田中均氏が語る 対テロ戦争20年 日本追随の背景[2021/09/11 10:30]

アメリカ同時多発テロから9月11日で20年。
20年前、アメリカはアフガニスタンでの対テロ戦争、そしてその後イラクへの攻撃に突入し、日本もアメリカを支持。サマワへの自衛隊派遣などでアメリカに追随しました。
小泉政権の政策決定に深く関わった田中均元外務審議官が当時を振り返り、内情を語ります。
インタビューを全編公開。

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テレビ朝日 外報部デスク 新谷時子、以下 新谷):
9月11日で同時多発テロから20年。アメリカが始めた2つの戦争、いまだに完全な収束がついていない。特にアフガニスタンについてはアメリカの対応が世界の批判にもさらされている。
この20年間の対テロ戦争をどう評価すべき?

元外務審議官 田中均氏、以下 田中):
もともとこの戦争の始まりは9.11だった。
私はアメリカのことを随分長くやっているが、あの時の国民意識は非常に強い憤りがあった。その憤りがあったときに、当時のブッシュ政権だが、政権の中で非常に強い意見を持っていた人たち、例えば、副大統領のディック・チェイニー、国防長官のラムズフェルド、この人たちを昔から知っているが、彼らの主張は「ネオコン」と言われて、テロとか大量破壊兵器の拡散が起こるのは、支援する政府がいるからだと。そういうならず者政府をつぶさない限り、テロとか大量破壊兵器の拡散は止まらないという、「ネオコン」と言われた議論があって、その結果としてアフガン戦争の場合は、ようやく米軍の撤退という形で、けりがついた。だけど、それを客観的に見てみれば、失敗だった。

◆田中均元外務審議官「客観的に見て対テロ戦争は失敗だった」

この対テロ戦争とか、大量破壊兵器の(拡散)防止をめぐる戦争は失敗だった。
なぜ失敗だったのかというと、結果を見てみれば、オサマ・ビン・ラディンとか、サダム・フセインというのはいなくなったことは事実だが、もともとの発想、テロとか、大量破壊兵器の拡散を生むのは「ならず者政府」なんだと。
だけど結果的にその政府が民主化されているかというと、全くそうはなっていない。イラクにおいても、アフガンにおいてはもっとひどい。もともとのタリバン政権に戻ったということで。

ある意味、この戦争は何兆ドルの予算を使い、数千人の米兵が亡くなっている。現地の人に至っては数十万が死んだ。ものすごくコストが高くついた戦争だった。そういう戦争をして、結果が作れなかった、出口戦略が十分ではなかった。

だから私は失敗だと思うが、ただ振り返ってみれば、あの時、2001年の9.11以降、果たしてアメリカがあれだけ強硬な手立てをとるのを止めることができたかという課題設定をすると、それは無理だと。
あの時のアメリカの国内の非常に強い熱気とか、あの時アメリカというのは、最も強い大国、一極体制だった。1990年に米ソ冷戦が終わって、その後アメリカは唯一の大国になった。

◆「唯一の大国、アメリカを止めるものはなかった」

アメリカ自身が被害を受けたということでアメリカは武力を行使すると。それに反対できるものは何かあったかということだが、一つは国連だった。国連がアメリカの戦争を是認するような決議を出すことができたかどうか、イラクの場合はできなかった。国連決議なくして、米国はイラクとの戦端を開いた。

アフガンの場合は自衛戦争なんですね。自衛戦争といっても、国連決議はあったが、なかなかアメリカ自身が傷ついて、9.11の後アメリカがやるということに対して、ほかの国はなかなか異論を差し挟めない。ああいう大国で、唯一の大国と言われた米国が軍を派遣するというときに、あの時、それを止めるものはなかったということだと思う。
そういう意味では結果論から見ると間違った戦争だと思うが、それが止められたかというと、なかなか難しかったと思う。

新谷):
日本もイラク戦争は支持して、サマワに復興支援として自衛隊を送ったが、日本も当時、反対できなかったということなのか。日本が賛成した理由は?

