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2026年6月19日 13:10

脇知弘 お笑い芸人になるはずが俳優に!「萩本欽一さんの事務所と間違えて…」

脇知弘 お笑い芸人になるはずが俳優に!「萩本欽一さんの事務所と間違えて…」
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2000年、「池袋ウエストゲートパーク」(TBS系)のワッキー役でデビューし、「ごくせん」シリーズ(日本テレビ系)のクマこと熊井輝夫役で広く知られている脇知弘さん。「さよなら、小津先生」(フジテレビ系)、連続テレビ小説「つばさ」(NHK)、映画「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」(塚本連平監督)、「未解決の女」(テレビ朝日系)などに出演。6月26日(金)に映画「罪の棘」(植田尚監督)が公開される脇知弘さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)

■「お笑い芸人になろうぜ」という約束は…

神奈川県で生まれ育った脇さんは、小さい頃からお笑いとプロレスが大好きだったという。

「子どもの頃から大好きでした。うちの母はそういうのが苦手な人だったのですが、父もお笑いが大好きだったので、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)とか『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)を一緒に見るのが楽しみでした。

でも、父が外出したりすると、その時間帯にいないじゃないですか。そうすると見せてもらえなかったです」

                                                                    

――その頃からお笑いの世界に入りたいと思っていたのですか?

「いや、まさかという感じですね。高校に行って、次大学どうしようかなという時に、結構周りが予備校に通ったりして、大学受験の準備をし始めたので、それでちょっと僕が焦っちゃって。

特に将来何をやるとか決まってなかったので、どうしようと思いながら親に相談しました。みんな頑張っているから、僕も大学に行こうかなと思っているって。そうしたらすぐに予備校を探してくれました。

それまでは将来の夢というと、身長が180cm以上になったら新日本プロレスに入りたいなと思っていたのですが、180なかったので諦めて。

それで大学に行くかってなったのですが、もともと勉強はできるほうじゃなくて。自分が行けそうな大学を探して、5校ぐらい受けたのですが、見事全部落ちてしまいまして。ちょっとやばい、親に申し訳ないなと思って。

将来の夢という夢も特になくて、父が働いている会社にちょっと口を聞いてもらえないかなとも思いましたし…。

そうなった時に、そういえば一つだけ、やりたいかどうかわからないけど、高校時代の友人とふざけて『俺たちお笑い芸人になろうぜ』って言ったことを思い出して、お笑い系の事務所を探してその友人に連絡したんですよ。

そうしたら、その友人に『ごめん、俺就職が決まっちゃった』って言われちゃって、『マジか。じゃあ、俺ピンでやるからいいよ』ということになって。

その時には親も協力してくれて。新聞に、今の『アットプロダクション』なんですけど、テアトルアカデミーグループの『浅井プロダクション』のオーディション記事が出ていたのを親が見つけて、『ここお笑いもやっているじゃない。受けてみたら?』って言われたので、受けたら合格しました。

でも、これは親の勘違いから始まりました。今の事務所の前の名称が浅井プロダクションだったので、萩本欽一さんの事務所『浅井企画』と間違えて『ここ有名なところだよ。欽ちゃんたちがいるところだから』って言われたんですよ。それで受けて合格したら萩本さんの事務所じゃなかった んです(笑)」

――結果的に、それからわりとすぐに「池袋ウエストゲートパーク」(TBS系)に出演されることに

「そうですね。入ってみたら、お笑いのレッスンも確かにあったので、すごく楽しみでした。僕はやっぱりお笑い芸人になりたかったので。

それで、演技なんてしたことないぞと思いながら、ちょっと受けてみるかっていうぐらいの気持ちで演技レッスンを受けていきました。

コントとか漫才も、結局演技だなと思って。そこから、演技というのも何となくやってみようかなと思って本格的にレッスンを始めてすぐに、『池袋ウエストゲートパーク』のオーディションでした」

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■事務所に入ってわずか半年で豪華キャスト集結の話題作に

「池袋ウエストゲートパーク」は、池袋にたむろする主人公のマコト(長瀬智也)が、池袋を拠点に活動するカラーギャング「Gボーイズ」のメンバーとギャング同士の争いや殺人事件に巻き込まれながら事件を解決していく様を描いたドラマ。

脚本は宮藤官九郎さん、チーフ演出は堤幸彦監督。主演の長瀬智也さんをはじめ、渡辺謙さん、加藤あいさん、窪塚洋介さん、山下智久さん、佐藤隆太さん、阿部サダヲさん、坂口憲二さん、妻夫木聡さん、高橋一生さんなど豪華な出演者も話題に。脇さんは、「Gボーイズ」のワッキー役を演じた。

