16歳の時に「3年B組金八先生(第二シリーズ)」(TBS系)の椎野一役でデビューしたひかる一平さん。端正でキュートなルックスで人気を集め、一躍アイドルとして注目の存在に。「レッツゴーヤング」(NHK)、映画「胸さわぎの放課後」(石山昭信監督)、「必殺仕事人」シリーズ(テレビ朝日系)、映画「還暦高校生」(河崎実監督)などに出演。映画「ぼったくり家族」(松本了監督)が公開中のひかる一平さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)
■姉が事務所に応募して
東京で生まれ育ったひかるさんは、小さい頃から運動好きでよく野球をしていたという。
「小さい頃、父の転勤で田舎に行ったので畑で遊んだり、そんなことばかりしていました。
田んぼの中を走りまわったりしていたので、よく怒られていました」
――将来は何になりたいと思っていたのですか?
「ちっちゃい頃はバスの運転手になりたいと思っていました。大きい車を運転しているのがかっこいいなと思っていたので」
――芸能界は?
「全く興味なかったです。それを言うと怒られるんですけど、今の子たちは本当に芸能界に憧れて入ってくる。でも、僕はうちの姉がジャニーズ事務所に応募しちゃったので、ただ単に何となく入っちゃったという感じだったんです。
僕はそんなにテレビも見ていなかったので、ジャニーズというもの自体も知らなかったぐらいのレベルの人間だったんですよね。だから中学時代の友人としょっちゅう同窓会をするんですけど、『人ってこうも変わるんだなって思った』って、会うたびに言われますよ(笑)」
――とても可愛いらしくて、キラキラのアイドルという感じでした
「中学まで普通に学校に通っていたのが、『こうしなさい、ああしなさい。笑顔はこうしなさい』って教育されると変わるものなんだなって(笑)。アイドルスマイルもいい加減ずっとやっているとからだに染み付いてくるんですよ。最初はめちゃくちゃ抵抗ありましたけど。
歌うというのも知らなかったですし、雑誌とかの写真撮影のポーズもどういう風にすればいいのか知らずにやっていました。当時は『平凡』とか『明星』とか、雑誌もいっぱいあったじゃないですか。よくわからないまま、ふざけて遊んでいるところを撮られているというイメージでした」
――芸名にされたのは?
「デビューは高校に入ったばかりだったんですけど、芸能活動をしていた生徒の前例がなかったので本名はダメだと言われて芸名を付けることになって。
最初に聞いた時は漫才師みたいだと思ったんですけど、名字がひらがなで名前が漢字というのは(番組の)テロップで流れた時に目立つから覚えてもらいやすいという発想だったそうです」
■事務所に入ってわずか3カ月で人気ドラマに出演することに
1980年、「3年B組金八先生(第二シリーズ)」(TBS系)で俳優デビュー。この作品は、中学校の教員である坂本金八(武田鉄矢)が、学級担任をしている3年B組で起こる様々な問題に体当たり立ち向かい、生徒たちが人間として成長していく様を描いたもの。
当時の社会問題にもなっていた中学生の校内暴力やいじめにスポットを当てて話題になった人気ドラマの第二シリーズで、「腐ったミカン」というワードが大きく取り上げられて話題になった。
ひかるさんは、3年B組の生徒・椎野一役。すべてにおいてやる気がなく目立たない生徒だったが、加藤優(直江喜一)に憧れ、変わっていく椎野一役を演じた。
「事務所に入って3カ月くらいでオーディションを受けたら決まっちゃったという感じで。
すんなりこの世界に入れたので、みんな入れるものなんだなって思っていました。でも、レッスンも2回しか出ずに決まってしまったので、何もできないし『どうしよう?』って。
プロデューサーとか皆さんも仲が良かったんですけど、のちに『何もできないからいいんだよ。ちゃんとできるやつは加藤優役で呼んであるから、お前たちはやらなくていい。雰囲気で全部役に当てはめる』って言われました。
