苦戦するロシア軍 ある司令官の死で露呈した通信システムの脆弱(ぜいじゃく)さ[2022/03/17 18:00]

 ロシア軍が補給に苦しんでいる。軍車両の燃料、兵士の食糧の補給は戦闘を続けるための必需品だが、現代の兵站(へいたん)の要は通信機能の充実だ。
プーチン大統領は、手元に集められた情報から、おそらく短期での勝利を確信していたのだろう。だから、戦闘が長引き戦線が広がるにつれて、兵員そのものも増強せざるをえなくなっている。
その肝心の部隊間の通信に、ロシア軍は問題を抱えていると指摘されていたが、ある司令官の死が、はからずもロシア軍の通信機能の問題点を浮き彫りにした。

■ 死亡報告はやすやすと傍受された…

ウクライナ軍情報当局は、3月8日、ロシア第41軍第一副司令官ヴィターリー・ゲラシモフ少将がハリコフ近郊の戦いで死亡したと発表した。
ウクライナ侵攻が始まって以来、ロシア軍の上級司令官の死亡はゲラシモフ少将で2人目だ。最初に死亡したのもハリコフに攻め込んだ、同じ第41軍の副司令官だった。
 職業軍人とはいえ、戦闘の現場で司令官クラスの上級将校が死亡することはまれだ。司令官は前線の情報を総合して状況を把握し、戦況に応じて部隊を指揮するのが本務で、普通は生死をわける最前線には出ない。

ゲラシモフ少将は、首都グローズヌイを瓦礫だらけの廃墟にした1999年の第二次チェチェン戦争や、2014年の電撃的なクリミア併合作戦、さらに2015年のシリアの軍事作戦にも参加した歴戦の司令官だ。シリアでの功績で勲章を授与されてもいる。
 
ロシア軍側はゲラシモフ少将の死を公には認めていない。しかしオランダに本拠地を置く調査ジャーナリズム「ベリングキャット」によると、ウクイナ当局がゲラシモフ少将の死亡の情報を入手したのは、戦闘現場のFSB(連邦保安局)連絡情報員が司令部の上官に報告した際の、電話を傍受したことによるものだという。

連絡情報員は本来は禁じられている一般の電話回線を使って、戦闘で3人の将校が死亡したと上官に報告したあと、死亡した3人の名前を読み上げた。その中にゲラシモフ少将の名前があった。
報告したFSB連絡情報員は上官の応答を待っていたが、あまりに沈黙が長いため、「聞こえていますか?」と尋ねた。これに対して上官は口ごもるように、「ああ、聞こえている。聞こえている」と繰り返し、最後に一言、「たいへんなことになった」と言って電話を切った。

ウクライナ東部では2014年の親ロシア勢力との武力紛争が始まって以来、ロシア軍もウクライナ軍も自軍の通信が相手の軍当局によって傍受されていることは承知している。それにもかかわらず、ロシア軍情報員からの電話はウクライナのSIMを使い、ウクライナの国番号からロシアの国番号の上官宛にかけられていた。そのため、やすやすとゲラシモフ少将の死がウクライナ軍当局に傍受されてしまったのだ。

■ 自らの攻撃が招いた最新通信システムの機能不全

ロシア軍はクリミアに侵攻した2014年以降、通信環境の改革に取り組んできた。

きっかけは、ウクライナ東部で親ロシア派が分離独立の戦いを始めた直後の2014年7月17日、ウクライナ東部を飛行中のマレーシア航空17便がミサイルによって撃墜され乗客乗員298人が犠牲になった事件だった。
明らかにロシア製の移動式地対空ミサイルが使われていたにもかかわらず、関与をかたくなに否定するロシアに対して、ウクライナ保安局は通信傍受記録を公開し、親ロシア派武装勢力がロシア軍情報員に撃墜を報告していたことを明らかにした。

ロシア側はウクライナの自作自演だと主張し続けたが、プーチン大統領はこの撃墜事件を受けて、軍に対して西側の通信機器を使用することを禁止した。さらに2015年には将兵に、勤務中個人の携帯を持つことを禁じるという措置をとった。いずれもウクライナ当局による会話の傍受を防ぐための措置だ。

そしてロシア軍は2021年にERAという第3、第4世代移動通信システムを用いたインターネットのクリプトフォン(暗号電話)を全部隊に配備していたはずだった。
しかしハリコフ突入時に、ロシア軍はハリコフの電波塔を、戦略施設として真っ先に破壊したため、部隊間の連絡にもERAを使用できなくなっていた。そのために禁じられていた一般回線を使うしかなかったようだ。

