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2026年7月21日 14:23

さとう珠緒 芸能界をやめようと思っていた時に特撮ドラマのオーディションに合格!「号泣しました」

さとう珠緒 芸能界をやめようと思っていた時に特撮ドラマのオーディションに合格!「号泣しました」
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1995年、スーパー戦隊シリーズ「超力戦隊オーレンジャー」(テレビ朝日系)に丸尾桃(オーピンク)で出演し、キュートなルックスと抜群のプロポーションで人気を博したさとう珠緒さん。「ぶりっ子キャラ」で一世を風靡。男性の圧倒的な支持を集める一方、「女が嫌いな女」で1位に選ばれて話題に。「出動!ミニスカポリス」(テレビ東京系)、「王様のブランチ」(TBS系)、「スーパー競馬」(フジテレビ系)、映画「希望ヶ丘夫婦戦争」(高橋巖監督)などに出演。映画「おかえりの湯」(夏目大一朗監督)が公開中のさとう珠緒さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)

■サブカル系女子なのにアイドル活動に耐えられず…

事務所提供
           事務所提供

千葉県で生まれ育ったさとうさんは、厩務員をしていた祖父の影響で、小さい頃から競走馬を見て慣れ親しんでいたという。

「小さい時は、友だちと遊ぶのも好きなんですけど、ひとりで遊んだりするのも好きで、気がつくと1個のことに集中しちゃうタイプでした。当時『織物屋さん』とか『印刷屋さん』というおもちゃがあったので、そういうものを与えられると、ずっと集中して遊んでいました。

それで、友だちと遊ぶ時には、『これは人付き合い用』という感じで『リカちゃん人形』を持って行ったり、男の子とは、外で自転車に乗って遊んだりしていましたね。

近所に『船橋競馬場』があって、祖父が働いていたので、そこに遊びに行くと馬がいっぱいいて。競走馬だから気が荒くて、危ないから近づいちゃいけないと言われていたんですけど、こっそり見に行っていました」

――のちに競馬の番組をされるのも納得ですね。芸能界に入りたいという思いは?

「子どもの頃からテレビが大好きだったので、すごく憧れはあったんですけど、自分がやることは、あまり想像できなかったです。キョンキョン(小泉今日子)や(松田)聖子ちゃん、(中森)明菜ちゃんが大人気の昭和の輝かしい時代だったので、私なんかからすると、到底雲の上の存在ですよね」

――スカウトされたりすることは?

「スカウトじゃなくて補導されちゃって(笑)。千葉に住んでいたのですが、叔母が(東京の)原宿に住んでいて、小学生の時に竹下通りをひとりで散歩していたら警察に補導されたんですよね。スカウトじゃなくて(笑)。

今と違ってもっと静かな感じだったので、叔母のところに遊びに行った時にひとりでよくキディランドにおもちゃを見に行ったりしていたんです。夕方6時ぐらいだったかな。警察からの連絡で叔母もビックリですよね。すぐに迎えに来てもらえましたけど」

――芸能界に入ることを考えたのは、いつ頃ですか?

「中2ぐらいの時に、その叔母の友だちのところにいたお姉ちゃんが、『この子、芸能人にしたらいいんじゃない?』って言って。それで叔母の知り合いの事務所に最初は預かりみたいな形で入れてもらいました。

中学を卒業したぐらいの時に『第2回ミス・アクション・オーディション』で準グランプリになって、『キキミークラブ』という10人ぐらいの女の子たちのグループのメンバーになって、TBSラジオの生放送が毎週土曜日にあったんです。

日比谷シャンテのサテライトスタジオみたいなところから『土曜の夜に捕まえて』という番組をやっていました。いきなり生番組でスタートしたんです(笑)。

10人ぐらいの女の子たちが、ワシャワシャ喋(しゃべ)るんですけど、私は『懺悔(ざんげ)の部屋』というコーナーがありまして、『こういう失敗をしてしまいました。ごめんなさい』って(笑)」

――それは、どのぐらいやられていたのですか?

