1966年、中学3年生の時に「11PM」(日本テレビ系)で歌って踊れる歌手としてデビューした由美かおるさん。映画「夜のバラを消せ」(舛田利雄監督)で俳優デビューし、ドラマ、歌手、MCなど、幅広く活躍。「西野バレエ団」の精鋭5人で結成された女性ダンスグループ「レ・ガールズ」としても活動。1973年、主演映画「同棲時代−今日子と次郎−」(山根成之監督)で美しいヌードを披露。「水戸黄門」(TBS系)では華麗なアクションや妖艶な入浴シーンが話題に。5月29日(金)に映画「小春日和〜Indian Summer〜」(松本動監督)が公開される由美かおるさんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)
■石原裕次郎さんに見初められて映画デビュー!
京都で生まれ、6歳の時に兵庫県に引っ越した由美さんは、3歳でバレエを習い始め、小学校6年生の時に「西野バレエ団」に入団したという。
「近所にバレエを習っているお姉さんがいたので、ついて行って遊んでいたんですけど、バレエはすぐに好きになりましたね。そのお姉さんとの出会いによって、私はバレエと出会うことができて、今日までずっといろんなお仕事をさせていただいています」
――6歳の時に兵庫県に引っ越されて、ピアノと歌も習い始めたということで、芸能界には理想的なレッスンですね
「でも、芸能界に入るとか、そういうことは全く考えてなくて、母は好きなことやらせてくれていたんですね。音楽も好きだったし、とにかく習い事が好きだったんです。兄が二人いるので一緒にそろばん塾に行ったりもしていました。算数なんかも好きでしたね」
――いろんなことをされていたのですね
「わりと器用ですね。パッと瞬間的にできちゃって、好きだったらそれをずっと続けられるという感じ。バレエも毎日同じことを練習してきれいな形に直していく、結構大変なんですけど、それが楽しかったですね。音楽を聴きながら鏡を見て一生懸命練習して自分で欠点を見つけて」
――可愛らしいルックスで踊れて…というと、芸能界入りは運命みたいな感じですが、「西野バレエ団」に入ったら必然的に芸能界ということに?
「私は『西野バレエ団』ということも知らなかったんですよ。中学校1年生の時に学校の友だちもバレエをやっていて誘ってくれたんです。『大阪に西野バレエ団があるから一緒に行かない?』って。
それで、またその(友だちとの)出会いによって入ることになったんです。だから、私は本当に人との出会いの人生ですね。
同じ日に(西野バレエ団に)入ってバレエの教師になりたいと言っていた後藤さんという方とお友だちになって仲良くなって、一緒にお稽古していたんです。その人が、私がデビューして有名になっちゃったので、『西野バレエ団』の方から一緒に東京に行ってくれないかということでマネジャー兼保護者の姉のようになってくれて。そういうまた出会いになっているんですよね」
由美さんは、中学3年生の時に「11PM」で歌って踊れる歌手としてデビューするが、深夜の生番組には出られず、収録だったという。
「深夜だし大人の番組ですから中学生は出られなくて、収録でデビューしたんです。網タイツで超ミニスカート、ハイヒールまで履いて、歌って踊って。一生懸命やりましたけど、あっという間に大人の世界に入っちゃったという感じですね」
抜群のプロポーションとキュートなルックス、網タイツ姿で注目され問い合わせが殺到。その「11PM」を見た石原裕次郎さんが主演映画「夜のバラを消せ」の相手役に由美さんを抜擢(ばってき)したという。
「裕次郎さんが連絡をしてくださいました。まだまだ子どもだったので、『11PM』に出た途端に有名な石原裕次郎さんから電話がかかってきたと聞いて驚きました。大スターですから家中みんな、お父さんもお母さんもびっくりしていました(笑)。
