1980年 モスクワ五輪開幕へ ソ連のアフガニスタン侵攻で西側各国がボイコット[2022/02/18 20:00]

1980年のモスクワオリンピック開幕直前に放送された特派員の現地からのリポートです。
1979年12月に始まったソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、アメリカにならった日本など西側諸国、イスラム諸国や中国がボイコットした異例の大会でした。

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報告:ANN 生田慎司特派員

クレムリンの前の赤の広場です。
アフガニスタン問題で大揺れに揺れたモスクワオリンピックも、開幕へと秒読みの段階に入ってきました。
競技施設や受け入れ態勢もほぼ準備を完了し、あとは(1980年7月)19日の開会式を待つばかりとなっています。

今回のモスクワオリンピックは、社会主義国ではじめて開かれるとあって、ソビエトの関係者の力の入れようは大変なものです。
それに、西側から大勢の報道陣や観光客を一時に迎えるのもはじめての経験だけに、神経の使いようも並大抵ではありません。

オリンピックの規模が膨れあがるにつれて、主催する都市にかかる負担が大きな問題になってきています。
前回のモントリオール大会では、財源難から競技施設などの完成が大幅に遅れました。
その点、今回のモスクワオリンピックでは、中央の指令ひとつでうごくソビエト体制だけに、直接経費だけで1千億円、関連経費を含めると天文学的な数字の資金が投入されているといわれます。

革命直後のレーニン時代に始まった勤労奉仕、いわゆる“土曜労働”で市民たちも休日を返上して、まちの整備、“クリーン運動”に一役買っています。
革命から63年、社会主義の成果を大きくデモンストレートしようとした矢先だけに、アフガニスタン問題をめぐるボイコット騒ぎが関係者や市民らにショックを与えたことは否定できないようです。

モスクワ市民:
「ボイコットは、不参加の国に損害をもたらすだけです。
 しかし、私たちは不参加の国と今後仲良くやれるでしょう。
 その意味から不参加の国は教訓を得るでしょう」


「スポーツを通じて平和な世界を」そういった理想のもとにはじまった近代オリンピックも、これまで何度か試練にさらされてきました。
政治とスポーツのはざまで大きく揺れる今回のモスクワオリンピックも、果たしてそうした試練を乗り越えることが出来るかどうか、大きな岐路に立たされた、モスクワオリンピックの開幕が近づいています。

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