ファッション誌「MEN’S NON-NO メンズノンノ」(集英社)の専属モデルとして人気を博し、「ハートに火をつけて!」(フジテレビ系)で俳優デビューした風間トオルさん。端正なルックスで注目され、トレンディドラマに欠かせない存在に。映画「大誘拐RAINBOW KIDS」(岡本喜八監督)、映画「わが愛の譜 滝廉太郎物語」(澤井信一郎監督)、映画「きけ、わだつみの声Last Friends」(出目昌伸監督)、「はみだし刑事情熱系」シリーズ(テレビ朝日系)など多くの作品に出演。映画「ライフセーバー!」(児玉宜久監督)、主演映画「おかえりの湯」(夏目大一朗監督)が公開中。(この記事は全3回の中編。前編は記事下のリンクからご覧になれます)
■念願の岡本喜八監督作品で意識が変化
1989年、「ハートに火をつけて!」で俳優としても注目された風間さんは、「世界で一番君が好き! You are my favorite in the world」(フジテレビ系)、「逢いたい時にあなたはいない…」(フジテレビ系)など、多くのトレンディドラマに出演することに。
――トレンディドラマに次々と出演することになりますが、俳優としてやっていこうと
思っていました?
「思っていなかったです。『このままどうなるんだろう?』という感じでしたけど、次から次へと仕事をいただいていたので、現場で覚えていくしかなかったですね。本当は演技のレッスンやワークショップに行って勉強したかったんですけど、忙しすぎて時間がありませんでした」
1991年に放送されたトレンディドラマ「逢いたい時にあなたはいない…」は、つきあい始めて1年で遠距離恋愛となった男女の恋の行方を描いたもの。
看護師の大木美代子(中山美穂)は、つきあい始めて1年になる恋人・野口雄介(大鶴義丹)から札幌に転勤になったことを告げられ、二人の遠距離恋愛が始まるが、勤務が不規則な美代子と仕事が多忙な雄介は、連絡を取り合う機会も減っていき、交際の危機に…という展開。
風間さんは、美代子に想いを寄せる中西隆一役。旅行会社に勤めるカッコいい大人のオトコとして「子どもっぽい雄介より中西さんのほうがいい」と話題に。
「携帯電話やスマホがなかった時代ならではのドラマですよ。とにかくすれ違ってばかりで、なかなか会うことが叶わない。今の時代だと『今どこ?』ってスマホに連絡すると解消されますからね(笑)。
中西は、二人がなかなか会えなくてうまくいかなくなりかけている時に北海道まで美代子を追いかけて行っちゃいますから、一歩間違えたらストーカーですよね(笑)」
――そうならなかったのは風間さんが演じていたのが大きかったと思います。雄介を忘れるために身をまかせようとしたヒロインに何もせず、最後に雄介に会いに行く飛行機のチケットを渡すシーンもカッコ良かったです
「ありがとうございます。あのドラマは楽しかったですよ。中山美穂ちゃんとはその前に映画で一緒でよく知っていたので、すごくやりやすかったし、本当に楽しかったですね」
――作品が続いてかなり忙しかったでしょうね
「2時間ドラマとか、タモリさんの『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系)などいろいろやっていましたからね。忙しすぎてあまり記憶にないんですけど、でも、忙しいながらも遊んでいました。ほとんど寝てなかったです」
――ちょうどディスコが流行(はや)っていた時代ですね
「そうです。いろいろ融通を利かせていただいていたので、夜はディスコにご飯を食べに行っていました。晩飯代を浮かすのにディスコに行って。モデル仲間もみんな来るので、そこで遊べるじゃないですか。ほとんど寝てないのに若かったからタフでしたよね(笑)」
――セリフも覚えなきゃいけなかったと思いますが
「そうなんですよ。『どこで覚えていたの?』ってよく言われていました(笑)。でも、だんだん本数をこなしていくうちに、芝居にも慣れてくるじゃないですか。何となくわかってくるという感じですよね」
同年、映画「大誘拐RAINBOW KIDS」に出演。この作品は、誘拐された大金持ちの老女(北林谷栄)が逆に3人の誘拐犯を手玉に取り、国やマスコミを相手に前代未聞の大バクチに打って出るさまを描いたもの。
大阪刑務所に仲間の正義(内田勝康)と平太(西川弘志)を迎えに行った健次(風間トオル)は、二人に紀州一の山林王・柳川とし子刀自(北林谷栄)を誘拐する計画を話す。最初は反対する二人だったが、3人で計画を実行することに。ところがこのおばあちゃんただ者ではなく、自分の身代金が5000万円と聞いて大激怒。自ら身代金を100億円にするよう犯人に要求する…という展開。誘拐の首謀者である3人の若者と被害者の力関係が変化していく…。
「岡本喜八監督が自分で書かれているんですけど、本当に本が面白くて。読んだ時に『すごく面白いなあ』って思いました。社会風刺が効いていて、最後は心にグッとくるものがあって。
出てらっしゃる方も、緒形拳さん、北林谷栄さん、樹木希林さん、ひとりだけでもすごいのにそうそうたるメンバーなので、これは絶対にやりたいと思いました。俳優は監督が決めるらしくてオーディションというか、監督に会って決まったという感じです」
――撮影はいかがでした?
