オランダ人の曽祖父譲りの彫りの深いルックスに183cmの長身、120kgを超える印象的なルックスで、ヤクザなどコワモテの役からコメディセンスを発揮したコミカルな役まで幅広く演じている勝矢さん。映画「あしたのジョー」(曽利文彦監督)、映画「テルマエ・ロマエ」シリーズ(武内英樹監督)、オリジナルビデオ「日本統一」シリーズ、「仮面の忍者 赤影」(テレビ朝日系)など多くの作品に出演。6月26日(金)に映画「罪の棘」(植田尚監督)が公開される勝矢さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)
■高倉健さんのギャラが1億円という記事を見て
兵庫県で生まれ育った勝矢さんは、小学校時代からサッカーに熱中し、プロ選手になりたいと思っていたという。
「最初は何となく始めて、気がついたら『サッカーで飯が食えたらいいな』ぐらいに思っていたんですけど、プロをしっかり目指して…みたいな感じでネットに書かれていて(笑)。
実際にはそうでもないんです。できたらいいなぐらいの感じで(笑)。もちろん、プロになれたらいいなって、プロテストを受けるかどうかみたいな話はありましたけど」
――プロのサッカー選手になれなかったらどうするかは考えていました?
「何も考えてなかったです。だから、最後にプロテストみたいなのを受けた時に、その代表になれなかったらもう辞めようと思っていて。辞めたはいいけど、サッカーをしているのが楽しかったのに辞めちゃったから、何をしたらいいんだろうみたいな感じになっていました。
社会人(サッカー)で会社に入社したから仕事はしていましたけど、もう仕事もいい加減になっちゃったし、本当にフラフラフラフラしていて会社も辞めるってなって。
でも、サッカーを辞めてから半年ぐらいは会社にいたのかな。それで、辞めたんですけど、その辺の記憶があまりないんですよね。何をしていいのかわからなくて、このままだと死んじゃうな…みたいな感じで。
やることがなくなっちゃって、やることがないということが、こんなに苦痛なんだと思って。
何でもいいから何かやってみようみたいな感じで、色々やっていた流れで映画を見始めて。それで俳優をやってみようかな…みたいな感じです。それまで演技の経験も全然なかったのに。
しかも、演技がやりたいとかじゃなくて、高倉健さんが1本映画に出たら(ギャラ)1億円もらっているみたいな記事を雑誌で見て、『高倉健が1億円もらえるんだったら、俺は5000万円ぐらいもらえるんじゃないか』みたいな、すごく曖昧(あいまい)な感じで(笑)。
21歳くらいの馬鹿な考えで、何かやってみようみたいな感じでやり始めちゃったのが、運の尽きです(笑)」
――会社を辞めて上京されたわけですか?
「そうです。(自分の)オヤジに相談したら、オヤジの知り合いの友だちの兄貴の友だちの弟という、すごく遠い知らない人みたいな人が舞台とかのプロデューサーをやっていて、その人が事務所を開こうと思っているらしいから連絡してみればと言われて。
大阪のドラマシティというところにその人がプロデュ―サーをやっていた芝居を見に行って会ったんですよ。その時自分は、髪の毛もシルバーアッシュがない時代にシルバーの変な色にしていて、敬語もまともにしゃべれないような人間で。
『俺、役者やりたいんやけど、どないしたらええの?』みたいな感じで訪ねていったんです。そうしたら、その人が『役者をやりたいんだったら東京に出てこなきゃダメだよ』みたいなことを言ったので、その時働いていた土木作業員の給料を持って、とび職の仕事で東京に行くという友だちと一緒に上京しました。
俺もとび職のアルバイトができないか聞いてもらったら、親方がいいよって言ってくれたので、友だちのアパートについて行って。
だから何も考えてないんですよね。上京する前に一応演技の学校には行きましたが。
入会金を払って、月々数万円ずつ払っているのに芝居の稽古をしないんですよね。心を解放するみたいなことだったり、発声練習とか…今思えば大事なことだとは思うんですけど、俺はもともと声がめちゃくちゃ出るので(笑)。
発声の先生に、『俺、お前より声出るけどやらなあかんのか?』って言ったりとか。歴史を学ぶ授業も、『俺はアメリカ映画がおもろいと思うけどな』とか、いちいちしゃべっていたら2カ月ぐらいで、『みんなの迷惑になるから学校を辞めてください』って言われて辞めることに。要はクビですよね(笑)。
レッスンしようと思っている人たちのカリキュラムから外れたことをずっと言っていたから迷惑でしかないですよね(笑)。
肺活量も、僕は5000くらいあるので、先生よりも出るんですよ、声が。で、『俺、今先生より出ていましたけど、授業を受けなきゃいけないんですか?月2数万円払っているんですよ』みたいな感じで、先生からするとすごくやりにくい生徒だったと思います。だからクビになって東京に出てくることになりました」
■師匠と仰ぐ菅田俊さんと出会い
上京した勝矢さんは、とび職のアルバイトをしながら演技のレッスンを受けることに。
「プロデュ―サーに東京に来たらええやんって言われたから東京に出てきたんですけど、
どうしたらいいか聞いたら、土日が休みの赤坂のラーメン屋さんの中で芝居のレッスンをしている人が何人かいて。
その中のひとりに今回の映画『罪の棘』の脚本家の村川(康敏)さんがいたので、そこから村川さんといろいろしゃべったりするようになって。そこは台本を使って『お前これをやってみろ』みたいな感じで演技をやらせてくれたんですよ。
で、俺もクビになった演技学校で『芝居をやらせろや』とか言っていたわりには、『これをやってみろ』と言われてもわからないから、『こんなことできるかな?』とか言いながら何とかやり始めたのが最初です(笑)」
――師匠と仰ぐ菅田俊さんと出会ったのは?
