。
自分の部屋があるのに、俺の部屋に来ちゃうんだよ。自分の部屋にベッドもあるのに、俺の部屋に来て俺のベッドで一緒に寝ちゃう。絵本を読んであげたり、子守歌を歌ってあげながら一緒に寝る。可愛いんだけどさ。もう本当に可愛くてしょうがない子だったんだけどね。お風呂に入る時も一緒だし、ずっと一緒だった。
でも、娘が4年生の時だったかな?お風呂に入った時に『新菜のおっぱいがちょっと膨らんできちゃった』みたいなことを言ったんだよ。
その時に、グギッと来て、このままだとまずいんじゃないかって。中学生になってもパパとずっと一緒にお風呂に入ったりするようになったら、ちょっと娘にとっても良くないんじゃないかと思って。俺が進んで少し遠ざけるようにしたんだよね」
■長女の早すぎる自立にショックを受けて
「世界で一番パパが好き」と言う、可愛くてたまらない新菜さんの成長を考え、少し自立を促そうとしたユカイさんだったが、考えていた以上に新菜さんが自立するのは早かったという。
「娘は、どっちかというと身長も高いし、成長が早かったんだよね。だから、この辺でちょっと一緒にお風呂に入るのをやめないといけないなと思って、その辺から娘に『パパ、お風呂に一緒に入ろう』って言われても、『パパはちょっと用があるから』ってつき放すようにして。
寝る時も『ちょっとパパは、今仕事があるから自分の部屋で寝てね。あとでそっち行くから』みたいな。そうやって、どんどん突き放していたら、思いのほか早く娘が自立しちゃったんだよね。ひとりで何でもやる子になっちゃった。
娘は水泳教室に通っていて、小学校2年生の時からアーティスティックスイミング(旧・シンクロナイズドスイミング)を始めたんだけど、メキメキ上達してさ。5年生の後半に『パパ、お話があります』って言うんだよ。
『私には夢があります。オリンピック選手になりたいんです。有名な井村雅代先生に教えてもらいたいので大阪に行きたい』って。ガーンと来たよ。ショックが大きくて。娘がパパとベッタリなんて、そうそう長くは続かないと思ってはいたけどさ。まだ小学生だったしね。
娘がひとりで大阪に住むのはどうかなと思っていたら、妻が『新菜の健康管理とか、スケジュール管理もあるし、私がいないとできないから私も行きます。双子についてはあなたが面倒を見て』って、娘と妻が大阪で暮らすことになっちゃった。『ご飯とか洗濯とか、あなたならできます』って。
シンクロの学校は4月じゃなくてもっと違う時期に始まるんだけど、それに合わせて大阪に行っちゃった。小学校6年の頭に」
――よく決断されましたね
「すぐには返事ができなかったよ。息子たちもまだ小学生だし、不器用な俺がひとりでちゃんとできるのか、面倒みられるのかって。でも、決断も何もないよ。オリンピックが夢だって言われたらさ。娘を想う歌がいっぱい出来たのはいいけど、俺はめちゃくちゃ泣いたね。でも、妻と娘の決意は固かったし送り出すしかなかった」
新菜さんは、アーティスティックスイミングのジュニアオリンピックで、団体とソロで金・銀メダルを獲得。今年「特別最優秀選手賞」を受賞し、大阪市から表彰された。2025年アーティスティックスイミングユース日本代表に選ばれている。
「まあまあ頑張れよって感じだね。嬉しいよ。でも、まだまだ目指すところもあるし。オリンピックに限らず、頑張っている姿を見るとパワーがもらえるよね」
――若者が夢を持てない時代と言われたりもしていますが、夢に向かって突き進んでいる姿は見ていて気持ちがいいですね
「典型的なまっすぐ。夢に向かうのがもう本当に直球だからね。初志貫徹ですよ。小学校の頃からもう決めていた通りずっと。その直球の気持ちがどこまで続くかだよね。きっといろんなことが今でもあると思うんだけどさ。
それも含めて、後で振り返るといい勉強だから。やっぱり失敗するということも一つの勉強。別に無理に失敗する必要ないけどね。失敗した人間の方が、成功している人間よりも説得力があるしね。大丈夫だよ、失敗を恐れずに前進していって欲しい」
■2人の息子たちと男3人での生活は…
2021年に奥さまと新菜さんが大阪に転居し、ユカイさんは頼音さんと匠音さんと3人での生活が始まる。
「いきなり2人の面倒を1人で見なきゃいけなくなったわけだからね。大変だった。最初は息子たちもやっぱりママがいないということで、一時期ちょっと性格も変わっちゃったところもあったかもしれない。でも、これじゃいけないなと思って、俺も人一倍明るくするようにしてさ。
小学校の頃は可愛いじゃない。可愛いから、許せるみたいな。でも、中学になってガラッと変わるんだよね、性格も」
――すごくきちんとした生活をしていらっしゃるみたいですね
「そうでもないよ。ただ、食事とかはなるべくジャンクフードは食べさせないようにしているけど、だんだんそういったことに目覚めるというか。欧米のカッコいいというのを求めていた俺が、逆に日本の伝統だったり、日本食や発酵食品のすばらしさを学んだりしているんだから面白いよね(笑)。発酵食品が中心で、ぬか漬けも今やっているからね」
――頼音さんと匠音さんもだいぶ大きくなりましたね。今、ユカイさんはスタジオのドアに指を挟んで右手の指を2本骨折していますが、家事を手伝ってくれたりは?