「皆さん思っていることをハッキリ言うので、すごくわかりやすくていい感じでした。ただ、和歌山にある龍神村にロケで行って、僕は1カ月間ぐらいいたんですけど、皆さんと同じ宿舎に泊まっていたんですね。
旅館というより民宿という感じで隣の声が聞こえるぐらい壁が薄いんです。それで、どういうわけか、緒形拳さんと北林谷栄さんの部屋の間の真ん中の部屋に僕が入れられてしまって(笑)。
だから音を立てちゃいけない、息を殺さなきゃなと思って、毎日静かにしていました。寝ちゃったほうが勝ちなので休めましたけど。今思うと、すべてにおいてなかなかできない経験だったなって思います。じっくり撮っているというのもあるんですけど、地に足が着いていくような感じがしました」
――あの作品に出演されたことで意識も変わりました?
「そうですね。どちらかというと、そういう作品が好きなんですよね。もともと岡本喜八監督の作品がすごく好きでやりたいと思っていて。監督ともそんな話で盛り上がっていたという感じで、初めて芝居が面白いと思ったし、本格的に俳優としてやっていく覚悟を決めた作品です」
■主演映画で1年間ピアノの猛練習
1993年、映画「わが愛の譜 滝廉太郎物語」に主演。この作品は、「花」、「荒城の月」の作曲者として知られる滝廉太郎没後九十年を機に、23歳という若さでこの世を去った音楽家・滝廉太郎の恋と友情、音楽活動に燃えた短い生涯を描いたもの。
明治28年、東京音楽学校(現・東京芸大)へ入学した滝廉太郎(風間トオル)は、ピアニストとしての道を邁進(まいしん)するが、からだを壊して療養することに。復学し、作曲家として才能を開花させた廉太郎は、ライバルでありお互いに惹(ひ)かれ合う女性ピアニスト・ユキ(鷲尾いさ子)を追うように念願のドイツ留学を果たすが、体調を崩し無念の帰国をすることに…。
本格的なドイツロケを敢行し、劇中には滝廉太郎の代表曲やシューマン、ベートーベンらの名曲も挿入。風間さんはこの作品で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。
――吹き替えではなく、風間さんご自身がピアノを弾いているシーンが多かったですね
「そうなんです。ちゃんと弾いています。手だけじゃないのでごまかしようがないんですよ。最初はピアノに(向かって)どうやって座るのかもわかりませんでしたからね(笑)。
ピアノが本当に大変でした。最終的に使っている曲の3倍、16曲ぐらいマスターしてねって言われたんですよ。ピアノなんて弾いたこともないのに。でも、1年間ぐらい練習したら、何とか多少はできるようになるもんだなって思いました(笑)」
――1年くらい前に風間さんにオファーがあったのですか?
