なぜ日本は「ロシア権益」から撤退しないのか 内部文書から見るエネルギー安保と国益[2022/04/06 19:30]

◆ウクライナ危機下の“ロシア依存” 日本のスタンスは

ロシアによるウクライナへの侵攻から1ケ月以上が過ぎ、ウクライナの街が次々と破壊されていく様子を世界が日々、目の当たりにする中で、日本政府がその重い腰をようやく上げ始めた。

3月31日、経済産業省は初めて、ロシアへの依存度が高い戦略物資やエネルギーについて、安定的な確保を検討する会合を開いた。「対策を早急に講じる必要がある物資」として、石油やLNG(液化天然ガス)、パラジウムなど7品を特定。新たな供給先の確保や、権益取得に向け取り組みを強化していくことなどを打ち出した。

一方で岸田総理大臣はじめ日本政府は、日本が権益を持つロシアでの石油・ガス開発事業「サハリン1」、「サハリン2」などについて、「日本のエネルギー安全保障上、極めて重要なプロジェクト」だとして、撤退しない方針を発信し続けている。

日本はウクライナ危機下のエネルギー安全保障をどうとらえているのか。

◆石油メジャー、欧州は即反応

日本とは対照的なのが、欧米各国や「石油メジャー」と呼ばれる海外の大手エネルギー会社の対応だ。

イギリスのシェルは2月28日、ロシアのウクライナへの侵攻開始から4日後には、27.5%を保有する「サハリン2」から撤退すると表明。イギリスのBPはすでにその前日、ロシアの国営エネルギー会社ロスネフチの株式をすべて処分するとして、ロシアでの事業から事実上撤退する方針を発表している。BPの損失は最大、250億ドル(約3兆円)に上る可能性もあるという。

これに続き、アメリカのエクソンモービルも3月1日、30%を保有する「サハリン1」から「撤退に向け、操業停止のプロセスを開始する」と明らかにした。

日本以上にロシア産エネルギーへの依存度が高いヨーロッパは、去年から続く天然ガスや石油などの価格高騰も受けて、苦しい立場に置かれていた。しかしそのヨーロッパも、EU(ヨーロッパ連合)が3月11日、2027年までにロシアの化石エネルギーへの依存脱却を目指し、5月にも具体策を提案すると発表。フォンデアライエン欧州委員長は「早期に依存から脱却することが重要だ」と力強く宣言した。

とりわけ世界を驚かせたのが、ドイツの劇的な方針転換だ。

天然ガスの55%、石炭の45%、石油34%をロシアに依存するドイツ。その比重の大きさは日本とは比べ物にならない。ロシアの侵攻前、ウクライナへの支援をためらっていると批判されていたが、ロシアがウクライナ東部の親ロシア派支配地域の独立を承認したことを受けて、ドイツのショルツ首相は2月22日、ロシア産天然ガスを運ぶパイプライン「ノルドストリーム2」の計画停止を明らかにした。

ウォール・ストリート・ジャーナルによると、「ノルドストリーム2」は約1兆2000億円の事業費をかけすでに完成しているが、ドイツが計画凍結を決めたことで稼働のめどが立たなくなっている。ドイツは別なパイプライン「ノルドストリーム1」によって、ロシアから天然ガスの供給を受け続けているが、ハベック経済相は「短期的には価格は上昇する」として、痛みを伴うことも説明し国民に理解を求めている。

さらにドイツは3月25日、ロシアからの原油輸入量を今年半ばまでに半減させ、年内には「ほぼ自立」する方針にも踏み込んだ。最も依存度が高い天然ガスも、2024年半ばまでに「ほぼ完全に脱却する」などと、ロードマップも明らかにしている。

