186cmの長身に精悍(せいかん)なルックスでファッション雑誌やニューヨーク、ミラノなど海外のファッションショーにも出演するトップモデルとして活躍していた前川泰之さん。2005年に俳優に転向して以降、映画、テレビドラマを中心にキャリアを重ね、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(新城卓監督)、映画「Fukushima50」(若松節朗監督)、「仮面ライダービルド」(テレビ朝日系)などに出演。映画初主演を果たした「宣誓」(柿崎ゆうじ監督)が3月6日(金)に公開される前川泰之さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)
■中学生の時に身長が22cm伸びて
東京で生まれ育った前川さんは、友だちと暗くなっても外でずっと遊んでいるような子どもだったという。
「東京生まれですけど、わりと端っこだったので夏は虫取り行ったり、ザリガニ釣りをしたり…本当に昭和の少年ですね(笑)。メンコとかベーゴマもやったし、そういう遊びは全部やっていました」
――小さい頃から身長は高かったのですか?
「いいえ、背が伸びたのは中学校に入ってからですね。『キャプテン翼』世代なのでサッカーにハマって、中学校でもサッカーをやっていたんですけど、小学校までは真ん中ぐらいでした。
僕の姉が170cmぐらいあって大きいんですよね。それで、姉より大きくならないかなって、ちょっと家族で心配していたんですけど、中学校の3年間で22cmぐらい伸びて、そこから大学ぐらいまでずっと伸び続けて今に至るという感じです」
――モデルとして活動を始めたのは?
「大学2年ぐらいだから、多分20歳ぐらいだと思います。最初はアルバイトみたいな感覚でした。渋谷の駅で最初にお世話になった事務所の社長さんに声をかけていただいて、4年ぐらい所属していました。
モデルにちょっと憧れはあったんですよね。高校ぐらいの時に僕の私服があまりにもダサいので、姉がファッションの本を買ってプレゼントしてくれて、『こういうカッコいい人たちがいるんだ』ということを知って。
高校でもわりと背が高かったし、大学では同級生にモデルをやっている女の子がいたので羨ましいなと思って。だから憧れみたいなものは持っていたんですけど、僕はあまり自分から行動できるタイプじゃなかったので、待っているみたいな感じで。そうしたらスカウトされたので事務所に入って」
――実際にモデルのお仕事を始めていかがでした?
「カメラの前で笑うってなかなか難しいし、『向いているのかな?これ』って(笑)。でも、憧れて入った世界だったし、楽しくはやっていました。
事務所によって仕事のカラーというのが結構あるんですけど、最初に4年間お世話になった事務所は、いわゆる折り込みの広告(チラシ)が多いところで、何年かやっていくうちに仕事も増えて。
それで、大学で周りがみんな就職活動を始める頃に、結構僕は仕事が増えてきてオーディションを通るようになっていたので、モデルの仕事が楽しいからこのまま就職しないで続けたいなって思ったんですけど、スケジュールを見た時に『あれっ?俺チラシしかやってないな』って思って。
もちろんそれはそれでモデルとしての仕事だし、素敵(すてき)なことなんだけど、『そもそも僕が目指したモデルの仕事ってここじゃないじゃん』って思って事務所を移籍したんです。それから急に海外に行くようになったり…という風に広がっていった感じですね」
■有名ブランドの海外のファッションショーに出演
オーディションの幅が広がった前川さんは、ニューヨーク、パリ、ミラノなどで有名ブランドのファッションショーに出演することに。
「事務所が変わってファッションショーのオーディションももらえるようになって。ちょうどその頃、海外のデザイナーがファッションショーをやりに日本に来ることが多くて、なぜかポツポツと仕事が取れたんです。
それで、『もしかしたらわりと俺、外国人受けがいいのかも』って手応えを得て、いずれパリとかミラノはちょっと挑戦したいなって思っていたんですけど、そう思っている矢先に、ジョルジオ・アルマーニが日本に来てファッションショーをやることになって。
そこでモデルに選んでいただいて、その中から6人ぐらいのモデルが次のミラノのコレクションに呼ばれることになって。その中に僕も入っていて、自分が思っているよりちょっと早く海外に挑戦することになったんです。それが25歳くらいだったと思います」
――海外でのファッションショーはいかがでした?
