ウクライナから米国民避難で米軍投入も? 北京五輪の裏で浮上「2月下旬危機説」とは[2022/02/02 20:00]

「人口密集地の都市では甚大な死傷者が出ることになるだろう。恐ろしく悲劇的なことになる」。

ウクライナ国境沿いにロシア軍12万7千人が集結する中、オースティン国防長官と、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長が1月27日の会見に揃って登場した。

最新のインテリジェンスの一端を匂わせながらロシア側を必死に牽制し、同時に説得しようとする2人の姿にはアメリカ政府が持つ危機感と焦燥感がにじんでいた。

「ロシア軍は陸海空の3軍に加え、特殊部隊、電子戦部隊、サイバー部隊、後方支援部隊などを集結させつつある。大規模侵攻を短時間のうちに実行できる状態だ」と、オースティン長官は事態が切迫していると訴えた。

同時に「ウクライナを侵攻すればロシア軍にも犠牲が出ることになる」とロシアを強く牽制した。

通常、会見で国防総省が想定している主なオーディエンスはアメリカ国民と議会だが、ここではロシア政府にメッセージを伝えることを意識していることは間違いない。

その一方で「米軍部隊の警戒レベルを上げたが、実際の動員はおこなっていない」とオースティン長官が言うと、続けてミリー議長も「ロシアを攻撃する部隊を配置する考えは一切ない」と、揃って事態をエスレートさせる考えがないことを強調するのも忘れなかった。

そのうえでオースティン長官は「戦争は避けられないものではない。とるべきは外交的解決だ」と訴えた。硬軟織り交ぜたメッセージは米国の強い危機感そのものだ。

◆米国の危機感の裏にある「血」の動き

米国政府が危機感を募らせている理由の一つが「血」の動きだ。

1月28日付のロイター通信はウクライナ国境近くのロシア軍部隊に輸血用の血液が運び込まれたと報じた。輸血用の血液は野戦病院の設置と並んで、軍事作戦の準備が進むことを示す重大な兆候だ。すでにMASHと呼ばれるロシア軍の野戦病院についてはウクライナ国境から数時間の距離の場所に設置されているとの情報が一部の専門家から出されている。

もちろん、これらの兆候はただちに軍事作戦が発動されることを意味するわけではなく、あくまで注目すべき兆候の一つということになる。ただ、野戦病院と輸血用の血液なしで軍事行動を起こす軍隊は世界のどこにもいないことは事実だ。

◆ウクライナ侵攻のリハーサル?

バイデン政権をピリピリさせているもう一つの理由が、ベラルーシでのロシア軍の大規模軍事演習だ。

ホスト役のベラルーシ軍の幹部は「演習が終わればロシア軍は撤収する」としているが、ワシントンで額面通りに受け取る人間はいない。すでにベラルーシには3万人規模のロシア軍が演習に参加するために集結している。

ワシントンの軍事専門家たちはこの軍事演習はウクライナ侵攻のリハーサルであり、演習が終了する2月20日前後にロシア軍が軍事行動に出る準備が完了すると見る。

演習が終わるとされるのは2月24日。
2月4日に始まる北京冬季五輪が終わるのが20日だ。北京五輪が終わった後であれば中国の習近平国家主席の面子を潰すことにもならない。
これが今、ワシントンで流れる「2月下旬危機説」だ。

より厳しい見方をしているのは海軍分析センター(CNA)のコフマン上級分析官だ。「24日まで侵攻がないと安心するべきではない。今後、数週間で作戦開始になる可能性が高いと見るべきだ。北京五輪はロシアを躊躇させる決め手にはならない」と指摘する。

こうした見方は「短時間のうちに大規模侵攻を実行に移せる態勢にある」とバイデン政権が繰り返している公式見解とも一致する。

その一方で、バイデン政権は「プーチン大統領は最終決断をまだしていない」という公式見解を崩していない。すべてはプーチン大統領次第であり、それは本人にしかわからないということなのだろう。だが、和戦どちらの展開になるにせよ、2月下旬に重大なターニングポイントを迎えるということだけは間違いなさそうだ。

