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2026年8月18日 13:40

倉田保昭 80歳でスタントなしのアクションに挑んだ主演映画が公開!

倉田保昭 80歳でスタントなしのアクションに挑んだ主演映画が公開!
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1970年代、カンフー映画全盛の香港映画デビューを果たし、スピード感あふれるアクションで“和製ドラゴン”として広く知られている倉田保昭さん。1974年、香港映画26本目となる「帰って来たドラゴン」(ウー・シーユエン監督)が日本でも公開されて凱旋。

4年間レギュラー出演した「Gメン‘75」(TBS系)降板後、再び香港映画に復帰。以降、香港、台湾、日本国内で多くの作品に出演。現在80歳、俳優生活60周年を記念して製作された最新主演映画「夢物語 The Living Dragon」(坂本浩一監督、下村勇二監督、谷垣健治監督)が全国順次公開中。(この記事は全3回の後編。前編と中編は記事下のリンクからご覧になれます)

■俳優だけでなく、映画の原案・企画・製作も

1979年に「Gメン‘75」を降板後、苦戦を強いられていた倉田さんは、日本にロケで来ていたジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー(現:サモ・ハン)、ユン・ピョウと再会。サモ・ハン・キンポーの会社と3本の映画出演の契約を交わすことに。

1985年、映画「七福星」(サモ・ハン・キンポー監督)で再び香港映画に復帰した倉田さんは、同監督の「上海エクスプレス」と「イースタン・コンドル」に出演。以降、日本と海外を股にかけて活躍することに。

1976年、「倉田アクションクラブ」、1985年に倉田プロモーションを設立し、人材育成にも力を入れている。門下生は約2万人。子どもを対象にした空手道場「創武館道場」の道主も務めている。

1989年、主演のほか、製作・原案・アクション監督を務めた日本・香港合作映画「ファイナルファイト 最後の一撃」(後藤秀司監督)、2003年には、原案・脚本・製作総指揮・主演をつとめた「黄龍 イエロードラゴン」(鹿島勤監督)、2012年、映画出演100本目記念作品「レッド・ティアーズ」(辻本貴則監督)などを製作。

映画「黄龍 イエロードラゴン」は、人間の戦闘能力を飛躍的に高めるが強烈な毒性を持つ劇薬<イエロードラゴン>という薬の抗体を持つと言われ、悪の組織から狙われる日本人少女(宮本真希)を守るために戦う主人公を熱演。迫力の空手アクションに圧倒される。

「構想5年、準備期間2年をかけた作品です。オール中国ロケでしたけど、撮影時は黄砂がすごくて大変でした。必要な時には来なくて、いらない時に来る。そういうものなんですよね(笑)」

2012年に公開された映画「レッド・ティアーズ」は、バイオレンススリラー。この作品は、都内各地で頭部を切断された遺体が発見され、倉田さん演じる三島刑事が特殊部隊を率いて都会に潜む吸血鬼一族を抹殺するという極秘任務を遂行する様を描いたもの。

「うちの会社としては珍しい作品でした。僕が監督を選んだんですが、その監督がこういうジャンルを得意としていて。脚本を監督が書いていますからね。東京国際映画祭に出ちゃったりしましたけど、あれだけは異色です(笑)」

幅広く活躍を続けている倉田さんを大学卒業後、倉田プロモーションに入社した長女・奈々さんが全面的にサポート。マネジメントをはじめ、映画のプロデュース、制作サイドとのスケジュール調整、海外ロケの際には、キッチン付きのホテルを手配し、食事も手作りしているという。

「たまたま彼女が大学を卒業した時に、うちが中国ロケで映画を作っていたから制作の手伝いをやってもらっていたんです。でも、うちの会社はそんなに頻繁に映画制作をするわけじゃないからマネジャーとか、いろいろやってもらうことになって。

彼女は海外に住みたいという思いがあったから、僕の知り合いが多い香港に13,4年住んでいたんです。香港のコーズウェイベイに開設した『空手道場 創武館』の代表として、コロナの前までやっていました。彼女がいろいろやってくれるようになったので、やりやすいし安心して仕事ができます」

