【もはやフルコロナ?】3年ぶり1200キロ先の故郷 中国人も知らぬ21億分の1の春節帰省[2023/01/22 17:00]

 中国ではきょう(1月22日)、ゼロコロナ政策転換後初となる、春節を迎えた。
 中国全土で移動制限なしの春節は4年ぶりとあって当局の発表によると、春節を挟む40日間で、のべ21億人という途方もない人数が、国内を移動する。その半数以上が「里帰り」を目的としているという。
 コロナの感染が爆発的に拡大し、実態が全くつかめない中国。
 21億人のうちの1人、上海から故郷の村に帰る“王さん”の里帰りに密着すると、中国人も知らない、地方のいまが見えてきた。

<ANN上海支局長 高橋大作(ABC)>


■春節大移動 「食事と同じくらい大切な習慣」

 今年の春節は1月22日。多くの中国人は、その前日までに最初の移動を終える。大晦日にあたる春節前日の夕食を一族みんなで食べること、王さんはその習慣を「中国人にとって水を飲む・食事をとることと同じくらい、大切なもの」だと語る。
 コロナが拡大して以降、地方での感染拡大をおそれた中国政府は、大切な「春節の里帰り」に制限をかけてきた。
 ゼロコロナ政策の転換を求め激しい抗議活動が起こった中国だが、政府の方針に対して声を上げたり、異論を唱えたりする国民は多くはない。

 福建省出身で、上海で働く王さん(31歳)も政府からの通知を守る「理想的な人民」の1人で、この2年間は春節の帰省を自粛していた。
 ゼロコロナ政策が転換され、行動制限のない春節は王さんにとって「眠れなくなるほど楽しみな」旅だという。


■「ロックダウンについて」理想的な人民は「過ぎたこと」と答えた

 満席の高速鉄道。そのちょうど真ん中にある、営業を再開して間もない食堂車で王さんと向かい合い、話を聞いた。
 王さんの実家は福建省安渓県にある。かつて中国政府から「貧困県」に指定されていたが、地元の特産の茶葉「鉄観音」が全国的にブームとなり、97年には貧困県から脱却した。
 中学まで地元の村で過ごした王さんは、都市部、厦門(アモイ)市の全寮制の高校へ進学。大学院を経て、上海で仕事と住居を見つけた。
 「子どものころ田舎で勉学に励み、都会の戸籍を取得して仕事を見つける」
 絵にかいたような成功の道を歩んでいる王さんだが、去年上海でロックダウンを体験した。

 私自身も、2カ月間強制的に自宅に閉じ込められた。その体験は精神的にも肉体的にも「トラウマ」と呼んでも良いようなもので、昨年末からの中国政府の急な方針転換の連続にも大いに疑問を感じている。
 ただ、王さんに「ロックダウンや、ゼロコロナ政策についてどう思うか」と問うと、返ってきた答えは「すべて過ぎ去ったこと。今は解放されているじゃないか」というカラっとしたものだった。過去は過去、今はいま。
 中国政府に対する「信頼」に揺らぎはないんだな…その時の私はまだ、王さんの言葉の裏にある意味に気が付いていなかった。


■ゼロコロナから“フルコロナ”

 中国メディアは14日、北京大学の推計として「すでに9億人が感染した」と報じ、世界に衝撃を与えた。上海に暮らしていると、その数値はかなり現実感のあるもので、まだ1度も感染していない人を探す方が難しいくらいだ。
 日本や欧米各国はこの3年間「ウィズコロナ」への道を模索していたわけだが、中国は12月8日にゼロコロナ政策が実質的に放棄されて以降、感染が爆発的に広がっても、行動制限はほぼゼロのまま貫き通した。
 「コロナとの共生」といった生易しいものではなく、いきなりノーガードでコロナに突っ込み、集団免疫を短期間で獲得させることを狙ったのかと思わせる中国のやり方は「フルコロナ」と呼んでも良いようなものだった。

 王さんも「ワールドカップ決勝の日に陽性が判明した」が、1週間後には回復。両親の感染を心配し薬を送ったが、ほどなく両親も感染。12月下旬には周辺の集落でも感染が広がっていたという。
 今回王さんが、コロナを心配することなく里帰りすることを決められたのも「すでに両親は感染し回復済みなので、再感染の可能性は低いだろう」という考えがあったからだ。今回、久々に帰郷する多くの中国人が同じ状況にあると見られる。

 私たち北京や上海の都市部に赴任している日本メディアは当初「都市部で爆発的に広がった感染が、春節時期の大移動で、地方に広がるのではないか」という見立てを報じていたが、ほぼノーガードの「フルコロナ」政策による感染拡大の速度は予想を超えていた。
 相当な奥地であっても、感染はすでに拡大しきっていて、拡大のピークは越えているというのが現状に近いの“かもしれない”。

 ただ、これらも所詮は私たちの“予測”に過ぎない。
 「感染爆発」の先には、その数に比例した一定数の「死者」が出ることは避けられない。
 今回の取材の目的の一つは、都市部ではわからない「地方の現状」を、王さんに同行して見に行くことだ。


■沿道ですれ違った2つの「葬儀行列」

 高速鉄道で7時間かけて、上海から1000キロ南にある厦門市にやってきた王さんは、バスを乗り継いで生まれ故郷の安渓県長郷鎮へと向かう。
 道中、バスは音楽と太鼓を打ち鳴らしながら沿道を行進する100人を超える集団とすれ違った。
 「春節を祝うための恒例行事か?」と思ったが、違った。
 行進は死者を弔うために棺と共に練り歩く風習だそうだ。コロナとの関係は不明だが、道中2組の葬儀行列とすれ違った。

