俳優としてだけでなく、歌手、脚本家、作家、書評家、キャスター、情報番組のコメンテーターなど幅広いジャンルで活躍している中江有里さん。本にまつわる講演やエッセー、書評も多く手がけ著書も多数。多忙な中、本格的に日本文学を学ぶべく35歳で法政大学通信教育部日本文学科に進学して卒業。2019年、歌手活動を本格的に再開し、松本俊明氏とのユニット「スピン」を結成、2025年7月に「それぞれの地図」を配信リリース。11月22日(土)に主演映画「道草キッチン」(白羽弥仁監督)が公開される。(この記事は全3回の後編。前編と中編は記事下のリンクからご覧になれます)
■誰にも求められていないと思っていたが…
17歳の時に「花をください」で歌手デビューし、約2年で歌手活動を終えていた中江さんだが、2019年、本格的に歌手活動を再開することに。90年代に歌詞を提供していただいていた作詞家の松井五郎さんがトークイベントに出演することを知り、客として聞きに行ったのがきっかけだったという。
「松井さんには10代の頃、作詞していただいたのですが、直接顔を合わせたことはなかったんです。2017年の年末、松井さんと同じく作詞家の売野雅勇さんのトークショーがあると知り、作詞家同士の話に興味を持って出かけました。
終演後、サイン会があり、松井さんのご著書を購入し、ご挨拶しようとサインの列に並びました。サインの際に『お名前は?』と聞かれたので『中江有里です』と答えたら、驚かれました。それがきっかけで交流が始まりました」
――それで歌手活動を再開されることに
「歌は好きでしたが、誰にも求められていないし、20数年のブランクがあるので無理だと思っていたんです。でも、松井さんに『もう歌わないの?』と聞かれて、驚きましたが、不完全燃焼で終わった10代を振り返り、もう一度歌ってみたいと思いました」
――2020年にライブを開催、歌手志望だったお母さまは喜ばれたでしょうね
「喜んでいましたね。歌手活動を再開することを考えていた時、母に余命を宣告されるような病気を宣告されました。でも、東京での初ライブには駆け付けてくれました。
でも、そのライブが最後でした。急激に症状が進んでどこにも移動することができなくなった上に、コロナが始まってほとんど移動ができなくなりました。結果的、生前最後の遠出になりました」
――情景が浮かぶステキな曲が多いですね
「ありがとうございます。若い時も歌っていましたけど、今歌うのとはまた全然違いますね。若い時は感情と勢いで歌っていたように思います。今は体力を配分しつつ、喉を労わらなければ、長く歌えません。その中で一番どういう風にいいパフォーマンスをするかということを念頭に置いています。だから、そういう機会をもらえるというのは本当にありがたいことだなと思います」
――いろいろなことがいい形になっていて、ストーリー性みたいなのを感じますね
「いろいろなことの積み重ねがあって今があります。でも、40代、50代で歌を再開するなんていうことは、なかなかない貴重な機会だと思います。誰にも期待されていない、と考えたこともありますが、再開したら、昔から応援してくださっているファンの皆さんから『待っていました』と喜んでもらえた。そして昔いただいた曲をもう一度生かすことができた。自分自身も大きな刺激をもらっています。自分がなかなか気づかなかった人たちの声も聞くことができて嬉しかったですね。プラス、自分のポテンシャルって自分ではわからない。
『歌なんてもう無理だ』と思っていたのが、歌う機会をもらったら、『やらなきゃ!』って思って。最初歌い始めた時は『無理、無理』ということばかりでしたけど、引き返すことはできません。自分なりに自分を研究して、だんだんと自分の歌を見出す挑戦だと思い、楽しむことにしました。
