歌舞伎俳優の中村橋之助(29)と元乃木坂46で女優の能條愛未(31)が10日、都内ホテルで会見を行い、婚約を発表した。
冒頭挨拶後、報道陣との質疑応答が行われた。以下、会見の主な一問一答の後半。
―着物について
能條「このお着物は、お義母様(三田寛子)が婚約会見に着られていたお着物を着用させていただきました。身の引き締まる思い」
―三田に着てくれと言われたときは?
能條「純粋にうれしかったですし、お着物を通してお義母様のパワーを得られている気がする」
―橋之助はどう思ったか?
橋之助「率直にうれしかった。祖父・芝翫が母と父の34年前の婚約会見のために選んだ着物。母が着ていたものを愛未が着る。そして父も母もそのことを心から喜んでくれて、愛未も父と母の思いをしっかり受け止めて、自分の代でも大事にしよう、僕を支えようという思いで着てくれている。父と母のように、記者会見ができるような子どもを二人で育てられるように一生懸命に頑張らないとなという気持ちになった」
―両親への紹介は?
橋之助「ハワイに行く前日に、(兄弟の)福之助、歌之助を含めた父、母全員に集まってもらって、正座をして『この度、愛未にプロポーズをさせていただこうと思っています』と。家族全員が結婚報告だと思っていたらしく『プロポーズかい!』とはなったけど…。母は心配性で『大丈夫。もし断られても私たちがいるから』って。でもワイワイと送り出してくれた。プロポーズ受けてもらった後に、改めて食事の席で紹介した」
―中村芝翫と三田寛子からどんな言葉を受けたか?
能條「お義父様からは『念願の娘ができてうれしい。ようこそ中村家へ』と言っていただけた。お義母様からは『何があっても、愛未ちゃんのことは全力で守るから任せなさい。安心しなさい』と。涙が出るほどうれしかった」
―能條の両親に会ったのはいつか?
橋之助「初めて会ったのはお付き合いしているとき。結婚が決まってからもよく会って、お義母様と仲良くさせていただいている。お義母様にとっても僕が初めて息子になるので、可愛がってもらえているかな」
―結婚後、仕事はどうするか?
能條「第一優先は夫の歌舞伎のお仕事のサポートだと思う。その中で、可能な範囲内では続けていくつもりではいる」
―歌舞伎の世界はどう見えている?
能條「まだまだ勉強中。これからたくさんお義母様から一つずつ学んでいかないといけない」
―能條にどのようなサポートを望むか?
橋之助「心の支えになる存在なので、変わらずに好きでいてくれたらそれが一番のサポートになる」
―歌舞伎の世界は分からないことが多い。橋之助からも教えたい?
橋之助「無理強いするのではなく、歌舞伎の奥深さ、素晴らしさを愛未に伝えていって、歌舞伎、成駒屋を好きになってくれるのが一番。導いていきたい」
―結婚の決め手は?
橋之助「結婚願望あったけど踏み切れない大きな理由としては、役者としてどうなっていくか分からない焦りや父のようになれるのか、作品の真ん中に立てる役者になれるのか不安があった。それを待っているよりも、伴侶を得て、責任を持って歌舞伎に真摯に向かっていくことでそれがパワーになるんじゃないかという考え方に変わっていった。そういった思いのほうが強くなったときに結婚を決めた」
能條「約4年半お付き合いをさせていただき、その中で感じたのは、彼は人を思いやる心配りや、自分のことよりも大切な人たちのためにという人情が厚くて、正義感が強くて、困っている人に手を差し伸べることができるまっすぐな優しさを持っている人。私が生きてきた中で、最も心から尊敬できる人なので、彼と生涯をともにしたいと思うまでに時間はかかりませんでした」
―お互い何と呼び合っているか?
橋之助「僕は『愛未』って呼んでいます」
能條「(橋之助の本名から)『くにちゃん』って…」
―思い描く家庭像…
橋之助「弟のことが大好きで、最強の三兄弟になることが僕の夢。家族が同じ方向を向いて温かいというのがうちの強み。自分の弟たちのような子どもが育てられる温かい家庭にしたい」
能條「三兄弟を見ていると心が温まる。いつか授かることができましたら、二人、三人とにぎやかな家庭になったらいいな」
―“梨園の妻”への不安は?
能條「まったくなかったと言ったらウソになるけど、とにかく橋之助さんがいてくだされば、何が起きても大丈夫だろうと確信している。二人で頑張りましょう」
―能條の手料理で好きなものは
橋之助「一つに絞るのは難しいけど、よくリクエストするのは、ふわふわ玉子のデミグラスソースのかかったオムライス。あとはビーフシチューとかカレー。これからいっぱい作ってもらうのが楽しみです」