■ イーロン・マスク氏に協力訴えた副首相

一方、ロシア軍が通信用電波塔を次々に破壊したため、一時インターネットの通信が困難に陥ったウクライナのフョードロフ副首相は、2月26日ツイッターで、アメリカの民間宇宙開発企業スペースXのCEOにこう訴えた。「イーロン・マスクよ、あなたが火星を植民地にしようとしている間にも、ロシアはウクライナを占領しようとしている。あなたのロケットが宇宙から首尾よく着地する間にも、ロシアはウクライナの人々をロケット攻撃している。スターリンク端末をウクライナに提供してほしい。」
フョードロフ副首相はデジタル転換相も兼ねる31歳の元ビジネスマンで、公共サービスや教育のデジタル化を進め、ウクライナ全土で4G回線の導入を実現させたデジタル世代の申し子だ。
スターリンクとはスペースX社が開発を進めるインターネットアクセス衛星で、1600を超える小型衛星と地上の専用送受信機とをつなぎ、ネットが使用できる仕組みだ。
フョードロフ副首相がそう訴えた10時間後、今度はイーロン・マスク氏がツイッターで返信した。「スターリンクサービスはウクライナで利用可能になった。さらに送受信機を輸送中」。
3月13日の1日だけでも、スターリンクのアプリはウクライナ国内で2万1千回ダウンロードされていて、これまでの総数は10万回を超えるという。

■ 「イエスマン」に向けられた大統領の不満

ゲラシモフ少将の死が伝えられた数日後、FSBの対外情報部門である第5局のセルゲイ・ベセダ局長とアナトリー・ボルイフ次官が自宅軟禁に置かれた、とロシアの独立系メディアが伝えた。
第5局の任務は、侵攻に先立ってウクライナ国内の最新の地形情報から市民の反ロシア感情、反ロシアの活動家の個人情報に至るまで、正確な情報をプーチン大統領に報告することと、ウクライナ政府内から地方まで、ロシア軍が侵攻した際に自軍のために働く「協力者」をウクライナ全土で組織することだった。この内通者のオルグにはFSBから巨額の資金が提供されており、第5局のトップ2人は、この資金を私的に流用した容疑がかけられていると「べリングキャット」のグロゼフ代表は語っている。
軍事作戦では国防省、参謀本部とFSBの連携は欠かせず、侵攻の最中にFSB対外情報部門のトップが処分されること自体が異例だ。しかし東ドイツに駐在していた頃のKGB(FSBの前身)将校ウラジーミル・プーチンの主要な任務こそ、NATOに関するこのような情報収集と工作員のリクルートだったはずで、有事の際のその重要性を誰よりも理解しているプーチン大統領が、ウクライナでのFSBによる事前の情報収集、工作活動に強い不満を抱いていることは確かだろう。
さらに、プーチン大統領の最大の不満はショイグ国防相にむけられていると言われている。ショイグ国防相は長年、非常事態相として災害復旧などに取り組み、国民からの人気も高かったが、軍務経験も、KGBでの勤務経験もないまま、2012年プーチン大統領から白羽の矢を立てられて国防相に就任した。これは軍事大国だったソ連時代には考えられないことで、独自の閉鎖的な社会を作るロシア軍の上級将校の間では、動揺が広がったと言われている。
ショイグ国防相は、こうした疑念を払いのけるように、2014年のクリミア侵攻、シリア空爆などにかかわり、巨額の予算を投じてロシア軍の近代化を図ってきた。しかしなによりもショイグ国防相には、プーチン大統領のシベリアでの狩りや乗馬などに同行する「イエスマン」としてのイメージが付きまとっている。
今やその「イエスマン」に対しても、大統領の厳しい視線が向けられているというのだ。
残酷な戦争にも法はあり、ウクライナ各地でおこなわれているような民間人、民間施設への無差別攻撃は人道上の犯罪だ。だがウクライナ軍の捕虜になった若いロシア兵たちは、「軍からは犯罪を犯しても構わないという命令を受けている」と明かしている。
自身の失地回復にために、ショイグ国防相がウクライナ市民に対し、さらに無慈悲な攻撃に突き進むのではないか…
そんな懸念すら現実味を帯びてきている。

ANN元モスクワ支局長 武隈喜一(テレビ朝日)

画像:ゲラシモフ少将の殺害を伝えるウクライナ国防省情報総局のFacebook投稿

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