――撮影期間は裕次郎さんの家に泊めてもらっていたとか
「そうです。まだ東京に『西野バレエ団』の事務所もできてなかったんじゃないかな。(東京で)後藤さんと一緒にマンションに住み始めていたんですけど、裕次郎さんの奥さま・まき子さんが『大変だから後藤さんと一緒に家にいらっしゃい。うちから日活調布撮影所に行けばいいから』と言ってくださったので、一週間ほど泊めていただいていました。
それで、裕次郎さんが運転するスポーツカーで一緒に撮影所に行っていたので、みんなびっくりしていました(笑)。何も知らないということは、すごいことだったんですね。今だったら、裕次郎さんと一緒に撮影所に行くなんてって思いますけど、当時は子どもで何もわからなかったから、堂々と一緒に行っていました。
裕次郎さんは本当にカッコ良くてね。ちらっとお部屋を覗(のぞ)いたらマネジャーさんとビールを飲んでいらしたんですけど、本当にカッコ良かった。まき子さんにもすごく良くしていただいて。『嵐を呼ぶ男』(舛田利雄監督)にも出させていただきました」
■イタリアでも歌手デビューすることに
「11PM」でデビュー直後からテレビ局に問い合わせが殺到していた由美さんは、次々と仕事が舞い込み、「ヤング720」(TBS系)で司会をすることに。
「次から次へといろいろな仕事をいただくようになって。ラッキーなことに、『ヤング720』で、『イタリアに俳優のジュリアーノ・ジェンマさんと、モニカ・ヴィッティさんの取材に行ってください』って言われてイタリアのローマに行きました。まだ16歳だったんですけど、現地までひとりで。
それで、向うで仕事がうまくできて、スタッフと一緒にご飯を食べていたら、ステキな男性が近寄ってきまして、『何て可愛い。ぜひベネチア音楽祭に出てほしい』って、ラッキーなことに見初められちゃいまして(笑)。
その方は、歌手のミルバさんが所属していたイタリアの大手レコード会社『カムレコード』の社長さんで、『ぜひ、あなたをイタリアで売り出したい。レコードを出しませんか』って言われたんです。
それで、日本に戻ってイタリア語を学び、日本とイタリアを行ったり来たりしてイタリア語レコーディングをしたんです。『ス・ラガッツォ(Su,ragazzo)』という曲で、『男の子たち』という意味なんです。
そこから海外でもやっていたんですよね。ベネチア音楽祭ではその曲を歌って現地メディアの取材も受けました反響もかなりありましたし、LPも録音しました。
ブラジルやチリの音楽祭にも招待されて『ヨーロッパで大々的に売り出したいから、イタリアに永住してくれないか』って誘われたんですけど、日本でレギュラー番組もあったのでお断りしました。何か夢のようでしたね。本当に私の人生は、出会いによって今があるという感じです」
1967年、「レモンとメロン」で日本でも歌手デビュー。同年、「バレエ団」の中でもエース格であった金井克子さん、原田糸子さん、奈美悦子さん、江美早苗さんとともに「レ・ガールズ」を結成。ミニスカート姿でマリリン・モンローのレパートリー等を歌って踊る姿が話題に。冠バラエティ番組が誕生するほど人気を博した。
「みんなそれぞれソロの仕事が忙しくて、会うとなったら夜中なんです。夜中に集まって振り付けを覚えて練習して…そういう状態で仕事をしていました。みんな若かったですからね(笑)」
――スタイルがいい綺麗なお姉さんたちが歌って踊る姿は圧巻でした
「全国の女性が、ミニスカートと白のブーツ、イヤリング、みんな真似してブームになりました。『水戸黄門』のイベントをやった時に、衣装の女性スタッフが、『私ね、追っかけをしていたのよ。みんなレ・ガールズの真似をしていたの』って言っていました」
――ソロ活動と「レ・ガールズ」としての活動で超多忙だったでしょうね。寝る時間はありました?