「そこに菅田さんの舞台に出ている人がいたので舞台を見に行ったら舞台も面白かったし、菅田さんがいろんな作品に出ている方だということがわかって。
それまで、稽古も1年ぐらいやっていたんですよ、ラーメン屋で。だけど、そこで教えてくれている人は、『無名塾』でギリギリ最後まで残ったみたいな人で、もちろん演技のこともわかりやすく言ってくれるんだけど、『自由にやるんだよ』って言われても、何が自由かわからないんですよ。『台本があるじゃん』って。
死ぬ役なのに死なないなんてできないわけだから、自由じゃないじゃんみたいな。その『自由』の意味がわからなかったり、芝居中に、『お前はデカいから動くな』みたいなことを言われるんだけど、意味がわからなくて。
そんな時に菅田さんの舞台を見たら、面白かったんですよね。やっぱりプロの現場で普通に飯が食えている人だから違うなって。そうならないとプロじゃないって、それはその頃から思っていたので。
その時はまだ菅田さんとはちゃんと話はしてなかったんだけど、菅田さんも僕の話を聞いていて、僕も挨拶ぐらいしたのかな。
それからしばらくして僕が駅で人間ウォッチングをしていたんですよ。駅に座り込んでずっと行き交う人たちを見ていたら、菅田さんが通りかかって、『何をやっているんだ?』って声をかけられたので『人間ウォッチングをやっているんです』って言ったら『俺、舞台をやるけど出ないか?』って言ってくれて出たのが最初です。
『この人の演技って素晴らしく面白いから何か盗めるものがある』と思って。菅田さんに『次もやるけど、やる?』って言われたので、菅田さんとはずっとやっていきたいと思って、そこから結構何年もやりました」
――裏方もされていたそうですね
「そうですね。全員で作っているので、全員が裏も表もやっていました。4、5年だったのかな。もっとやっていた気がするけど、それぐらい濃厚な時間でした」
――舞台と並行して映像のお仕事も始められたのですか?
「それは、菅田さんが『今度こういう作品をやるんだけど、プロフィルとか持って行けばいいんじゃないの?』って言ってくれたので、その作品の制作会社に菓子折りを持って行って、『菅田さんに可愛がってもらっている者なんですけど』って言うと話を聞いてくれて。
作品にちょっとだけ出してもらったりとか、菅田さんが付き合いがあるところに顔を出して、『菅田の弟子です』みたいなことを言うと『そうなんだ、じゃあ、ちょっと使ってみようか』という感じで(笑)。
その流れで制作もやっていた竹内力さんの事務所『リキプロジェクト』に挨拶に行ったら『いいじゃん、使ってやろうか』って言ってくれて。
1回使ってもらったら『さすが菅田さんの若い衆だ。面白いよね』ってなって、そこから(竹内)力さんがVシネマに結構いい役で使ってくれたんですけど、事務所に入っていないから、窓口がいなくて使いにくいみたいなことになって。
『この状態でお前を使っていると、「何でこの人を可愛がるんですか?」とか言われるから、うちの事務所に入らない?』って言われて。
『でも、リキプロジェクトという力さんの事務所ですけど、俺は力さんを1番に考えられないですよ。菅田さんが1番なので』って話したら、『そんな1番とか2番なんて関係ないよ。このままだと使いにくいって言われちゃうけれど、もっといい役を渡したいし』って言ってくれて。そういうことだったら願ったり叶ったりですって入ることに」
■「あしたのジョー」のマンモス西役に抜てき
2011年、映画「あしたのジョー」(曽利文彦監督)に出演。この作品は、昭和40年代の東京の下町を舞台に、殺ばつとした日々を過ごしていた青年が、ボクサーとしての才能を開花していく姿を描いたもの。
矢吹丈=ジョー(山下智久)は、元ボクサー・丹下段平(香川照之)にボクシングの才能を見出されるが、問題を起こして少年鑑別所へ送られる。そこで世界チャンピオンに通用する実力をもったプロボクサー・力石(伊勢谷友介)と運命的な出会いを果たし、永遠のライバルとなるが…という展開。
