田中均氏の歴史の証言 対テロ戦争の日本の教訓とは[2021/09/11 20:00]

約3000人の市民が犠牲になったアメリカの同時多発テロから9月11日で20年。初めて本土で外国人による大規模攻撃を受けるという非常事態を受けて、アメリカはその後2つの戦争に踏み切り、長くその“つけ”を払うことになった。

アフガニスタンからの米軍撤退を8月末の期日までに完了させたバイデン大統領は、撤退会見で、「国益」という言葉を繰り返し使った。

「アメリカ国民の重要な国益に、もはや繋がらない戦争の継続は拒否する」

「国益」を追求し続けたアメリカを一貫して支持し、追随してきたのが日本だった。対テロ戦争開始から20年の節目に、歴史から何を学ばなければならないのか。

2002年から2005年まで外務審議官という外務省ナンバー2を務め、日本のイラク戦争への支持や、2004年からのイラク・サマワへの自衛隊派遣といった政策にも深くかかわった田中均氏に、20年間に渡るアメリカの対テロ戦争、そして日本の対応への総括を聞いた。

◆「対テロ戦争は失敗だった」

まず、この20年間のアメリカの対テロ戦争について、田中氏は厳しい評価を下す。

(田中氏)
「対テロ戦争とか、大量破壊兵器の拡散防止をめぐる戦争は『失敗』だった。結果を見てみれば、(国際テロ組織アルカイダの指導者)オサマ・ビンラディンとか、(イラクの大統領だった)サダム・フセインがいなくなったことは事実だが、もともとのアメリカの発想だった、テロとか大量破壊兵器の拡散を生む『ならず者政府』が、民主化されているかというと、全くそうはなっていない」

アメリカのブラウン大学の研究チームによると、2001年以降の対テロ戦争のコストは総額8兆ドル(880兆円)に上っている。戦争による死者は民間人も含めると約90万人、米兵も7000人以上が犠牲になった。

(田中氏)
「ものすごいコストがかかっていた戦争だったが、結果が作れなかった。出口戦略も十分ではなかった」

◆「報復」から始まった対テロ戦争

同時多発テロ発生時、南部フロリダ州の小学校を訪れていたブッシュ大統領(当時)は、首都ワシントンもテロのターゲットになっていたことから、大統領専用機で南部ルイジアナ州のバークスデール空軍基地へ退避した。そこで国民に誓ったのは、テロリストたちへの「報復」だった。

「アメリカはこの卑怯な行為を行った者たちを追い詰め、そして罰を食らわせる」

その後ブッシュ政権は、国家を持たない「テロリスト」を平和と安全に対する「新たな脅威」と位置づけ、アフガニスタンへの武力行使に踏み切った。

2001年10月の開戦から1カ月たらずでタリバン政権が陥落すると、アメリカは攻撃ターゲットをイラクへとシフトさせる。しかし、イラクへの武力行使に対しては、ロシアだけでなく、フランスやドイツも反対姿勢を崩さなかった。

結局アメリカは、武力行使を容認する新たな国連決議を得られないまま、2003年3月、イギリスなど「有志連合」とともに、イラク攻撃へと突入した。アメリカの行動は当時、「単独行動主義」ともいわれ、世界の学者らから「国際法違反」とその正当性に疑問も投げかけられた。

◆「支持する以外に選択肢なし」

外務省幹部としてイラク問題への対応にあたった田中氏は、当時の空気感をこう振り返る。

(田中氏)
「唯一の大国と言われた米国が軍を派遣するというときに、それを止められるものはなかった。結果論から見ると間違った戦争だと思うが、それが止められたかというと、なかなか難しかった」

当時、田中氏は小泉純一郎総理大臣に対しても、「支持する以外に選択肢はない」と進言する。そして、アメリカへの支持表明前に、小泉総理は日本記者クラブでの会見でこう述べたという。

(田中氏)
「小泉総理が明確に言われたのは、『同盟国として支持しないという選択肢はない』と。なぜかというと、日本の周りには、北朝鮮はじめ、安全保障の脅威になるような情勢がある。日本がこの地で安寧に暮らしていくためには、米国の支援を得なければならない。従って、この中東での戦争に反対するという選択肢はないし、賛成するということだった」

◆対照的だった2つの同盟国

2003年3月20日にイラク戦争を開始してからおよそ1カ月半後の5月1日、ブッシュ大統領は「大規模戦闘終結宣言」を発表した。

この直後の5月下旬、アメリカ南部テキサス州にあるブッシュ氏の別荘で日米首脳会談が開かれたが、日本側が凍りつくようなこんなやりとりもあったという。

(田中氏)
「ブッシュ大統領が言ったのは、『フランスは“ゴーリスト”(※)的なところがあるので、フランスが反対するのはとやかく言わないが、ドイツが反対したのは許せない。ドイツに対して戦後アメリカはどれだけ支援をしたか!』と」

2002年9月に連邦議会選挙を抱えていたドイツのシュレーダー政権は、反イラク戦争の国内世論も受けて、ヨーロッパの中で、「ブッシュ政権批判の先導役」となった。これは、第二次大戦以降のドイツ外交の「歴史的な転換」ともいわれ、米独関係に大きな亀裂を生んだ。

当時、会談に同席した田中氏に強烈な印象を残した言葉が、ブッシュ氏のこんな発言だった。

(田中氏)
「ブッシュ氏は本当に厳しい顔をして、『自分はドイツを許したくない』と。日本も良いかどうかは別だが、日本も支援をしていなければ、多分そういう風に思われただろう。それが日本の国益だったかというと、たぶん、そうではないだろうと思う」

