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2026年9月11日 13:27

パンツェッタ・ジローラモ “ちょいワルおやじ”で大ブレイク!「おじさんたちを目覚めさせちゃった(笑)」

パンツェッタ・ジローラモ “ちょいワルおやじ”で大ブレイク!「おじさんたちを目覚めさせちゃった(笑)」
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■雑誌「LEON」の“ちょいワルおやじ”は世の同輩を元気に、居酒屋で「ありがとう」と“おやじ”にハグされて

1988年に来日し、日本在住38年目となるパンツェッタ・ジローラモさん。月刊誌「LEON」(主婦と生活社)で“ちょいワルおやじ”として話題に。モデル、タレント、文化人、コンサルタント、実業家など多くの顔を持ち、著書も多数。俳優としても活躍。連続テレビ小説「ちむどんどん」(NHK)、「警視庁・捜査一課長 スペシャル」(テレビ朝日系)、「ムショラン三ツ星」(NHK)などに出演。映画初主演を果たした「TAVERNA DE GAGA−人生はまだまだ面白い−」(浜野安宏監督)が公開中のパンツェッタ・ジローラモさんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)

■女性に情熱的で愛情表現が豊かな父親は、内気でシャイな僕を“プレイボーイ”にしようと…

イタリアのナポリで生まれ育ったジローラモさんは、小さい時は大の恥ずかしがり屋だったという。

「めちゃくちゃ恥ずかしがり屋で、初対面の人とはお話できなかった。人が来ると隠れちゃうような子どもでした。

でも、そういうイメージを壊そうと思って。壊すためにいろんな心理的な本を読んだりして、

13歳ぐらいかな。人の前で喋(しゃべ)るように無理しながらやっていたんですよね。

学校でクラスルームの責任者になろうと思って。そうなったら人前で喋らないといけないじゃないですか。あそこからずっと人の前で喋るきっかけを作っていました。恥ずかしいけどやってみようかなと思って、いろいろ失敗しながらちょっとずつ壁を壊して。

あと旅もしました。旅をすればするほどひとりのシーンが多いから自分で頑張らないといけない。恥ずかしいなんて言っていられないじゃないですか。それで、イギリスが好きだったので、夏休みによく行っていました。

13歳と14歳の時。だんだん人前でも大丈夫になってスピーチすることになったり。あとイタリアの教会に行くと、人の前で本を読まないといけなくて、それも好きじゃなかったけど、無理やりやったりしていました。めっちゃくちゃ恥ずかしかったけど、いろいろやって変わりました」

ジローラモさんは、イタリアで建設会社を営んでいた父親の影響で、建築家になるための経験を積まされていたという。

「お父さんの会社は、政府から高速道路とか船着き場など結構大きな仕事をもらっていたんですけど、僕が14歳の時に亡くなってしまったので、それからが大変でした。

11歳上のお兄さんが継いで家族で続けていたんだけど、会社が大きかったのでお父さんがいないと無理で、半分以上売ってお兄さんが続けてやっていたんですね。僕はまだ子どもでできないから」

――ジローラモさんもお父さまと同じように建設関係の仕事をされる予定だったのですか

「イタリアの場合は、大体お父さんのやっている会社を続けるんですよ。なぜかというと、ゼロから作ると大変だから、僕もそうしようと思っていました。お父さんは僕に対してすごく期待してくれていたんですね。

一番下だったから可愛かったんだと思う。ずっと僕の話ばかりしていたって。お兄さんは、お父さんとはいつもケンカばかり。僕は何でケンカするのか意味がわからなかった。

政治家関係はお父さんが仕事でずっと付き合いが多かったんですけど、僕は見ているだけで何が行われているのかわからないし、自分の世界を育てていたんですよね」

――その時、自分でなりたいものはありました?

