プーチン大統領はなぜウクライナを攻めるのか 欧米の価値観を“全否定”する行動原理[2022/03/11 20:00]

 終結の見通しが全く立たない、ロシアによるウクライナ侵攻。
 プーチン大統領は、ウクライナを完全に掌握するまで攻撃の手を緩める気がないように見える。
 一体、彼は何に突き動かされて他国への侵攻を推し進めるのか。
 欧米諸国からは理解しがたい、その行動原理を、元ANNモスクワ支局長の武隈喜一が解説する。(本文中敬称略)

■ 「自由」「多様性」はロシアを堕落させる

ロシアは「力」がすべての国だ。「力」で相手を押さえつけ屈服させることが「正義」だ。だからロシア国民の伝統的な価値観では、一度戦争を始めた軍隊は、撤退できない。そして決定的な勝利を見せつけるまで戦いを止めてはならない。撤退や休戦は「弱みをみせる」ことだからだ。
戦いを止めるのは、痛めつけられ、いたぶられた敵から哀願された場合だけだ。
それがロシアの「正義」だ。
1994年のチェチェン戦争では、そうやって首都グローズヌイを、ひとつの建物も残らないほど破壊しつくした。
 
プーチンは20万の大軍を一挙に投入して戦争を始めれば、3、4日でひ弱なウクライナ軍を打ち破り、ウクライナ人はロシア軍に屈すると妄想していた。
「力」の世界で権力の階段を上りつめたプーチンには、はるかに強力な相手に屈せず、死ぬまで戦い続ける、という生き方は、想像できないものだろう。
 だから、プーチンは停戦協議など意に介することなく、「軍事作戦を停止するのは、ウクライナ側が戦闘行為をやめ、ロシアの要求を飲んだときだけだ」と言い放つのだ。「非軍事化」や「中立化」という言葉を使っていても、それは「降伏してロシアに従え」ということで、ウクライナが到底承服できるものではない。
 
プーチンは、欧米が掲げる「民主主義」、「自由」、「多様性」などという価値観は、ロシアには無縁なものであるだけでなく、ロシアを堕落させるものだと考えている。
ある集会で同性婚を「悪魔崇拝」とプーチンが呼んだ時、ロシア社会や経済界を仕切る取り巻きのオリガルヒ(新興成金)たちは拍手喝采を送った。欧米における同性愛者の権利拡張を、プーチンは、無垢なロシアを堕落させるために欧米が仕掛けた世界的陰謀だとみなしている。
しかもプーチンは、ロシア国内でみずからの政権に反対する民主派勢力を「外国と結託して同性愛を煽る異常性愛者」と決めつけている。

プーチンは反政府運動の陰の首謀者としてヒラリー・クリントンを名指ししたことがあった。ヒラリー・クリントンが堕落した「多様性」の元凶であるからこそ、2016年のアメリカ大統領選挙に露骨に介入してまでヒラリーの追い落としをはかった。
プーチンには〈女性〉で〈リべラル〉でロシアへの経済制裁の先頭に立ったヒラリー・クリントンはそれほど許せない存在だったのだ。

■ ナチズム支持者の思想と出会い「帝国復活」へ

 しかし、プーチンも2011年頃までは欧米を敵視していたわけではなかった。当初は、ロシアはEUやアメリカと対等な立場で協力し合うべきだ、という考えに傾いていた。しかし、アメリカもヨーロッパも、ロシアと決してまともに向き合おうとはしなかった。

天然ガスなどの地下資源をテコにすることによって、ロシアを最悪の経済状態から立ち直らせたプーチンは、「帝国の復活」に舵を切った。
その背景にはイワン・イリイン(1883-1954)という不遇の哲学者の思想との出会いがある。
イリインはロシア革命後、ドイツへ逃れ、武力で革命ロシアを転覆させようと奔走し、ナチズムを熱烈に支持した。
イリインによれば共産主義は退廃的な西欧によって無垢なロシアに押し付けられたもので、「自由」や「平等」などといった退廃した西欧的価値に汚されていない純粋なロシアこそが世界を救い解放するのだと説いている。
 プーチンは年次教書演説で、何年か続けてイリインの名を出し、その文章を引用した。

 プーチンは時々、長大な論文を書く。いまから10年前の2012年1月に書かれた論文では、ロシアは地理的な国家ではなく「カルパチア山脈からカムチャツカ半島」まで、同じ「ロシアという文化」を共有する人びとが散らばる大地のことであり、ロシアは国家を超えた「偉大な文明」なのだ、と書いた。
プーチンによれば、ロシアは法的な国境をも超える文明であり、文化を共有するものは「友」、文化を共有しないものは「敵」だ。
あまり注目されることのなかったこの論文の最後で、プーチンは「ロシア人とウクライナ人は何世紀にもわたってともに暮らしてきた。そしてこれからもともに暮らしていく。われわれを分断しようとする者に告げる―― そんな日は決して来ない」と締めくくった。
その2年後の2014年、プーチンは正体不明の軍部隊を送ってクリミア半島をウクライナから奪い取り、併合した。

■ 親衛隊「夜の狼」とクリミアを爆走

 ロシア連邦議会がクリミア併合を可決した日、黒の革ジャンに身を包んだバイクライダーたちの集団がクリミアに集まり祝宴を開いた。
このバイク乗りの集団「夜の狼」(ノチヌイエ・ヴォルキ)は、プーチンのプロパガンダ部隊であると同時に親衛隊的準軍事組織だった。それとともに、彼らは同性愛を「悪魔主義」として欧米からロシアへの攻撃だとみなす過激なロシア民族主義者でもあった。

プーチン自身、「夜の狼」の集会に何度か参加しており、革ジャンを着てバイクにまたがり、彼らとともに集団で走り抜ける映像は、「マッチョ」なプーチン像として知られている。
2019年にはクリミア半島で行われた「夜の狼」のイベントに参加、バイクを運転するパフォーマンスを見せた。

クリミア併合以降、ロシアの外交方針は「自国の文化に属すると認めた者は誰であれ、国家がそれを守るために介入して良い」というのが原則となり、それにのっとって、ウクライナ東部のロシア人居住地域は「人民共和国」へ仕立て上げられてきた。
 
改めて考える。
 ロシアでは一度戦争を始めた軍隊は撤退できず、決定的な勝利を見せつけるまで戦いを止めてはならない。
プーチンはロシアの文化圏のもとにある「友」から、欧米のNATOという、ロシア以外の文化へ移行しようとするゼレンスキーのウクライナを「敵」として、自らの足元にひざまずくまで、決して手を緩めることはないだろう。
プーチンはウクライナが「敵」であるならば、「核兵器」を使ってせん滅させてもかまわない、それはロシアを堕落した西欧から守ることになるからだ、と考えているのだ。

テレビ朝日 コメンテーター室 武隈喜一(元ANNモスクワ支局長)

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