◆動き始めたNATO

プーチンが決断さえすれば、いつでも軍事行動を発動できる状態になりつつある。
それを受けて米政府やNATO主要加盟国は軍を動かし始めている。

米国は米軍8500人を欧州に派遣する準備をしているほか、「小規模の部隊」(バイデン大統領、1月27日)を東欧のNATO加盟国に派遣する予定だ(ちなみにウクライナ情勢とは関係なく、すでにポーランド、ルーマニア、ブルガリアには弾道ミサイル防衛や防空などの任務のために合計8千人近い米軍部隊がすでに駐留している)。

また、黒海のロシア海軍に対応するため、原子力空母ハリー・トルーマンをすでに地中海に展開させている。

イギリスも戦闘機ユーロファイターをキプロス島に派遣してルーマニアの防空にあてるほか、空母プリンス・オブ・ウェールズを地中海に送る計画がある。ウクライナ国内には特殊部隊SASをすでに展開させていて、イギリス国民の避難支援とウクライナ軍の訓練にあたるという。

注目したいのは必ずしも大国とはいえないNATO加盟国も、限られたリソースを割いてNATO加盟国としての義務を果たそうとしている点だ。たとえば、デンマークはF-16戦闘機4機をリトアニアに派遣したほか、バルト海にフリゲート艦を1隻派遣している。オランダは4月にブルガリアにF-35戦闘機2機を派遣する計画だ。スペインはブルガリアにユーロファイター・タイフーン戦闘機4機を、掃海艇とフリゲート艦を黒海および地中海に派遣する。

これらの国はいずれも保有する軍事力や軍事予算が日本よりも圧倒的に小さな国ばかりだ。そんな国々も、なけなしの海空戦力から貴重な戦闘機と艦艇を抽出して、東欧の加盟国の支援のために駆けつけている。

◆ウクライナ侵攻の歯止めにならないNATO軍の派遣

ここで誤解していけないことは、こうした派遣の目的はロシアによるウクライナ侵攻の阻止ではないことだ。「ウクライナの次は我々では」と不安を強める、ウクライナと接するルーマニアやポーランド、バルト3カ国などNATO加盟国に対する安心を供与するのが目的だ。その数の少なさ、ウクライナ国内に派遣されるわけではない点を考慮すれば、ロシアに侵攻を断念させる狙いがあるとはいえず、あったとしても抑止効果は期待できないだろう。

ウクライナ国内にはウクライナ軍を訓練している米軍150人が駐留しているが、その場所はポーランドとの国境に近いウクライナ西部で、首都キエフやウクライナ東部などから離れている。侵攻があった場合、ロシア軍と接触(衝突)するリスクは小さい。カナダ軍も特殊部隊を派遣しているが、カナダメディアによると、事態の緊迫化を受けて首都キエフから、より安全なウクライナ西部に移動を始めたという。

だが、ロシア軍がウクライナに侵攻する事態になった時に懸念される大きな火種がある。ウクライナ国内にいる米国人の避難だ。

◆米ロ両軍による偶発的衝突のリスクも?

アフガニスタン撤退での混乱は記憶に新しいが、ウクライナ国内にも1万6千人の米国人がいるとされる。

冒頭の会見でオースティン国防長官は記者から、ロシア侵攻時に首都キエフで戦闘が起きている中で米国人避難のために米軍がウクライナに派遣される可能性があるかを問い質されている。

「どんな任務であれ、遂行を命じられたものを実行する用意がある」。
ニューヨーク・タイムズはこのオースティン長官がウクライナ侵攻時に米軍がウクライナ入りする可能性を否定しなかったと報じている。

ウクライナ侵攻を阻止するための地上軍の派遣を早々に否定しているバイデン政権だが、もし自国民救出のために米軍がウクライナ入りすることがあれば、ロシア軍との偶発的衝突のリスクも出てくる。これは実際に侵攻が起きた際に注目しておくべきポイントだろう。

ニューヨーク・タイムズに対しマクファウル元駐ロシア大使はこう指摘している。「戦争になれば、あらゆる展開があり得る。事故も起きるだろう。誤射で米国民を乗せた飛行機が撃墜されることもあり得る。そうなれば全てが一変することになる」。