「なかったです。僕にとっての当時の世界は、恥ずかしがり屋を壊すことと、友だちを作ることだったから。みんなと一緒にはいるけど、友だちを作るのも簡単じゃなかったから、そういうことで精一杯だった。

お父さんからはストレスばかりで、『彼女できた?』って聞いてくるから。お父さんは女性が大好きだったから、息子もプレイボーイにならないといけないと思っていて。

だからそういうところで嘘をつくわけです。いつも学校に行くバスにお父さんが迎えに来るから『僕の隣に座っている女性が彼女だ』と言ったら、お父さんがわざわざ彼女に聞きに行っちゃって嘘がバレて怒られて(笑)。

お父さんは、どこに行ってもすぐに友だちができるし、女性が好きだったからお母さんに(浮気が)バレてケンカになるんですよ。子どもの頃は何でしょっちゅうケンカするのかわからなかったけど、あとでわかって、お母さんの我慢がすごかったなと。

当時は我慢するパターンですよね。逆に今だったらすぐ別れるけど、お母さんも心の中でチャンスがあったらどこかに行きたかったんじゃないかな。

でも、お父さんが亡くなったのは僕が14歳の時だから、男同士の話をすることはできなかったんですよね。だから、今回の映画(TAVERNA〜)の中で、大人になった僕にお父さん役の人がいるというのは、もしお父さんが生きていたらこんな感じなのかなって、その気分を味わえてちょっと不思議な感じでした」

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■父親の友人の仕事に同行して初来日、帰国の機内で将来妻となる日本人女性と運命の出会い

高校卒業後、ジローラモさんは歴史的建造物の修復を学ぶことに。

「大学生の頃、イタリアで大きな地震があって、国を挙げて復旧作業をすることになったんです。いろいろなところで家や建物が壊れてしまったので。政府から建設会社にどこの修復を担当するか指示が来るんですよ。僕は2000人くらいが暮らす村を担当したんですけど、すごく印象に残っています」

――日本に来ることになったのは?

「僕のお父さんの友だちが日本人の建築家の本を出すことになって、その資料を集めるために日本に行くしかないということで同行したんです。19歳くらいだったかな。それで、資料をまとめてイタリアに帰る飛行機の中で家内と運命的な出会いをして。

当時は友だちだったんです。別に何か関係があるわけじゃなかったけど、イタリアに帰って1年後くらいに付き合うようになって、まだ大学生だったんですけど、2級建築士の試験に通ったし、彼女と一緒に日本に行ってみようということに。それで1988年に日本に来ました」

1988年に結婚。26歳から本格的に日本語を勉強することに。

「義理のお父さんが、最初は反対していたのですが、『日本に来たなら日本語が喋れないといかん』ということで、日本語学校に行くことになって。日本語学校に行っている時にNHKの『イタリア語講座』にスカウトされてイタリア語講座を始めました。日本の大学にも通い始めて。

最初は、ウェーターの制服を着てボーイさんの役だったんですけど、だんだん自分の洋服になっていって、そうしたらファッション関係の人が『この洋服を使ってください』って来るようになって」

――ご自身ではモデルとか、タレントになるというお考えは?

「なかった。ただ、NHKのイタリア語講座をやった時、面白かったんです。カメラから人の家に入る感じというか、そういうコミュニケーションを取ることがすごく面白いなあって思いました」

――「イタリア語講座」で、「典型的なイタリア人」として話題になりましたが、ご自身ではいかがでした?

「一般的なイタリア人をイメージする人もいるけど、僕は多分個性的な人ですよ。イタリア人にとっては一般的じゃないと思う。

みんなそれぞれ個性的な感じがあるけど、テレビに出たら有名になると思っている人がいっぱいいるんですよ。でも、それは誤解していると思います。

なぜかと言うと、テレビに出る人は空気を読めないといけないし、何が求められているのか、何をやればいいのか感じないと難しいです。特にバラエティ番組とかクイズ番組、ああいうところで、自分を押し出しすぎてはダメ」

――ファッションにはもともと興味があったのですか?