◆田中氏「米国を支持する以外に選択肢はない。小泉総理も明言」

田中):
まだ日本がアメリカの行動を支持すると言う前に、小泉総理が言われたのだが、その前に日本記者クラブで記者会見した。その時に私が申しあげたのは、「支持する以外に選択肢はない」ということだった。
決して日本は好んで戦争に参加することもないし、もともと戦争という形では参加できないが、米国のまさにテロとの戦い、イラク戦争を「支持しない」という選択肢はなかったと思う。

あの時、小泉首相が明確に言われたのは、同盟国として支持しないという選択肢はないんだと。なぜかというと、日本の周りには、安全保障上、脅威になるような、情勢があると。北朝鮮がしかり。日本がこの地で安定して安寧に暮らしていくためには、米国の支援を得なきゃいけない。したがって、この中東での戦争に反対するという選択肢はないし、賛成するんだということだった。

◆ブッシュ大統領が言った「ドイツが許せない」

2003年の5月に私は小泉首相にお付きというか、―当時外務審議官だったが―小泉さんと一緒に、ブッシュ大統領の山荘に行った。テキサスの別荘に。その時に1泊半、ずっとブッシュと話をしていて、その時の話がすごく印象に残っているが、彼が言ったのは、フランスはああいう国だから、フランスが反対するのはとやかく言わないが、ドイツが反対したのは自分は許せない。

ドイツに対して戦後、どれだけアメリカは支援をしたか。ところが当時のシュレーダー首相は国内政治の観点から、この戦争には反対だということを言った。
ブッシュ大統領は、本当に厳しい顔をして、自分はドイツを許したくない。
恐らく日本も、良いかどうかは別だが、日本も支援をしていなければ、多分そういう風に思われたんだろうなと。それが日本の国益だったかと言われると、多分そうではないだろうと思う。

◆小泉総理「アメリカに“自衛隊派遣”を言わせるな」

だけど、当時小泉総理が私に言明したことは、イラクに戦端を開いたのは、2003年の3月、それからサマワに自衛隊を派遣するが、1回たりともアメリカに自衛隊を派遣してくれとは言われなかった。なぜかというと、小泉さんは、決してアメリカに言わせることがないようにしてくれ、自衛隊の自の字を出すこともやめてくれ。
これは、アメリカにプレッシャーをかけられて自衛隊を送るわけではない。日本が独自の判断で、日本としてできるという観点から、サマワに完全武装はしているが、人道支援とイラクの復興のために兵力を送るということなんだと。
ある意味、小泉氏、当時の日本政府の判断として、アメリカに請われて支持をするとか、アメリカに請われて兵を派遣するわけではないと。日本独自の判断として、同盟関係を維持強化することが、日本の国益にとってプラスである。したがって何らかプレッシャーをかけられていくわけではないということをはっきりしたい。そういう哲学だった。

だから私は、あの戦争自身は間違った戦争だと思う。今になってみれば、結果的にみれば。
だけど、戦闘したわけではありませんし、ある意味、インド洋における給油支援と、サマワの自衛隊の復興のための派遣と、それから資金支援、膨大な支援をイラクとの関係でもアフガンとの関係でもしてきた。日本がしたことがトータルで間違いだったとは私は思わない。

◆教訓は「民主主義は武力によって実現しない」

新谷):
今振り返って、日本がもっと果たすべきだった役割は?
田中):
結果的に、バイデンさんは、テロの撲滅、テロを防止することが目的だから、テロ防止する当初の目的は終わったから、アフガンから兵を引くということを言ったが、間違いなく国際社会の協力の枠組みを作って、イラクについてもアフガンについても支援をしたことは間違いない。支援の目的というのは人道支援もあったが、民主的な政府を作るということだった。
私たちが学ばなければならないレッスンの一つは、外から民主主義を押し付けることはできない。もちろん、アメリカの非常に強い国内のナショナリズムのはけ口として、オサマ・ビン・ラディン撃て、というのはよくわかるが、民主主義な政府を作ることが武力によって実現するものではないんだと。
日本がレッスンを受けるとすれば、とりわけアジアにおいて、軍事力で民主主義を押し付けるとか、軍事力で地域の安定を図るということは、恐ろしく限界がある。そのためには、何をやるかというとやっぱり外交だと思う。

アフガニスタンは特にそう。今、一体アフガニスタンで何が起こっているかというと、政府を作ろうとしている。政府が代表的な政府でないとほかの国が協力しない。日本もそうだと思う。
タリバンだけがタリバン的統治をするということは、決してこの地域を平和にするわけではない。テロリストが温床にして、周りの国でテロを起こすということは大いに考えられる。
今、全力を傾注すべきは、アフガニスタンでより代表的な政府、多民族国家だから、代表的な政府ができるように外交で実現していくということだと思う。

