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2025年11月14日 19:38

若村麻由美、恩師・仲代達矢に「あったかい、あったかい師匠でした」

若村麻由美、恩師・仲代達矢に「あったかい、あったかい師匠でした」
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8日に肺炎のため亡くなった俳優・仲代達矢さんの葬儀・告別式が14日、東京・世田谷区の仲代さんが設立した俳優養成所「無名塾」で営まれ、「無名塾」出身の役所広司(69)、益岡徹(69)、若村麻由美(58)らが参列した。葬儀後、若村が取材に応じた。以下、一問一答。

――どのようなお気持ちで臨みましたか?

若村 18(歳)の時から仲代さんと宮崎さんに役者として育てていただいて、本当にありがとうございましたっていう思いと、すごく、かわいがっていただいたなぁと思って。私は、舞台はもちろんですけど、映画もドラマも相手役をさせていただいて、本当に恵まれていたなと思ってますし。きょう役所さんが弔辞を述べられたんですけど、私たち一人ひとりの思いを役所さんがちゃんと仲代さんに伝えてくださったので、本当に…。最後にお話ししたのが6月の能登演劇堂の「肝っ玉おっ母と子供たち」で、仲代さんがおっ母の役をなさっていて。(声を震わせて)本っ当にすばらしくて。本当に92歳とは思えない、素晴らしい演技と…ちょっと歌ったり、ちょっと踊るステップがあって…最高でした。でも、そんな大変なのに、やっと千秋楽という日に、仲代さんからお言葉をいただいて「また一緒にやりましょう」って言っていただいたことが本当に夢のようで。こんな大変な日に、終わったのに、次のことを、これからのことを、声をかけてくださるっていうのは本当にありがたいなと思って。

本当に、感謝しかないです。18のときから今まで。本当にありがとうございましたっていう…。いま本当に、仲代さんと奥様の宮崎さんがいなかったら、私はここに役者としていないので。

――いの一番に学んだことって何かありますか、仲代さんから?

若村 たくさんありすぎて、何を選んでいいか分からないんですけど…。「役者は生涯、修行です。棺(ひつぎ)のふたが閉まるまで、精進してほしいと思います」とメッセージをいただいたことがあるんですね。でもそれは、私にいただいたメッセージだったんですけれど、仲代さんご自身の覚悟なんだなっていうふうに感じて。そういう役者としての覚悟を伝授されたような思いがいたしました。

私は不肖の弟子で、本当に全然ダメなので、そう仲代さんみたいに棺のふたが閉まるまでできる自信もないんですけれど。でも今日、遺影がご自身で選ばれていたお写真なんですね。あれは役者としてメイクをしている写真で。私が18歳で入った時に「おかしいだろう、男なのにこんなふうにメイクして毎回舞台に出すんだよなあ」っておっしゃってたことを思い出して。最後の遺影が、そのメイクをしている遺影だったので、本当に最後まで、役者としてまっとうされたなっていうのが…。本当に偉大な役者であり、偉大な恩師だったというふうに思ってます。

――最後にどんな言葉を仲代さんにかけましたか?

若村 いいときにもそうでないときも、役者として続けるっていうことをいつも言ってくださっていて。「続けるんだよ、続けるんだよ」って言ってくださったので。仲代さんと奥様の宮崎さんにいただいた言葉を胸に、コツコツと、続けられる限りは続けますというふうに誓いました。

――改めて、どんな師匠でしたか?

(涙声で空を見上げて)きょうは、このすごいお天気で。昔から天下の晴れ男なんですね。このポカポカとしたお日様のような。あったかい、あったかい師匠でした。

※写真は資料

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