「はい。それで、ピアノが弾けないと話にならないと言われて、ピアノを練習しましょうということになって始めたんですけど、滝廉太郎だから上手くなくちゃいけないじゃないですか」
――よくあそこまで指が動くようになりましたね
「若かったからですね。今やれと言われたら無理ですけど(笑)。ピアノに触れる時は極力触って。あとは鍵盤が書かれていて持ち運べるものを自分で買って家でも練習していました。手もとを見ないで弾けるぐらいにしないといけないので、とにかく毎日やっていましたよね。右手と左手がバラバラに動くなんて、それまであり得なかったので」
――撮影はいかがでした?
「とにかく毎日必死でした。『次はどれだっけ?』という感じで集中していましたね」
――ドイツロケにはどのくらい行かれていたのですか?
「1週間ぐらいだったと思います。お金がかかった映画でしたね。ドイツは森がすごく多いのと意外とお寿司(すし)が美味しいということが印象的でした。友だちがホテルの近くの森を越えたところに住んでいたので、夜になると『ディスコに行く?』なんて電話がかかってきて遊びに行ったりして、結構満喫していました(笑)。
でも、ドイツで撮ったすごくいいシーンがカットになってしまって。僕がドイツで自分には才能がないって絶望して、悩みすぎて雪降る中ドイツの有名な橋の上で血を吐いて倒れてしまうシーンを撮ったんですけど、カットになっていました」
――劇中ではトイレで血を吐いていましたね。風間さんはこの作品で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞されましたね
「びっくりしました。思い入れはありましたけど、賞をいただくのは初めてだったので『僕が?大丈夫かな』って(笑)。でも、嬉(うれ)しかったです」
■爆破シーンの担当は「プラトーン」のチームで
1995年、映画「きけ、わだつみの声Last Friends」(出目昌伸監督)に出演。この作品は、第二次大戦中に青春を送った若者たちの生と死、そして友情を描いたもの。
1995年真夏のラグビー場、仲間たちとスクラムを組む鶴谷勇介(緒形直人)が相手にタックル、激突した瞬間、1943年10月21日、神宮外苑“学徒出陣”大壮行会の中にいた。
そこで出会った勝村寛少尉(織田裕二)、相原守一等兵(風間トオル)、芥川雄三少尉(仲村トオル)は、それぞれ明大、早大、東大のラガーマンだった。鶴谷(緒方直人)は徴兵を拒否するが、戦争へと向かっていく運命に逆らうことはできず…。
「きけわだつみ〜は、すごく素敵な本だったので、こんな話があるんだと思って、ぜひやりたいという感じでした」
――1カ月間に渡るフィリピンロケだったそうですが、撮影はスムーズにいったのですか?
「スムーズではなかったです。大変でした。フィリピンの何もない平原で何時間も待っていたりしていて、炎天下の中戦争に行かれた人って、こんな感じだったのかなって。『何もない時は、草むらの中で自分の奥さんや子どものことを考えたりしていたのかな』なんて思いながらやっていましたね。
フィリピンのパラワン島というところで撮っていたんですけど、そこの島に刑務所があるらしいんですよね。柵とかもなく自由に行動できるんです。
パラワン島の中にそういう宿舎があるんですけど、休憩時間は自由にチョロチョロしていいらしくて。ロケをしていると、そういう人たちが近くに歩いてきて『何をやっているの?』
って聞いて来るから『映画の撮影です。受刑者の方ですか?』って聞いたら、『うん、殺人で…』って。ビックリしますよね。
そんな人が普通に歩いているから、すごいところだなと思いました。なかなかこんなところに来られないな、貴重だなと思って僕も島の中を歩き回っていました。
フィリピンで一番すごかったのは爆破シーンでした。爆破班が映画『プラトーン』(オリバー・ストーン監督)のチームだったんです。『プラトーン』の爆破シーンはすごかったじゃないですか。