◆「侵攻は迫っていない」ウクライナの反論のワケとは

「侵攻が確実に差し迫っている」と緊張感を見せる米国だが、一方のウクライナは「他国の指導者の発言がパニックを引き起こしている」と米国に不快感を見せている。侵攻の危機に直面しているはずの当事国による奇妙な発言にワシントンは困惑の色を隠さない。

CNNによれば1月27日のバイデン大統領との電話会談で、ウクライナのゼレンスキー大統領は「危機はあるが侵攻の危険はまだ曖昧なものだ」という認識を示したという。侵攻の可能性を強調すればするほど、経済と国内政情が不安定になるというロジックだ。さらには国内政情が不安定になれば、その機に乗じてロシアが政権転覆をはかってきかねない、という危機感があるという。

ロシアによる侵攻の可能性をめぐる評価の不協和音は、NATOの中にもあるとワシントン・ポストが伝えている。脅威が差し迫ったものではないもので、侵攻の口実を与えかねないウクライナへの武器供与などは控えるべきとするドイツ、そして脅威はあるが侵攻が近いとは見ていないフランスだ。ドイツはウクライナへの武器の提供を断り、代わりにヘルメット5千個の提供を申し出てウクライナ側の怒りをかっている。フランスもルーマニアに部隊を派遣する意思を表明しているが、今のところ具体的な動きを見せていない。

◆疑心暗鬼はプーチンの作戦

侵攻は差し迫っているのか、プーチン大統領の意図はどこにあるのか。
ノルウェーのストーレ首相は「我々の間にそうした疑心暗鬼を引き起こすことこそがプーチン大統領の作戦」だと指摘する。米英と独仏、そしてウクライナの間で広がるさざ波は、まさにロシアの狙い通りといったところだろう。

大部隊の動員で緊張をギリギリまで高めることで米国を本気にさせて交渉の場に引っ張り出す。NATO各国に対しては揺さぶりをかけ、足並みの乱れを誘うロシア。

この21世紀において「自分の勢力圏だから」という理由で隣国を侵攻する脅しをかけて見返りを手に入れようとするやり方は無理筋としか言いようがないが、ここまではロシアのペースで運んでいるといえる(別の権威主義国がこれを見て意を強くしないよう、決してウクライナ問題を悪しき前例にしてはならない)。

果たしてこの緊張劇をプーチン大統領はどう着地させようとしているのだろうか。
12万人の兵力をバックにハイブリッド戦を展開するのか。一気に大規模侵攻に出るのか。
それとも、軍事行動はとらず、外交的解決の道を選ぶのか。

◆平和的解決がもたらす将来のリスク

米ロ両国は2回目となる外相会談を近く開くと見られるなど、危機の収束に向けた模索は続く。ウクライナも守りを固めており、軍事行動を有利に運ぶ上で重要となる奇襲の要素はなくなり、ロシアにとっては大規模侵攻の合理性は低下しているはずだ。

だが、米シンクタンクのアトランティック・カウンシルで研究中の米海軍のバーディマン少佐は、ロシアが軍事行動に出ることなく、今回の危機が平和裏に収束するシナリオこそ危険だと警告する。

「軍事行動なく緊張緩和になれば、安心したNATOは警戒感を緩めるだろう。将来、再びロシアが大部隊を集結させても敏感に反応しなくなるのではないか?また平和的に解決できるだろう、と様子見をするのではないか?」

「その時こそロシアは奇襲攻撃が可能になる」。

軍事力を自在に使って緊張を演出することも、緊張緩和を演出することもできる。いったん退いたと見せて、相手の隙をつくこともできる。

それだけ軍事力を使った脅迫は、世界で孤立することを厭わない指導者にとって、この上なく使い勝手のいい政治手段だということに気付かされる。

軍事侵攻があっても、なくても、プーチン大統領が軍事力を使って演出するウクライナ危機は終わることはない。

ANNワシントン支局長 布施哲(テレビ朝日)

写真:安全保障チームと議論するバイデン大統領(ホワイトハウス)

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