「全然しない。『ちょっと皿を運んでくれよ』とか言うと運ぶけど、作るのは全部俺。思春期で全く言うことを聞かないよ。双子と言っても二卵性だから全然違うんだよ、性格も。アウトドア派とインドア派でね。
もう全然親には興味がないっていうか。自分のことに興味を持っちゃって、全然部屋から出てこない。長男の頼音はサッカーをやっているからさ、サッカーで忙しい毎日。
弟の匠音は、いろいろスポーツとかもやらせていたんだけど、みんな辞めちゃうのよ。で、今は部屋にこもってパソコン。パソコンの前にずっと座っている。その幻想の世界の中に生きているんじゃないのかな、あいつは(笑)」
――お二人とも音楽は?
「頼音にギターがうまい友だちがいてギターを始めてさ、ちょっとギター貸してとか言うから貸してやっている。何でも教えてやるよって言っているんだけど、俺には全然聞いてこないんだよね。聞かれれば俺も教えるんだけどさ。
でも、自分で勝手にやっているんだけど、弾いている音を聞いていると、なかなか良い響きしてて子どもってすごいなって思う。そんなに早く弾けるようになったんだ…みたいな」
――ユカイさんのライブに息子さんたちは?
「小学校の頃までは来てくれていたんだよ。『パパのライブに行く?』って聞いたら『わかった』みたいな感じでさ。それが高学年になってきて、だんだん無理やり連れていくような感じになってきて、中学生になったらもう全然。
小学校5年生の時に一緒に来たのが最後かな。『ライブあるんだけどさ、今日暇だったら来いよ』とか言ったら、『次にしとくよ』って来ない(笑)。この間、ハリー・ポッターの舞台を一緒に見て来たんだけど、息子たちもあれだったら来るんだよね。俺のライブには来ないのに(笑)」
■海賊バンドがスクリーンに!
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「ミス・サイゴン」のエンジニア役などミュージカル作品出演も多いユカイさんの主演ロックミュージカル「劇場版 ロッキンミュージカル シン・シャドウブラウン&ブラックパイレーツの冒険」が、11月14日(金)に公開される。
この作品は、ユカイさんが1992年にリリースしたコンセプトアルバムを、音楽と演劇が融合したロックミュージカルとして再構築し、2025年3月15日に上演したステージの模様を収めたもの。
海賊シャドウブラウン(ダイアモンド☆ユカイ)は、音楽を禁じられたジェニー島に辿り着く。かつて音楽で満ちあふれた島は、今では人々から笑顔が消え、心は静かに凍りついていた。生きる希望を失ったひとりの少女と出会ったシャドウブラウンは、音楽の喜びを取り戻そうと立ち上がる…。
――ユカイさんが、監督・演出・構成・音楽を担当した「劇場版 ロッキンミュージカル シン・シャドウブラウン&ブラックパイレーツの冒険」が公開になりますね
「本当にありがたいよね。ハリー・ポッターとかを見ると、ミュージカルもかなり進化しているじゃない。俺もミュージカルに呼ばれて出たりするけど、ここまで進化しているんだってビックリしたね。そういった演出も含めてさ。
でも、俺がやろうとしているのは、あくまでもロックンロールのもので、本物の生のバンドサウンドを中心にしたミュージカル仕立てのライブってとこかな」
――素敵な曲ばかりですね
「ありがとう。やっぱり自分が一番いいと思っているロックンロールのバンドアレンジだったり、ライブのフィーリングだったりとか、そういう音楽を大切にしてミュージカル調の面白いことを作ろうと思って。それで今回やったのがこのシャドウブラウンで。まだまだ全然広まっていないから、世の中にこういうエンターテインメントもあるんだということを知ってほしい」
――海賊の衣装もとても良く合っていますね