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■旧知のジョン・ウー監督の映画に出演

2017年、映画「マンハント」に出演。この作品は、1976年に公開された高倉健さん主演映画「君よ憤怒の河を渉れ」(佐藤純彌監督)をジョン・ウー監督がリブートしたサスペンス映画。

何者かに罠にはめられて殺人犯にされ、無実を証明するために逃亡を図った弁護士ドン・チウ(チャン・ハンユー)と、独自の捜査で彼を追う敏腕刑事・矢村(福山雅治)が真相に迫っていく様を描いたもの。倉田さんは、逃亡中のドン・チウを匿うホームレスの坂口秀夫

役。

――ジョン・ウー監督は、倉田さんが最初に香港で出た映画の助監督で、「Gメン‘75」の大ファンでもありますが、撮影はいかがでした?

「僕は彼を尊敬しているし、人がいいんですよ。『こんなに人がいい監督っているのかな?』っていうぐらい人が良くてね。『マンハント』の時も、監督とご飯に行ったりして楽しかったですけど、たまたま僕のシーンというのは監督じゃなかったんですよ。

撮影シーンが多かったので、2班に分かれて撮っていて、監督はA班で、僕はB班だったんです。『何でこっちを撮ってくれないの?』って言ったら『俺もそっちに行きたいんだけどね。俺はそっちのモニターばかり見ているんだよ』って言っていましたよ」

――倉田さんが演じた坂口はドン・チウを助けてあげてカッコ良かったですね

「そうですね。普通はあんなに丁寧に撮る役じゃないですよ。僕だったから気を使ってくれたんでしょうね。監督がモニターを見ながらいろいろ言っていたみたいですから(笑)。ジョン・ウーさんとは、撮影が終わってからも食事に行ったりして楽しい時間を過ごしました」

2018年、映画「戦神 ゴッド・オブ・ウォー」(ゴードン・チャン監督)に出演。この作品は、倭寇を討伐した明の名将・戚継光の史実をもとにした中国・香港合作の歴史アクション映画。

中国沿岸部を荒らす倭寇の脅威にさらされていた兪将軍(サモ・ハン・キンポー)率いる明軍。倭寇の大将・熊澤(倉田保昭)は、松浦藩の武士で、明の財宝を奪って勢力を広げようとしていたが、明の将軍・戚継光(チウ・マンチェク)によって倭寇の優勢は覆されていく…。

倉田さんが演じた熊澤は、略奪行為を行う武装集団日本人(武士)と中国人のならず者たちの混成武装集団「倭寇」の大将。倉田さんとチウ・マンチェクの一騎打ちは圧巻。倉田さんは、この作品で「第24回香港電影評論学会大奨 最優秀男優賞」を受賞した。

「サモ・ハンさんも共演でね。あれはすごい規模でした。こんなスケールで撮るんだと思って。今、ゴードン・チャン(監督)とも毎日のようにメールでやりとりしていますけどね。

彼とは、1994年に『フィスト・オブ・レジェンド/怒りの鉄拳』というジェット・リーと共演した作品以来で、その作品で、最優秀男優賞なんて取れるとも思ってなかった。香港の映画祭で日本人がノミネートされてみたいな。ゴードン・チャンと一緒にやると『お互いにいいね』って言っていましたよ(笑)」

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■愛弟子である3人の監督ならではのメモリアル映画が誕生!

