「突撃!隣の晩ごはん」で全国の家庭を訪ねた“ヨネスケ”こと落語家・桂米助(77)は2024年に20歳下の陽子さんと結婚。言葉一つで時代を渡ってきた噺家の「最後の恋」に『ABEMA エンタメ』の密着企画「NO MAKE」が迫った。
再婚を機に新宿の家を引き払い、陽子さんのいる神奈川県戸塚に引っ越したヨネスケ。朝食どきの自宅にお邪魔した。
ヨネスケ「寝起きなもんで、悪いけどパジャマです。こんな格好だけど、どうぞ中へ」
陽子さん「おはようございます。師匠は味噌汁の具は1種類だけというこだわりがあり、あおさのりの味噌汁にしようと思う」
陽子さんが朝食を作る間、ヨネスケはトイレへ。
ヨネスケ「かみさんが朝飯を作っている間に、トイレ掃除をするんです。トイレにも神様がいる。これが私の毎日の役目です」
陽子さん「できました。お魚をテーブルに持っていってくれたら」
ヨネスケ「デーンと座っていると怒られるので」
ヨネスケ、妻の手料理への感想は

「突撃!隣の晩ごはん」で全国津々浦々の家庭料理を味わってきたヨネスケだが、妻の手料理には…
ヨネスケ「うまいですよ」
陽子さん「塩加減の味付けが合うんだと思います」
ヨネスケ「まだまだ新婚なので『不味い』とは言えないじゃないですか笑」
陽子さん「またそういうことを言う」
「一人で死ぬのは寂しい。最期は看取ってほしい」

ヨネスケの本名は小野五郎。父が56歳の時の子だからだ。
高校卒業後、小学生からの夢だった噺家の道へ。
37歳の時、「突撃!隣の晩ごはん」のリポーターに抜擢され、一躍お茶の間の人気者となった。
2015年には約40年連れ添った前妻と離婚。そして2024年、生涯の伴侶・陽子さんと再婚した。
ヨネスケ「もともとは彼女の友達と会っていた」
陽子さん「付き合うまでに勇気がいった。覚悟しないと付き合えないと思った」
ヨネスケが思いを伝え続けても、陽子さんもまた再婚となるため迷いがあった。離婚を経験した2人が結婚を決断した背景には…
陽子さん「この歳だし“パートナー”でいようね、と決めていたんですけど…」
ヨネスケ「パートナーだと、僕が入院しても病室に入れないこともある」
陽子さん「『治療方法など家族の決定がないといけないものなど、いろいろと困りますよ。籍を入れた方がいいんじゃないですか』という話になり、その場で『結婚しよう』って。母を看取ってずっと一人で暮らすと思っていたので。『結婚して』と言うのであれば『女の人関係は全部なしね』って」
ヨネスケ「“最後の恋”だよ。これで逃げられたらもう誰も戻ってこない。77歳で逃げられたら俺どうやって死ねばいいの? そんな寂しいのは嫌だ。一人で死ぬのは寂しい。最期は看取ってほしい。『絶対に私より先に死んじゃダメよ』って」
三遊亭好楽「陽子ちゃんが来て元気になった」

結婚して約1年半。ヨネスケの希望で、仕事現場では陽子さんがマネージャーとして寄り添う。
陽子さん「(マネージャーの仕事は)全く大変ではないです。現場でやることはすべて決まっているので。師匠と会場を提供してくださった方にご挨拶をして…いう感じなので。あくまでも荷物を持って心のサポート」
コロナ禍で塞ぎがちになっていたヨネスケも、再婚して変わったと三遊亭好楽は語る。
三遊亭好楽「この人は元気になった。本当に死にそうだった。でも陽子ちゃんが来て元気になった。まさに救いの神様」
自宅での取材中、カメラに見せてくれたのは、交際中からお互いの気持ちを確かめ合ってきた交換日記。
綴られていたのは、とりとめのない日常の出来事や、折々の感情、そして相手への真っ直ぐな愛まで。
別の番組に貸していたため、2025年5月から時が止まっていた交換日記。その新たなページに、陽子さんが今の思いを綴った。
陽子さん「五六ちゃん、久しぶりに交換日記を書きました。半年ぶり。今年ももうすぐ終わるけど、いろいろなことが詰まった1年だったね。五六ちゃんの落語の舞台もたくさん見ることができ、改めて落語家としての五六ちゃんの素晴らしさを知りました。変わらず喧嘩もするけれど、いつもいっしょにいることが私の幸せです。とにかく元気・健康で、ずーっとそばにいてね。野菜・お肉のバランスに気をつけて、お酒の量にも気をつけて。来年も元気でいようね。陽子」
ヨネスケ「嬉しい。泣かないよ、俺は」
陽子さん「泣きすぎだから。最近はこらえるんですよ」
ヨネスケ「ありがとう。やはり交換日記は嬉しい。来年もよろしくお願いします」
陽子さんの言葉をゆっくりと何度も読み返しながら、ヨネスケが静かに記すのは、高座では外連味たっぷりに語る噺家の、飾らない純粋な言葉たち。77歳のヨネスケと57歳の陽子さん、2人の時間はまだ始まったばかりだ。
(『ABEMA NEWS』より)