「TBSに初めて行って、いろいろな人たちがいる中で、『この台本やってみてください』って言われてやりました。そして気づいたら1次審査に合格して2次に呼ばれて2次も合格して。3次はダメだろうなと思っていたら、2次で終わりで決まっちゃいました。『えーっ?!』って(笑)。

まだ誰が出るのかということも何も発表されていない段階で。初めて台本というものをいただきました。『ちょっと俺、えらいところに足を踏み入れてしまったな』って思って。

『やばい、やばい!演技なんてしたことない。どうしよう?』と思いながら顔合わせに行ったら、渡辺謙さん、阿部サダヲさん、坂口憲二さん、窪塚洋介さん、高橋一生さんがいて…。

絶対これ間違ったと思って。だって僕はその時点で、事務所に入ってまだ半年ぐらいですよ。これやっちまったなと思っていたら、ちゃんと台本に僕のセリフも書いてあるんですよ。自分のセリフの番になったらすげえ緊張しちゃって、やばいと思って」

――すんなり入れたのですか?

「すんなりというか、本読みは全部通してやらないといけないので、僕のセリフが初心者丸出しでもどんどん進んでいくじゃないですか。良かったと思いながら、そんな感じでやっていきました。

その時に、皆さんの演技というものを見て。撮影ってすごく大変じゃないですか。

長いセリフも何回も言うし。僕は、ちょっとこれはできるかなって思っていました。

本当にワンカット、ワンカット、スタッフさんとキャストの熱量ってやっぱりすごいなあ、ドラマの撮影現場はこんなに熱量があるのかって、ちょっと感動しまして。クランクアップまでには、『俺、役者やる!』って決めていました」

――カラーギャングという言葉を初めて知りました

「そうですよね。ドラマを見た人に、ちょっとカッコいいみたいに思われちゃったっていうのはあるかもしれないですよね。もともとカラーギャングというのはありましたが、そこまでそんなにフィーチャーされてなかったというか。

僕らの頃って暴走族がいて、その次にチーマー、そしてその次がカラーギャングという世代だったので、池袋にホンモノのカラーギャングの人たちがいるんですよね。すごく怖かったです。

今の時代には考えられないような現場ではありましたけど、僕にとってはその撮影のすごさ、迫力、楽しさが自分の原点となるような、貴重な体験でした。

『池袋ウエストゲートパーク』が終わった後に、『木更津キャッツアイ』(TBS系)の演出の金子文紀さんがすぐに違うドラマに呼んでくださって。いろんなお芝居をやらせてもらって、芝居ってちょっと面白いなと思うようになりました。

その頃、事務所の選抜レッスンみたいなものがありました。それは睦五朗さんという役者さんが教えてくれていたのですが、その方のレッスンを受ける資格を手に入れられまして、なぜか(笑)。

それは選抜で選ばれた人じゃなきゃ受けられないレッスンで、テストがありました。筆記テストとかそういうので合格しないと入れないのですが、それも合格しちゃいまして。そこで睦先生にめちゃめちゃしごかれて…」

――睦五朗さんは迫力がある俳優さんだったので、怒ると怖そうですよね

「怖かったですよ、冗談抜きに。女性の方で泣いている人が結構いましたからね。いい機会だし、それだけ厳しいところで、ちょっとお芝居を真面目にやってみようと思って。『池袋ウエストゲートパーク』を撮り終えたところでしたしね」

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■田村正和さんに握手を求められたと思ったら…

2001年、「さよなら、小津先生」(フジテレビ系)に出演。この作品は、50歳を過ぎて初めて挫折を味わい臨時教師となった元エリート銀行マンが、一筋縄ではいかないクセが強い生徒たちとバスケットボールを通して関わることによって変わっていく様を描いたもの。

銀行のNY支店長として本社の命令に従い法を超えた危険な取引に関わり逮捕された小津南兵(田村正和)は、出所後、帰国した時にはすべてを失っていた。銀行への再就職もままならず、私立高校の臨時教師になるが、教育なんかに興味はなく、生徒たちもやる気がなく荒れた状態で…という展開。

脇さんは、政治家の息子でバスケットボール部に所属する金髪の生徒・秋元光役。小津先生の胸ぐらを掴んで押し倒すシーンも。

「8話までプロデューサーの方も衣装さんも、もちろん田村正和さんと僕ら生徒たちも、誰1人僕の役が政治家の息子だなんて知りませんでした。ところが、8話で初めて(親が)政治家というのが出てきまして、もうみんな慌てちゃって(笑)。