◆「ヨーロッパの陰に隠れていれば」…”何もしない”が日本の方針か

ある日本の政府関係者によると、経済産業省からは当初、「(日本は)ヨーロッパの陰に隠れていればいい」と声すら聞こえてきたという。しかし、ロシアへのエネルギー依存度がはるかに高いヨーロッパが具体的に時期を設定し脱却する方針を示したことは、日本政府にとっては誤算だったかもしれない。

ロシアでのエネルギー開発事業で、日本政府が特に「重要」と位置付けるのが、日本のLNG(液化天然ガス)輸入量の約9%を賄う「サハリン2」だ。経済産業省によると、2021年のLNG輸入実績は649万トン。「サハリン2」の年間生産量の約6割に上っている。

経済産業省が作成した内部資料には、「配給途絶が起これば、電気・ガス需給圧迫リスクを起こしかねない」として、「エネルギー安全保障の観点から、エネルギー構成全体の中で対応を考えていく」と、まるで何もしないことを前提としているかのような対処方針が示されている。

◆「脱ロシア」で何が起こる? 「年間1兆7000億円の国民負担」

では今後、日本が欧米と同様に、ロシア依存からの脱却を目指そうとすればどのような問題・影響があるのか。ここで日本政府や関係者が想定している「脱ロシア」のリスクを検討してみよう。

出資する大手商社のリスクが多く指摘されるが、「サハリン2」から即時撤退した場合、何が起こるのか。影響がさらに大きいのは、LNGの供給を受けるガス、電力業界だろう。

筆者が入手した「日本ガス協会」の資料からは、強い危機感が伝わってくる。

その理由の一つが、現在の輸入価格の安さだ。「サハリン2」からのLNGは通常長期契約に基づき、価格が抑えられている。財務省の統計によると、今年1月のロシアからのLNGの輸入価格は英国熱量単位あたり約14ドル。一方で、一回の取引ごとに成立する「スポット」と呼ばれる市場価格は去年夏ごろから高騰し、ウクライナ侵攻で3月4日には一時、84ドル台まで急騰している。

日本ガス協会は、「スポット」による調達価格と、長期契約で調達した場合の差額は、1年間で約1兆7000億円に上ると独自に試算する。また、代替調達ができなかった場合に、「電気・ガスの供給制限および使用制限が必要となる可能性が高い」と、国民生活に直接的な打撃になると訴える。

さらに国内での政治的圧力となるのが、地方のガス会社のロシア産LNGへの依存度の高さだ。

日本ガス協会によると、岸田総理大臣の地元である広島ガスのロシアからの調達割合(2020年度)は47.7%と、ほかのエネルギー企業に比べても圧倒的に高い。次いで、九州電力17.9%、東邦ガス15.9%に上っている。

資料には同時に、業界として、「日本政府が輸入禁止措置を取れば、全国的に需要抑制が必要であることをセットで考える必要があることについて理解を求めていく」などと、「サハリン2」からの撤退がいかに困難かを訴える内容がふんだんに盛り込まれている。

◆政府が警戒する「中国の影」

そして、政府やエネルギー業界関係者が最も懸念するのが、「日本が撤退したら中国に権益を奪われる」というシナリオだ。日本が手放したLNGを中国が安いコストで調達できるようになれば、「脅威」となった中国経済をさらに利することになりかねないという。

萩生田経済産業大臣は3月8日、「サハリン1、2」について、「第三国がただちにそれを取って、ロシアが痛みを感じないことになったら意味がない」と、中国への警戒感を滲ませた。

さらに、ロシアが安価な長期契約の日本への輸出分を「スポット」での高値で転売すれば、ロシアを逆に潤すことになりかねないと、エネルギーの専門家は指摘する。

◆「国策プロジェクト」は本当に“重要”なのか

一方、この情勢下で固執し続けることに首を傾げざるを得ないプロジェクトもある。

日本政府は、原油を輸入している「サハリン1」も「極めて重要」として、撤退しない方針を堅持している。経済産業省の資料によると、2021年の日本の原油輸入量でロシア産が占める割合は3.6%にすぎない。日本への原油はサウジアラビアが約40%、UAE=アラブ首長国連邦が約35%と中東依存度が高く、もともとロシアでの権益確保は、エネルギーの中東依存度を下げることが目的だった。

