“対テロ戦争20年”田中元外務審議官に聞く[2021/09/15 10:44]

 イスラム主義勢力「タリバン」がアフガニスタンの首都を制圧してから1力月。アメリカ同時多発テロ事件から始まった中東での対テロ戦争は20年に及びました。この戦争から何を学ぶべきなのか、かつて小泉政権で外務審議官を務めた田中均さんに聞きました。

 アフガニスタンのイスラム主義勢力「タリバン」が首都カブールを掌握し勝利を宣言してからまもなく1カ月。

 暫定政権の閣僚を発表するなど、着々と新政権樹立に向けての動きが進められています。

 2001年のアメリカ同時多発テロから20年の節目に再び権力を掌握したタリバン。

 そしてその後、アメリカなどが踏み切ったイラク戦争も含め、果たして、この20年に及ぶアメリカの対テロ戦争はどんな教訓を残したのでしょうか。

 外務省ナンバー2の外務審議官として2002年から2005年まで日本の外交政策に深く関わった田中均氏はこのように総括しています。

 元外務審議官・田中均氏:「結果を見てみれば、オサマ・ビン・ラディンとか、サダム・フセインというのはいなくなったことは事実だが、元々の発想、テロとか、大量破壊兵器の拡散を生むのは“ならず者政府”なんだと。結果的にその政府が民主化されているかというと、全くそうはなっていない。イラクにおいても、アフガニスタンにおいてはもっとひどい。元々のタリバン政権に戻ったということで。この戦争は何兆ドルの予算を使い、数千人のアメリカ兵が亡くなっている。現地の人は、数十万人が死んだ。ものすごくコストが高くついた戦争だった」

 2001年10月の開戦から1カ月足らずでアフガニスタンではタリバン政権が陥落。

 その後、アメリカは攻撃ターゲットをイラクへとシフトさせ、2003年3月に攻撃を開始。

 報復の連鎖が懸念されていたイラク戦争を止めるという選択肢はなかったのでしょうか。

 元外務審議官・田中均氏:「一つは国連だった。国連がアメリカの戦争を是認する決議を出すことができたかどうか、イラクの場合はそれができなかった。国連の決議なく、アメリカはイラクとの戦争を開いた。アフガニスタンの場合は自衛戦争。自衛戦争といっても、国連決議はあったが、なかなかアメリカ自身が傷付いて、9.11の後アメリカがやるということに対して、他の国はなかなか異論を挟めない」

 ロシアのほか、フランスやドイツも反対するなか、国内世論の圧倒的な支持を受けて突き進んだアメリカ。

 そのアメリカを日本は支持し、イラクへの自衛隊派遣を行いました。

 元外務審議官・田中均氏:「小泉総理が明確に言われたのは、『同盟国として支持しないという選択肢はないんだ』。日本の周りには、安全保障の脅威になるような情勢があると、北朝鮮しかり、日本がこの地で安寧に暮らしていくためには、アメリカの支援を得なければならない。従って、この中東での戦争に反対するという選択肢はないし、賛成するということだった。アメリカにプレッシャーをかけられて、自衛隊を送るわけではない。日本が独自の判断で、完全武装はしているが、人道支援と復興、イラクの復興のために送るということ。当時の日本政府の判断として、アメリカに請われて支持をする、派遣するわけではないと」

 自衛隊員が1人でも命を落とすことになれば、「政権が吹っ飛ぶ」と言われたなかでの決断。

 当時の小泉総理が貫いたのが「日本独自の判断」であることだったと田中氏は振り返ります。

 アメリカが莫大なコストを費やし、現地では戦闘で多くの人々が命を落とす結果になった、対テロ戦争。

 中国が台頭し、世界のパワーバランスが大きく変わったこの20年を経て、今日本が考えるべきこととは…。

 元外務審議官・田中均氏:「例えば尖閣、台湾とか、よく国内の議論でそれ(有事)に備えなければいけないと言われるけど、備えは必要だが、日本がこの20年で学ぶべきことは、『軍事力で解決できることはなかなかない』ということ。軍事力が抑止力として働く、相手が攻撃的な行動とか侵略をすることがないよう抑止をするためには意味がある、軍事力は。ただ、実際に使ってしまったら、やはり被害はどんどん大きくなるし、結果を作れるものではないということが中東で明らかに示されている。日本がやらなければいけないのは、まさに台湾海峡で軍事衝突を起こすことがないように、外交の力で米国とも対話を続けていかなければいけないし、中国ともそう。これからアメリカ自身は非常に内向きになるし、外に軍隊を派遣するということになかなかならない。だけど、同時に日本はアメリカの軍事力は抑止力として外交の力でそういう事態にはさせない、ということをやっていくべきでは」

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