やばい、ちょっと待って。俺の役柄、衣装をもうちょっとそっちに寄せた方が良かったのかなとか。それまでそんな雰囲気も気配も全くなかったですからね。ビックリしました(笑)」

――脇さんは、小津先生に最初に反抗して食ってかかる生徒で、ワルそうでしたね

「そうですよね。授業中に携帯電話を使用して注意されてキレちゃって…。あのシーンはすごく緊張して、10回ぐらいNGを出しちゃったんですよ。

だって田村正和さんの胸ぐらを掴んでキレるじゃないですか。すごく緊張しちゃって、そんな大した長いセリフじゃなかったのにNGを何回も出しちゃって」

――その間、正和さんは?

「黙ってニコニコして見守ってくれていました。それで、そのセリフのあとアドリブで投げ飛ばしたのですが、まさかのOKでした。

もう10回目だったので、周りのスタッフさんたちも拍手してくれている中、倒れている正和さんが僕の方に手を差し出してくださり、それで握手してくれるんだと思って『ありがとうございます』って握手したら、『いや、起こしてくれ』って言われて(笑)」

――最初は全く合わなかった先生と生徒たちがバスケットボールを通して繋(つな)がっていく

「小津先生も結局挫折を知っているからなんですよね。バリバリのエリートだったのにアメリカで逮捕されて服役することになって仕事も家庭もすべてなくしてしまう」

――正和さんが手錠をかけられて連行されるシーンは衝撃でした

「そうですよね。あのシーンの撮影は、確か9.11のちょっと前でした。正和さんのあのシーンは実際にニューヨークで撮っていました。

僕はバスケをやったことがなかったんです。バスケ部という設定だったので、地元の友人に頼んでバスケを教えてもらって公園で練習していた時、車から9.11のニュースが流れてきて。

そのちょっと前に田村正和さんとスタッフさんたちはニューヨークで撮影していたので、

スケジュールがズレていたら巻き込まれていたかもしれなかったっておっしゃっていました」

――バスケのシーンがものすごくたくさんありましたね

「すごくありましたよ。走って走って走って…という感じで。森山未來さんと

EITAさん(現・永山瑛太)、あと勝地涼さんというバスケ経験者がいたので、本当に3人に支えられてやっていましたね」

――正和さんは現場ではどんな感じでした?

「本当に近寄れなかったです。でも、色々ギャグとか言って和ませてくれていました。

後半はいろいろしゃべらせて頂きましたが、やっぱりちょっと緊張しちゃって。何をしゃべったのか、あまり覚えていないくらいです。

正和さんは人前で食べるところを見せない方で。僕らがお昼ご飯を食べている間も一度も食べているところは見たことがなかったです。驚くくらい食べている印象がないです。美学を通したという感じがしますよね。カメラが回っていないところでも、俳優・田村正和さんだなと思いました。

しかも、いつも僕らが入る時間の1時間ぐらい前から正和さんは車で周辺に待機していらっしゃって、それで、僕らが行くと正和さんの車が目の前で停まって、ウィーンって窓が開いて『おはよう』って言って、またウィーンって窓が閉まるんです。最初はびっくりしました。すごく立派な車なので(笑)」

――正和さんは、毎日撮影時間が決まっていたとか

「そうです。正和さんの撮影時間は基本的には朝9時から夜9時までと決まっていて、スタッフさんたちも時間を守って撮影をしていました。全てにおいてご自身の決まり事があると思いました。演技の面でもそうですけど、唯一無二の存在感の方でした」

脇さんは、「さよなら、小津先生」がきっかけで「ごくせん」(日本テレビ系)にクマこと熊井輝夫役で出演することになり、広く知られることに。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

※脇知弘(わき・ともひろ)プロフィル

1980年10月11日生まれ。神奈川県出身。2000年、「池袋ウエストゲートパーク」でデビュー。2002年、ドラマ「ごくせん」のクマこと熊井輝夫役で注目され多くのドラマ、映画、舞台に出演。映画「ふとめの国のありす」(松国美佳監督)、舞台「漫才バンザイ」に主演したほか、香港との合作映画「殺手#4(キラー・ナンバー4)」(リョン・コイイン監督)に出演するなど、幅広く活躍。6月26日(金)に映画「罪の棘」、7月17日(金)に映画「キングダム 魂の決戦」(佐藤信介監督)の公開が控えている。

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