冷戦後、ヨーロッパの中で安全保障や経済的連携を強めるドイツと、自国の周辺も含めた安全保障をアメリカに頼っていた日本。同じ第二次世界大戦の敗戦国であり、アメリカの同盟国でもある2つの国の対応は、イラク戦争において対照的なものとなった。

さらに日本は当時、北朝鮮の核と弾道ミサイル開発という脅威にも直面していた。そうした中で、「アメリカから見放されたらどうなるのか」という、政治的な脅威の大きさは、ドイツとは比べ物にならなかったかもしれない。

※「ゴーリスト」
シャルル・ド・ゴール元大統領の政治理念に影響を受けた保守政治思想の信奉者。国家の独自性と外国の影響を排除することなどを重視する

◆「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」のプレッシャーの中で

この首脳会談で、ブッシュ大統領から小泉総理に対し、自衛隊派遣への要請はなかった。田中氏によると、アメリカからの要請に基づいたものではなく、「日本独自の判断」という形を作ることに意義があったという。

(田中氏)
「1回たりともアメリカに自衛隊を派遣してほしいとは言われなかった。なぜかというと、小泉総理からは、『決して、アメリカに言わせることがないようにしてくれ。自衛隊の「自」の字を出されることもやめてくれ』と言われていた。『アメリカに請われて支持をするというわけではない』と。日本独自の判断として、同盟関係を維持強化することが、日本の国益にとってプラスである。したがって何らかプレッシャーをかけられていくわけではない。そういう哲学だった」

だが実際は、アフガニスタン開戦以降、小泉政権は自衛隊派遣をめぐり、国内外からのプレッシャーにさらされていた。

1991年の湾岸戦争で、総額130億ドル(当時のレートで1兆8000億円)を支出したにも関わらず、「too little、 too late」(遅すぎて、少なすぎる)と批判を受けことは、日本に大きな「トラウマ」を残していた。

アメリカの同時多発テロ後、日本は「テロ対策特別措置法」を成立させ、海上自衛隊の補給部隊をインド洋へと派遣。しかし、イラク開戦が近づくと、水面下でアメリカ側から伝わってきたのは、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上に部隊を)」という言葉だった。

戦闘が散発的に続いていたイラクへの自衛隊派遣は、小泉政権にとって、かつてない政治的リスクとなった。2003年7月に「イラク特別措置法」が成立し、翌年1月から「戦闘が行われない地域」として、南部サマワに陸上自衛隊を派遣。給水や、学校などの公共施設の整備など人道復興支援活動を行い、2年半の間にのべ5500人の隊員が活動に従事した。

当時、自衛隊員が一人でも命を落とすことになれば、「政権が吹っ飛ぶ」と言われた中での政治決断だった。小泉総理にとって、自衛隊派遣をアメリカに「独自の判断」として示すことは、アメリカとの「同盟維持」だけでなく、国内での厳しい論争に耐えるためにも、必要な手段だったのではないか。

◆「失敗」だった対テロ戦争 今必要なものは

結果的に「失敗」だった対テロ戦争。これに寄り添った日本にとって、この20年間の教訓は何か。

(田中氏)
「日本がこの20年で学ぶべきことは、軍事力で、解決できることはなかなかないということ。軍事力は、相手が攻撃的な行動とか侵略をすることがないよう抑止をするためには意味がある。ただ、実際に使ってしまったら、被害はどんどん大きくなるし、結果を作れるものではないということが中東で明らかに示されている」

圧倒的な軍事力と経済力を誇った冷戦直後と比べ、世界の「スーパーパワー」ではもはやなくなったアメリカ。たとえ世界の秩序がどうなっても、自国の利益を最優先するトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」で、アメリカはより内向きになった。

アメリカにとっての新たな脅威は、覇権主義をむき出しにする中国にどう対峙するか。それは、日本にとっても差し迫った課題だ。

(田中氏)
「日本がやらなければいけないのは、まさに台湾海峡で軍事衝突を起こすことがないように、外交の力で米国とも対話を続けていかなければいけないし、中国ともそう。これからアメリカ自身は非常に内向きになるし、外に軍隊を派遣するということになかなかならない。同時に日本は、アメリカの軍事力は抑止力として、外交の力でそういう事態にさせない、ということをやっていくべきでは」

しかし、外国からの攻撃を受けた場合に、冷静な議論が本当にできるのか。同時多発テロ直後、ブッシュ政権は国内で圧倒的な世論の支持を受けて戦争に突き進んでいった。「ナショナリズム」が高揚したそのとき、軍事力の行使に歯止めはかけられるのか。

(田中氏)
「一番大事なことは国内を抑えることが必要。国内の非常に強い感情、ナショナリスティックな感情を外に向けてはいけないという、これを止められる指導者が各国にいるかどうかが大事だと思う」

アメリカの力が相対的に衰えた今だからこそ、「外交力」が重要になると田中氏は語る。

(田中氏)
「これからは、ロシアも強いし、軍事的には中国も軍事費が拡張しているから、軍事力が使いづらい。そういう意味では、外交が力を発揮する余地が以前よりもあると思う」

日本は、次に起こりうる危機にどう備えるべきか。コロナ禍の中で外交をめぐる議論は総じて低調だが、今まさに、20年間の対テロ戦争の「失敗」から学び、議論を深める時ではないか。

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田中均 (株)日本総合研究所 国際戦略研究所理事長
2002年から2005年まで外務審議官。アジア大洋州局長(2001年〜2002年)時代には、北朝鮮の代表者「ミスターX」とも水面下で交渉し、2002年の日朝首脳会談実現にこぎつける。2005年に退官。


テレビ朝日外報部デスク 新谷 時子

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