反プーチンの指導者は「殺されるか刑務所入り」 ロシアで年明けに加速する弾圧の実態[2023/01/31 20:00]

ウクライナへの侵攻開始から間もなく1年も経つというのに、攻撃を続けているロシア−

その国内では、今年に入ってから、我々外国メディアもニュースソースにしていた独立系メディア「メドゥーザ」が国内での活動を完全に禁止されるなど、政権の主張にそぐわない「異論」の封殺がますます激しくなっている。反論は沈黙させられ、急速に多様性が失われている。
いま、ロシアの社会で何が起こっているのだろうか?

●モスクワの新年は厳戒 赤の広場は閉鎖 路地裏には機動隊

2022年12月31日、深夜のモスクワ−。
新年をむかえる街には色鮮やかなイルミネーションが随所で輝き、一見、隣国に武力侵攻している戦時下の国とは思えない。
例年、モスクワっ子の多くは、自宅や郊外の別荘で家族や友人とともに新年を迎えるが、若者や地方からの旅行者たちは「赤の広場」に集まってシャンパンで乾杯して新年を迎える。

プーチン政権は、多くの人が一カ所に集中し不測の事態が起きることを警戒したのだろうか。この年越し、31日の夜から1日にかけて「赤の広場」は閉鎖された。
当局は閉鎖について事前からSNSやニュースを通して周知を図っていた。しかし、知ってか知らずか、多くの人々が中心部に詰めかけている。警察や治安部隊が赤の広場の手前で拡声器を使い引き返すように促している。
その時、赤の広場に通じる目抜き通りのトベルスカヤ通りで、異様な光景を目にした。

路地裏に機動隊が息をひそめて隊列を組んでいるのだ。
いざというときに出動するのだろう。通りでは警察犬も周辺を嗅ぎまわっている。独立系メディアによれば、この時、ただ歩いているだけで拘束された人も多かった。

●政府関係者「いまのロシアは『ポチョムキン村』」

煌びやかな装飾の一方で、路地裏で息をひそめる治安部隊。
その強烈な対比は、あるロシア政府関係者が耳打ちした言葉を思い出させる。

「いまのロシアは『ポチョムキン村』のようなものです」

1787年に女帝エカテリーナ2世がクリミア半島を旅した際、グレゴリー・ポチョムキン公は、自分が治める地域がみすぼらしくあってはならないと考え、エカテリーナ2世の一行が通る道に面した家々の外壁だけを豪華絢爛に飾り立てたという。
見せかけだけ取り繕った美しいものの意味で使われる「ポチョムキン村」の逸話は、今のロシアの国全体にも当てはめることができるというのだ。

●プーチンの政治システムはツァーリの統治の影響か

「悲しいことかもしれませんが、これが私たちのシステムです。それが現実です。
物事を決定できるのは、プーチン氏だけです」
その政府関係者は、なかばあきらめたようにそう告白する。
合意形成に不可欠な議会は形骸化し実質的な権限はほとんどない。ロシア人の多くは国会議員や地方議員のことを「純粋な名目上の存在」だとみなしていて、期待する人はほとんどいない。
さらにプーチン氏は、憲法も改正し最長で2036年まで大統領の座に居座ることを制度上可能にした。
このような統治が可能なのは、ロシアが伝統的にツァーリ(皇帝)によって統治されてきたことにも影響されていると言われている。単純化していえば、ロシア人は強いリーダーに指示されることを望み、自分の身を預けてしまいがちなのだ。

プーチン氏が2000年に大統領に就任して以来、ロシア経済が上向いたこともあり、ソ連崩壊後の「悲劇の90年代」といわれる時代を知る人々は「今の不自由ない生活はプーチンのお陰だ」と口を揃える。
プーチン氏の強力なリーダーシップが政治的な停滞を打破し、成長を生み出したと考え、プーチン氏に進んで身を預けてきた。
プーチン氏が推し進める権力集中を容認してきたともいえる。

●侵攻で浮き彫りになったプーチン政治の恐ろしさ

ただ、ウクライナへの侵攻をめぐり、ロシア国内で誰もプーチン氏を止めることができないという現実を目の当たりにして、プーチン政治の恐ろしさが改めて浮き彫りになった。
政策決定に影響力を持てるオリガルヒ(富豪)やエリートたちさえ止めることはできず、むしろ身の危険を感じて早々にロシアを去った。不審な死を遂げた者もいる。
ロシアの独立系メディアなどは、「エリートの多くは大統領に不満を抱いているが、その決定に反対する手段をもはや持っていない」と指摘している。

いま、声高にプーチン大統領が嫌がるような主張を表立って展開するのは、昨年来、昨年来、一連の記事で指摘し続けているように、より強硬路線を突き進む民間軍事会社「ワグネル」を束ねるプリゴジン氏らだけという事態は深刻だ。