「ありがとう。海賊というと『ワンピース』が、今や全世界に広まっているけど、海賊ロックとしてシャドウブラウンを最初にやったのは、1992年だからワンピースよりも前だったんだよね。発想としては海賊バンドが世界中を旅して、そこで世の中の不条理と闘っていく、本物のロックンロールバンドのライブ音楽と演劇が混ざったエンターテイメント。
『33年前に1回やったライブを再現しようよ』って言って始めた当時のプロデューサー・ダディ竹千代が、どうしてもやろうよって言った時に、どうせやるんだったら、今のフィーリングをもうちょっと入れて、あの当時と違うものを作ろうというのでやったのが今回のシャドウブラウンなんだよね。今はダディさんは天国にいっちゃったんだけど」
――33年前と今では、ユカイさんを取り巻く環境も大きく変わっていますね
「そうだね。当時の方が人気もあってとんがっていたかな(笑)。今だからこそできることっていうのがあって、もちろんミュージカルのスペシャリストの人が作ったら、こんなライブなものは作らないかもしれない。
こういった類のエンターテイメントは、もう本当に手作りライブの感覚でね。今の時代にないアナログな感覚だよ。バンドも当時の80年代からずっとやってきたメンバーが今も全員再集結しているという貴重なもんだね」
――今の人たちには、それが新鮮に感じるのでは?
「どうだろうね。来年、3月14日(土)と15日(日)にシャドウブラウンのパート2をやるんだよ。ローリー寺西くん(ROLLY)とヒロインに鳥居みゆきさんを迎えてものすごいものになること間違いなしだよ!!」
パート1は30年前のその当時作った楽曲の中で構築したんだけど、次は違う。3分の1ぐらいは新しく作った曲だったり、あとはお楽しみな楽曲を入れていこうかなと思っている」
――ますます忙しい日が続きますね
「そうだね。『RED WARRIORS』40周年もあるしね。正式な40周年は来年だけど、今年もいろいろやっているんだよ」
――利き腕の右手の指2本の骨折、大変ですね
「うん、大変なんだけど、何か逆に良かったなっていうか。色々学ぶことがあるね。こういう風になったのも、俺に何かをわからせてくれる試練だったかもしれない」
――「徹子の部屋」(テレビ朝日系)で拝見しましたが、書家としても活動されているのですね。個展もされて
「まだ全然なんだけど、個展もフライングでやっちゃったからね。でもまた来年もやるんだよ。それで、今は右手で書けないから左で書いている。そうすると右と全然違う。右って生真面目なんだよ。何か型にハマっちゃっているのよ。右上がりにしなきゃいけないとか。
やっぱりみんな綺麗に書きたいっていう本能があるじゃない。決して綺麗じゃないんだけど、でもそういう本能にやっぱり囚われている、右は。でも、左はそういうのがないんだよ。だから自由なんだよね。曲がっちゃったりしてさ。その中から面白くなるような字を書いていくと楽しくてしょうがないんだよね(笑)」
――何事も前向きに取る考え方はステキですね
「還暦を過ぎたぐらいから、特にそういう風な考えになってきたね。今思うと、昔は本当に自虐的だった。自虐的に生きること自体がカッコいいと思っていたしね。でも、今は子どもを授かったり、いろいろなことがあって徐々に徐々に本当の自分を取り戻していっているというか。
昔は、『ユカイさんは女の敵ですね』って言われたりしていたからね(笑)。でも、今思うと、引っかき回しているようで、自分が引っかき回されていたっていうか。本当にやりたいことは別にそんなことじゃなかったのにさ。
言霊というか、そういうのに気が付いてね。『有り難う』という言葉に変えていくように今はしているんだよね。昔は、後ろ向きな言葉を言ったりしていたんだけど、今は全部前向きな言葉と魔法の言葉『有り難う』」
離れて暮らす新菜さんとは、大阪方面での仕事の時に食事に行ったりするのが楽しみだと話す。若い頃は破天荒なイメージだったが、お子さんたちの話をする姿は優しいパパそのもの。何事もポジティブにとらえ楽しもうとするところがカッコいい。(津島令子)
