横断幕、延期、退席…相次ぐトラブル「なかった」ことに 3期目習政権“波乱の船出”[2022/11/01 20:00]

中国便り03号 
ANN中国総局長 冨坂範明  2022年10月

中国は何もかもを共産党が「率いている」国だ。
議会も、政府も、企業も、軍も、全てが共産党の指導に従わなければならない。

その中国共産党が5年に1度開く最重要会議が「中国共産党大会」(以下、党大会)で、今年で20回目を迎える。
通常ならば、習近平国家主席が2期10年の任期を終える今回は、後任人事に焦点が当たるはずだった。しかし習主席は2018年に憲法を改正し、国家主席の2期10年の任期を撤廃、党トップとして異例の3期目入りは既定路線となっていた。

10月16日の開幕に向けて、中国国内はプロパガンダ一色となった。
メディアは様々な番組で、習政権の10年を振り返り、中国が豊かになり、強くなったと強調。また、北京市内の博物館では、習主席を讃える絵画が展示された。
私はこのまま波乱なく党大会が進行し、さらに権力を集中させた3期目の習体制がつつがなく発足すると思っていたが、意外にも、党大会の前後に、様々なトラブルが起きた。

■第1のトラブル「横断幕事件」

1つ目のトラブルは、開幕直前の10月13日に起きた、「ゼロコロナ政策」批判の横断幕事件だ。
北京市内の陸橋で「PCR検査はいらない、ご飯が欲しい」という横断幕が掲げられ、同時に黒い煙が上がる動画が、中国国外のSNSで拡散されたのだ。

さらに異例だったことは、「独裁者である習近平氏を免職すべき」などと、習近平氏を直接批判する内容が掲げられたことだ。党大会に向けて、北京市内はいつも以上に警備が厳重で、不測の事態が起きるとは思えなかった。一瞬、「ねつ造か」とも思ったが、同僚の記者が現場に駆け付け確認してくれた消火剤の跡が、事件があったことを物語っていた。

開幕3日前におきたこの事件は、波乱の幕開けを予感させた。ゼロコロナ政策に対する不満は市民の間に相当たまっていて、共産党系の人民日報は、異例の3日連続の署名記事で「ゼロコロナ堅持」を訴えたばかりだった。

明らかに確信犯的なこの事件は当然、中国国内では一切報じられることはなく、あっという間に「なかった」ことにされた。

■第2のトラブル「GDP発表 突然の延期」

2つ目のトラブルは、党大会中の18日に予定されていた、7〜9月のGDP(国内総生産)の発表が、前日17日の午後4時に突然キャンセルされたことだ。
GDPは国の経済成長の目安となる重要指標で、株価などにも影響する。その発表が何の説明もなく、延期されることなど、通常はあり得ない。「私たちも何も聞いていない」と、電話口の担当者も困惑していたほど、突然の中止だった。

考えられるのは、数字があまり振るわなかったため、党大会に泥を塗るわけにはいかないと思った統計当局が、「忖度」をして、大会中の発表を見送ったという可能性だ。実際、党大会後に発表されたGDP成長率は3.9%で、中国政府が年間目標として掲げる5.5%前後の成長は絶望的となった。

この異例の延期も、主要メディアではほとんど報道されず、まるで「なかった」こととされた。GDP世界2位の経済大国としては、非常に無責任な態度だといわざるを得ない。

■第3のトラブル「胡錦涛氏 ナゾの退席」

そして3つ目のトラブルは、最終日の22日、閉幕式で起きた胡錦涛前国家主席の退席劇だ。

やはり中国国内では一切報じられなかったこの退席劇については様々な憶測が飛び交っているが、私は胡錦涛氏に何らかの判断力の低下を伴う体調不良があったため、退席を余儀なくされたという見方が妥当だと思っている。なぜなら、中国国内のニュースで、胡錦涛氏の閉幕式への出席は普通に報じられているからだ。もし政治的ないざこざで退席させられたのならば、最初からいなかったように編集することも可能だろうし、そうしていたと思われる。

ではなぜ、胡錦涛氏の出席を報じて、退席を報じなかったのか?
理由があるとすれば、やはり習近平氏への「忖度」だろう。習近平氏の3期目の船出となるめでたい党大会で、前国家主席の退席といった不測の事態など、あってはならないことだからだ。そして、結果としてこの退席劇自体も、中国国内では「なかった」こととされている。

■「なかったこと」が、実は一番大事

今回の3つのトラブルの扱い方を通じて感じたことは、中国共産党、言い換えれば習近平政権にとって都合の悪いことは「なかった」ことにしてしまおうという体質だ。また、今回の党大会を通じて、最高指導部メンバー7人がすべて習近平氏に近い人物で固められたことで、思想的には、さらに同質化が進むことが予想される。習氏への異論反論はますます難しくなり、3期目の習政権は、強烈なトップダウンで、様々な政策を推し進めていくだろう。

胡錦涛氏が退席した人民大会堂には、数十人を超える国内メディアの記者がいたはずだ。しかし残念ながら、彼らが自らのメディアで、自分の目の前で起きたことを伝えることはできなかった。

太平洋戦争中の旧日本軍の「大本営発表」が典型だが、「あったこと」を「なかったこと」にしてしまえば、正しい判断をすることがますます難しくなる。「なかったこと」にされたことが、実は一番大事なことかもしれない。だからこそ、「実はこんなことがあったよ」と勇気をもって伝えていくことが、メディアに与えられた役割ではないか。党大会の取材を終えて、改めて思った次第だ。

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