「お父さんがおしゃれな人でしたからね。カッコいいジャケットを着ていましたし、よくテーラーに連れて行ってもらい、ジャケットを仕立ててもらいました。だからファッションには興味がありましたね。イタリアのいろんなブランドを紹介したりして。

NHKで番組をやると、クイズ番組をやったりとか、結構NHKのいろんな番組を全部回るんですよ。その後は民放に行き始めて、民放のきっかけはサッカーだったんです。サッカーをずっとやっていたので。

もちろん台本はあるけど、それだけじゃないんです。僕は外国人だから、先輩と後輩というのがあまりないんですよ。日本では、先輩と後輩の関係ってすごいじゃないですか。僕の場合はそれがないから良かったのかもしれない。

あと、やっぱりいろいろ考えましたよね。『イタリア料理を作る人たちを紹介したら面白いかな』と思ってイタリアにいる人たちを紹介したり、レシピなども紹介しました。家内もいろんなイタリア料理を作ってくれていたので、一緒にイタリア料理の本もたくさん作りました」

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■雑誌「LEON」の“ちょいワルおやじ”は世の同輩を元気に,居酒屋で「ありがとう」と“おやじ”にハグされて

2001年、月刊誌「LEON」が創刊されるとモデルとして“ちょいワルおやじ”の代名詞的存在に!

――「LEON」は衝撃的でした

「あの頃はそうでしたね。当時は特に面白かった(笑)」

――ひとつの時代を作った雑誌でしたね

「そうだと思います。あの時代はいろいろ変化できて、そういう面白いことが日本のサラリーマンの洋服の使い方も変わったんですよね。刺激を受けて。

今はやっぱり時代が変わっているから雑誌も薄くなっているんです。作ったりする人も当時よりパワーが少なくなっている気がします。若者の世代がパワーがないのは、ちょっと寂しいですね。あとは、今は、あれがダメ、これもダメって禁じられていることも多いから」

――「LEON」が創刊された時、あそこまで注目されると思いました?

「全然。誰も思わなかった。当時は他の雑誌をやっていて、『LEON』に出たら多分他の雑誌には出られないだろうと思ったから断ろうとしていたの。だから1年間だけやろうみたいな感じだったけど、僕にもスポンサーがついていたんですよ。

『LEON』と一緒にスポンサーもついたから、結構いい出会いだったんですよね。あれはやっぱりあの時代のほうが面白かった。というのは、ちょうどバブルの後で、バブルをやっていた人たちをワクワクさせたんじゃないですか。

おやじになってもワクワクする気持ちを持てるということがわかって。やっぱり男性は頭の中が空っぽなところがあるんですよ。『カッコいいよ』と言われたら嬉しい。別に若い人と付き合っているとか、付き合ってないというのは関係ないんですよね」

――世のおじさんたちに夢を与えましたね

「そういうことです。本当にあの時代はすごかった。一度どこかの和食屋さんにご飯を食べようと思って入ったら、中に知らないおじさんが立っていて、いきなり『ありがとう』ってハグされたんです。

『LEONが出てから変わった』って奥さんに言われたんだって。『チャンスというのはまだある。僕は終わってない』って(笑)。年を取るとワクワクすることが減るけど、いろんなことに興味を持って続けてやればアンチエイジング、元気になるじゃないですか。おじさんたちを目覚めさせちゃった(笑)」

「連続して最も多くファッション誌の表紙を飾った数(男性モデル)」という記録は現在も更新中。「笑っていいとも!」(フジテレビ系)の「ちょい悪オヤジに変身!」のコーナーを受け持ち、ディズニー映画「カーズ」シリーズでは声優としてルイジの声を担当することに。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

※パンツェッタ・ジローラモプロフィル

1962年9月6日生まれ。イタリア・ナポリ出身。1988年、日本に移住。「NHK外国語会話 イタリア語会話」(現NHK Eテレ)で人気を博す。2001年に創刊された月刊誌「LEON」で「ちょいワルおやじ」として大ブレイク。「連続して最も多くファッション誌の表紙を飾った数(男性モデル)」という記録名でギネスワールドレコーズ2014に世界記録として認定され、現在も記録を更新中。実業家としても飲食店経営など多角的にビジネスを展開。著書も多数。2006年にはイタリアから騎士の称号「カバリエレ〜イタリア連帯の星勲章」を贈られる。連続テレビ小説「ちむどんどん」、「警視庁・捜査一課長 スペシャル」、「ムショラン三ツ星」などに出演。初主演映画「TAVERNA DE GAGA−人生はまだまだ面白い−」が公開中。

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