でも、僕たちはそんなすごい爆破シーンじゃなくて、爆弾を仕掛けて家の3分の1だけ爆破する計画だったんですよ。家の3分の2は残っていて、爆破した後、僕たちが残っている家に駆け寄って『みんな大丈夫か?』というシーンなんですけど、『5、4、3、2、1、どうぞ』ってなったら、爆破で家が全部飛んじゃって何もないんですよ。『どこに駆け寄ればいいんだ?』という大変なことはありましたね。
結局、もう1回家を建て直して撮り直すことになって。それが大変だったぐらいで、あとは大丈夫だったかな。ボーッとしている時間が多かったので、交戦していない時は、これが戦争なのかという感じで撮影に臨んでいました」
■刑事ドラマで柴田恭兵さんの相棒に
1996年、「はみだし刑事情熱系」(テレビ朝日系)がスタート。この作品は、犯罪の多様化・広域化という、現代の犯罪事情に対応すべく新設された組織・警視庁刑事部広域特別捜査隊(通称・広域)所属の刑事たちの活躍を描いたもの。
主人公は、柴田恭兵さん演じる熱血刑事・高見兵吾。風間さんは、高見が最も信頼する相棒・
西崎駿一刑事役。2004年まで続く人気シリーズとなった。
「今はいろいろ制限がありますけど、昔は結構大掛かりでやっていたので面白かったですね。カーチェイスとかも自分たちでやっていましたから。そんな時代でしたね(笑)」
2002年、映画「助太刀屋助六」(岡本喜八監督)に出演。この作品は、5歳で母と死に別れ、仇討ちの手助けをする助太刀屋という商売をすることになった助六(真田広之)が、7年ぶりに帰った故郷で実の父親・片倉梅太郎(仲代達矢)の仇討ちに関わることに…というストーリー。
風間さんは、片倉梅太郎の仇討ちを脇屋新九郎(鶴見辰吾)と共にする妻木涌之助役。この仇討ちをすることになった事件の真相を確かめようとして殺害されてしまう。
「岡本喜八監督の奥さんのミネ子さんが企画をやってらっしゃって、『出てよ』って言われたので、『はい、何でも行きますよ』という感じで出させていただきました」
――正義感が強く、仇討ちをすることになった事件の真相に迫ろうとして殺されてしまいます
「グッとくる話で、さすが喜八ワールドだなと思いました。監督とは『大誘拐〜』以来だったので嬉しかったです。監督は映画が大好きなんですよね。だから、こだわりとかがすごくよく描かれていて。
スタッフもみんな監督の作品をやりたくて、ノーギャラでいいからやらせてくれというスタッフとかもいて。だから、みんな監督がやりたいことを自分の中に刷り込んでいるんですよね。
監督のことがあまりにも好きすぎて『こういうのが撮りたいんじゃないかな』とか、『こういうのが好きだろうな』というのもわかっている。喜八ワールドなので。それを全部伝達してくれて、その中でできるのですごく気持ち良かったです」
――監督もやりやすかったでしょうね
「そうですね。だから、リハーサルもやらないで、一発本番とかもよくありました。緊張はしましたけど、楽しかったです」
この作品を撮影していた2001年に飼い始めたオスのゴールデンレトリーバーには、「ロコ助六銀之助」という名前を付けたという。
「中学生の時から波乗りをしていたので、ローカルサーファーの通称の『ロコ』と、撮影中だった映画から『助六』、それと名前の響きが好きだった『銀之助』もくっつけて『ロコ助六銀之助』。愛称は『ロコちゃん』で、13年間一緒に暮らしていました」
――ロコちゃんのために湘南に引っ越されたこともあったとか
「海に連れて行ったらすごく喜んで海が大好きだったので湘南に越して、10年ぐらい住んでいました。許される限り撮影現場にも連れて行きましたし、撮影のために京都で半年間暮らした時も連れて行って。
ロコちゃんがいた時は、完全にワンちゃんファーストの生活でした。お犬さまというか。喋(しゃべ)れないですから、何となくこんな感じかなという感じで優先していましたね」
ロコちゃんへの愛を感じる。次回は、「科捜研の女」シリーズ、映画「ゆずり葉の頃」(中みね子監督)、「おコメの女-国税局資料調査課・雑国室-」(テレビ朝日系)などの撮影エピソード、公開中の主演映画「おかえりの湯」も紹介。(津島令子)
ヘアメイク:岩本郁美