(C) 2026 アートポートインベスト(株)/(株)倉田プロモーション/武蔵野興業(株)
(C) 2026 アートポートインベスト(株)/(株)倉田プロモーション/武蔵野興業(株)

現在、全国順次公開中の最新主演映画「夢物語 The Living Dragon」も倉田プロモーション製作。倉田さんは、企画・製作総指揮も担当。プロデューサーは、倉田奈々さん。倉田さんの愛弟子である3人の監督による3本の短編からなるオムニバス映画。3歳になる愛犬“いちご”ちゃんも出演している。

坂本浩一監督の「〜追躡(ついじょう)〜」では、再び表舞台へ立つために70年代の任侠映画「残侠列伝」のリメイク作品のオーディションを受ける俳優・田中平蔵。オーディションに向けて己のすべてを懸けた稽古に挑む。

下村勇二監督の「ハート・オブ・ドラゴン-龍的心-」では、内気で不器用なOL・リナ(武田梨奈)が夢の中で出会う憧れのアクション俳優。謎の男・カトウ(加藤雅也)に導かれながら、リナは恐怖や弱さと向き合い、自分自身と闘うことに。

谷垣健治監督の「不思議の国のドラゴン」では、1973年7月20日の香港の街にタイムスリップする80歳の田中平蔵。その日がブルースの命日であることに気づいた瞬間、平蔵はこの時代には存在しない最新の“心臓の薬”を彼に届けるために香港の街を走り出す。

倉田さんは、スタントを使わず、刀による殺陣、カンフーアクション、肉弾戦のすべてを自ら演じ、唯一無二のアクション俳優であることを証明している。

「2年ぐらい前から『夢物語』を3本撮りたいと思っていたんです。それについては、監督はこの3人でと決めていたんですけど、何せ忙しい人たちで日本にいなかったりするので電話で連絡したりして。

今回こういう作品になったのは、彼らのおかげです。『自分で脚本を考えて自分で演出します』という約束ですから、僕はいろいろ言う筋合いもないし、彼らにまかせました」

(C) 2026 アートポートインベスト(株)/(株)倉田プロモーション/武蔵野興業(株)
(C) 2026 アートポートインベスト(株)/(株)倉田プロモーション/武蔵野興業(株)

――それぞれのお話の内容を聞いた時は、どう思われました?

「自分の東映時代の話とか夢の話、香港時代の記者会見の話、ブルース・リーの話などは、彼らにしていましたからね。下村監督はスケジュールが合わなくて一番最後に決まったんですけど、どうしても彼にやって欲しかった。彼は昔の『ショウ・ブラザーズ』時代のアクションが好きだと言うので、それがテーマにはなっていますよね」

――「不思議の国のドラゴン」では、サモ・ハンさんと共演。お二人のアクションシーンにワクワクしました

「これは、香港ロケをしようということは決まったんですけど、香港で誰かに出てもらいたいけど、誰に出てもらおうかという話になって。

サモ・ハンさんが一番いいんだけど、ちょっと予算もないし、一応声をかけてみて断られても友情は変わらないかと思って連絡したら、まだストーリーも話してないし、予算の話もしてないんだけど、『俺、お前の作品なら出るよ』って言ってくれて。嬉(うれ)しかったですね。

40年以上前、『Gメン‘75』降板後、仕事がなかった時に『俺たちと一緒にやらないか』と彼が声をかけてくれなかったら、今の僕はないと思いますからね。本当に感謝しています」

――お二人が強い信頼関係で結ばれていることがわかりますね

「そうですね。サモ・ハンさんは、かけがえのない盟友です。今も毎日メールしていますよ。『おはよう』って。お互いの生存確認みたいなものですね(笑)」

――チャーミングな方ですよね。昔、最初に見た時は衝撃的でした。あんなにポチャッとしているのにスピーディなアクションをされていて

「そうですよね。普段は無口でおとなしい人なんです。話もそんなにはしないし。映画の画面とはちょっと違うんです。でも、アクションもすごいし、監督としてもいろんな作品を撮っていて、みんなに尊敬されていますね、彼は」

――サモ・ハンさんとのアクションシーンの撮影はいかがでした?

