「デジタル人民元」とは…米国のドル覇権に挑む中国[2020/12/11 22:22]

今年10月。中国・深セン市で「デジタル人民元」の実証実験が行われた。抽選で選ばれた5万人の市民に日本円で約3200円分が配布され、それぞれがスマートフォンに専用アプリをダウンロードしてこの「デジタル人民元」を利用した。
中国が国を挙げて開発を進める「デジタル人民元」。一体どんなものなのか。そしてデジタル通貨戦略を推し進める習近平政権の狙いは何なのか。

深センで実際に「デジタル人民元」を体感した特派員が、中国政府の狙いを考察する。
(※深センのセンは土へんに川)

■ 赤いアプリ 開くと毛沢東が…

デジタル人民元の利用、まずは自分のスマホにそれ専用のアプリをダウンロードするところから始まる。どんなアプリなのか。画面を覗くと、赤い「¥」マークの見慣れないアプリがあった。中国では国旗も赤だし、結婚式も旧正月も赤で飾る。赤はまさに国家の象徴だ。

さて、さっそくその専用アプリを開いてみる。中国だからアプリも赤いのかもなどと考えながら、1秒、2秒、3秒と過ぎてゆく。あれ、遅いなと思い始めた矢先、5秒ほどして、人民元の紙幣で見慣れた毛沢東の顔が、スマホの画面に現れた。薄く赤みがかったその風体は、まるで本物の100元紙幣のようだ。表示には200.00とある。そう、200元の価値のお金が、実際にこのスマホの中にあるのだ。単なるキャッシュレス決済とは違った、本当にスマホの中にお札が入っているかのような、妙な感覚に陥る。さあ、実際に使ってみることにする。

10月8日、中国・深セン市は突如、国慶節の大型連休最終日を見計らったかのように「デジタル人民元を配る」と発表した。中国で誰もが「あそこは最先端だ」と胸を張るこの街が、1300万人の市民から抽選で5万人を選び、それぞれ200元ずつ(約3200円)バラまいた。総額1億6000万円の、将来を見据えた実験だ。

中国が通貨覇権を狙っている、デジタル社会に咲いたあだ花だ、いやいや本当にデジタル通貨の時代がやってくる、云々。さまざまな憶測が飛び交うのとは裏腹に、実態が掴めなかったのがデジタル人民元だった。ついに登場したとあって、さっそく私は北京から空路3時間、深センへと飛んだ。利用できるのはわずか1週間。これを逃すと、次にいつお目にかかれるか分からない。

■ コンビニでデジタル人民元を使ってみた

さて、当選確率わずか2.6%。ラッキーな5万人の中から、事前に取材のアポを取っていた洪さんと待ち合わせた。日本メディアからの突然の依頼にも、二つ返事で応じてくれた、旅行会社に勤める23歳の若者だ。中国人の旅行先について、「もともと東京や大阪が人気だったけれど、最近はみんな美しい自然やドラマの影響で、北海道に行きたがるんです」。そんな話をしながら、デジタル人民元が使えるコンビニの前に、たどり着いた。

200元のデジタル人民元が入った洪さんのスマホを借り、コンビニに入る。レジの目立つ場所に、確かに「数字人民幣」のステッカーが貼ってある。「数字=デジタル」で「人民幣=人民元」だ。つまり「デジタル人民元が使えますよ」とアピールしている。コンビニ内を1周し、6元(約100円)の輸入物のお菓子を手に取った。

さあ、デジタル人民元で支払いをする。まずは念のため、レジのおじさんに、実際に使えるかどうか確認する。「大丈夫だ」とおじさん。それではと、スマホの200元を見せる。「その画面じゃない、もっと下だ」とおじさん。毛沢東の画面をスクロールすると、下からQRコードが登場した。おじさんは手元の機械を持ち上げ、手慣れた手つきでQRコードを読み込む。「じゃあ暗証番号を入れて」とおじさん。洪さんから教わった暗証番号を打ち込む。すると支払いモードに切り替わり、画面には「6元、成功」の文字が浮かび上がった。

支払いは無事に、案外、あっさりと済んだようだ。確かに200元の毛沢東は、194元に変わっていた。最初におじさんにスマホの200元の画面を見せてから、ものの30秒だった。慣れればもっと早いのだろう。

