“みっちょん”というニックネームで親しまれ、10代の頃からアイドルとして活躍してきた芳本美代子さん。初舞台となったミュージカル「阿国」で第28回ゴールデン・アロー賞・演劇新人賞を受賞し、翌年にはシェイクスピアの「夏の夜の夢」に挑戦。「TRICK 劇場版」(堤幸彦監督)をはじめ、多くの映画、ドラマに出演。2009年には、劇団アクターズマップの旗揚げ舞台公演で演出にも初挑戦するなど活躍の場を広げていく。(この記事は全3回の中編。前編は記事下のリンクからご覧になれます)
■稽古場へ通う時はオーラを消して
1991年、シェイクスピアの「夏の夜の夢」に出演。初舞台「阿国」で苦労しながらも舞台の魅力を知った芳本さんだったが、「夏の夜の夢」でさらなる試練を味わうことになったという。
「あれは本当に打ち砕かれました。自分の中で勝手に『舞台って楽しい。私やれるかも』って、自信過剰になっていた自分が打ち砕かれた作品ですね。演出は『黒テント』の加藤直さんで、出演メンバーは、ピーター(池畑慎之介)さん、渡辺いっけいさん、円城寺あやさん、小日向文世さんとか、いろいろな方がいて。
その頃はまだ私が知らなかった『自由劇場』とか、『夢の遊眠社』とか、『劇団☆新感線』という、全然畑の違う方々とミックスされるプロデュース公演でした。もちろんテレビや映画にも出ていらっしゃる方だったりするんですけど、全然畑の違う方々とやるという、その恐ろしさといったらもう『本当にどうしたらいいんだろう?』という感じで。それと、自分が演じる役を好きになれなくて…それで苦労しました。
相手役の(渡辺)いっけいさんとか、(円城寺)あやさんがいろいろボールを投げてくれるんですけど、私が投げ返せない。キャッチボールができないんです。『アワワワッ』ってなっちゃうので、『すみません。明日はできるようにするのでお願いします』という感じで、『お願いします』の連続でしたね。
『好きにやってください』って言われても何もできないんです。毎日頭を抱えるというよりも動かない。体が動かない自分に泣きながら頑張ってやっていました。
シェイクスピアって形容詞がすごい並ぶじゃないですか。それで、覚えられたと思っても1個抜けるとそのあとがもう全然続かなくなっちゃって。それだけじゃダメなんだって。
頭で覚えても、台本を何度も読んで目でも覚えなきゃいけないし、音でも覚えなきゃいけない。
あと、からだを使って表現しておかないと、動いた瞬間にセリフが出るという場合があるんだなっていうこともその時に学びました。本当に大変でした。もう死にそうでしたね、あれは。あやさんに演技のポイントを教えてもらったり、ほかの先輩方に助けてもらって何とか乗り越えることができたという感じでした」
――舞台稽古の間も歌のお仕事などは入っていたのですか
「その時は稽古に没頭できるようなスケジュールだったと思います。『シアターコクーン』の稽古場だったんですけど、初めてバスに乗って稽古場に通いました。一緒にやっているそのチームの中で近くに住んでいる方もいらして、バスが出ていると言われたので教えてもらって、バスに乗ったり電車を使うようになりました。
東京に来た時は電車であちこち行っていたんです。学校に行ったり、レッスン場に行ったりしていたんですけど、デビューしてからはずっと送り迎えになったので、舞台の稽古をしながら社会勉強もしていたという感じでしたね。めちゃくちゃ新鮮でした(笑)」
――バスや電車だと『みっちょんだ!』って囲まれたりしませんでした?
「いいえ、オーラを消すので。今の時代は、マスクとかサングラスが主流じゃないですか。でも、あの頃は、マスクをしてサングラスなんかしようものならもうアウト。芸能人だってすぐわかるんですよ。バレちゃう。普通に素顔でキャップとか被っていたほうがバレないんです。あとはオーラを消すという作業をして、ちょっと色々自分なりに試してみてもいました」
――マネジャーさんから何か言われたりしました?