 中国政府は、12月8日以降の新型コロナによる死者数が7万2000人を超えたと発表している。しかし、どの地方で、何人の死者が出たのか、重症者や死者数のピークは越えたのかなど、詳細は明かされていない。
 コロナに関する管理規定が引き下げられた中国では、詳細が明かされないどころか、この先、各地の地方政府がコロナに関する現状を把握することすら放棄する可能性がある。コロナはすでに過去のものであり、目の前の死がコロナ関連死かどうかも確かめようがないものになりつつある。


■両親との再会…住民はノーマスク、静かな病院

 10時間以上におよぶ長い道のりを経て、王さんは実家にたどりついた。
 上海の街で購入した、最新のスニーカーを両親にプレゼントした王さん。母親を椅子に座らせると、靴紐をほどき新品の靴をはかせてあげていた。
 実家に戻った王さんの表情が、だんだんと、柔らかく優しくなっていく気がした。心の底からリラックスできる場所に帰るという事。これが「春節に実家に帰る」ということか。

 春節前日。つまり大晦日。村中で爆竹が鳴り響く中、春節を迎えるための飾り付けが進められた。

 大晦日の夕食まで時間が出来たので、村の唯一の病院の様子を見に行った。
 村の病院の前は静まり返っていて、玄関先に止めてあった2台の救急車も動く気配はなかった。
 感染のピークは越えたと言われている上海だが、救急車の出動回数は平時と比べものにならないほど多い。玄関の前に行列が出来ている病院も多く、街を走る救急車を見かけることも、ゼロコロナ政策が転換された先月以降格段に増えた。
 上海に比べて静かすぎる村の病院の様子からは、この地区の医療体制が今のところひっ迫していないことが感じられた。

 夕方、王さんと両親・姉の家族が実家を訪れ、13人の夕食が始まった。
 私たち取材班も、(一応遠慮するそぶりは見せたものの)「年越しは皆でご飯を食べるものだ」と諭され、円卓に座りごちそうになった。
 王さんはたくさんの料理を用意してくれた母親の隣に座り、肩をマッサージしている。
 「なんて優しい息子なんだ…」と、こちらまでほっこりする光景だ。

 王さんの一家はお酒を飲まない。ただ新年を祝うために高級なブランデーが用意された。唯一お酒を飲むのは、隣村に住む王さん姉の夫だ。中国ではお酒に口を付ける際には、毎回だれか相手を見つけて、乾杯をしてから飲む習慣がある。(一応遠慮するそぶりは見せたものの)義兄の乾杯の相手は、私たちが交代で務めることになった。
 少し酔いが回ってきた後、義兄はこの山間の村にもやってきた「コロナ」について、語り始めた。


■「他の村のコロナは知らないけど、うちは大丈夫」義兄は語った

 王さんの両親と、隣村に住む姉の家族がコロナに感染したのは、12月末から1月の初旬にかけてだった。
 上海で感染が急拡大したのは、昨年のクリスマスごろ。上海から約一週間遅れる形でこの周辺でも感染が広がったことになる。
 私たちが報じてきた「春節でコロナが都心部から地方に広がる可能性がある」という推測は、この地方では1カ月前倒しで起こっていたことになる。

 「私も、妻も熱が3日ほど出たが、そんなにひどくはならなかった」
 王さんの義兄がそう話しているところに割って入る形で、父親が部屋の奥から薬の入った容器を持ってきて「私も感染したが、息子が上海から送ってくれたこの薬を飲んだら、すぐに熱が下がった」とどこか誇らしげに語った。
 
 新年の祝いの席で、亡くなった人のことを話すのは少しはばかられたが、義兄に村周辺での死者について尋ねた。
 義兄は「ゼロではなかったが、うちの村ではコロナはひどくなかった。他の村のコロナのことは知らないけれど、うちは大丈夫」と答えた。
  
 中国政府による「7万2000人以上の死者」という数字に対して、国外からは「正確な数値を反映していない」「詳細なデータを公表すべきだ」という批判が強いが、国内の中国人たちからは死者数について「もっと多いのでは?」と疑問は出るものの、より正確なデータの公表を求める声はほとんど上がっていない。
 「よそのことは知らないけれど、うちが大丈夫ならそれでよい」からだ。

 中国政府が、3年間続けたゼロコロナ政策を急転換し、毎日の感染状況を発表しなくなってからまだ2カ月も立っていない。
 毎日PCR検査を受け、感染におびえながら暮らしていた自分も、こうして初めて会う家族と円卓を囲み食事をしている。
 この村がこうして穏やかな春節を迎えているのも、自分自身のコロナに対する警戒度が急激に下がっているのも、中国政府の思惑通りなのかもしれない。
 そう思うと、ブランデーで温まってきた体温が、一気に下がった気がした。


■カウントダウンのあと…王さんの口から出た本音

 新年のカウントダウンの数時間前から、爆竹の音が激しくなり始めた。

 「久しぶりに故郷で迎える春節はどうですか?」
 家族との食事の席でこう尋ねても「開心!(カイシン)―たのしいです」としか答えなかった王さんだが、カウントダウンの後、爆竹が鳴り終わった合間に改めて話を聞くと、違う答えが返ってきた。

 「帰れなかった2年間、上海でも友達とパーティーをしたりして、それなりに楽しく過ごしていたが、どこかで孤独を感じていた。」
 「実家に帰って花火を見ると、3年前に戻ったようだ。見慣れた風景、よく知っている匂い、よく知っている人がいる。最高です。」

 上海で行われた2カ月にわたるロックダウンの後、王さんは住んでいた部屋を引っ越したという。ロックダウンの後も気持ちをふさぐような出来事が、続いたからだという。
 「コロナは過ぎたこと」と語る王さんだが、それは「思い出したくないこと」という意味だったのだということに気が付いた時、けたたましい爆竹の音が、また響き始めた。

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