「彼とアクションするのは、『七福星』以来だから約40年ぶり。香港ロケは3日だったかな。サモ・ハンさんは風邪をひいた後で、体調があまり良くなかったんです。立ち回りのアクションシーンは大丈夫かなって心配したんですけど、やっぱり立ち回りのシーンになったらすごいんですよ。あれもリハーサルなし。サモ・ハンさんと一緒だとやっぱり楽しいですね」

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■80歳でスタントなしのアクションシーンに挑戦

 映画でも共演している愛犬“いちご”ちゃんと
 映画でも共演している愛犬“いちご”ちゃんと

俳優生活60周年のメモリアルイヤーに相応しい作品に。若いうちは仕事でアクションシーンを演じることがトレーニングでもあったという。

「私みたいな者が60年俳優生活を続けることが、やっぱり夢みたいな話で。何で続いたのかどうか自分でもわからないですけど、気が付いたら60年経っていたというだけ。『あっ』という間ですよね。長くもないし、本当に流れ星みたいな感じ。『人生って、こんなにあっという間なの?』という感じですね」

――80歳になられたということですが、スピード感あふれるキレキレのアクションシーンが圧巻でした。タイムスリップした感じすらしました

「僕にはスタントがなかったですからね。3人に『80歳で素手でアクションをする人はいませんよ』っておだてられてやっちゃいました(笑)。

僕がひとりで6人を相手に戦うシーンもありますけど、ワンカットで撮影して一発でOK。NGなしでした。途中で僕の手が止まったとしてもカメラは回し続けることになっていたんですけどね」

――エンディングで流れる曲「友よ」も倉田さんが歌詞も書かれて歌ってらっしゃいますが、

いろいろな思いが重なって胸が熱くなりました

「ブルース・リーが亡くなったのは、まだ32歳という若さでしたからね。『燃えよドラゴン』(ロバート・クローズ監督)が世界中で大ヒットして、みんなが『アチョー アチョー』って真似をするぐらいブームになったのも知らずに亡くなってしまった。本当に早すぎましたよね。

あの当時、彼は、仕事のない日はウォータールーロードという通りを夕方4時にフードをかぶって走るんですよね。僕も反対側を走っているからお互いに手を振って行き過ぎる。

そのあと僕は台湾に行ったんですけど、その間に亡くなってしまって…。ですから、あの歌詞は、本当にその時のままを書きました。せめて『燃えよドラゴン』が大ヒットしたことを知って欲しかったですよね。本当に残念です」

――ブルース・リーとのお写真がエンディングロールにたくさんあって興奮しました

「僕しか持ってない写真もありますからね。写真はすべて『ブルース・リー財団』の許可を得ましたけど、香港の記者が空港で撮った彼との写真は、彼がローマロケに行くときに僕が見送りに行った時の写真で、すごくいいんですよね」

エンディングロールには、サモ・ハン、ジャッキー・チェン、ブルース・リャン、ユン・ピョウ、ジョン・ウー監督ほか、数多くの写真が使われていて、倉田さんが歩んできた歴史の一端を垣間見ることができる。

――エンディングロールでは、倉田さんが開脚してストレッチをされているところもありました。今回も頭の上まで蹴りを披露されていますね

「若い時からストレッチは毎日必ずやっていますからね。普段の生活の中にもストレッチは取り入れていますし、軽めの筋トレも。毎日1時間はトレーニングをしています」

――スクリーンの中でいろいろな方たちと闘って来ましたね。1976年に公開された主演映画「武闘拳猛虎激殺!」(山口和彦監督)では虎と闘っていて驚きました

「そうそう。虎と戦うなんてとてつもない企画だなと思ったんですけど、若かったですからね。でも、調教されているとはいっても200kg近くある大きな虎だったので、毎回ヒヤヒヤしながら撮影所に行っていました(笑)」

――今後はどのように?

「“レジェンド”と呼ばれることもありますけど、僕自身はまだ道半ばです。先のことはわかりませんが、できることなら、あと2,3年はアクションを続けたいと思っています」

空手七段、柔道三段、合気道二段、和製ドラゴンの愛称で香港、日本、台湾を股にかけ活躍してきた倉田さん。身のこなしがシャープで佇まいもカッコいい。アクションは練習するものではなく本番でやるもので、殺陣に関しては独学だというからすごい。この先もステキなアクション俳優として活躍してほしい。(津島令子)

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