これから、アメリカでも、あのイラクとアフガニスタンの戦争によって、結果的には、オバマ、トランプ、みんな兵を引くということを言ってきた。そこから、いま兵が引かれた。これから何が起こるかというと、米国がほかの国との関係で武力を行使する敷居というのはものすごく高まった。当面少なくとも、1年2年はアメリカがものすごく内向きになると思う。

◆「日本は台湾海峡で軍事衝突を避ける対話を」

その時に議論されることがある。それは今、アジアが最もそういう衝突が起こるんではないか。例えば尖閣、例えば台湾とか、よく国内の議論でそれに備えなければいけないと言われるが、もちろん備えは必要だが、日本がこの20年の経験から学ぶべきことは、軍事力で解決できることはなかなかないということ。軍事力が抑止力として働く、相手が攻撃的な行動とか侵略をすることがないよう抑止をするためにものすごく意味がある、軍事力は。だけど、実際に使ってしまったら、やっぱり被害はどんどん大きくなるし、結果を作れるものではないというのが、今の中東で明らかに示されている。

だから、日本がやらなければいけないのは、まさに台湾海峡で軍事衝突を起こすことがないように、外交の力で、やはり米国とも対話を続けていかなければいけないし、中国ともそうだと思うんです。
私はこれからアメリカ自身は非常に内向きになるし、外に軍隊を派遣するということになかなかならない。だけど、同時に日本などはアメリカの軍事力は抑止力として、それで外交の力でそういう事態にさせない、ということをやっていくべきなのではないかと思う。

新谷):
田中さん自身がおっしゃったように、当時誰もアメリカを止められなかった。私もアメリカに当時、特派員としていて、メディアも国民もブッシュ政権を支援するという形で戦争に突き進んでいったという状況を目の当たりにして、特に攻撃を受けた場合、外交的に解決しようと、理性的な力学が働くのかというのは疑問に思うが、外交で解決するうえで重要なことは?

◆「大事なのは国内のポピュリズムを抑えること」

田中):
今、おっしゃったようなことは、これからますますそういう状況になるかもしれない。何故かというと、今よく言われるじゃないですか、この世の中、すごくポピュリズムになっていったと。国内の強い意識を、外に持っていくということが、いろんな意味で、起こりやすいことになっている。
一番大事なことは国内を抑えることが必要。国内の非常に強い感情、ナショナリスティックな感情を外に向けてはいけないという、これを止められる指導者が各国にいるかどうかが大事だと思う。

もう一つは、今国連がそういう行動を止められるかというと、多分止められない。国連自身、色んな意味で色んな限界が出てきているし、中ロという国がいる以上、なかなか国連で決議を取るのは難しい。
2000年代の初めというのはアメリカが圧倒的に強い、一強だった。だからある意味、アメリカはだれに邪魔されることなく、軍事力を行使していくことができた。今は違うと思う。今は、アメリカの相対的力が衰えた。中国とロシア、そういう一種の向こう側にいる勢力の力がどんどん強くなってきているから、2000年代の初めのように簡単に戦争が起こるという状況ではもうないと思う。

冷戦の間、なぜ冷戦で終わったかというと、ソ連が膨大な軍事力でお互いがお互いを抑止しているという状況だった。これからは、ロシアも強いし、軍事的には。中国も軍事費拡張しているから、ある意味、軍事力が使いにくいという状況が出てきていると思う。あとは、そういうことにならないような外交が力を発揮する余地が、私は以前よりもあると思う。

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田中均(たなかひとし)氏
2002年から外務省でナンバー2の政務外務審議官を務め、イラク戦争への支持、サマワへの自衛隊派遣など、当時の日本の外交政策に深く携わる。アジア大洋州局長(2001年〜2002年)として、北朝鮮の代表者「ミスターX」とも水面下で交渉し、2002年の日朝首脳会談実現にこぎつける。2005年に退官。
現在は、株式会社日本総合研究所国際戦略研究所理事長。

新谷時子(あらやときこ) テレビ朝日 外報部デスク。
2001〜2003年アトランタ支局長として対テロ戦争に突入するブッシュ政権下のアメリカを、2017〜2020年アメリカ総局長としてニューヨークを拠点にトランプ時代のアメリカを取材。政治部、経済部記者なども担当。

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