「半年ぐらいです。みんなでイベントとかもやっていたのですが、そういうのがちょっと耐えられなくて。当時私はバンドが好きなサブカル系女子だったので、自分のやっていることに耐えきれなくて、『やめます!』と言ってやめちゃいました。

サブカル系なのにアイドルみたいなことをさせられているのはちょっと…という感じで。『私は何をやっているんだろう?』って思って。今思うと、本当に覚悟のない感じでやっていたので、そうなっちゃったのかもしれないです。

その後、普通に高校生活を送っていたのですが、私は団塊ジュニア世代ですごく人口が多くて就職氷河期だったんです。その時にたまたま『またやりませんか?』ってお誘いを受けて。

特にやりたいこともなかったのでちょうどいいかなみたいな感じで、またヌルヌルッと復帰した感じです(笑)。何か特別芸能界でやりたいと自分で思ったわけでもなくという感じで。よくわからないまま、誘われたからちょっとやってみようかなみたいなダメダメ人間でした(笑)」

――でも、それで人気が出てずっとお仕事が続いているというのはすごいですね

「本当に隙間産業みたいな感じで(笑)。タイミングよくずっと隙間でやってきたという感じです」

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■「あと2年で売れなかったら辞めます」という誓約書

芸能界に復帰し、グラビアモデルやキャンペーン・キャラクターも務めたが、なかなかうまくいかなかったという。

「18歳ぐらいの時に、本当に仕事がなくて。オーディションも受からないし、ダラダラしていたら、またそこでも叔母が出てくるんですけど、『あと2年で売れなかったら辞めます』という誓約書を書かされて。

それで、『もうこれでダメだ。辞めるんだ』って覚悟した時にスーパー戦隊シリーズ『超力戦隊オーレンジャー』に出ることになって。オーレンジャーがなければ本当にやめていたかもしれないです」

――オーディションを受けた時はどんな感じでした?

「今は、特撮ドラマは若い子の登竜門と言われていますけど、私たちの時代はまだそうじゃなかったんですよね。

でも、オーディションに行ったら、めっちゃ人がいっぱいいて、第1次、第2次、第3次って進むうちにどんどん減っていくわけですよ。そのうちに『絶対やりたい!』という気持ちになって。

オーディションの時にどうしても受かりたかったので、空手を習っている人に(空手の)型を教えてもらって練習して行ったんです。アクション審査で、いつも“にゃんこパンチ”しかできなかったので、最後は完璧にしようと思って練習をして行ったんだけど、最後は10人くらいしかいなくてカメラテストだけですぐに終わっちゃって。

せっかく練習してきたのにって、泣く泣く諦めようと思っていたのですが、諦められなくて。やっぱりアクションを見てもらおうと思って、また戻ったのですが、アクションをやるまでもなく、もう受かっていると言われて号泣しました。超嬉(うれ)しかったです」

――撮影期間はどのぐらいだったのですか?

「1年ぐらいです。その後も後楽園とかでイベントが入ったりして、それが半年ぐらい続いたので、結構拘束されていたなという感じでした」

――撮影はどんな感じでした?

「現場にはスタッフさんが総勢50人くらいいて、2週間で2本撮りが基本。最後は撮影所でアフレコをするんですけど、撮影の時に私は立ち位置にちゃんと止まれないから、映画畑の年配の照明さんとかによく怒られていました。今だったら考えられないでしょうね。あんなに怒られることは(笑)」

――かなり怒られました?

「はい。体育会系という感じですね。ちゃんとできなくて『すみません。すみません』って謝っていました。特撮チームのスタッフは、本当に多いんですよね。50人以上いたかな?みんな団体でロケ地まで移動して撮影して、さらに特撮班はスタジオで撮影。CGとかもあるのですごい人数でした。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

撮影は超ハードでしたけど、映画畑のベテランスタッフさんに映像の基礎をいろいろ教わったりして、みんなでひとつの作品をつくり上げる喜びを感じました。必死にやって、本当にいい学校だなという感じでした。みんなは『しょうがないなあ』みたいな感じで育ててくださって。オーレンジャーが最初で本当に良かったです。

いろいろ怒られもしましたけど、みんな優しくて天国みたいな現場だったので。椅子もないし、お弁当とか食べ物も自分で取りに行って、食べたら自分で捨てに行く。当たり前のことですけど、みんなで一緒にやっていると結束力が生まれるんじゃないですか。レンジャーは、みんなすごく絆が深かったですね」

――絆が深い分、番組が終わった時は寂しかったでしょうね

「寂しかったです。女の子がもうひとりいたんですよ。イエローをやっていた子がビールの

キャンペーンガールをやっていたので、その子だけすごく忙しくて、お休みもなかったんですよね。私たちがお休みの日にも仕事に行っていて。

去年オーレンジャーの30周年だったので、まず5人が喫茶店で会って、その後で撮影のためにスタジオに男性陣3人のタクシーと女性陣2人のタクシーで行ったんです。そうしたらタクシーの中で感極まって彼女が泣き始めちゃって。それを見たら私も泣いちゃって。そういう気持ちになったことが、何かまたすごく嬉しくて。長く続けていると、こういういいことがあるんだなって思いました」

――継続は力なりですね

「そうですね。続けて来て良かったなあって」

――人気が出た…という実感はありました?

