姿を消した中国「女性スパイ」 対米工作の現場1[2021/03/28 10:26]

◆中国「女性スパイ」の暗躍

溢れる健康的な笑顔に、清潔感のある装い。その隣にはカリフォルニアの地元の名士たちが笑顔で写真に一緒に収まっている。30歳前後と見られる中国人の女性からは、かすかな幼さすら、うかがえる。その名はクリスティー・ファン氏。中国人留学生だったファン氏は中国最大の情報機関、国家安全部が送り込んだ対米工作を行うスパイだったと報じられた。

2011年から2015年にかけてファン氏は、カリフォルニア州の大学に在学しながら、サンフランシスコの中国系米国人政治団体メンバーとして活動し、民主党系の首長や市議会議員に人脈を広げていったとされる。その一人が民主党のエリック・スワルウェル下院議員だ。現在、情報機関を監督する米下院情報委員会に所属し、情報機関から日常的にブリーフィングを受ける立場のスワルウェル議員は市議会議員だったころに、ファン氏と知り合った。

「2015年にFBIから指摘を受けて以来、一切関わっていない。何の秘密漏洩もなかった。FBIから連絡を受けて捜査にも協力した」と釈明したスワルウェル下院議員。違法行為の介在を示す証拠は明らかになっていない一方、「中国の工作員のアプローチを許した、当時30代後半だったスワルウェル議員の脇の甘さ」(ケビン・ブロック元FBI副長官)から情報委員会の所属議員としての適格性を疑う声があがっている。

フォーブス誌によれば、ファン氏は2014年にスワルウェル議員の再戦キャンペーンに献金していたほか、インターン生も推薦していたという。スワルウェル議員の事務所はフォックスニュースの取材に対して「性的関係があったかどうかは機密情報に関わる可能性があるので答えられない」という珍妙な対応をしている。

この事件は2020年12月に新興メディアAXIOSの放ったスクープで明らかになった。恥ずかしながら筆者はこのスクープを旧知の元FBI特別捜査官から教えられて初めて知った。「AXIOSのスクープを見たかい?民主党のバイデン政権へのいわば警告だろうな」。長年、FBIでカウンターインテリジェンスと呼ばれる、外国諜報機関の監視を専門にしてきたクリス氏(仮名)はコーヒーカップを手に温和な笑みを浮かべていた。

引退して今は企業や議員向けに産業スパイ対策などのコンサルティングをしている。時折、会話のはしばしから、今でも現役とつながりを持っていることを伺わせるエピソードが出る。かつて中国の習近平国家主席がワシントンDCを訪れた時にお忍びでケータリングを取り寄せたという中華料理店の存在を教えてくれたのもクリス氏だった。

「AXIOSのスクープは情報機関のリークだな。トランプ政権の末期、バイデン政権の発足を前にメッセージを送ろうとした相手は中国じゃない。バイデンら民主党の政治家とその取り巻きだよ。そして、アメリカ世論だろう。『民主党のやつらは目を離すと、すぐ中国に甘くなりますよ。ちゃんとウォッチしておきましょう』ってね」。

◆首長や議員への人脈を武器に…

AXIOSによれば、若き中国人エージェントだと疑われている、ファン氏は、少なくとも中西部の州の市長2人と肉体関係を持っていたとされ、オハイオ州のある市長とはFBIが監視する中、車内で関係を持ったと報じられている。

AXIOSの長文の報道によればストーリーはこうだ。FBIがファン氏の存在を初めて知ったのは外交官に偽装した国家安全部関係者の中国サンフランシスコ領事館員を追跡監視していた時だった。この領事館員とファンは頻繁に接触。FBIはただちにファン氏の身元調査を開始したのだという。

そこで明らかになったのはサンフランシスコを中心とするカリフォルニアだけでなく、全米の首長や地方議員にまで広がるファン氏の交友関係であった。これに危機感をもったFBIは2015年、民主党の市長や州議会議員、そしてホワイトハウスに警告した。そして、2015年6月、ファンはそれまで築き上げた政治人脈を断ち切って突然、出国。二度と米国に戻ることはなかった。

◆「5年後のスクープ」の謎

あれから5年以上、経過して、この事件は昨年12月8日にAXIOSのスクープで突然、明らかになった。なぜ、5年も経った、このタイミングで報じられたのか。スワルウェル議員は「あの報道はトランプ批判の急先鋒だった私への政治的嫌がらせだ。何も秘密漏洩はなかったし、この件は党指導部にも報告済みで何も問題はない」と訴える。件の元FBI特別捜査官のクリスは、リークした人物あるいは組織がトランプ政権に近いフォックスニュースではなく、AXIOSを選んでいる点に注目すべきだと言う。

大半の米メディアが親トランプ、反トランプを隠そうとしない中、AXIOSはおおむねニュートラルな立場からスクープを連発することで知られている。報道内容は正確かつ簡明。余計な修飾を排した文体は簡潔に事実を伝える。党派性は薄い一方で批判的思考は失わない、そのスタンスは決して親トランプでもない。クリスの解説はこうだ。

トランプ大統領(当時)に近いメディアが報じれば、スワルウェル議員が主張するように「この報道は政治的嫌がらせだ」とか「どうせバイデン政権や民主党を攻撃したいだけだ」というステレオタイプなレッテル貼りが民主党支持のメディアからされていただろう。そうなれば、中国による諜報活動の実態を伝える、というメッセージがかき消されてしまう。

かといって、ニューヨーク・タイムズやCNNなど民主党にシンパシーを持つリベラル系メディアにリークしても、筆先は鈍って、中国に浸透を許す民主党議員という事件の構図が丸められてしまう恐れもある。

情報や報道すべてに政治的レッテルが貼られ、事実と主張が混在する今のアメリカ政治報道の混沌を寄り分けながら、伝えたいメッセージをいかに伝えたい相手に届くようにするか、その精密な計算がうかがえるとクリスは解説する。

違法行為が行われた証拠はない、ということなのだろうか、ペロシ下院議長ら民主党指導部はFBIとスワルウェル議員自身からも詳細な報告を受けた後も、共和党側の批判には耳を貸さず、今もスワルウェル議員を下院情報委員会のメンバーに据え続けている。

◆「女性スパイ」の今は?

一方のファン氏はどうしているのだろうか。ファン氏の名前でフェイスブックを検索すると、本人のものと思わしきアカウントが今でも実在していた。

AXIOSが氏のフェイスブックから引用したとみられる一連の写真は見当たらなくなっていたが、在学していたカリフォルニアの大学名やカリフォルニア地元政界関係者も映る写真が今でもあり、本人のアカウントであることは間違いなさそうだ。

突如、姿を消した2015年以降、更新は止まっていたようだが、2020年11月にプロフィール写真が更新されている。プロフィール写真のドレス姿の女性は明らかにファン氏本人だ。

「2011年から2015年といえば民主党のオバマ政権時代。舞台となっているカリフォルニアは民主党の牙城。ターゲットも民主党議員だ」。まさに「民主党づくし」の事件がバイデン政権発足直前にリークされたこと自体が「中国に弱い民主党への警告」だというクリスの見立ては確かに一定の説得力がある。
クリスの見立てを検証しようと、トランプ政権末期を調べていると、そうした見方を補強するような動きがスクープの5日前にあった。
後編では、その詳細と、緊張が続く米中関係が急接近するシナリオを明らかにする。

ANNワシントン支局長 布施 哲

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