勝矢さんは、段平の借金の取り立てに来てジョーと出会うが、少年鑑別所でともに過ごし、少年鑑別所を出院後はジョーとともに丹下拳闘クラブに入門するマンモス西(西寛一)役。
「前に曽利監督の作品に力さんが出ていて、一緒に暴れまわる輩みたいな人たちの中に僕も出ているんですよ、ワンシーンぐらいかな。一撃でやられちゃう役だったんですけど、その時のことを曽利さんが覚えてくれていたのもあって。
それと、その後、即興芝居とかも僕はやっていたんです。即興芝居で優勝したら100万円賞金を出すみたいなイベントをやっていたので、100万もらえるんだったら出るぜとか言って出て、見事100万円もらったんですよ(笑)。
そこからフジテレビの深夜に即興芝居を繋げていく話があって、それが放送された時に、ちょうどマンモス西役の俳優を曽利さんが探していて、そのテレビを見て(力さんの作品に出た)僕のことを思い出してくれて。
曽利さんが、『あしたのジョー』のマンモス西という役にどうかと言ってくれて、もうひとりのプロデューサーの方も僕のことを知っていたんだけど、テレビ局のプロデュ―サーは知らなかったので『誰ですか?』ってなって。
それで、テレビ局の人たちが会いたい、オーディションしたいみたいな感じで呼ばれたんです。曽利監督とプロデューサーが推してくれたので、テレビ局の人たちもいいんじゃないかと言ってくれて、合格できました(笑)」
――最初は段平の借金の取り立てでしたが、少年院からずっとジョーと一緒で親友になりセコンドにもなって。いい役ですよね。決まったと聞いた時はいかがでした?
「めちゃくちゃ嬉(うれ)しかったです。こういう作品で、しかも役でいったら4番手ぐらいじゃないですか。こんなことがあるんだなあと思って。だから一生懸命頑張ろうと思って、頑張ってやっていましたよね。
でも、悔しかったのは、『あしたのジョー』は大好きだったから、1作に収めるのはもったいなかったなあって。それは見事に131分に収めているんですけど、あの作品は2011年公開だったんです。もうちょっと後からは、2部作みたいな映画の作り方をしているじゃないですか。2本同時公開とか、数カ月後に後篇が公開になったりして。
そうだったらもっといっぱいエピソードも入れてじっくり撮れたのになあって。こんなに大きな役は初めてだったので、頑張るぞって思いながらも、何かもったいないなという思いもありましたね。ちょっと早かったんですよね。でも、自分は頑張るだけなので一生懸命やっていましたけど」
――「あしたのジョー」に出演されたことでキャスティングの人たちにも広く知られることになって大きく変わったのでは?
「ガラッとは変わらなかったです。力さんにも言われましたけど、『お前が大手の事務所だったらもっと売れているよ。ごめんな』って。それが真実かどうかはわからないですけど。
大きい映画に出たから使おうみたいな流れは来るんですけど、そんなに人生が劇的には変わらなかったです」
「あしたのジョー」公開の翌年、2012年には、映画「テルマエ・ロマエ」に出演。2013年、「日本統一」シリーズがスタート。2014年には「HERO」(フジテレビ系)第2シリーズに出演など活躍の場を広げていく。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)
※勝矢(かつや)プロフィル
1975年5月8日生まれ。兵庫県出身。11年 映画「あしたのジョー」のマンモス西役や映画「テルマエ・ロマエ」で注目を集める。14年 TVドラマ「HERO」(CX)で警備員・小杉啓太役を演じる。主な出演作に、ミュージカル「ウェイトレス」、「キンキーブーツ」、ドラマ「Giri / Haji」(Netflix)などある。また「ゴールデンカムイ」では牛山辰馬役を務めるなど、幅広い役柄を演じ分けドラマ、映画、舞台で活躍。6月26日(金)に映画「罪の棘」の公開が控えている。