「グラビアをやるようになったら、ちょっと認知度が上がっていったんですけど、自分の意識が追いつかないというか、そんな感じでしたね。褒められたとしても、自分のことじゃないような感じがしていました。

私がグラビアの仕事を始めた時は、たまたまグラビア氷河期と言われていてちょっと目立ったというか。今みたいな時代だったら通用しなかったのかもしれないです。だから、すごくいい時代でした」

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■ミニスカポリスの衣装を見た時は…

1996年、「出動!ミニスカポリス」(テレビ東京系)の初代ポリスとして活動することに。

テリー伊藤さんの企画によるこの番組は、ミニスカートでアメリカン・ポリス風の婦人警官の制服に身を包んだミニスカポリスたちが、「時にはパンチ!時にはキック!タイホしちゃうぞ!」を決めゼリフに、「任務」と呼ばれる様々なゲーム等に挑戦するというもの。

――スタイルの良さが際立っていて、ミニスカートの制服が良く似合っていましたね

「ありがとうございます。お尻ギリギリのミニスカートで。あの衣装を見た時は、さすがに断ろうかと思ったんですけど、やることになって。こっちが恥ずかしがっていたら見ている方も恥ずかしいだろうなと思って気をつけるようにしました」

――企画はテリー伊藤さんだったのですね

「そうです。あの番組は、朝5時とか6時集合で2本撮りだったんです。例えば『夜のカップルを追跡しよう』って、ミニスカポリスの格好で待たされるんですよ。1歩間違えたらストーカーですよね(笑)。

あと、ミニスカポリスがパンチラして、男の人が一瞬でもそれを見たかどうか検証するみたいなこともやっていました(笑)。本当に今考えるとすごいことをやっていましたね。楽しかったですけど(笑)。

でも、半年ぐらいで初代ミニスカポリスはいきなり終わっちゃったんです。初めてだったからテストケースみたいなものだったのかもしれないですけどショックでした。いつものように『また来週よろしくお願いします』という感じで帰って終わりでしたから。

そのあと2代目、3代目って別のミニスカポリスたちが続くんですけど。でも、ミニスカポリスをやっていた時に電車で隣に座っていたサラリーマンが、『今日ミニスカポリスだから帰らなきゃ』って言っているのを初めて聞いたんですよね。あの番組を楽しみに見ている人がいるんだと思って、すごく嬉しかったです」

――当時の深夜番組は結構すごい企画が多かったですね

「テレビ東京だったのですが、『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系)とか、その当時で際どいギリギリのところで勝負してやろうという気概みたいなものはありましたよね。ちょっとエロチックすぎて(笑)。今はもうエロチックもコンプラであまりできなくなりましたけど、時代ですよね」

「超力戦隊オーレンジャー」を見て「スーパー競馬」のプロデューサーが、アシスタントとして起用、のちに司会を担当することになり、「スーパー競馬」がきっかけで「王様のブランチ」の2代目司会者に。そして「走れ公務員!」(フジテレビ系)で連続ドラマ初主演を果たし、仕事の幅が広がっていく。次回は、ぶりっ子キャラ、撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

※さとう珠緒(さとう・たまお)プロフィル

1973年1月2日生まれ。千葉県出身。1995年、「超力戦隊オーレンジャー」で注目され、「出動!ミニスカポリス」、「タモリの超ボキャブラ天国」(フジテレビ系)、「スーパー競馬」、「王様のブランチ」、「愛のエプロン3」(テレビ朝日系)、映画「釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪!」(本木克英監督)、オリジナルビデオ「ネット探偵アイコ 殺人サイトの謎」(宮坂武志監督)、映画「刺青 匂ひ月のごとく」(三島有紀子監督)などに出演。「月刊さとう珠緒」(新潮社)など写真集も多数出版。映画「おかえりの湯」が公開中。

ヘアメイク:結城小百合

                                          

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