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2026年1月23日 20:45

ピンク・レディー増田惠子、全盛期は睡眠時間3時間で「スタジオにゴザ敷いて仮眠」デビューは“腹黒作戦”で【徹子の部屋】

ピンク・レディー増田惠子、全盛期は睡眠時間3時間で「スタジオにゴザ敷いて仮眠」デビューは“腹黒作戦”で【徹子の部屋】
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1月23日(金)に放送された『徹子の部屋』に、増田惠子が出演。一世を風靡したアイドル時代の思い出や、知られざる下積み時代を振り返った。

今年8月に、ピンク・レディーとしてデビュー50周年を迎える増田。 中学の同級生だった未唯mieと組み、18歳でデビューすると、『UFO』や『渚のシンドバッド』などヒット曲を連発し、日本中を席巻した。

番組では、1984年に26歳で出演した際の貴重映像を紹介。当時の増田は、『ザ・ベストテン』で黒柳徹子と共演した際の多忙極まるエピソードを語っていた。

その頃の睡眠時間はわずか3時間で、1日10数本の仕事をこなす日々。あまりの忙しさに、テレビ局のスタジオの片隅にゴザを敷いて仮眠することもあったという。

デビューまでの道のりを語った
デビューまでの道のりを語った

飛ぶ鳥を落とす勢いだったピンク・レディーだが、意外にもデビューまでの道のりは長かった。

「高校1年の冬くらいからヤマハに所属していたんですけど、なかなかデビューができなくて。約2年ちょっとは下積みをしました」と増田は語る。当時はヤマハの最新ステレオの宣伝として、浜松近郊のお祭りで歌う営業活動などを行っていた。

「絶対デビューできると思っていたので、誰も浜松の人は私を知らないんですけど、衣装バッグと化粧バッグを持ってサングラスまでかけて、ちょっと変わったというか、鼻持ちならない少女時代でした(笑)」と振り返った。

当初それぞれソロで活動していた2人は、ハモったときの相性が抜群だったことから「2人でやってみないか」と声を掛けられ、デュオとしての活動を開始。

しかし、当時は「生意気」と言われることも多く、高校3年生の頃に出演したオーディション番組『君こそスターだ!』では、「舞台慣れしすぎて新鮮味がない」という理由で落選してしまったそう。

その後、『スター誕生!』でようやくデビューのチャンスを掴むのだが、そこには2人による必死の“作戦”があった。

「私たちは“腹黒作戦”を立てていて。『君こそスターだ!』で落ちた理由は、素人っぽくない、生意気そう、場慣れして新鮮味がない。それを全部取り払って、振り付けも95%カットして、肌の露出も全部やめて、質問されてもオドオドするような芝居をしました」

当時を懐かしむ増田さん
当時を懐かしむ増田さん

この作戦が功を奏し、見事合格。増田は「デビューが決まったときは本当に嬉しかったのですが、気が抜けちゃいました」と笑いながら当時を懐かしんでいた。

そのほか番組では、2024年にすい臓がんで亡くなった夫についても言及。末期がんの宣告を受けた際、動揺する増田とは対照的に夫は静かに余命を受け入れたという。最期まで自分らしく笑顔で暮らした夫の姿を受け、自分も笑顔で丁寧な暮らしを続けることを決意したと語った。

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