日本でも絶大な人気を誇るハリウッドスターのジョニー・デップ氏(62)が来日。デーブ・スペクターさんが直接本人と会い、俳優とはまた別の才能に迫った。
なぜアートの世界へ…?
「20年前に会いました。覚えていないと思いますが、この写真をテレビで紹介しています。写真をアップデートしましょう」
「まだ生きている。驚きだね」
こうして実現したのが、この1枚。11月27日、デーブさんがデップ氏との再会を果たした。
「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズなど多くのヒット作に出演。ドル箱スターとしての地位を築いた。さらに、熊本の水俣病を題材にした作品「MINAMATA―ミナマタ―」では出演のみならず、製作も務めた。
今回の来日は8年半ぶりになるが、目的は映画ではなく11月28日から始まったアート展「A Bunch of StuffーTokyo」だ。デップ氏自らが手掛けた作品100点が展示されている。
なぜアートの世界へ…?デップ氏にとって絵を描くことは現実から逃避する手段だった。
待つこと80分、まさかのドタキャンか?
これまでも度々、来日しているデップ氏。今回の目的は…。
「面白い。目をつぶって見えていないものを見ようって面白いですね。深い」
デップ氏のアート展。去年の秋、ニューヨークで開かれると、デップ氏の作品が初めて公開されるとあって好評を博した。続いて開催地に選ばれたのが、東京だ。
「うわあ〜全部違うテイストですよね。これはジョニーがよくコンフェティ、小さく切った紙をテーマにしますよね」
「コンフェティ」とは色紙などを小さく切って紙吹雪のように施したものだ。
今回のアート展について、デップ氏が自らの言葉で説明するということで記者会見には多くのメディアが集まった。しかし、予定時間を過ぎても始まらない。
待つこと80分、まさかのドタキャンか?不安がよぎった、その時…。
デップ氏が満面の笑みで登場。会場に安堵(あんど)感が広がるなか、アート展開催までの経緯が明かされた。
「音楽は小さいころから人生の一部で、絵を描くことは自分の中の大きな部分を占めてきたけど、作品はガレージにしまって誰にも見せないようにしてきたんだ」
そんな彼の絵にほれ込み、アート展を実現させた合同プロデューサーはこう話す。
「彼のガレージを開けると、長年放置されていたキャンバスを見つけました。すぐにこれらの作品を公開するべきだと説得したんです」
「彼と話していて腑(ふ)に落ちたんだ。自分に制限をかけてきたが、それは誰にとっても良くないことだと思ったんだ」
「僕にとって“家”は服を着替えるために立ち寄るだけの場所だった。でも、そうすると頭を殴られることもあった。ハイヒールや灰皿でね」
幼いころ、両親から暴力を受けていたというデップ氏。
「しばらくの間“外で描く”ことに夢中になった。キャンバスを構えて…」
「色を重ねたり、いろいろと試していくことは、脳にとって逃避をしているような素晴らしい感覚だった。瞑想(めいそう)的で解放されていくような…」
絵の具を使い、本格的に絵を描き始めたのは30歳ぐらいだったという。
「自分の頭の中から出てくるイメージがつかめるようになってきた。それは“自由”という感覚だった。意識的であっても無意識であっても“表現”であることは変わらない。これがなければ、脳が爆発してしまうかもしれない。自分には欠かせないものなんだ」
「ちょっと手を貸して。彼はここに青い絵の具を付けたまま来ました。なぜなら直前までホテルの部屋で絵を描いていたからです。これが彼のアートに対する熱い情熱なんです」
「心配しないで。シャワーは浴びてきたからきれいだよ。ただ、絵の具がとれなかった。それだけさ」
遅れた理由はホテルで絵を描いていたから?ジョークを交えての記者会見は、和やかな雰囲気で終了した。
しかし、会見が大幅に遅れた影響はデーブさんに及んでいた。
「何分遅れ?30分以上でしょ?」
インタビュー時間は当初10分間の予定だったが、何と、半分になった。
「インタビューにならないと思う。自己紹介で終わり」
わずか5分。果たして、デーブさんは知りたいことを聞き出せるのか?
「日本は僕を生かしてくれる存在」
「アート展、素晴らしかったです。感動と困惑が混在していて。最後の絵はあなたの愛犬でしたよね」
「そうです。このぐらいの大きさのころにうちに来て」
「絵ではもっと大きく見えました。そんなに大きくないんですか?」
「飼い始めたころは赤ちゃんで、このぐらいの大きさでしたが、いい感じの大きさに成長しました。とてもいい子でしたね」
「絵からもよく伝わってきます」
愛犬の絵を話題にしてデップ氏を笑顔にさせたデーブさん。
続いて尋ねたのは、ひときわ異彩を放っていた作品「Death by Confetti」(直訳:紙吹雪による死)。「名声の弊害」について描いたものだという。
「突然、人々が大きな関心を向けてきて、放っていてくれないような…死ぬほど祝うようなハリウッドのもろさに窒息するような…。みんなが『この映画はいい出来になる』と思うと、これまで話したこともない人や大きな映画スタジオの人が連絡してきて『ランチしようよ!』と言ってきて『何だこれ』みたいな。彼らが僕たちにやってほしいことは金に結び付くことで…僕は…稼げない映画を作ろうと言っているわけではなく、もちろん稼げるにこしたことはないが、稼ぐことが作品を作る理由ではないんです」
「相手の誠実さを疑うことがあるということですね。でも、日本であなたはとても愛されていますよ」
「どう表現していいか…」
「いい感じですよね」
ここで予定時間終了。ところが、デップ氏の話が止まらない。
「間違いないのは…」
「日本の人々から長年温かく支えられています。それがここに戻ってくる理由です。変わらずにすべてを受け入れ、共にいてくれた僕を生かしてくれる存在です」
「そんなふうに言ってくれてありがとう。私ではそんな答えは出せません」
「ジョニーのクロニクルなんです」
中野信子さん
「実は私、ここに後ろにいるっていう…。カメラの後ろにいたんですけど。展覧会もこの模様もすごく刺さるというか。何かもうすごい作品が暗くて、暗いと言うとちょっとあれかもしれないんですけど、ジョニーのクロニクルなんです。年代記なんですよ。」
「子どものころのつらい気持ちとか、すごい描いてあるんですよ。もちろん文章では書いてないんですけど。人も全然目をつぶったり、目が描かれていないとか、要するに自分を人間扱いしてくれないっていう姿が描いてあるような。最後はスカルだらけで自分が剥ぎ取られていくみたいな感じの。この人の人生は何てハードモードだという感じで。それを、展示を見ながら今回のインタビューを思うと、脳が爆発しそうだって言ってましたけど、作業療法という療法がありますけど。それをすごく思い出して。無心になって作業することで癒やすというやり方なんですが、彼は知らなかったでしょうけど、自然にそれをやっていたんだなっていうことをニューロサイエンス領域の者としては思ったし。作業療法ってもともとフランス人が開発したんですけど、でも、そのきっかけは日本の工芸とか、ああいうものにもヒントがあるんですよね。『2回目の個展になぜ東京を選んだんですか?』という質問も実はインタビューの中であったんですけど、あまりうまく答えられてなかった。もしかしたら、直感で東京がいいと思ったのは、そういう自分が癒やされてきたもののルーツが日本にあると思ったから、選んでくれたのかなと思って。それは気持ちが温かくなりましたね」
(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年11月28日放送分より)


