最初受かった時は、クラスメイトということしかわからなかったんです。『しゃべらないでいいから、とりあえずそこにいるという感じで』って言われたので、楽といえば楽でした。『寝ていてもいい』って言われたから本番中に寝ちゃったこともありました。
監督とかスタッフは、僕の役が大きく変わっていくということがわかっていたけど、僕は何も言われてないからわからなかったし、高校にも行っていたので疲れるじゃないですか。普通にウトウトしていたんですけど、それを撮られても大丈夫だと聞いて『そんなんでいいんだ』って(笑)」
――最終的に直江喜一さん、沖田浩之さん、川上麻衣子さんと4人が印象に残る生徒役になって
「そうですね。でも、その時はまだ16歳だったから、それがおいしい役だとか何も考えずにやっていたし、逆に嫌だなって。自分のそれまでの生活とは真逆だったので。アイドルをやったこと自体も。
昔はレコードだったので、どこで何枚売れたのかチャートが全部出ていて、僕の地元だけがやたら売れなかったんです。『あーあ、俺嫌われているじゃん』みたいな(笑)」
――デビューしていきなり世界が変わったでしょうね
「世界は変わりました。うちは親が反対していたんです。父が同じレコード会社の人間だったので、業界をよく知っていて。『食っていけないから一生やる仕事じゃないぞ』って言われていたので、僕も金八先生だけで終わるだろうなって思っていたんです。
1年ぐらいだけだったらいいかみたいな感覚でしたけど、芸名がついた時から『僕は一体どうなるんだろう?』って」
――先のことは事務所から言われてなかったのですか?
「とりあえず金八先生に出て、その時にいろんな雑誌に出していただいて、そうすると人気が大体わかるじゃないですか。バロメーターが。それで歌を出すぞって言われたので、歌なんて歌ったことがないし、踊ったこともないって言ったんですけど、もう決められていたんですね。『青空オンリー・ユー』というレコードを出すことになって。
でも、いつも何をやってもビリでした。歌番組に行ってもそうだし、ドラマの撮影に行っても必ず足を引っ張っていました。本当にいつも怒られていて。
だから逆に、今僕は子役の事務所をやっているんですけど、『君たちはこういう場所があるからいいんだよ』って言っているんです。現場に出ていると対等じゃないですか。その中でできないということがどれだけ屈辱的か。
かといって、何もわからないまま売れて『教えてください』って行けなくなっちゃって…というのはつらかったですね」
――直江さんは演技経験が結構あったそうですね
「そうです。(役名の)優(まさる)って呼んでいるんですけど、優は劇団に入っていたので(演技歴が)長かったんですよ。で、ヒロ(沖田浩之)は『竹の子族』でずっと人前で踊ったりするのに慣れていて、僕だけド素人が突然湧いてきたみたいな状態だったから皆さんに本当に迷惑をかけましたね」
――直江さんの「俺は腐ったミカンじゃねえ」というセリフが話題になりましたが、ひかるさんの「僕、加藤くんが好きだ!」も印象的なセリフでした
「そうですね。みんなにも言われましたけど、ずっと『いいネタくれたわ』みたいな(笑)。当時は嫌でしたけど、今考えたら美味しいというか。それと必殺シリーズがあったから、それで生き延びているみたいなのはあります。運がいいんですよね。でも欲がなくてね。無欲だったから良かったのかもしれない。
同じ事務所から4,50人、金八先生のオーディションに行ったのかな?そのうち金八に合格したのが4人。4人合格したのにまさかのひとりデビューだったので、僕もびっくりだし、他の子たちもびっくりみたいな。
事務所では僕の前にデビューしたのが『たのきんトリオ』(田原俊彦・野村義男・近藤真彦)で、後が『シブがき隊』(布川敏和・本木雅弘・薬丸裕英)。みんなグループなので羨ましくてしょうがなかった。『何で僕だけひとりなんだろう?』って」
――金八先生の放送が始まり注目されるようになって、その変化はどう感じていました?