私はやっぱり表現することが好きなんですね。書くことも演じることも、そして歌も。待っていてくれる人がいるなら歌わない理由はないですね」
■大林宣彦監督の遺作となった撮影現場
映画「ふたり」で大林宣彦監督と出会った中江さんは、「風の歌が聴きたい」で主演を務め、遺作となった「海辺の映画館−キネマの玉手箱」にも出演。この作品は、大林監督が20年ぶりに故郷・尾道で撮影し、無声映画、トーキー、アクション、ミュージカルなどさまざまな映画表現を交えて戦争の歴史を描いたもの。
閉館を迎えることになった尾道唯一の映画館で最終日、「日本の戦争映画大特集」のオールナイト興行を見ていた若者3人(厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦)は、突然稲妻の閃光に包まれ、スクリーンの世界にタイムリープ。戊辰戦争、日中戦争、沖縄戦、そして原爆投下前夜の広島へ行った3人は運命を変えようと奔走するが…。
――遺作となった映画「海辺の映画館 キネマの玉手箱」は179分。2時間59分でしたね。不思議な作品でした
「大林ワールドなんですよね。監督のそれこそ原点に戻ったような映画なのかな。だから、溢(あふ)れんばかりの思いがこもっている。しかし実のところ、監督の頭の中は誰にもわからないのです。
大林監督はこの映画を撮っている時、がんを患っていて、治療しながら現場で演出なさっていたのですが、がんを患っている80代の人が撮っていると思えないぐらいアグレッシブでした。
大林映画に出ることは、大林ワールドに入ることです。大林組の俳優たちは、『大林監督が呼んでくれたんだからやるぞ!』と一斉に駆け付けて、監督の世界に溶け込もうとする。
映画は撮影現場で終わりません。撮影後のアフレコでは、セリフが丸ごと変わっていることに普通にあります。それが大林監督の映画に出演する、ということで、大林映画を経験することなんだと思っています。
おそらく他の映画ではありえないことですが、そういう意味でも唯一無二の存在でしたね。私は大林監督のことは『映画の父』と呼んでいますが、ある意味、本当にそういうありえないことを色々経験させていただきました。最初は戸惑いましたが、監督のおかげで私も柔軟な人間になれたような気がします」
――大林監督の作品で有名になった俳優さんたちも皆さん集まってくれて監督も嬉しかったでしょうね
「それはやっぱり監督だからですよね。監督のためにだったらみんな1日でも2日でも尾道に行くと思っている人が大勢いるということですからね。私も片隅に入れていただいて、本当に嬉しかったです」
■主演映画は自身のアナザーストーリーのような作品
「風の歌が聴きたい」以来、26年ぶりとなる主演映画「道草キッチン」が11月22日(土)に公開される。この作品は、更年期症状に悩む50歳独身の女性が、初めて訪れる徳島の地で、過去のわだかまりや自分の生き方を見つめ直すセカンドライフ(第二の人生)を描いたもの。生春巻きやフォー、バインミーなどベトナム料理の数々が登場するのも楽しい。
都会で小さな喫茶店を営む50歳の桂木立(中江有里)は、独身で家族や親戚もなく、余生をひとりで生きていこうと決めていたが、再開発の影響で店が立ち退きを余儀なくされ、閉店に追い込まれる。さらに健康上の問題も重なり、立は将来への不安を抱え茫然としてしまう。そんな折、徳島県吉野川市から相続についての通知が届いたことをきっかけに、彼女は徳島へ移住することに。
――「道草キッチン」が公開になりますが、お話があった時は?