「その前にもテレビ東京で『ファッション通信』という番組があって、よく海外のコレクションなんかもやっていたんです。
アルマーニのステージは、歩くところ(ランウェイ)が下からライトで光るようになっていて、すごくカッコいいんですよね。まさかそれを自分がやることになるとは思っていなかったから、東京のショーで歩けただけでも感動しましたけど、海外でもやれることになって。
しかも、世界中のエディターが集まって初めてそこで発表されるコレクションというところに立ち会える興奮とか緊張感というのは、やっぱり行ってみないと味わえないですし、すごく貴重な経験になりましたね。『こんな世界があるんだ』って。モデルをやってきた中でも、また違う扉が開いた感じがしました」
――その時は、モデルとしてやっていこうと?
「いいえ、30代後半とか40代半ばになって、モデルだけを専業にして家族を持って…というイメージが僕の中ではあまりなかったんですよね。だから、どこかで多分区切りをつけて、次の何か違うステップに行くんだろうなという思いでやっていたような気はします」
――俳優になるという思いはありました?
「明確にはなかったですけど、ドラマを見たり映画を見たりすることも好きだったし、人から『俳優やらないの?』って言われることが、ちょっとずつ蓄積されたりとか。
あと、モデルの仕事の中でもテレビのコマーシャルのオーディションで受かると、その中
でちょっとお芝居的なことを求められたりしてそれが楽しかったりして。そういういろんなことが溜まっていったものが、ちょうどモデルをやめようと思った時と重なってきたんですよね」
■俳優に転向!初めて出演したドラマは見るのも怖くて…
2005年に俳優に転向表明した前川さんは、すぐにドラマ「夢で逢いましょう」(TBS系)に出演することに。
「2004年にオスカー(プロモーション)に移籍して、何カ月か演技のレッスンは受けさせてもらいましたけど、『とにかく現場でやってこい』という話だったので。ありがたいことに」
――初めてのドラマ撮影はいかがでした?
「見るのも怖かったですね(笑)。いまだに振り返っては見てないです」
2007年、映画「君のためにこそ死ににいく」に出演。石原慎太郎さんが製作総指揮と脚本を手がけたこの作品は、太平洋戦争末期、鹿児島県の知覧飛行場から飛び立っていった若き特攻隊員たちの姿を描いたもの。
太平洋戦争末期、不利な状況に陥った日本軍は、最後の手段として特別攻撃隊を編成。多くの若者たちが大空へと散っていった。そんな中、軍指定の食堂を営む鳥濱トメ(岸惠子)は、複雑な思いを胸に彼らを見守り続けていた…。
前川さんは、在日朝鮮人でありながら、特攻隊員に志願し、出撃していった金山少尉役を演じた。
「ガッツリとお芝居というものに触れて、役作りってこういう感じなのかというのは、あの映画で感じたのが大きかったような気はします」
――金山少尉の役でと言われた時は?
「『この役を僕がいただいていいんですか?』というのが正直なところで、すごく素敵な役だと思いました。
僕は役者になる前に母親から一つ作品を勧められていて、それがドラマでも映画でもやっている『壬生義士伝』で。母が『素晴らしいからとにかく見なさい』と言って10時間くらいあるドラマ版のDVDを渡されたので全部見てえらい感動したんです。
その後、『壬生義士伝』の原作をミラノに行く飛行機の中で読んで、ボロボロ泣いていたと思うんですけど、『こういう世界の中でお芝居をしてみたい』と思ったことはすごくよく覚えているんですよね。
内藤剛志さんが演じた役は、自分の友だちが藩に戻ってくるんだけど、彼がいることで自分たちの藩がまずいことになるから切腹を言い渡すことになる。そういう重いものを背負っている人にすごく共感するというか、そういう役柄を演じてみたいという思いがすごく強くて。
最初に大きい役をいただいたのが金山少尉で、あの時、僕はまだ本当に役作りはどういう風にしたらいいかということもわかってなかったんだけど、全員で毎日スタジオに行って、着替えるのをタイマーで測られたり、本当に軍人みたいに扱われて行進の練習もして、軍歌も歌って。
撮影が終わったら帰りに居酒屋に行って、みんな丸刈りで酒を飲んで酔っぱらったら軍歌を歌う…みたいな毎日で。だから自然にそういう風になっていったという感じでした。そうやって気持ちができていく中で、ああいう故郷への思いを持った人間というのが作れて、いろんな方に『いいシーンだった』と言っていただけたのは、本当にありがたかったと思います」
――金山少尉は、8歳の時に日本に来たという設定でしたが、韓国語の練習は?