●政権の限界? 見送った「ホットライン」と「大規模記者会見」

一方で、プーチン氏の統治に限界が迫りつつあるとも考えられる事態が生じている。
昨年、「国民とのホットライン」と「年末の大規模記者会見」という2つの重大な恒例行事を見送ったのだ。

「ホットライン」はプーチン氏とロシア全土の住民とを直接テレビ電話でつなぎ、毎年6月に放送されてきた。
「工場の煙が健康に悪い」「給与が遅滞している」といった住民が訴える不満に対してプーチン氏が生放送の場で対応を約束する。時には目の前で官僚に指示を出し、ロシア人特有の「救済願望」を満たし、ツァーリのように振舞うことで求心力を維持してきた。

 年末恒例の「大規模記者会見」も同じだ。外国メディアも参加するが、プーチン氏にとってより重要なのはロシア国内の地方からの記者が多いことだ。ここでもプーチン氏は、地方から出張でやってきた記者の質問に丁寧に答え、地方の問題に真剣に取り組んでいることをアピールしてきた。

なぜプーチン氏は国民への求心力を維持するために重視していた2つのイベントを行わなかったのか?
 あるロシア政府関係者はこう指摘する。
「国民はいつ『特別軍事作戦』が終わるのかと思っている。これに明確に答えられない限り、国民と向き合うことは難しいだろう」。
指摘の通り、動員令などにより積もりつつある国民の不安や不満は、終結の見通しを示す以外に解消できない。

●厳しい弾圧 失われる多様性……

では今後、高まりつつある国民の不満にプーチン氏はどう対処するのだろう?

プーチン氏は、国民と向き合うのではなく、力で不満を封じ込めようとしている。
1月18日、サンクトペテルブルクの兵器工場を訪れたプーチン氏は「勝利は確実だ。疑いはない」と述べた。
プーチン氏は一歩も引きさがる様子はなく、その態度はむしろ硬直化している。
異論を封じ、社会を画一化させ突き進もうとしているのだ。

モスクワの新年のイルミネーションにさえ「我々はともに」というスローガンがならぶ。
一方的に併合を宣言したウクライナの東部4州がロシアと一体だという意味と同時に、ロシアはプーチン氏を中心に一つにまとまらなければならないという意味も読み取れる。

プーチン氏の決断に異論を唱える存在は「テロリスト」ないしは「外国エージェント」と見なされ、弾圧される。
その動きは年が明けてから、加速しているようにも見える。

1月14日、ウクライナ中部ドニプロの集合住宅攻撃で多数の死傷者が出るとモスクワでは、ウクライナの詩人で作家のレーシャ・ウクラインカの記念碑の前に追悼の思いを込め自然発生的に花が添えられた。人権団体はそこにやってきた人が拘束されたと報告している。

1月26日には、独立系メディアの中では最大規模の「メドゥーザ」を「外国エージェント」よりもさらに厳しい「望ましくない組織」に指定し、ロシア国内での活動を完全に禁止した。

ロシアで最も古い人権団体「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」は1月25日に解散命令を受けた。
また、その人権団体の創設者でノーベル平和賞受賞者のサハロフ氏の功績と理念を顕彰する「サハロフセンター」も建物からの退去を求められている。

弾圧は反戦・反体制派に留まらない。
たとえば、この半年でLGBTへの弾圧は厳しさをまし、関連する本も販売に制限がかけられている。
今のロシアでは、少数者による意見表明は、社会的な混乱を生み出すとみなされ、徹底的に排除されることが正当化され、社会の多様性は急激に失われている。

●それでも民主化しかない…

弾圧の中、反戦の声を上げ続けるサンクトペテルブルクの地方議員ニキータ・ユフェレフ氏はANNの取材に、プーチン氏が20年かけて、反体制派を弱体化させる一方で、480万人にのぼる治安部隊を築き上げたと指摘する。
「私たちの指導者たちは殺されるか、刑務所に入れられています。
資金も絶たれています。
抗議活動を行えば強力な治安部隊によりすぐに阻止されてしまい、ロシア社会には、路上での大規模な抗議行動は何にもつながらないというコンセンサスができてしまいました」

プーチン政権を前にリベラル勢力は歯が立たないという。
では、ロシアはこの先プーチン体制が続くしかないのだろうか?あるいは、別の道があるのだろうか?
その質問に対し、彼はきっぱりとこう答えた。

「ロシアは民主化しなければなりません。他の道はありません」
 議員は、無力だと認めつつ、それでも抵抗の火を絶やしてはならないといい、身の危険を覚悟で発信を続けている。

ANN取材団

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