天才ピアニスト・ブーニン氏が語る音楽への愛 「日本と強い絆」 挫折や葛藤の過去

天才ピアニスト・ブーニン氏が語る音楽への愛 「日本と強い絆」 挫折や葛藤の過去
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 スタニスラフ・ブーニン(59)は、1966年、旧ソビエト連邦時代のモスクワに生まれ、19歳にしてショパン国際ピアノコンクールで優勝した天才ピアニストだ。

 アイドルさながらの人気ぶりで、国技館でのコンサートは超満員。日本中で“ブーニン現象”が起きた。

 現在公開中の映画「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」。ピアニスト生命を脅かす病気やけがを乗り越え、復活を果たすまでの挫折や葛藤が描かれている。

 現在、ドイツと日本の2拠点で活動する、ブーニン氏に話を聞いた。

ブーニンが語る音楽への愛

「(Q.9年にわたるブランクについて)私にとって厳しい時間でした。精神面もつらかったし、その間に母が亡くなりました。母の死を含め、乗り越えるのは厳しく難しいことでした。また、けがや事故もあり、極めて厳しい時間でした。その後、また音楽に、ピアノに戻ることができました。それはすてきなことで、私にとってピアノという楽器は常に素晴らしいものであり続け、音楽を再びつかむことができたことはうれしいことでした」
「(Q.ツアーでのファンの反応は?)数えきれない手術を経て、さまざまな問題を乗り越え、日本のステージに復帰し『日本デビュー40周年』を一緒にお祝いすることができました。私自身もファンも喜びの感情にあふれていたと思います。いつも聴きに来てくれる日本のファンの顔を見るのはうれしいです」
「(Q.日本は特別?)けがや事故の後は、日本でしか演奏していません。私の人生は、日本と特別な結び付きがあり、非常に強い絆で結ばれています。個人的にも幸せな結婚をし、息子が一人います。日本とは多くの個人的な絆があり、日本に対し深い感情を持っています」
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ソ連から亡命…自身の思い

「(Q.ソ連からの亡命について)政治的な大きな状況だけではなく細かい点で、さまざまな変化がもたらされました。当時、私はソ連の監視下にあり、ソ連のためにカネを稼いでこいと言われました。私は国に出演料が支払われる条件下で仕事をさせられていたのです。自分が弾きたいと思う曲を自由に演奏できるわけではありません。国がこの曲を弾けと提示してくる状況でした」
「(Q.ロシアに思い残すことは?)それはありません。私の両親は元々はドイツ出身ですから、自分の故郷・ドイツに戻るという感覚でした」
「(Q.今後の活動・夢は?)情熱と献身をもって、聴衆のために演奏をし続けることです。音楽に対する愛情を失ってはいけません。病気や事故、精神的に不安定な状態であっても、音楽への愛を見失わないようにします」
「(Q.妻・榮子さんについて)私の妻も私と一緒に音楽の中で生きていて、一緒に世界観を共有しています。それは私にとって素晴らしいことです。2人でたくさんのことを乗り越えてきました。2人でたくさんの夢を抱き、いろいろなものを一緒に愛し、彼女は私の一部です」
「(Q.今後、日本での演奏は?)神様が許してくれるなら、演奏したいと思っています」

(2026年2月27日放送分より)

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