「歌番組も今と違ってたくさんありましたし、今見たら、『こんなにできたの?』っていうぐらい仕事をやっていたので、ピークの時は2、3時間寝られたらいいほうでした。
移動は、東京―名古屋−京都に寝台車を使っていました。朝の番組を午前2時とか3時から撮っていたのですからすごいですよね。だから途中で居眠りをしちゃって、コンビだった松山英太郎さんに番組中『おい、起きろよ』なんて言われたこともありました(笑)」
――デビューされて今年60周年ですね
「ありがたいことに仕事がないということはなかったですね。舞台も結構やっていましたし、映画もたくさん撮って。特に印象に残っているのは、博品館劇場で公演した『琥珀の女王』というミュージカルで、孤児を集めて育てたジョセフィン・ベイカーという黒人女性のお話なんですけど、森光子さんとか財津一郎さんが見に来てくださって、とても感動したとおっしゃってくださったのがすごく嬉(うれ)しかったです」
――アース製薬の琺瑯(ホーロー)看板も印象的でした
「あれは1971年頃から全国に貼られるようになったんですけど、すごい反響がありました。横座りになって衣装から足が出ているポーズで、『アースポーズ』って呼んでいるんですけど、アルバムのジャケットで再現したりしていました。そのホーロー看板を山奥まで貼って回ったスタッフの方にも偶然お会いしました」
■主演映画で初ヌードを披露!ポスターが次々にはがされて…
1973年、映画「同棲時代−今日子と次郎−」(山根成之監督)に主演。この作品は、同棲生活をしながら互いに傷つきあい、愛しあう二人の若い男女の日々を描いたもの。
同級生だった21歳のOL・今日子(由美かおる)とイラストレーター・次郎(仲雅美)は街で偶然再会し、次郎の部屋で一緒に暮らすことに。会社の社長(入川保則)のプロポーズを断り、次郎を選んだ今日子だったがある日、自分が妊娠していることがわかり…という展開。
由美さんは美しい初ヌードを披露し、後ろ姿のポスターが話題になり、貼るそばからはがされて持ち去られることに。
「22歳の時で、上村一夫さんの劇画が原作で『同棲』が社会現象になりました。映画館も超満員でした」
――美しいヌードが話題になりました
「ヌードになることに関しては、全然想像もしていなかったので、1カ月くらい悩みました。
山根監督が撮りたい愛のメルヘンだから、ぜひヌードのポスターを撮りたいということで、かなり悩みましたけど、きれいに撮っていただけるならと引き受けました。
今となってはすごくいい記念になったと思います。あの頃の父は本当にずっと下を向いて歩いていたと言っていました。父親としてはそうかもしれないなって。そのポスターは剥がして持ち去られるほどの人気でした。
おかげさまで映画はヒットして、観客は7割が女性と聞きました。女性に『きれい』と言われたのは嬉しかったですね。『とにかく、ポスターが次々とはがされて持っていかれちゃう』って関係者が言っていました」
同年、文芸作品としても有名な映画「しなの川」(野村芳太郎監督)にも主演。昭和初期の波乱の時代を背景にして女の愛の遍歴を描いたこの作品でも美しいヌードを披露。映画「エスパイ」(福田純監督)、映画「トラック野郎 天下御免」(鈴木則文監督)など映画への出演も続く。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)
※由美かおるプロフィル
1950年11月12日生まれ。京都府出身。1966年、「11PM」でデビュー。同年、映画「夜のバラを消せ」で俳優デビュー。1967年、「レ・ガールズ」テレビレギュラー。同年、「レモンとメロン」で歌手デビュー。「いたずらっぽい目」でクラウンレコード新人賞受賞。1973年、映画「同棲時代−今日子と次郎−」、映画「しなの川」に主演。「高原へいらっしゃい」(TBS系)、「ゆうひが丘の総理大臣」(日本テレビ系)、「水戸黄門」(TBS系)などに出演。ゴールデンアロー賞新人賞グラフ賞受賞ほか受賞歴多数。35年以上続けている「健康と美」をテーマとした呼吸法「由美かおるブリージング」で公演活動も行っており著書も出版。今年デビュー60周年を迎え、5月29日(金)には映画「小春日和〜Indian Summer〜」の公開が控えている。