「監修の方がついてくれて、発音に関してはちゃんとやろうということで練習させていただきました」
――出撃前夜にトメさんの前でアリランを歌うシーンがとても印象的でした。撮影はスムーズにいきました?
「いや、巻き舌が難しくて大変でした。監督からは『とにかくその人生で背負ってきた思いをそこに全部のせていけ』と言われていて。本番でOKをもらった後は監督も泣いていたし、一緒にいてくれたキャストの方もみんな泣いていました。
共演してくれた女の子が終わってから走ってきてくれて。『前川さん、こういう経験があるから本当に映画というのは素晴らしいと思います』と言っていただいて、すごく嬉(うれ)しかったです」
――金山少尉は特攻隊に自ら志願する役で
「そうですね。そういう中で日本の特攻隊としてという部分も含めて、本人が選択をしている。女手一つで育ててくれた母親のことをすごく思っていて。
あの時は本当に結構どっぷり(役に)入っちゃっていたから、(自分が)オフの日にバスとか電車に乗っている時に、周りの日常の幸せそうな人たちを見ると涙が出ちゃうみたいな、そういう感覚がありました。
一緒に役者を始めた友だちが『やっぱり金山ってすごい良かった』って言ってくれて、何年か後に『お前はあそこを越えなきゃいけない』ってずっと言われていました」
――とても印象的な役と出会うとハードルが上がってしまいますね
「そうですね。いろんな巡り合わせがあって、ああいう風な役になった部分は大きいと思いますし、わからない中でいろんな偶然が重なって、僕はたまたま良くなったという風に捉えています」
――金山少尉役には実在のモデルの方がいらっしゃるということですが、プレッシャーになりました?
「そうですね。やっぱりそういう部分はよく調べるようにはしています。時代劇もそうだし、今回の作品(宣誓)もそうですけど、実際に起きたこと、そこで苦しんだり、いろんな感情を持った人たちがいたという場合はとにかく嘘があってはいけないと思っています。
芝居の良し悪しは実力によるとは思うんですけど、ハートの部分で嘘だけはつかないようにという思いは強く持ってやっていますね」
――そういう真摯な姿勢もあって、心に残る作品になっているのでしょうね
「そう言っていただけると嬉しいです」
同年、元フジテレビアナウンサーの政井マヤさんと結婚。1女2男の父に。
「モデルをやっていても、いろんなジャンルの方とは仲良くなったりするので。そんな中で仲良くなった友だちが、また繋(つな)がりがあって、ちょっとみんなで食事するような機会があったりして結婚することになりました」
――お二人で出演されている番組を拝見させていただきましたが、とても絵になる素敵なご夫婦だなと思いました
「ありがとうございます。『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にも二人で2回ぐらい出させていただきました」
情報番組や旅番組などで、料理の腕前も披露している前川さん。お互いのスケジュールを共有し、家事や育児も分担して行っているという。家族にも恵まれ、バラエティ番組や舞台
など仕事のジャンルも広がっていく。次回は、「仮面ライダービルド」、映画「Fukushima50」の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)
※前川泰之(まえかわ・やすゆき)プロフィル
1973年11月26日生まれ。東京都出身。トップモデルとして活動後、俳優に転向。映画「君のためにこそ死ににいく」、映画「Fukushima50」、映画「189(イチハチキュー)」(加門幾生監督)、映画「陽が落ちる」(柿崎ゆうじ監督)、「痛快TVスカッとジャパン」(フジテレビ系)、「遠くへ行きたい」(日本テレビ系)、「仮面ライダービルド」、「テイオーの長い休日」(フジテレビ系)などに出演。初主演映画「宣誓」の公開が3月6日(金)に控えている。
ヘアメイク:堀 紘輔(+nine)
スタイリスト:四方章敬