「局に来るファンレターの枚数が増えてきたなとか、昔は入れたので局の出入り口で待つファンが多くなったから人気が出てきたんだ…ぐらいの認識でした。マネジャーがつくようになってから『俺いいのかな?』って。学校も普通の私立校に行くのは無理だから転校して本格的に始めることになったんですけど」
■歌番組出演は「失礼だよなあって…」
「青空オンリー・ユー」で歌手デビューも果たしたひかるさんは、歌番組にも出演するようになり、「レッツゴーヤング」(NHK)にレギュラー出演することに。
「歌が好きでうまい人だったらいいと思うんですけど、『俺が出たら失礼だよなあ』という思いがいつもありました」
――レコード会社が「ひかる号」という車を用意してくれたそうですね
「そうそう、よく乗っていました。目立ちますよね(笑)。レコード会社が『フォーライフ・レコード』というフォークシンガーがメインのところだったので、アイドルは初めてだということで車を用意してくれたのはいいんだけど、なんでこの車かなって(笑)
どこにいてもわかっちゃうし、いたずら書きが多くて大変でした。車のミラーとか付属品全部盗られましたから。すぐになくなりましたね。だから、普通の車が良かったなって。
でも、そんな16歳のガキに送り迎えが付くなんてね。朝起きたら車が迎えに来るなんていう生活は、普通はないですから本当にありがたかったなって思いますね。
でも、楽しいと思う余裕もなかった。すごいなと思ったのは、『レッツゴーヤング』のレギュラーにさせていただいて、いろんなトップの方々を至近距離で見たり、話すことができたので、それはラッキーだと思いました」
1982年、映画「胸さわぎの放課後」に主演。この作品は、かなり奥手の高校1年生の女子バレーボール部員・沢田知佳(坂上とし恵)と先輩で男子バスケット部の一平(ひかる一平)の爽やかな恋模様を描いたもの。ひかるさんは、映画初出演にして主演を務め、主題歌も担当した。
「『主役って何だろう?』という感じでした。忙しすぎてセリフも全然覚えてなかったし。
僕は狭間だったんですよ。たのきん(トリオ)はもうスターだったので、大きい番組しか出ないから細々した仕事は全部回ってきていました。
地方もよく行きましたし、雑誌とかも色々あったので『アイドルって寝る時間ないんだ』
って。ベッドで寝る時間がなくて移動中のマネジャーが運転してくれる車の中で寝ていました。2年間休みがなかったですしね。1日も休みがないってこういうことなんだって。
すごいスケジュールの隙間でロケして、主役だというのにアップが少なすぎて(笑)。何のシーンを撮っているのかわからないまま全然関係ない場所でアップだけ撮ってはめこんだりしていたので、そういうものだと思っちゃったんですよ。
セリフも覚えたいけど覚える時間がないからテストをやりながら覚えて動いていくという感じでした。あの当時は、本当に次の日に何をするのかもわかってなくて、直前に車の中
で知らされる。今からは考えられないですよね。
何もできないから金八先生で居残り練習をどれだけさせられたことか。当たり前だよねって。金八先生だけ見て、あれが演技だとか、ちゃんとできているとか言う人がいるけど、それは間違い。だって何も知らないから、ただ座っていただけ(笑)。
校長先生役の赤木春恵さんとは仲が良くて、『すごいね』って褒めてくれたんですけど、何がすごいのか全然わからなかったです(笑)」
アイドル時代はあまりに忙しく、自分が今何をやっているのかよくわからない状態で仕事をしていたというひかるさん。17歳で「必殺仕事人III」(テレビ朝日系)にレギュラー出演することに。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)
※ひかる一平(ひかる・いっぺい)プロフィル
1964年5月11日生まれ。東京都出身。1980年、「3年B組金八先生(第二シリーズ)」でデビュー。「レッツゴーヤング」、「必殺仕事人」シリーズ、「ライオン丸G」(テレビ東京系)、「コウノドリ」(TBS系)、「アンナチュラル」(TBS系)、映画「還暦高校生」などに出演。2012年、芸能プロダクション「株式会社スカイアイ・プロデュース」を設立し代表に就任。東邦音楽大学パフォーマンス総合芸術文化専攻講師としても活躍。映画「ぼったくり家族」が公開中。