おじさんに尋ねる。みんな本当にデジタル人民元を使っているんですか。「毎日、数十人は使っていくね」とおじさん。すると、すぐ後ろに並んでいた、黒いジャージ姿の地元のお兄さんが話しかけてくる。「俺も使ってるぜ。あ、今ちょうど全部無くなった」などと言いながら、スマホの「0元」の文字を見せてくる。ラッキーな5万人にとっては、少し早いお年玉気分なのだろう。

ふと気になった。おじさんが慣れた手つきで、スマホのQRコードを読み込んだ、あの機械。デジタル人民元だけでなく、WeChatやアリペイで支払う人も、同じ機械で同じように読み込んでいる。「デジタル人民元用の機械って、スマホ決済のバーコード読み取り機と同じなの?」と尋ねてみる。「そう、同じだよ。店としては簡単でいいよ」とおじさん。どういうことだろう。

何か特殊な機械を使うとばかり思っていた固定観念を、とりあえず脇に置く。そうか、QRコードを読み取るんだから、作業としては同じことか、などと納得してみる。デジタル人民元って、利用者にとってはスマホ決済とほぼ変わらない。これが私の第一印象だった。そして、これが大きな意味を持つことを肌で感じる。

■ ポイントは「国家の意思」と「浸透力」

今回、深センで取材したのは、前述の洪さんと、もうひとり仕事帰りに駆け付けてくれた楊さん。IT関連の会社に勤め、作家・山本文緒が好きな、20代のちょっと丸の内OL風だ。2人に共通するのは、初めて手にするデジタル人民元を、なんの痛痒を感じることもなく、すぐさま使いこなす姿だ。中国の、少なくとも都市部の日常生活では、現金を見ることはほとんどない。今回の若い2人も、ずいぶん前から現金は使っていないと口をそろえる。かく言う私も、北京から遠く離れた今回の深セン出張に、財布を持参していない。

デジタル通貨の時代は、確実にやって来る。「来るか来ないか」などという呑気な話ではない。「どれだけ早くやって来るか」というフェーズに入ったと考えている。ポイントは「国家の意思」と「浸透力」だ。

まず「国家の意思」だ。中国政府は、本気でデジタル人民元を進めようとしている。理由は主に2つだ。ひとつは、最新技術を用いて「通貨の流れや決済情報を、国家が把握しコントロールする」こと。もうひとつは「アメリカのドル覇権を崩す」こと。国内のコントロールにもおいても、アメリカとの覇権争いを見すえた対外的な意味でも、大きなメリットがあるということだ。

次に「浸透力」だ。上記の若者たちの例を見るまでもなく、中国は今、キャッシュレスの全盛期を迎えている。現金は使わない。スマホ決済とほぼ同じ使い方のデジタル人民元が導入されれば、国全体に広まるのに数カ月もかからないだろう。明確な国家目標に基づき、世界に先駆けてデジタル人民元を開発し、完成した暁には、使いやすさも相まってあっという間に広まる。キャッシュレス決済が日常になった中国で暮らしていれば、そんな近未来をイメージするのは容易だ。

■ 「一帯一路」構想とデジタル人民元

中国が描く近未来とは、おそらくこのようなものだろう。アジアから中東アフリカを抜けてヨーロッパに至る、中国が主導するいわゆる「一帯一路」構想。今は巨大経済圏構想と位置付けられているが、もちろん中国の狙いが、経済という枠組みだけで終わるはずはない。

一帯一路の関連地域は、「経済」では中国の傘に入り、「軍事」では人民解放軍の駐留を受け、「通信」はファーウェイと衛星システム北斗が主導し、そして流通する「通貨」がまさに「デジタル人民元」となる。この地域からアメリカの影響力を排除し、中国が全面的に主導する世界の構築を狙ったそんな戦略を、習近平政権は、まずは15年後の2035年をメドにじわり進めるのだろう。

デジタル人民元後の世界がどうなるか、まだ誰も正確に見通せてはいない。「透明性がない」など、懸念を指摘するのは簡単だ。ただ、そう言っているうちにも、中国は着々と開発を進め、デジタル通貨におけるプラットフォームの構築を図っている。このIT社会では、いち早くプラットフォームを構築し、ルール・制度を定めるものが、覇権を握るのは常識だ。

中国は、2022年2月の北京オリンピックでの本格導入を目指し、デジタル人民元の開発を進めている。あとわずか1年とちょっとだ。欧米や日本が手をこまねいていれば、やがて中国主導のデジタル通貨時代が、本当にやってくるかも知れない。

ANN中国総局長 千々岩 森生

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