だが、ウクライナでの惨状を受けて、各国や企業が次々とロシアからの撤退を進める中、「3.6%」が本当に国益上「極めて重要」なのか。

「サハリン1」の事業主体を見ると、その背景も透けて見えるように思える。撤退の方針を表明した米エクソンが30%、そして日本のサハリン石油ガス開発(SODECO)が30%を保有。さらに、このSODECOの内訳を詳しくみると、経済産業大臣(日本政府)が50%、国が筆頭株主のJAPEX(石油資源開発)が15%、伊藤忠14%、丸紅12%と、ほぼ国策会社だ。

日本政府が関わるロシアでの資源開発はほかにもある。

その一つが、2023年の稼働を目指す北極海の「アークティック2」。安倍元総理大臣が肝いりで進めたLNG開発事業だ。日本勢では、三井物産や石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)などが参画する。2019年、G20大阪サミットでのプーチン大統領と当時の安倍総理との首脳会談にあわせて契約が署名された、まさに国策プロジェクトと言える。

だが、「アークティック2」をめぐっては、権益の10%を保有するフランスのエネルギー大手トタルエナジーズが3月22日、権益は手放さないものの資金提供はしないと凍結を表明するなど、今後の資金調達が危ぶまれている。

それでも、4月1日、萩生田大臣は「アークティック2」からも撤退しない方針を明言した

失敗を何よりも避けたがる霞が関官僚の論理では、国が進めた事業から容易には撤退できない。そして、結論を先送りし、対応が遅れる。これまで様々な問題で繰り返し見てきた「霞が関」的なやり方が、この問題でも続いているのだろうか。

◆「戦略」? 危機対応の「欠陥」? 

紛争において、エネルギーがいかに大きな武器となりうるのか、ロシアのウクライナ侵攻は改めて世界に突き付けた。ロシア依存からの脱却を表明したヨーロッパだが、経済への一層の打撃など困難が予想される。

それでも、EUのフォンデアライエン委員長は3月8日、「我々を露骨に脅す供給元に頼ることはできない。今行動が必要だ」と、結束を呼び掛けた。迅速な意思決定と行動は、危機を乗り越えようとする国際社会への強いメッセージとともに、ロシアへのプレッシャーにもなる。

国際社会の動きに押されるように、萩生田大臣は3月15日、「ロシアへのエネルギー依存度の低減をはかる」として、再生可能エネルギーも含めたエネルギー源や調達先の多様化を進める方針を示した。そして、冒頭触れたように、侵攻から1か月以上経過して、日本政府は初めて、「戦略物資やエネルギーの安定的な確保を検討する会合」を開き、対策を発表した。しかし、ここでもロシアでの権益をどうするのか、具体的な方針は示していない。

日本のエネルギー業界のある重鎮は、「簡単に権益を手放す判断をすべきではない」と日本政府の対応を評価しながら、「ウクライナでの状況が悪化すれば、人道的な観点から撤退も考えざるを得ないだろう」と語る。

資源のない日本にとって、エネルギーの権益確保と調達の多様化は最重要ともいえる課題であることは疑いない。だが、「戦争犯罪」も問われるロシアに、欧米各国らが結束して対応しようとしている中で、すべてのロシア権益を一様に、「極めて重要」として固執し続けるのか。

日本政府の対応はしたたかな戦略的「忍耐」なのか、それとも単に危機対応の遅れなのか。その「忍耐」は責任ある主要国の一員として容認されうるのか。国民、そして国際社会への説明はあまりに乏しい。


テレビ朝日 外報部デスク 新谷時子(前アメリカ総局長)

画像:「アークティック2」の調印式(2019年)

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