「いいえ、稽古にはほぼほぼ来ないですし、来てもらってもやることもないので。何か見張られているみたいな感じがするじゃないですか(笑)。あと、他の方々がひとりで来られているのに、私だけひとりで来ないというのもおかしいので、早い段階で放り出される感じでしたね。でも、大変でしたけど、やっているうちに演じることの面白さがわかっていくんですよね」
■公演2日目にアクシデントが…
悪戦苦闘しながらも演じることの面白さを実感し、「夏の夜の夢」の幕が開いてホッとしたのも束の間、2日目に思わぬ事態が勃発する。
「初日は何とかやれたんですけど、2日目で見事にセリフを忘れてしまって。その時に一緒にあやさんも出ていたんですね。あやさんがテクテク歩いているところに、私が長ゼリフを言うんです。『駆け落ちするわ』という冒頭のところなんですけど、1回間違ったから、最後までみんなの『大丈夫かな?みっちょん、大丈夫かな?』という視線を感じていました。
とりあえず、何とか最後まで何でもなかった風でやり終えて、最後に『すみませんでした』って謝りに言ったら、みんなが『その失敗を取り戻そうとか、そういうことじゃなく、捨てて次に行っていたから大丈夫だよ、あれでいいんだよ』って言ってくれて。『ありがとうございます。申し訳ありませんでした』って涙が止まりませんでした。そういうことがあるから一個ずつからだに残りますよね。恐ろしさって本当に一番残るじゃないですか」
――そこでめげて辞めてしまう人もいますけど、続けてきたから今現在もあるわけですものね
「そうですね。やっぱりそこは、そうやってやり終えた時に、いろんなものを学ばせさせてもらえるという時間と、あとは一緒にその時間を共有してくださっている方々に自分も返せるものを返さないと次がないわけじゃないですか。
もちろん見に来てくださる方にも良かったと思ってもらえるようにしないと、次に繋がっていかないし…ということを失敗する度に思って。自分のやり方、表現の仕方ももちろんそうですけれども、アピールの仕方も私なりの形で行きついているんだなという風には思います」
――歌手の方は4分間のドラマを歌で表現していると言われるように、演じる形が違うだけなのでお芝居が上手な方が多いですよね
「そうかもしれないですね。そういうことが全て、アイドル歌手で出ていた時にその世界観とかそういうのはわかるんですよね。歌詞の中のセリフとかニュアンス、表現の仕方もあったりするじゃないですか。アイドルなので、どういう風に表現しようかと振り付けが付いたりとか、そういう風な形でするんですけど、実際その中の主人公だったりとかをその頃できていたかって言ったらそうでもなくて。
やっぱりミュージカルとか舞台をやり始めてから、またライブの活動の場がすごく変わったというのも、私の中では大きかったかもしれないですね。いい形で反映されるようになったんですね。舞台で表現するということを経験して、そのドラマ性とかそういうものがちょっと広がってきた感じがします。
やっぱりミュージカルとかだけじゃなく、お芝居の中でも音楽とか照明の役割はすごく大きいじゃないですか。ステージング(舞台における照明・演出などの舞台構成全般)も同じような形で…ということなので、乗っかる、乗っからないというような押し引きみたいなことなどを引いた感じで見られるようになりましたね。
芝居をやっていた自分がコンサートのステージング的にはどうなのかというような見方が生まれたかもしれないです。ある意味、客観的に自分のことを見られるようになった感じがします」
■舞台の演出にもチャレンジ!
2002年、「TRICK 劇場版」に出演。この作品は、2000年に深夜ドラマでスタートした人気テレビシリーズ「TRICKトリック」(テレビ朝日系)の劇場版第一弾。
自称売れっ子天才マジシャンの奈緒子(仲間由紀恵)は、糸節村(いとふしむら)の青年団長の神崎(山下真司)と南川(芳本美代子)に「神様を演じて欲しい」と頼まれ大金を渡される。しかし、次々と不可思議な現象が…。天才物理学者・上田(阿部寛)、矢部刑事(生瀬勝久)、そして奈緒子の母・里見(野際陽子)も加わり、事件は思わぬ方向へ…という展開。
「山下真司さんも山口県出身なんですよね。山口コンビがズーズー弁で…という感じで(笑)。山下さんもすごく優しい方なので楽しかったけど、あれはあれで撮影は大変でした。山の中を結構走ったりしていました。
子どもを育てている洞窟は、横浜の方だったんですよ。それで、村の人たちが会合を開いている神社や村の人たちと出会うところとなどは全部山奥の方なので、移動が大変でした。団体戦じゃないですか。いろんな大御所の方々が散りばめられていたのですが、皆さんジーッと山間に溶け込んで待っていらして。上手に田舎を味わってらっしゃる方もたくさんいらっしゃいましたね」
――完成した作品をご覧になっていかがでした?
「びっくりしました。こんな風になっているんだって。編集マジックもいっぱいあるので、そこはもう本当に堤監督マジックですよね。もう自分たちの範疇じゃないので、見てのお楽しみという感じでした(笑)」
――2009年には舞台の演出もされました
「『芸映』の後輩たちのユニットというか、芸映の中にスクールみたいなものがあって、その中で発表会のようなことを毎回やっていたんですね。それで、演出をやってみたらいいんじゃないかと言われていて。最初は違う演出家の方の時に演出助手みたいなことをさせてもらって、それから演出をやらせてもらったのですが、これがまた大変でした(笑)。
やっぱり演出家ではないので、伝え方が難しかったですね。演出家の思いをどうやったら役者のみなさんに伝えられるかというのが難しかった。私は役者なので、どうしても『こういう風にやってほしいんだよね』って自ら動いちゃったりするんですよ。言葉を使って教えるのではなくて。そういうことが果たしていいのかどうなのかな…と思いながら。
でも、後輩たちと一緒に構想を練ったり、作品を決めるところからみんなで作っていって…そういう中でいろいろ覚えつつ、教えてもらったりしながらやっていきました。ただ、演出をやってみたことで、『演出家の方にはこういう風に見えていたから、こういう風に伝えていたんだ。私が役者として言われたことはこういうことなんだ』というのがよくわかりました。
『ここはこうするとオフっちゃうから、大きく振り返ってセリフを言うんだな』というようなからだの使い方とかね。私はそういうところを全然学んできてないから、経験と感覚で覚えていくしかないんです。そういうことがよくわかりました。そういうことを伝える言葉をどれだけ持ち合わせているのか、その必要性も学びました」
――演出家を経験したことによって、ご自身が演じる側になった時も変わったでしょうね
「そうですね。自分が演じる側になった時に、演出家の方にどういう風に見えているのかわかるようになったので。自分の役にしても、演出を通して作品の意図や全体像を客観的に見ることができるようになりました」
2020年からYouTube「みっちょんINポッシブル」をスタート。2023年から大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科教授に就任。次回は幅広い活動、2026年1月23日(金)に公開される映画「愛のごとく」(井土紀州監督)も紹介。(津島令子)