「何かの間違いなんじゃないかなって(笑)。執筆業や他の仕事で忙しくしているうちに、いつのまにか俳優業のオファーが遠ざかってしまいましたが、人生何が起こるかわからないなって思いました。かつて母が喫茶店をやっていた私にとって、この映画は人生のアナザーストーリーのような作品でもあります」
――中江さんは、主人公の立(りつ)さんにぴったりですよね
「本当に監督ならびにキャスティングの皆さんがよくぞ声をかけてくださったなって思いました。立は50歳独身。これまでも独りで生きてきたし、移住してからも独りで生きていこうと思っていましたが、いつのまにか横のつながりができてくるんですね。
知人も友人もいなかった徳島で、知り合った人々の影響を受けながら新たな人生を歩み出すという話で。50歳を過ぎての人生の歩み方と、おそらく多くの方に共通する問題も描いています。結婚しているとか、していないということに関係なく、誰もがひとりで生まれて、人とつながっていく。そして最終的にひとりになる」
――立が出会った方たちは、みんな良い人で。会ったことがない伯父さんの奥さんがベトナム人だったというのは驚きでしたけど
「ベトナム戦争が終わって今年で50年という節目ですけれども、その戦争が終わった時に生まれた立にとっては歴史上の出来事。実感もなく、内情も知りません。ましてやベトナムからの難民として日本に来たミンさんという女性がいて、伯父さんと出会って結婚して…そういう歴史の積み重ねの上に私たちは今生きているのだということですよね。
だから、この映画は、ある意味、食とか景色とか、そういう意味での癒しも多いんですけど、その底辺には歴史的な出来事があって、現代につながる物語でもあります」
――今の時代と違って偏見もあって、優秀な医師だった叔父さんは病院をやめなければいけなくなって
「難民として日本へやってきたミンさんは、医師として寄り添った伯父さんと結ばれますが、伯父さんの家族に反対されて、孤立してしまいます。そのうち伯父さんは早世し、残されたミンさんは母国に帰ることもできず、そのまま徳島でひとり暮らしていましたが、そのことを立は知らずに暮らしていました。
今は昔と違って、ベトナムの方も増えて、普通に暮らしています。劇中出てくるホテルのオーナーは日本人とベトナム人のカップルですが、実際に日本人とベトナム人のカップルが経営に携わっています」
――立は、ミンさんが亡くなったことで家を相続して移住することになりましたが、まるでミンさんがそこにいるようなファンタジーの要素もありますね
「この作品には妖精がいるんですよ(笑)。ミンさんがひとり残されて、異国でずっとひとりだったということは知らずに暮らしてきました。きっと立はミンさんに呼ばれたのだろうなという風に思いました」
――立は、ミンさんが残したベトナム料理のレシピを基に料理を再現していきます。時代が巡るという感じがして温かい気持ちになりました。徳島での撮影はいかがでした?
「のんびりしていて、自然が多くて、本当にいいところでした。コンビニは夜8時に閉まるんですけど、それほど不便でもなかった。考えてみたら昔は夜8時に開いている店はなかった。その時と同じです。地元の方に協力していただきながら撮影した阿波踊りやお遍路さんが登場したり、徳島の魅力もいっぱい詰まっている作品です」
松本俊明氏とのユニット「スピン」で「それぞれの地図」の配信リリース、主演映画の公開、執筆作業など多忙な日々を送っているが、2023年7月に「腎血管筋脂肪腫」(腎臓に発生する腫瘍の一つ)が破裂して緊急手術を受けたという。
「術後1年目でこの映画のお話をいただいたので、生きていて本当に良かったと思っています」
――今、体調はいかがですか?
「問題ないです。でも、人生100年で換算したら、50歳を過ぎたら折り返していかなきゃいけないのですが、その折り返し方が難しいという話をよくしているんです。やっぱり2年前とも違うし、4年前とも違うって思いますね。
不調になると元に戻るまでにすごく時間がかかります。前は風邪をひいても3日くらい寝れば良くなったのに、今は大げさでなく1カ月ぐらいかかる。だから、より気をつけるようにしています。自分を守っていくには、それしか方法がないですからね。
自分が自分のことを1番よくわかっているので、そういう意味では、何のマニュアルも通用しない自分のマニュアルを自分で作らないといけないなって思っています」
落ち着いたトーンの話し方が聴き心地良い。あまり先々のことは考えず、目の前にあることに一つずつ取り組むことにしていると話す。まずは22日(土)の舞台挨拶を無事終えることが目標だという。初日が楽しみ。(津島令子)





